第1話 偽りの入学
――こいつは、女だ。
なのに、今日から男子生徒として騎士学園に入学する。
「おまえ、本当にその格好で行くのか?」
俺は思わず、隣を歩く彼女に声をかけた。
ネオン・フェルーム、15歳。
フェルーム本家の次女――本来なら、だ。
「男子の格好の方が慣れてるから、大丈夫だよ」
あっけらかんと答えるこいつを見て、俺はため息をついた。
ボロンブラーク騎士学園。
貴族の子弟が15歳で入学する、騎士育成のための学校だ。
男女同じ授業を受けるが、当然、男女の寄宿舎は分かれている。
だがネオンは、ある理由で子供の頃から男子として育てられてきた。そしてそのまま、男子生徒として入学しようとしている。
俺は出立の前に、当主に確認した。
「本当にネオンを男子として入学させるのですか?」
すると当主は、少しだけ苦笑して言った。
「ネオンのことをよろしく頼む」
――それだけだった。説明も、理由もない。
(……絶対に、何かあるだろ)
嫌な予感しかしないまま、俺は校門を見上げる。ここで三年間、剣と魔法を学ぶことになるが――こいつの正体がバレたら、すべてが終わる。
「行くよ、アゾート」
俺の心配をよそに、ネオンは何の迷いもなく校門をくぐる。俺は小さく舌打ちして、その後を追った。
(絶対に、何も起きないわけないだろ)
そんな確信を抱えたまま。
校舎の掲示板には、新入生のクラスが張り出されていた。その前にはすでに人だかりができている。
(最悪だな……)
俺は思わず顔をしかめる。
人が多い=目立つ。そして今俺の隣にいるのは、どう見ても目立つヤツだ。
「さあ、僕たちのクラスはどこかな?」
まるで気にしていない様子で、ネオンは人混みの中へ入っていく。
「おい、ちょっと待てよ……」
慌てて後を追うが、周囲の視線がじわじわと集まってくるのが分かった。
「なあ、あいつ……」
「すげえ美形じゃね?」
「どこの家だ?」
ひそひそとした声。
当たり前だ。白く流れる髪に、燃えるような赤い瞳。線の細い体躯。
どう見ても普通の男子じゃない。
(頼むから、目立つなよ……)
胃が痛くなりそうな中、ネオンが口を開いた。
「二人とも騎士クラスB。同じクラスだ」
思わず安堵の息が漏れる。同じクラスなら、ちゃんと目が届く。
「……ああ、よかった」
ネオンもほっとしたように微笑んだが、その表情が二年生の姉――セレーネにそっくりで、嫌な予感が余計に強くなる。
(あの二人が並んだら一発アウトだろ……)
俺たちは『男の兄弟』という設定で入学している。だが現実問題として、ネオンは女だ。
そして――バレたら終わる。
「クラスも分かったし、入学式の会場へ向かおう」
何事もなかったかのように言うネオンに、俺は小さくため息をついた。
(こいつ、ほんとに分かってるのか……?)
周囲の視線を振り切るようにその背中を追いかけるが、嫌な予感だけはさっきより確実に強くなっていた。
他の新入生たちとともに、講堂に入る。
今年の新入生はおよそ百名。席はクラスごとに分けられている。
「えーっと、俺たちのクラスは……あそこだな」
後方、二つ目の列。騎士クラスBの表示板が立っていた。
前から順に、上級クラス、騎士クラスA、B、C。
(……はっきり分かれてるな)
上級クラスは男爵家以上。それ以外は騎士クラス。
単なる成績分けじゃない。これは――身分そのもの。
この国、アージェント王国では魔力がすべてを決める。
上位貴族ほど魔力が強く、下級貴族は弱い。中にはほとんど魔力を持たない者すらいる。
だから授業内容も違う。
上級クラスは魔法中心、騎士クラスは剣術中心。
そして――魔力が無くなれば、貴族ですらなくなる。魔力を持たない一族は、いずれ平民に落ちる。
だから貴族は、血を守る。
魔力を残すために政略結婚を繰り返し、強い魔力を持つ者がその家門を継ぐ。
それが、この国の常識だ。
(……だからこそ、まずい)
視線を横に向ける。ネオンは何事もない顔で席を探していた。
下級貴族である俺たちがルールを無視しているのがもしもバレたら……。
(洒落にならないぞ、これは……)
気がつけば、入学式が始まっていた。
壇上には学園長、教師陣――そして最後に、生徒会の面々が並ぶ。
中央に立つのは、生徒会長サルファー・ボロンブラーク。
この地の領主の嫡男であり、いずれ俺の主君となる人物だ。
その隣に、副会長が二人。
男の方はニコラ・デュレートというが、家名を聞いたことがない。どこの領地の出身なのだろうか。
だが女の方は、
(……なんだ、あれは)
俺は思わず目を奪われた。
金色の髪が光を受けて静かに揺れる。透き通るような碧眼。整いすぎた顔立ち。立っているだけで空気を変えるほどの圧倒的オーラ。
フリュオリーネ・アウレウス。
王都でも名の知れた名門貴族のご令嬢であり――サルファーの婚約者。誰が見ても、非の打ち所がない美少女だ。
だが。
(……妙だな)
視線が合った。
ほんの一瞬だけ、フリュオリーネの視線がこちらをかすめた。
だがその目に、感情はない。氷のように冷たい、人を値踏みするような瞳。
(……気のせいか?)
すぐに彼女は何事もなかったかのように正面へ向き直るが、胸の奥に引っかかるものが残った。
隣を見ると、ネオンも壇上をじっと見つめている。
ネオンが何を考えているのか分からないが、ただ一つ確かなことがある。あの女は、ただの『高嶺の花』じゃない。
そんな予感だけが、妙に残った。
やがて生徒会の紹介も終わり、入学式はつつがなく終了する。俺たちはクラスごとに教室へと移動を始めた。
◇
騎士クラスBは男女13名ずつ、計26名。
席はすでに決まっていて、俺は窓際の一番後ろだった。ネオンは教室中央。思ったより距離がある。
(……目が届きにくいな)
少し嫌な配置だ。
そんなことを考えていると、前の席の赤毛の男がくるりと振り返った。
「俺はダン・アークだ。よろしくな!」
やたらといい笑顔だ。体格もいいし声もでかい。いかにも『前に出るタイプ』だ。
「アゾート・フェルームだ。よろしく」
差し出された手を握るが、その瞬間――
「私はマール・ポアソン。マールって呼んでね!」
右隣の青髪の女子が、俺たちの握手の上に両手を重ねてきた。
(近い……)
少し距離感がおかしいが、人懐っこい笑顔のせいで悪い気はしない。
「おう、俺のこともダンでいいぞ!」
「俺もアゾートでいい。それと――」
俺は教室の中央へ視線を向ける。
「あそこに白い髪の奴がいるだろ。あいつは弟のネオンだ」
「ああ、あいつか」
ダンが納得したように頷く。
「入学式の時から目立ってたぞ。正直、ちょっと近寄りがたいけどな」
その言葉に、俺は小さく苦笑した。
教室のあちこちで自己紹介が始まっているが、ネオンの周りだけ妙に空いている。
遠巻きに女子が見ているだけで、誰も話しかけようとしない。
(……まあ、そうなるよな)
「弟くん、すごくかっこいいね」
マールが身を乗り出してきた。
「あとで紹介してよ。気になる!」
「……ああ、そのうちな」
軽く流しつつも、内心は穏やかじゃない。
(下手に近づけるのもな……)
ネオンは男子としてここにいる。そして目立ちすぎている。
「いいよなあ、イケメンは」
ダンが肩をすくめる。
「俺なんて完全にモブ顔だぜ」
「いや、お前は十分目立つだろ……」
思わず突っ込むとダンは豪快に笑い、その笑い声につられてマールも笑う。
空気は悪くない――が、ふと中央に視線を戻すと、ネオンは一人静かに前を向いていた。
誰とも話さず、誰にも関わらず。
(……本当に大丈夫か、あいつ)
そんな不安だけが、胸の奥に引っかかっていた。
◇
初日はオリエンテーションのみで終了し、昼休みへと入った。
俺たちはそのまま四人で行動することになり、ネオンにも声をかける。
「ネオン、飯に行くぞ。それと午後はこいつらも一緒だ。問題ないか?」
「ああ、もちろんさ」
ネオンはいつもの調子で軽く頷いた。
「僕はネオン・フェルーム。アゾートの弟だ。よろしく」
「ダン・アークだ。ダンでいい」
「あ、あのっ……マール・ポアソンです。マールとお呼びくださいっ」
「……なんか、俺たちの時より丁寧じゃないか?」
「そんなことはございませんわ。いつもこのような感じですの」
「ウソつけ」
ダンのツッコミに、マールが「オホホホ」と誤魔化す。
――悪くない空気だ。
だからこそ、その後の展開は最悪だった。
食堂はすでに満席。
「……空いてねえな」
「こっち! あそこ空いてる!」
マールが指差したのは、中庭に面したテラス席。
運よく4席、ちょうど空いている。
「いい席じゃん」
ダンが腰を下ろそうとした、その瞬間――
「君たち、そこを退きたまえ」
声に振り返ると、数人の男子生徒がこちらを見下ろしていた。
制服のラインは二本。中級貴族だ。
「はあ? 俺たちが先に――」
「そこは下級貴族が座る席ではない」
言葉を遮るように、男は笑った。
「失せろ」
周囲を見れば、テラス席にいるのは二本か三本ラインばかり。
視線が刺さる。嘲笑が混じる。
(……そういうことか)
食堂の席ですら、身分で分けられている。
「感じ悪いな……行こうぜ」
ダンが吐き捨て、俺たちは席を離れようとした。
――だが。
「待てよ」
進路を塞がれた。
「なんだよ。消えろって言ったのはそっちだろ」
「謝罪もなく立ち去るのか?」
「は?」
「この学園のルールを教えてやったんだ。まず詫びろ。そして――」
男は口元を歪める。
「このハーディン様に礼を言え」
周囲から笑い声が上がり、胸の奥で何かが切れた。
「……ふざけんな」
そう言い返した瞬間だった。
「その女だけは残してやってもいいがな」
ハーディンがマールの手首を掴んだ。
「っ……!」
マールが怯える。
「やめろ、その手を――」
俺が腕を掴んだ瞬間、
「触るな、下級のサルが」
――次の瞬間、視界が弾けた。
バギッ!
頬に衝撃。身体がぐらつく。
(……殴られた?)
遅れて理解した時には、床にへたり込んでいた。
「くそっ!」
だが立ち上がろうとした瞬間ドスンという鈍い音がして、今度はハーディンが派手にぶっ飛ばされた。
「アゾートに手を出すな!」
ネオンだ。
「き、貴様……!」
ハーディンが慌てて起き上がろうとするが、
「逃げるぞ!」
俺は叫んだ。
これ以上やれば、ただじゃ済まない。
俺たちは四人で、一気にその場を駆け出した。
「待て! 許さんぞ!!」
怒号が背後から追ってくるが止まらない。止まれるわけがない。
(……やっちまった)
初日から、最悪の形で目をつけられた。相手は中級貴族――ただで済むはずがない。
背後の足音が聞こえなくなるまで、必死に走り続けるしかなかった。




