エレノアの離職
前話がほぼ状況説明で、読んでくださる皆様申し訳ありませんでした。
せめてもと少し早めに更新させていただきました。
エレノアは仕事に戻ると、その傍ら王都の文献をしらみつぶしに調べた。
仕事のある日は自室で『魔法学大全』『魔力とその放出』『魔法理論』など図書館で借りた分厚い文献から『魔法初心者さん』『犬でも分かる魔法学』などの解説書までを読みあさったし、休日は王立図書館で持ち出しの禁止されている文献を当たった。
しかしどの本を読んでも、魔法を使えない人間についての記述自体がほとんどなかった。大抵はほんの一文、「生まれつき魔力を持たない者は魔法を使うことができない」と書かれているだけだった。その点では『魔法学大全』も『魔法初心者さん』も情報量が同じなのだ。
そのたびにがっかりして肩を落とすエレノアだったが、母やシンシアの顔を思い浮かべてまたすぐにページをめくる。
定期連絡をとっているハロルドの方も、良い情報を得られていないようだった。
しだいにエレノアの中で、やはり国外へ治療法を探しに行くべきではないかという気持ちが盛り上がった。しかし、家族に止められた上、危険の多いアイリーンの側を急に離れることも難しいのが現実だった。
そのような事情で、エレノアは焦る気持ちを抱えながらも毎日職務に努めていた。
そんなある日のことだった。
珍しく公務の少ない日で、アイリーンはゆっくりとお茶の時間を楽しんでいた。
エレノアはお茶のおかわりのタイミングを考えながらそばに控えていた。
するとアイリーンが突然エレノアを呼んで、こう言い出した。
「しばらく、王宮を離れてみない?」
エレノアは、はっとした。
そして顔から血の気がひくのを感じた。
母の病のことがいつも頭の片隅にある今の自分が、どれだけ不抜けていたのだろうと思い当たったのだ。
エレノアは、なんとか返事をしなければと口を開いた。
「そうですよね。今の私、ご迷惑になっていますよね。」
声を震わせないのがやっとだった。
アイリーンはエレノアの表情に驚いたように目を丸くした。
「違うのよ、そうじゃないのエレノア・・・別の仕事を頼みたいと思っただけなのよ」
そして慌てたように言葉を続けたが、エレノアは府抜けた自分は用済みになったのだと、呆然とした。
アイリーンの言う別の仕事とは、アイリーンの侍女を外れることらしかった。
エレノアはぼう然としながらも、王女にこれ以上の迷惑をかけまいと必死でそれを理解した。
泣きたい気持ちで王女の間を辞すと、エレノアは言われたとおりの場所へ向かった。
「アイリーン王女の言いつけで参りました」
そう伝えれば、扉の前に立っていた騎士はすぐに彼女を部屋に通してくれる。
部屋の主には幾度も合ったことがあるが、王女の盾としてアイリーンの側にいることが多いエレノアは、この部屋に入るのが初めてだった。
アイリーンの間の明るい色合いとは異なる、硬質な印象の部屋だった。扉や家具の木材の色が全て濃いためか、はたまた部屋の奥にある、石の天板がのった作業台じみた大きな机が目立っているためか。
「エレノアか」
机に気をとられていたエレノアは、その手前のソファにだらしなく寝そべっていたファレルに気付かなかった。そのため危うく先に机の前にいた侍従のクリスに挨拶するところだった。
「おくつろぎ中失礼いたします。アイリーン様から、こちらへ伺うようにと言いつかりました」
きちんと礼をとったエレノアに、ファレルは首を傾げた。
「なぜそんな顔をしている」
やや俯いて表情を隠していたつもりだったエレノアは、驚いた。まさかこの傍若無人の第二王子が、人のちょっとした表情の変化など気付くとも気にするとも思わなかったのだ。
そのため、虚を突かれたエレノアの表情は無様に崩れた。
泣きだす寸前の顔を見てファレルは驚いたように椅子の上で起き上がり、クリスはエレノアに座るよう促した。
本来なら、一介の侍女でしかないエレノアが王子の前で座るのはおかしい。しかし混乱していたエレノアは、自分よりずっと先輩であるクリスの勧めに素直に従った。
エレノアが濃紺の生地張りのソファに座ると、
「ここに来たと言うことは、アイリーンから話がいったのだと思うが」
ファレルはじっとエレノアを見て言った。
エレノアは頷いた。
「アイリーン様に、侍女の任を解かれました。王宮を、離れるようにと」
「・・・もしかして、それで落ち込んでいるのか」
図星をつかれたエレノアは、涙を堪えるために返事ができなかった。
ファレルは、そんな彼女を見て一言、
「馬鹿だな」
と一刀両断した。
これはあまりの言われようである。エレノアは、涙の溜まった目でファレルを睨み付けた。
「エレノア、睨まないように。一応王子だから・・・それに変態なので逆に喜ぶから」
クリスに窘められ、エレノアは慌てて目を伏せた。
ファレルは侍従の発言に、一応とはなんだと憤慨していたが、変態の方は認めるのですね、とクリスに言われると、すぐにエレノアに向き直った。
「まあとにかく、お前は話を理解していないようだから、俺からもう一度話す」
そうして彼が話し始めたのは、アイリーンから聞いた話の続きのようだった。
「エレノアには今まで、盾としてアイリーンの側にいる仕事しか頼んでいなかったな」
エレノアが頷くのを確認してから、ファレルは続ける。
「しかし、今後のことを考えると外に出る経験も積んでおくべきだ。そこで、アイリーンはエレノアを一人外に出すよりは安心だからと、俺の外遊について行くように言ったんだ。俺は5日後から一月ほど、治癒魔法を学ぶために隣国へ行く」
隣国、とエレノアは繰り返した。
北を人の住まない未開の山々に閉ざされ、西と南を海で囲まれたこの国では、隣国と言えば一国しかない。エレノアが治療法を探しに行こうと考えた宗教国家だ。もともと祖先達は、隣国のはるか東から新天地を求めて旅してきた。そして当時人の住んでいなかったこの地にたどり着いたのが国の始まりなのだ。
「エレノアには一月の間、アイリーンの侍女から俺の侍女に移ってもらう。もともと俺にはほとんど侍女がいないから、こちらもその方が助かるんだ。それで、帰国後はまたアイリーンの侍女に戻す予定だ」
ファレルの説明は彼には珍しくゆっくりで丁寧だったため、傷心のエレノアでも分かりやすかった。
ともかくエレノアは、アイリーンが自分に見切りをつけたのではないこと、アイリーンの侍女に戻れるということを理解してほっとした。知らず入っていた肩の力が抜けていく。
「またアイリーン様のもとに戻れるのですね」
エレノアの安堵の声に、ファレルは鷹揚に頷いた。
その日の内に、エレノアはファレルの旅支度を手伝うことになった。
衣類部屋でクリスと共に荷物を詰める。
アイリーンのかさばるドレスや数の多い装飾品を詰め慣れたエレノアだが、男性用の服装については分からないこともあるので、クリスが選んだ物を詰めていく。
手に取る上着一つをとってもアイリーンのものと色合いも使っている香りも違うのだなとエレノアは思った。短期間と言えども、主の好みを知ることは侍女にとって基本である。アイリーンならば淡い色合いに華やかな香りだが、第二王子のものはそれより濃い色地で香りもすっきりとしている。また、スリッパがない代わりに謎の石や工具の入ったトランクがあった。
すっかり気持ちを立て直しててきぱきとトランクを作っていくエレノアに、クリスが機嫌良く言った。
「エレノアがきてくれて本当に助かるよ。ファレル殿下の容姿と性格のせいで、女性の使用人はなかなか側におけなくてね」
エレノアはなんとなくその意味を理解して返事をした。
「変態行為に逃げてしまうのですね」
クリスが妙な表情をした。
「・・・いや、まあそれもなくはないけど。ほら、見た目だけは良いから、下心なしで世話をできる人間がなかなかいないんだ」
理解できないが確かに見た目だけはアイリーンに似て天使のようだから、恋心を抱いてしまう女性もいるのかもしれない、とエレノアは考えてみた。
「実際、背が伸び始めてから大変だったんだ。ハンカチはなくなるわブラシはなくなるわ、あげくは下着がなくなるわ」
「下着、ですか」
それは案外本人にとって窮屈な、そして周りの人間にとっても迷惑な話かもしれなかった。
しかし、そんな気持ちは全く理解できない、とエレノアはもう一度首を傾げた。




