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第128話「また明日」

 澪が話し始めた。


 最初は短かい言葉の連続だった。


 施設に行けなかった時の話だ。颯たちが出発した朝から、帰ってくるメッセージが来るまでの、一人で待っていた時間の話だった。


「怖かった、と言うよりは......寂しさが勝ちましたね。全員で戻ってきますと言われたため、信じていました。でも——ドアの前で一時間待っている間、色々なことを考えてしまったんです」


「何を考えた」


「もし誰かが戻ってこなかったら、という話を止められなくて。作戦を完璧に立てたから大丈夫だと思っていたんです。でも完璧な作戦なんて、ないとも知っていました。その矛盾が、一時間の間ずっと頭の中にあって」


「そうだったのか」


「そうでした。帰ってきたというメッセージが来た時、よかったという気持ちよりも先に、力が抜けてしまって。その場にしゃがみ込みたかったです」


「しゃがみ込まなかったのか」


「意識よりも先に.....しゃがみ込んでしまいました」


「そうか」


「そうです」澪が膝の上の手を見た。「でも、誰にも言っていなかった。言う必要がないと思っていたので」


「言う必要はある」


「そうですかね」


「そうだ。お前が何を感じていたか、知りたかった」


---


 澪が続けた。


 父親のことを話す。三年前に失踪した父親のことを、初めて自分から話した。


「冥焔会と関わっていたということは、わかっています。でも——なぜ関わっていたのか、なんでいきなり消えてしまったのか、まだまだわからないことが沢山ありました。悪い人間だったのか、巻き込まれたのか、それもわからない」


「調べているか」


「調べています。でも、なかなか手がかりが見つからない。調べながら、少し怖いとも思っています」


「答えが出ることが怖いのか」


「そうです。答えが出て、父が悪い人間だったとわかることが——怖い。でも答えが出なくても、怖い。どちらでも怖いんです」


「そうだな」


「変ですか」


「変ではない。両方怖いということは、両方を大事に思っているということだ。父親のことも、答えのことも、どちらも捨てていない」


 澪がしばらく黙っていた。


「……そういう考え方は、したことがなかったです」


「そうか」


「怖い、ということだけが頭にあって、その先を考えていませんでした。両方を大事に思っているから怖い。それは——悪いことじゃないんですね」


「悪いことではない」


「そうですね」澪が静かに頷く。


---


 澪が話を続ける。


 ルナが告白した時のことを話した。


「驚きました。あの場で、全員の前で言ったことに」


「そうだったな」


「動揺しました。していないように見せていましたが、していました。ルナさんが正直で、真っ直ぐで——それが羨ましかったです」


「羨ましかった?」


「私には、あんな風に言えなかった」澪が言う。「だから廊下に連れ出して、一人で言いました。あの場では言えなかった」


「颯の誕生日の翌日か」


「そうです」澪が俺を見た。「あの時——答えを保留にされました」


「そうだな」


「今も、保留ですか」


 俺は澪を見た。


 澪が真っ直ぐに俺を見ていた。


「保留ではない」


「では」


「ただ——まだ、うまく言葉にできない。本当のことしか言わない主義だから、言葉にできないことは言わない。だが——お前が大事だということは、本当だ」


 澪がしばらく俺を見ていた。


「……それで十分です。今は、」


「そうか」


「でも——いつか、言葉にしてください。待ちます。でも、いつか」


「わかった」


「約束ですよ」


「約束だ」


---


 昼休みが終わる。


 午後の授業が始まった。


 放課後になった。


 「今日の昼、澪ちゃんと何してたんだ」楓がそう聞いてきた。


「話をしていた」


「どんな話だったんだ」


「澪自身の話だ」


「そういえば、澪ちゃんの誕生日だったか」


「そうだ」


「プレゼントは何にしたんだ」


「話を聞いた」


「話を聞いた?それだけか?」


「そうだ」


颯がしばらく考えて「……煉、お前は相変わらずだな。俺にしてくれた時と変わらない。......天才だよ」とボソッと呟いた。


---


 放課後、澪が俺の隣を歩いている。


 学園を出て、駅に向かう道だ。


「黒瀬くん」澪が話しかけてきた。


「なんだ」


「今日のプレゼント——話を聞いてもらえたこと....私、とても嬉しかったです」


「そうか」


「でも——もう一つ、プレゼントをもらいました」


「何だ」


「保留ではない、と言ってくれたことですよ」澪が恥ずかしそうに言った。「それが、今日一番のプレゼントです」


 俺は澪を見た。


 澪が前を向いていた。耳が赤い。


「よかった」


 俺も少し恥ずかしくなりつつも、そう返した。


「よかったって言ってくれるんですね」


「本当のことだから言った」


 澪がため息をついた。だが口元が緩んでいる。


「……さらっと言いますよね、本当に」


「さらっとではない」


「さらっとです。でも——嬉しいです。誕生日に、あなたに言ってもらえて」


「誕生日おめでとう」


「また言ってくれましたね」


「大事なことだから二回言った」


「ありがとうございます。今年の誕生日は——生きてきた中で、最も覚えていたい誕生日になりました」


---


 分かれ道まで歩いた。


「ここまでで」


「ああ」


「また明日、ですね」


「また明日」


 澪が歩き出す。そして、少し行ってから振り返った。


「黒瀬くん」


「なんだ」


「来年の誕生日も——覚えていてくださいね」


「覚えている」


「来年は何をしてくれますか」澪が少し笑った。


「来年考える」


「それも楽しみにしています」


 澪が歩き出した。夕暮れの道を、栗色の髪が揺れながら遠ざかっていく。


 角を曲がって、見えなくなった。


---


 俺は夕暮れの道に立っている。


 今日、澪の話を聞いた。


 施設に行けなかった時の怖さ。父親への複雑な気持ち。ルナへの羨ましさ。全部、一人で持っていたものだった。


 プレゼントが話を聞くことで正しかったかどうか、わからなかった。


 だが澪が「今年一番の誕生日になった」と言っていた。


 なら、よかった。


「まあ」


 俺は歩き出した。


「なんとかなるだろ」


 口癖が、夕暮れの街に溶けた。


 来年の誕生日のことを、今から少し考えていた。


「“また”明日、か.....」

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