エピローグ 陽だまりの中で
黒瀬雅人の逮捕は、その後の捜査で、関西一円の反社勢力を揺るがす大事件へと発展した。天羽連合はもちろん、立花商事、そして黒瀬機関と繋がりのあった複数の企業や政治家までもが、次々と明るみに出た。神楽坂も、正式に殺人教唆の容疑で起訴されることになった。
葛城が用意した証拠と、鮫島・西岡が集めた裏社会の証言は、法廷でも大きな意味を持った。もっとも、龍見――山札太陽自身は、事件の表舞台に立つことはなかった。すべては、匿名の情報提供者による内部告発、という形で処理された。
鈴鹿組は、正式に西岡吾郎を六代目として迎え、堅気の事業への転換を、より一層進めていくことになった。もっとも、それは、かつての「組織」としての姿を捨て、地域に根差した、小さな互助会のような存在への変化を意味していた。
「太陽、たまには、顔出せよ」
西岡は、そう言って笑ったが、龍見は静かに首を振った。
「儂は、もう、その世界の人間やない。西岡さんの好きにしてくれ」
「相変わらず、頑固やな。まあ、それでこそ、六代目や」
西岡は、それ以上、何も言わなかった。
颯真は、あの一件をきっかけに、すっかり人が変わったように、真面目に高校生活を送るようになった。麗奈と共に、生徒会活動にも顔を出すようになり、太陽の周りには、いつしか、自然な笑い声が絶えなくなっていた。
「なあ山札、今度の文化祭、一緒に出し物やらねえ?」
「儂は、そういうのは、あんまり得意やないんやが」
「いいから、いいから。お前がいると、なんか締まるんだよ」
颯真に肩を組まれながら、龍見は、小さく苦笑した。かつて、四千人もの構成員を束ねた男が、今は、高校の文化祭の出し物について頭を悩ませている。その滑稽さに、龍見は、ふと笑いがこみ上げてきた。
(悪くない人生や)
母の店「陽だまり」は、相変わらず、地域の憩いの場として賑わっていた。地上げの脅威が去った今、陽子の笑顔にも、以前のような屈託のなさが戻っていた。
「太陽、店、手伝ってくれる? 最近、忙しくてね」
「ええで。せやけど、未成年やから、裏方だけやぞ」
「分かっとるよ」
陽子は、楽しそうに笑った。その笑顔を見るたびに、龍見の胸に、静かな温かさが広がった。
ある晴れた日曜日の午後、龍見は、一人、海の見える丘に足を運んでいた。神戸とは違う海だったが、その青さは、どこか懐かしかった。
(儂は、これでよかったんやろか)
極道として四十年近く生きた男が、一人の高校生として、新しい人生を歩んでいる。組を再興することもなく、力で世界を変えることもなく、ただ、身の回りの大切な人々を守り、堅実に生きていく道を選んだ。
(山崎龍見としての人生は、あの夜、確かに終わった)
龍見は、静かに、そう思った。だが、その魂は、山札太陽という少年の中で、確かに息づいている。極道としての経験も、知恵も、胆力も、すべてが、今の自分を形作る、かけがえのない一部になっていた。
(せやけど、これからは――)
龍見は、海風を胸いっぱいに吸い込んだ。
(山札太陽として、自分の足で、この人生を歩いていく)
拳ではなく、知恵と絆で。暴力ではなく、誠実さで。かつての「代紋」ではなく、自分自身の名前で。
スマートフォンが震えた。母からのメッセージだった。
〈太陽、今日の晩ご飯、何がいい? 好きなもの作ったげる〉
龍見は、小さく笑いながら、返信を打った。
〈おかんの味噌汁があれば、それでええ〉
送信ボタンを押すと、龍見は、丘の上から、街を見下ろした。
夕暮れの光が、街並みを、優しいオレンジ色に染めていく。その光景は、かつて極道として見てきた、どんな夜景よりも、ずっと穏やかで、そしてずっと、美しかった。
山崎龍見は死んだ。
だが、山札太陽は、今日もまた、一日を生き抜いた。
そしてこれからも、この温かい場所で――陽だまりの中で、彼は、自分自身の人生を、まっすぐに歩き続けていくのだろう。




