喧嘩とかマジかんべん
サナは、耳を塞いでひたすら真田を待っていた。
彼が今、どこに居て、どうやって、いつ来るのかのは全く見当がつかない。
玄関は、あれから不気味なほど静かだ。サナはリビングのドアまで這って進み、恐る恐る玄関を覗いてみた。
するとドアが少し空いていた。そしてドアの一番下に靴が見える。(あれは…)サナは、その靴に見覚えがあった。
(そういうことか…)それまでパニックだったが、相手がわかって少し冷静になる。チェーンがはまっている以上、ドアが開くことはない。
しかし、やがてドアの隙間から大きなヤスリみたいなものが出てきて、ギコギコを音を立て始める…チェーンを削り出しのだ。
これはいよいよ危機だ。(あいつ…土建屋だった…)サナはそう思い出し、一々手際のいい理由がわかる。
時間との戦いだと思った。サナは台所までいって包丁を取りに行こうと思ったが、震えて腰があがらない。
いよいよ恐怖でサナは一歩も動けなくなった。
携帯が鳴っている。
「しんちゃんだ…!」サナは一瞬そう思ったが、とても携帯の場所まで動くことはできない。やがてサナの目から大粒の涙がこぼれ落ちる…
真田が近くまできたことがわかったからだ。すこし力が戻ってきた。這うことはできるかもしれない。耳を押さえてすこしづつ進む。
ピーピーという音が聞こえた。
一階エントランスの専用電話から、連絡が入っている音だ。
真田が来た!サナは力をいれて、リビングにあるインターホンの下まで這っていく。足腰はまったく動かない。
手に全ての力を入れて、体を前に動かす。サナの細い腕が悲鳴をあげているのが自分でもわかる。真田に(ワイングラスより重いもん持ったことないだろー)とバカにされたのを思い出す。ほんと失礼なやつ!そんなことを思い出すと顔に笑みが戻る。その真田はすぐ下にいる。
サナはなんとかインターホンの下にたどり着いた。
だが、足に力が入らず立ち上がれない。手を必死に伸ばす。何度も、何度も…。ピーピーと、音は鳴りっぱなしだ。
だがどうやっても届かない。サナは、真田の声をききたかった。顔を見たかった。(そうすれば立ち上がれるのに…)サナの目からまた涙がこぼれ落ちる。わずか10cmの高さがうらめしい。あのボタンを押せば、真田の声がきこえる、顔が見える…真田をこの階まで上げられる。
と、ピーピーとう音が鳴り止んだ。
(そ、そんな…)
サナは絶望に落ちた気分だった。真田はサナがここにいないと判断したんだろうか…。だが電話も出れないし、インターホンにも応じられない。
それからインターフォンの音がまったく鳴らなくなった。
ギーギーと、静かにヤスリの削る音だけがきこえる。
もうダメだと思った。
(わたし、人知れず殺されちゃうのかなぁ…)そう思った瞬間、
「おいーーーー!」
という大きな声が聞こえた。真田の声だった。
真田が来た!!サナは、全身に血が再び巡るのを感じた。足は動きそうもないが手に力は戻ってきたと感じた。急いで、力を振り絞って玄関へむかう。
ドアが見える位置までくる。靴は挟んだままだが、ヤスリは見えなくなっていた。
サナは更に進む。声がきこえる。
「だ…誰だ…おまえ…」
「おまえこそ誰なんだ!?」
「お…おれは…マキちゃんの恋人だ…」
「は?恋人がなんで、ドアを壊そうとしてるんだ?」
「…開けてくれないから…」
「なんで、開けてくれないか教えてやろうか?おまえが恋人じゃないからだよ…」
ドーンという音がきこえる。ズーンと人が倒れた音がする。サナはなんとかドアの前にたどり着き、靴で挟んだ隙間から外を見る。
倒れているのは…斎藤だった。サナは見上げると、そこには間違えなく真田の後ろ姿があった。
どう考えても斎藤の方が体格がいいし、喧嘩も強そうだ。だが、斎藤は倒れこみ動かない。おそらく予期せぬ出来事に驚いているのだろう。
「…おまえは、誰だ…?」斉藤が再び聞き直してきた。
「俺のことはどうでもいい。で、おまえは何しに来たんだ?」
「おれは…マキに会いに来た…」
「なんの為に?」
真田はなるべく落ち着いた口調で聞く。
「…サプライズ…マキが…時計を欲しがっていたから…」
「マキ…か…」
真田はそのセリフでこの男がサナの客だと安心した。TOTO絡みではないらしい。
「なんで…ドア開けてくれないんだ…。おかしいよ…」
斎藤はそう言うと座り直して下を向いた。真田は、それを見て自分も床に腰を下ろした。サナの玄関を背にして…。
「あんたは、マキのお客さんだろ?」
「…」斎藤は答えない。おそらく客というのは認めたくないのだろうと真田は思った。ふと自分の横に落ちている紙袋に目をやった。
「それは、時計か?」
斎藤は無言だった。真田はその紙袋を丁寧に拾いあげた。
「そうか…おまえはこれを届けに来たのか…。サプライズのプレゼントとして」
真田はそれをそっと斎藤に返した。斎藤はそれを手にするか迷っていたが。真田が中々下ろさないのをみて仕方なく受け取った。そして素早く自分の体の後ろに隠した。
「…あんたは…マキの恋人か?」
斎藤は声を押し殺すように、真田に訪ねてくる。
「どうだろうな…。だがそういう意味ではおまえと変わんねぇかもな…」
真田のその答えは斉藤には意外だった。真田は、斉藤の興奮状態が徐々に治っていくのを感じて、床に腰を完全に下ろした。
「マキは、優しくて可愛いもんな?」
「…ああ。」斎藤は言葉を続けようとしたがそこで止めた。
「あんたはどうやってここにきた?おれは、となりビルのフェンスから2階にあがってきたんだが…」
「…おなじだ…」
「そうか。俺は落ちそうになって死ぬかと思ったよ。」
斉藤は思わず笑みが出てしまった。
「…俺は慣れてるからな…あんなの楽勝だ…」
土建屋だからなと、斉藤は続けた。相変わらず下を見ている。
「なるほどな…力も強そうだもんな」
真田がそういうと斉藤は顔をあげて真田を一瞬見た。多分、喧嘩にもちこめば瞬殺だろうと思ったがなぜかその気は起きなかった。
そしてサナのドアを見る。
「…部屋から…こ、声や音がしなくなった…」
斉藤はそういうと再び顔を下に向ける。しばらく考えていたがすこし悲しげな声で
「…あんたは、あの部屋に入れるのだろう…?」と聞いた。
真田はその問いには答えなかった。
「…きっと、チャイムを鳴らせば…マキが…笑顔で…ドアを開けてくれるんだろう…?」
斉藤はそういうと鼻をすすり出した。
「…俺はいつも…こうだ…。いつも空回りする…」
「…」
「…せ、せっかく好きに…なっても…。今度こそはうまくいくと思ったのに…」
斉藤はそういうとガックリと肩を落とした。大きな体が小さくうずくまっている。
「それはマキがすごく優しかったからか?」
真田は慎重に言葉を選びながら聞く。斉藤のようなことは、キャバに通うお客さんなら誰でも陥ることで特に珍しいことではない。
「…もちろん…」
「そうか…このマンションもマキが教えてくれたのか?」
「…いや、サイトからのメールが…教えてくれた…」
「サイト?」
真田はその答えに驚いた。てっきりストーカーまがいのことをしてたどり着いたのかと思っていたが…だがサナの家の情報を流すサイトなど存在するわけがない。
「すまないが、そのサイトからのメールを見せてくれないか?あんたのやったことは許せないが、もしかしたらあんたも被害者かもしれないから…」
斉藤はそれをきくと少し迷いながらも、携帯を開き問題のメールを真田に見せた。そこには、確かにサナのマンションの情報が載っていた。
「ふ、不思議なんだが…どんどんマキの情報がメールで…送られて…きて…」
真田はそれを聞き、メールをさかのぼって見てみた。するとサナの行動が逐一メールで報告されていた。直感的にこれはTOTOの仕業だと思った。
「…だから…きっと…マキが自分だけに情報を…くれたのかって…」
斉藤はゆっくりと立ち上がる。
「…警察に自首する…」と呟いた。
「いや、このまま帰れ」
真田は迷わずそう言い放った。斉藤はその意外な言葉に驚いた。
「…な、なんでだ?」
「お前のやったことは許せない。だが、このまま自首したらあんた、とんでもないことに巻き込まれるかもしれない…」
「…それは…」
「いいか。もう二度とここに来ちゃダメだ。店にもな…つまりマキにももう会えない。」
斉藤はその言葉には、なにも返さなかった。だが、少ししてプレゼントの紙袋を真田に手渡した。
「…これ、マキに渡してください…」
そういうと斉藤はそのまま階段を降りて行った。




