縮まる距離
「遅かったじゃない」
「……おかえり」
何とか部室に生還した俺を迎えたのは、もう先に帰ったとばかり思っていた月夜と雪雛だった。活動開始から一時間は経っているはずだからさっさと帰るもんだと思っていたが、待っていてくれたのか。
「……生きてて良かった」
部室に入って、自分の生存を改めて確認する。良かった……本当に良かった。
「何でアンタは死を見て来たみたいな顔してんのよ」
そう言いながら、月夜が俺の鞄を放って渡してくれた。その時のちょっとした、些細な風が先程の悪夢を思い出させてくれたが、これは月夜の優しさなんだと必死に自分を説得した。
「そ、それより……もう部活は終わってもいい時間だよな?」
「……ええ、そうね」
雪雛が部室の壁時計をみて答えると、月夜が「じゃあ帰りましょう」と続けた。よしっこれで今日はとりあえず帰れる! 一時間なんて案外短いもんだな。
「……二人は何通学?」
雪雛が、部室を出てからそう訊いて来る。何通学っていうのは……交通手段の話か。
「俺は歩き」
「私も歩きよ」
「……じゃあ方向が合えば途中まで一緒に帰れる」
「「えっ?」」
俺と月夜の声が重なる。一緒に……帰れるだと? 別々に帰るんじゃないの? そんな俺の期待を他所に、雪雛は一人楽しそうにはしゃいでいる。
「ゆ、雪雛? 一緒に帰るのって……強制?」
雪雛はゆっくりと俺の方を向いて、
「……もちろん」
と告げた。何だか最近、『強制』という単語によく引っかかっている気がする。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
家までの道を、会話をしながら三人で歩く。……とは言っても、会話をしているのは月夜と雪雛がメインなので、俺はただただ犬みたいに後ろを歩いているだけだ。くっ……何で三人揃って家の方向が同じなんだっ。
どうしようもない不満を心の中で呟く。何で父さんと母さんはあの家を選んだんだっ!
……とまあ、そんなことを言っても意味が無いし、折角だから二人の会話を聞かせて頂こう。
「そういえば、私の兄貴がね……」
……と言っているのは月夜。そうか、兄がいたのか。何となく性格とかで一人っ子ではないんだろうなあとは思っていたが。
「この間、友達に『下の毛』って呼ばれてたわ」
アウトォォオォォ――!
月夜さん、それって多分同学年の子に話していい内容じゃないと思うんだ。後、そんなに誇らしげにすることでもないと思う。お前は分かってないのかもしれないけど、それってつまり『髪の毛が下の毛みたい』って意味だと思うんだ。お前の兄ちゃんが天パなのかは知らんけど、女子高生が道路で『下の毛』とか言うなよ!
……後、お前の兄ちゃんを『下の毛』って言った奴は決して友達じゃないと思う。
「……私の弟は学校で『キモオタ』って呼ばれてる」
随分直球だなおい! それってそのまんまの意味じゃねえか! 解説する意味すら与えてくれないの!?
「……だから私も家でそう呼んであげたら泣いたわ」
「やめてあげて!」
くっ……ついツッコミを入れてしまった……いつものノリという名の癖だ。ここは控えておこう、これ以上変な奴だと思われたくないし。
「雪雛、そういうのは良くないと思うわ」
ん?珍しく――って言っても月夜とそんなに多くの時間を過ごした訳じゃないけど――月夜が正論を言っている。……もしかして、渾名に何か嫌な思い出でも在るんだろうか?
だとしたら、今まではとんでもなく酷い奴なのとばかり思っていた月夜の人間像を改めなくちゃな。俺も人を渾名で呼ぶ時は気を付けなきゃ……それを今、月夜が教えてくれたんだもんな、ありがとう月夜、感謝す――
「そういうのは本人の見ていないところで言うもんなのよ」
――俺の心配と感謝の気持ちを返せ。
「……そうね」
「何でだよ!?」
もう、この二人と居るとツッコミ役しかまわって来ないんだけど……。今度ボケでもやってみようか…………………………いや、やめておこう。とんだ混沌になるな。
「……あっ私の家、ここ」
俺が心の中で悲鳴をあげていると、雪雛が一軒の家を指差してそう言った。
指差された方を見てみると、そこには――――
「おぉっ……!」
――感嘆。何だか随分と豪華そうな外見をしている。特に家が広いという訳ではなさそうだし、むしろ俺の住んでる一軒家の方が広いくらいなのに、外装や庭、ベランダ等に置かれている小物類がその豪華さを何割り増しにもしていた。
「へぇ……ここが雪雛の家? 凄く綺麗ね」
月夜も俺と同じことを思ったのか、家を見上げて少しばかり口を開けている。その表情が少しだけ子供みたいで可愛かった。
「……うん。お母さんがこだわって手入れしてるから。……今度遊びに来て」
「あっ、うん。是非そうさせてもらうわ。――それじゃあ、また明日ね」
「またな」
「……ばいばい」
雪雛が小さく手を振って玄関に駆けて行く。その後ろ姿を見ていると、何だか自分の幼稚園くらいの時を思い出す。昔の俺はあんな風に走り回ってたんだよな……。そう思うと心が温かくなる気がしてならない。
「ほら、さっさと行くわよ変態」
ほっこりとしている俺の心に突き刺さる辛辣な言葉……というか暴言だろコレ。大体、何でいきなり変態扱いされてるんだ俺は?
「……へいへい」
だが、この一時間くらいを月夜と過ごしていて、俺はあることを学んだ。それは、コイツに逆らっても意味が無い……それどころか、むしろもっと自分が傷付くことになってしまう。
まあ俺の防衛本能が開花したって点については礼を言ってもいいけど。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
誰もいない通学路を二人で歩く。
お互い、特に話すことも無いので終始無言だったが、それすらも心地好かった。月夜との間の沈黙が、静寂がとても心地好い。……なんて言ったらまた「キモい」とか言われるんだろうけどさ。
「……部活もやってみると楽しいもんね」
「まあ、そうだな」
何てこと無い会話をする。だが、月夜のこの台詞は今の俺でも言えることだった。部活を始める前は……部室に行く前まではハッキリ言って嫌で嫌で仕方なかった。だが……いざ始めてみると案外、楽しかった。
「アンタを罵るのが、ね」
嫌な笑みを向けて来る月夜に、俺は「抜かせ」と軽口で返した。
「冗談よ、二割は」
「八割本気かよ!?」
やっぱり月夜といる時はツッコミ役になりそうだな。
「……じゃあ、私こっちだから」
「ん、おう。そうか」
十字路をそのまま真っ直ぐ進もうとした俺に、三歩くらい後ろから声をかける月夜。立ち止まって月夜の方を向く。そっか、月夜の家はそっち方面か。意外に家が近いかもしれないな。
「それじゃ、轢かれんじゃないわよ」
「……余計なお世話だ」
最後の最後まで軽口を叩く月夜に、苦笑してしまう。
さて、帰るかな。……前を向き、足を前に出す。そんな俺を、
「ねえ――」
月夜は呼び止める。
「んぁ?」
不意打ちだったので、間抜けな声が出てしまう。
立ち止まってゆっくりと振り向くと、月夜は――
――笑顔を浮かべていた。
「――また、明日ね」
「お、おう。また明日」
――その笑顔が、すっげー可愛かった。




