プロローグ 代紋の落日
雨だった。
神戸の夜景を睥睨する高層マンションの最上階、その窓に張りついた雨粒が、ネオンの光を歪めて滲ませていた。
「組長。車、回しました」
若い衆の声に、山崎龍見はソファから重い腰を上げた。恰幅のいい体を仕立てのいいスーツに包み、鏡の前で襟を正す。還暦を過ぎてなお、その眼光は衰えていない。六代目鈴鹿組。一都一道二府三十九県に代紋を轟かせた男の目だ。
「今日で終いや」
誰に言うでもなく、龍見はそう呟いた。長年くすぶっていた対立組織との手打ちが、今夜ようやく成る。四千人からの構成員を束ねる者として、これ以上血を流させるわけにはいかなかった。
エレベーターを降り、地下駐車場を横切る。黒塗りのセンチュリーまで、あと十歩。
その時だった。
闇に潜んでいた影が動いた。銃口が月明かりに一瞬光る。
「――」
乾いた音が三発。龍見の体が大きく仰け反り、コンクリートの上に崩れ落ちた。若い衆の悲鳴と怒号が遠くに聞こえる。生温かい血が背中の下に広がっていくのを、龍見は他人事のように感じていた。
(ああ、儂もここまでか)
薄れゆく意識の中で、龍見は笑った。悔いはない。舎弟たちを食わせ、堅気に手を出させず、筋を通してきた三十八年間だった。
(生まれ変わるなら、次は――)
そこで、山崎龍見の思考は途切れた。
令和八年三月三十一日、午後十一時四十七分。六代目鈴鹿組組長・山崎龍見、死亡。享年六十一。




