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エレノアと母

やっと母が出てきました。長らくご心配をお掛けしました。

アイリーンに休暇を出されたエレノアは、王都を後にした。

「ガーラント領に一度帰ってきなさい」とアイリーンは言ったのだ。それが王女の言葉である以上、エレノアは渋々ながらも従わないわけにいかない。

そこで、休みを合わせてハロルドやシンシアと共にガーラント領へ帰ることになったのだ。

エレノアにとって、2年ぶりの領地だった。


エレノアは事前に、ハロルドから言われていたことがあった。それは、母セリーナの具合が思った以上に悪いようだということだ。

そのため、やつれた母の姿を見ることになるだろうと覚悟はしていた。出迎えた面々の中に母の顔がないことも、予想していた。

しかし、出迎えたウィリアムのやつれた顔を見ると、エレノアの胸はどくんどくんと鳴り始めた。

「お姉様・・・」

シンシアが励ますように手を握ってくれたので、エレノアははっとして屋敷に入ることができた。

ウィリアムは、三人の子ども達が旅装を解くと、すぐにセリーナの寝室へ通した。

ここでも、シンシアはエレノアの手を握ってくれていた。

「最近はほとんど眠っているんだ」

死んだように眠っている母の姿は、エレノアの記憶にあるよりも数段小さく、そして格段に老いていた。

美しかった金の髪は光を失い、病みやつれた顔の傍でシーツの上をうねっている。

赤かった唇は血の気を失い、乾いてひび割れている。

目は落ちくぼみ、濃いくまができていた。

「いつから・・・」

かすれた声が出て、エレノアはそれが自分の声だと気付いた。

具合が悪いことなど知っていたのに、知らなかったかのように聞いた自分をエレノアはずるいと思った。

シンシアに聞くことも、ハロルドに聞くこともいくらだってできたのに。手紙に書かれ、ウィリアムに言われ、それでも詳しく知ることを避けたのは自分なのに。

けれどウィリアムはそうはとらなかったようで、こう答えた。

「僕が一緒に暮らしだしたとき、だますようなことしてごめんなさいって謝られたよ。だから、少なくともその前には調子を崩していたんだろうね。君たちには知られたくないって、隠してきたけれど」

そんなに前からだったとはと、エレノアは驚いた。エレノアの知っている母は、強く美しく、いつも微笑んでいたのに。

「生まれつきらしいんだ。お母様が魔法を使えないことは、知っているよね」

「ええ・・・」

ハロルドもシンシアも頷いた。

聞いたことはあるが、貴族の子女にとってそれは問題ではないはずだ。

それをここでウィリアムが持ち出すことに、エレノアは違和感を覚えた。

ウィリアムはセリーナの額に垂れた髪を指でそっとよけながら言う。

「どうやら、そのことと関係があるようなんだよ。普通は魔法を使えなくても命に関わるなんてことはないけど、ガーラント家では、代々魔法を使えない子孫が原因もなく衰弱していくらしい」

「治療法はみつかったの」

とハロルドが口を挟んだ。シンシアの手を握るエレノアの手にも、力が入った。

ウィリアムが首を横に振る。

「この国では珍しい病気なんだよ。いや、もしかしたら知られていないだけかもしれないけれど」

確かに、庶民にいたとしても、魔力が使えず良い職に就けずに生活が困窮して衰弱死したと思われるだけだし、貴族ならば血筋に関わる病などひた隠しにしたい問題だ。誰も表だって治療法を探すこともできずにいるのかもしれない。

「きちんと話をするのが遅くなって、ごめん」

ウィリアムの謝罪に、子ども達は無言で首を振った。

エレノアは、話を先延ばしさせたのは自分だし、もう少し幼かったら自分は泣いていたのかもしれないと思った。

そして彼女は、両親がなぜこの病のことをすぐに子ども達に話さなかったのか理解した。

エレノアは自分の手を握るシンシアを、そっと見た。

シンシアは静かな顔で、横たわる母を見つめている。姉のひいき目を抜きにしても聡明な彼女が、今の話を聞いて何も気付かないとは思えなかった。

エレノアは魔法を使える。ハロルドはセリーナの血をひいていない。しかし、セリーナの血をひくシンシアは、まだ魔法を使ったことがない。


「他の国に行ったら、何か分かるかもしれないのね」

エレノアが突然、はっきりとした声をだしたので、三人の目が集まる。

「お父様はお母様の代わりに領地経営があるし、簡単に国を離れられないでしょ。私が行くわ」

「エレノア?」

「お姉様。危ないわ」

「無理だとか間に合わないとか言わないでね。怒鳴りたくなるから。間に合わせるのよ・・・」

エレノアは確かな足取りで眠る母へと近づき、その頬にキスをした。そしてすぐに立ち上がり、部屋を出た。

久々の領地の屋敷は広く、もどかしいほど廊下が長かった。

来たばかりの廊下を自室へ戻ろうとするエレノアを、ハロルドが追ってきた。

「どうする気」

ハロルドが聞く。

足を止める間も惜しいと、エレノアは振り返らずに答える。

「分からないわ。でも、探さないと。助ける方法を探すの。王宮でお暇を頂けたら、隣の国へ行こうと思う」

隣国は魔法使いが少ない宗教国で、王を頂点とするこの国とは大きく異なる。しかし、血統を重んじる貴族の国ではないからこそ、この国にない治療法があるかも知れないとエレノアは思った。

幸い着いたばかりで荷物はまだ解いていないだろうし、このまま王宮に戻ろうと考えていた。

「だめだ、危険だ」

隣で首を横に振るハロルドの言葉をエレノアは取り合わなかった。

「何より危険が迫っているのはお母様よ」

「エレノア、僕も反対だ」

追ってきた父の声に、ようやく立ち止まって振り返る。

ウィリアムはエレノアに近づくと、懇願するように彼女の目をのぞき込んだ。

「君が危険を冒してまで自分を助けようとすることを、お母様も僕も望んでいない。お母様は、自分より君の方が大事なんだよ」

納得した様子のないエレノアに、ウィリアムは続けた。

「お母様が僕と急いで再婚したのはね、エレノア、君を独りぼっちにしないためだよ」

エレノアは目を丸くした。

「お母様は幼いうちに同じ病気で父上を亡くして、母上と二人きりで細々と生きてきたらしい。だからエレノアの血のつながったお父様が亡くなったとき、真っ先に心配したのは、君を一人残して、死ぬことだった。僕と会ったのはそんなときだったんだ」

『死』という言葉を言いづらそうに口にしたウィリアムの目が、切なげに細められる。

「君とシンシアの婚約もね。自分がどうにかなる前に、子ども達の行く末を固めて、少しでも安心したかったんだよ」

ああだからあの夏だったのか、とエレノアは考えた。中等部に進学して最初の夏、あれはエレノアに魔法が使えるとわかった夏だった。自分の体質を受け継ぐかもしれない娘のうち、エレノアは大丈夫と分かったから、シンシアを病気になっても離縁されることのない跡取りにしたのだ。

「・・・それでも、やっぱり何もしないではいられないわ。体質ってことはシンシアもそうなるかもしれないってことでしょう?お母様が、私に魔法が使えてあんなに喜んでいたのは、そのせいだったんでしょ?」

エレノアは父の目に答えを見つけた。

それでも、といったが、気持ちの上ではだからこそ、だ。

知らなかったとはいえ、自分たちを思ってくれていた母のことを勝手に恨んで憎んで、顔を合わせることを避けてきた。そのつけが回るなら自分に回ってくるべきで、娘の顔も見ずに母が死んで良いわけではないし、シンシアの危険を放っておいて良いわけがないと、エレノアは思った。

そこに、静かな声が掛かった。

「お姉様、駄目よ」

「シンシア」

先程の言葉が聞こえただろうか、とエレノアはとっさに気にした。シンシア自身が気付いていても、言葉として聞くことで受ける衝撃はまた別だ。

けれどシンシアは、ただ真剣な顔でエレノアに近づくと両手で彼女の手を握った。

「私は平気よ。私も、お母様も、お姉様が危険なことをするのは絶対に反対よ」

「シンシア・・・」

小さな手、まだエレノアの胸までも届かないところにある顔、その中に光る青い目は、記憶の中の母とそっくりだ。彼女が母にそっくりなことを、今日ほど辛く感じたことはなかった。

エレノアはしゃがみ込んでその身体を抱きしめた。

「お姉様。危険なことはしないと約束して」

なお真剣な声でせがむ妹に、エレノアは囁いた。

「分かったわ、危険なことは、しない。でも、絶対になんとかする」

「お姉様・・・」

困ったように呟くシンシアの髪にキスをして、エレノアは再び立ち上がった。


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