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王宮葬儀人 ―リゼット・オルディスの葬送記録―  作者: 高遠雪斎
第一章「死者を迎える者」

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死者を迎える

挿絵(By みてみん)

朝の王宮葬送院は、まだ廊下の石床に夜の冷たさを残していた。

リゼット・オルディスは更衣室で濃色の上衣を脱ぎ、白い処置衣へ腕を通した。袖口を留め、前掛けを結ぶ。肩甲骨の下まである髪を低い位置でまとめ、最後に細い金属枠の眼鏡を掛ける。

右の蔓が耳の後ろへ収まるまで押し込んでから、処置室へ入った。

作業台の上には、すでに必要なものが並べられている。

布。洗浄用の器。小さな鋏。櫛。薬液の瓶。

リゼットは瓶を一つ持ち上げ、栓を確かめた。布の数を数え、器の内側に汚れがないか光へ傾ける。

「そこまで見ても増えませんよ、布は」

背後から声がした。

ネリス・フェインが、抱えていた清潔な布を棚へ置いた。

「昨日、資材部から十二枚来たはずです」

「十一枚しかない」

「一枚は私が使いました」

「なら十一枚で合ってる」

「そう言ってます」

ネリスは笑いもせず答えた。こういうやり取りは珍しくない。

「先に言って」

「昨日言いました」

「聞いてない」

「でしょうね」

ほどなくして、朝最初の遺体が運び込まれた。

高齢の女だった。

長く王宮に仕え、数年前に職を退いた元女官だと受領記録にある。病死。引き渡しまでに必要な確認は済んでいる。

リゼットは記録紙を台の端へ置き、遺体へ向き直った。

まず顔を見る。

病のためだろう、頬は深く落ち、口元には力がない。髪は薄くなっていたが、丁寧に梳かれた跡が残っている。額から目尻へ走る皺は深い。

年を取った人間の顔だった。

それを確認してから、手へ移る。

爪。指。手首。

細い指だった。節は大きくなっている。

長く働いたことまで一目で分かるような、都合のいい印はない。

だから、分かることだけを見る。

リゼットは記録を取りながら、身体の状態を順に確かめていった。

途中で遺族が到着した。

処置室の外で話を聞くため、リゼットは手を洗い、袖覆いを外した。

遺族のひとりが、少し迷ってから言った。

「できれば、元気だった頃のようにしていただけないでしょうか」

リゼットは黙って続きを待った。

「病気になってから、ずいぶん痩せました。顔も……本人じゃないみたいになってしまって」

「頬と口元は整えられます」

相手の顔がわずかに明るくなった。

「では、少し若く見えるようにも」

「それはしません」

表情が止まった。

「病気で崩れた部分は戻します。でも、年齢まで変える処置はしません」

「でも、昔はもっと」

「昔の顔にはできません」

言い終えてから、相手が口を閉ざしたことに気づいた。

不可能なことを不可能だと言った。それだけのつもりだった。

横にいたネリスが口を挟む。

「若い頃のお顔へ作り替えることはできません。でも、病気になる前に皆さまが見ていたお顔へ近づけることはできます」

遺族の視線がネリスへ動いた。

「皺まで消してしまうと、別のお顔になってしまいますから。残せるところは残して、つらかった時期に変わったところを整える、ということです」

「ああ……」

今度は頷いた。

「それなら、お願いします」

遺族が離れてから、ネリスが小声で言った。

「同じことを言っているんですけどね」

「違った?」

「だいぶ」

「内容は同じ」

「内容は」

二人は処置室へ戻った。

台の上の女の顔は、さっきまでと変わらない。

遺族の言葉を聞いたからといって、若い頃の顔が急に分かるわけでもなかった。

リゼットは頬へ指を添えた。

痩せた部分をすべて埋めればいいわけではない。左右を同じにすればいいわけでもない。

口角の位置を確認し、顎の線を見る。

病によって強く落ち込んだところだけを少しずつ整えた。

額の皺には触れなかった。

目尻もそのままにした。

「そこ、残すんですね」

隣で髪を整えていたネリスが言った。

「消す理由がない」

「遺族は若くって言ってましたよ」

「病気になる前に近づける、ってあなたが言った」

「私のせいにしないでください」

「してない」

ネリスが櫛を通す。

「この方、現役の頃は怖かったそうですよ」

「誰に聞いたの」

「さっき来た人に。新人女官の襟が曲がっていると、自分で直すまで部屋に入れなかったとか」

リゼットは遺体の襟元を見た。

「曲がってる」

「今それ言います?」

「直す?」

「直しますよ」

その話が本当かどうか、リゼットには分からない。

だから記録には書かない。

ただ、襟だけはきちんと揃えた。

昼を過ぎる頃、遺族が選んだ装束が届いた。

二人で身体をわずかに起こし、衣服を背へ滑らせる。腕を袖へ通し、引かないよう内側の布を整えた。

髪飾りも届けられていたが、リゼットは使わなかった。

「固定すると髪を引きます。入れるなら棺の中へ」

儀礼部の職員が頷き、副葬品として記録するよう係へ伝えた。

聖職者の祈りが終わると、棺が処置室へ入った。

リゼットは内側の布と身体を置く位置を確認し、ネリスとともに遺体を移した。

肩。

腰。

脚。

ずれないよう支えながら棺へ下ろす。

衣服の裾を整え、手を腹の上へ重ねた。

元女官は若くは見えなかった。

目尻の皺も、額の線も残っている。

ただ、朝に運ばれてきたときより、病に削られた印象は弱くなっていた。

リゼットはそこで手を止めた。

これ以上触る必要はない。

遺族が呼ばれた。

朝に話した女性が、最初に棺へ近づく。

しばらく誰も話さなかった。

やがて、女性が小さく息を吐いた。

「母らしい顔です」

リゼットは棺の中を見る。

朝には、昔の顔にしてほしいと言っていた。

そこにあるのは、若い頃の顔ではない。

「ありがとうございます」

頭を下げられた。

「はい」

リゼットも短く返した。

それで十分だった。

棺が運び出されたあと、処置室には空いた作業台だけが残った。

「ようやく終わりましたね」

「まだ片づけ」

「そういう意味じゃありません」

ネリスは諦めたように布を集め始めた。

リゼットも器具を戻し、処置記録へ最後の一行を書き加えた。

眼鏡の左側に白い汚れがついている。

乾いた薬液が飛んだらしい。

布で拭く。

一度では取れなかった。

「昼、食べました?」

ネリスが訊いた。

リゼットは手を止めた。

「まだ」

「もう昼じゃありませんけど」

「食べる」

「昨日も聞きました」

ネリスが先に処置室を出ていった。

リゼットは手袋を外したあとの手を見た。

何となく右手の指を左の手首へ置く。

一定の間隔で、指先の下が押し返してきた。

二つ。

三つ。

そこで手を離した。

腹が減っていた。

何を食べるか考えながら、リゼットも処置室を出た。


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