第89話 誘拐(前編)
レオンとセシリアのこと、そして自分の気持ち。
それらにショックを受けつつ、私は日々を何とか過ごしていた。
あれから、ずっとルネからの連絡を待っているが、音沙汰はない。
そうやって、アレやコレやを気にし、仕事に集中できていなからか、普段ではやらないようなポカミスをやらかす始末だった。
さらに落ち込む私だが、母たちは特に何も言ってこなかった。
レオンらの件については、内容をぼかして店の皆には伝えてある。それで気を遣ってくれているのかもしれない。
仕事に厳しいシモンなら、嫌味の一つでも言ってくるかと思ったが、彼は淡々とフォローしてくれている。
「めんぼくありません」
「まぁ。店長も人間というわけですな」
そう言って、シモンは苦笑していた。
そんなある日、事件は起こった。
*
客足が落ち着いてきたとき、店の扉が乱暴に開かれた。
驚いてそちらを見ると、エチカが息を切らしながら立っている。その様子を見て、ただ事ではないとすぐに分かった。
「あの、あの……お姉ちゃん……」
エチカは私に、何かを懸命に伝えようとするが、言葉にならないみたいだった。
私はとりあえずエチカを落ち着かせるため、彼女を店舗の奥の部屋に通した。それから、水をゆっくりと飲ませる。
しばらくして、ようやくエチカは話せる状態になった。
「いったい。どうしたの?」
私がそう尋ねると、エチカの口から驚きの言葉が返ってきた。
「マルグリットが――マルグリットがさらわれたの!」
「なっ――!?」
思わず、私は言葉を失う。
そして、エチカが拙いながらも、必死に説明してくれたのは次のような話だった。
この日、エチカとマルグリットは二人で店を訪れる予定だったらしい。
その道中、人気のない場所で見知らぬ男に話しかけられた。
不審者かと用心したエチカたちだったが、その男はオルレア騎士団であることを示す、竜のシンボルが装飾された軽鎧を身に着けていた。
相手が騎士団員ということで、エチカもマルグリットも警戒を解く。
すると、いきなりその団員がマルグリットを担ぎ上げたのだ。
何をするんだ、とマルグリットは暴れたらしいが、鍛えられた成人男性相手に十にも満たない少女が敵うはずもない。
突然の出来事に呆然とするエチカへ、団員は紙切れを一つよこした。
「サカキ魔法薬店の女店主に此処に来るよう伝えろ。ただし、一人でな。そうでなければ、子供の命はないと思え」
そう脅され、エチカが立ちすくんでいると、男がすごむ。
「ほら、早く行け!この子供がどうなってもいいのか!?」
怒号に驚き、エチカは弾かれたように走り出した。そして、息を切らせてこの店までやって来たのである。
エチカの話を聞いて、私は自分の耳を疑った。
もちろん、今回の黒幕が誰かなんて分かりきっている。
――セシリア!なんてことを……っ!!
まさか、私に復讐するために関係のない子供を人質にとるなんて……。
ふつふつと体中に怒りがこみあげてきた。
先日のことに、ショックを受けている場合ではない。何としてでも、マルグリットを助け出さなければ――!
例の団員が渡したという紙を見ると、そこには街の郊外の住所が書かれてあった。確か、古い住居が多い地区である。
「お姉ちゃん。マルグリットは……マルグリットはどうなるの?」
そう尋ねるエチカの顔は、涙と鼻水で汚れてしまっている。それをハンカチで拭ってやりながら私は言った。
「大丈夫。私が絶対助けるから」
*
私が仲良くしている子供が攫われた――そのことを告げると、店の皆は顔をこわばらせていた。
マリアは怒りに体を震わせる。
「あの女……どこまで卑怯な手を使えば気が済むのよ…」
「とにかく、私はマルグリットを助けに行きます」
「ちょっと、まさか一人で行く気じゃないでしょうね?こんなの罠に決まっているじゃない!」
信じられないという顔のマリアに加えて、ニナやシモンも私を止めてきた。
「さすがに一人では危険です」
「店長。騎士団に知らせるのがいいのでは?」
シモンの提案に私は「今、騎士団はちょっと頼れない状況なんです」と首を横に振る。
「だからって、一人で行くことないでしょう!わ、私もついていくわ!後方支援くらいならできるし」
「いいえ。今回は私一人で行こうと思います。大丈夫、私だって何も敵地を正面突破しようとは思っていません。忍び込むには一人の方が都合が良い」
「で、でもっ…」
「それに、マリアさんには他に任せたいことがあります」
「他のこと?」
「このことをルネさんに知らせるために、バイザウェイに行ってもらえますか?女将さんが伝言を取り次いでくれるはずだから」
「そんなの他の人に頼めばいいでしょう!」
「私以外で、今回の一連の事情をよく知っているのは、あなただけです。お願いします」
「……」
私が頭を下げると、マリアは黙ってしまった。
それを了承と捉えて、私は店の皆にもお願いをする。
「シモンさんは、マリアさんの護衛を頼めますか?人目のある所で襲ってはこないと思いますが、敵が来ないとも限らないので」
「……分かった」
「母さんとニナさんは、店を閉めて下さい。しっかり戸締りを。もし、敵がここに攻めてきたら私が準備した罠を使ってください」
「は、はい。大丈夫です。一通り、頭には入っていますから」
シモンとニナが了承してくれる中、母だけは返事がない。
見ると、母は複雑そうな表情で私を見ていた。
「母さん?」
「まったく、あんたは言い出したら聞かないから」
そう言って、母は私の頬に手をやる。
「でも、絶対。無事に帰っておいで。約束だよ」
私は震える母の手に、自分の手を重ねた。




