第10話 妙な病
街の西区で妙な病気が流行っているらしい。
そう教えてくれたのは、幼馴染のアニーだった。
彼女には主婦特有のネットワークがあるらしく、そこから色々な噂話を仕入れて来る。
「妙なって、どんな?」
私は聞き返した。
「何でも、ずっと咳が出るらしいよ。流行り病だったら怖いねぇ、って髪結いの奥さんが話していたの」
流行り病――つまりは感染症だ。
人間の目には見えない、病気の素となる『何か』が体の中に侵入することで発病する。
流行り病の恐ろしいところは、それが次々に人へ広まっていくことだ。場合によっては収拾がつかなくなり、村一つが滅ぶこともある。
「症状は咳だけなの?」
「私も詳しいところは分からないわ。ただ、すでに騎士団も調査しているっていう話よ」
――と、昼にそんな話をアニーとしていたところだ。
そして、その日の夕暮れ、件の騎士団サマがやって来た。
*
この日はレオン一人ではなく、ルネもお供についてきていた。それで「いつもと何か違う」と私は察する。
だって、いつも通りならレオン一人で店に来るはずだ。
案の定、今日のレオンはいつものような無駄話をしに来たのではなかった。要件はタイムリーにも、西区で流行っている変な病気についてである。
「魔法薬学の専門家という立場から、君の意見を聞きたいんだ」
いつになく真剣な表情で、レオンはそう言った。
アニーが教えてくれた噂話の通り、街の西区で『妙な病』が流行っているのは事実らしい。
住民たちは酷い咳をしていて、それが中々治らない。風邪なら数日で治りそうなものだが、長引く。白魔導士が治療すれば一時的に回復するが、また再発してしまう。
その原因は未だ特定できていないとのことだ。
「治ってもすぐに再発するというのは、以前の舞台女優の話に似ているだろう?もしかしたら、ジャンヌなら何か分かるかもしれないと思ったんだ」
レオンの言う舞台女優とは、ドロシーのことを指しているのだろう。
彼女の場合、その体調不良はレバーの過剰摂取が原因だった。一時的に白魔導士に体の調子を整えてもらっても、ドロシー自身が病の原因とは知らずレバーを食べてしまうため、同じ症状が繰り返し起こしていたのだ。
しかし、今回の咳の病は、西区の大勢の住民たちで確認されている。ドロシーのケースとは違う気がした。
「何かの『流行り病』だという噂も耳にしていますが……」
アニーとの会話を思い出してそう口にすると、ルネが頷いた。
「はい。ピエトロ商会がそう主張していて、流行り病に効く薬と評し、自社の薬を住民に売りつけていますね」
「ただ、あまり効いているようには見えないんだ」
ピエトロ商会――個人的にはあまり好ましくない名前だ。
件の商会は魔法薬店の老舗かつ最大手で、王国内の各地域に支店を構えている。むろん、このオルレアの街にも支店はあった。
元々は、サヴォイア公爵家が出資して、起こした商会である。
私はレオンたちの話を聞いて、しばらく考えてから尋ねた。
「実際、私が患者さんたちを診ることはできますか?」
「診てくれるのかい?」
「お役に立てるかは分かりません。しかし、私で良ければ……」
もし、危ない感染症なら西区の住民だけの問題ではない。オルレアの街の一大事だ。
そう思って申し出ると、レオンもルネもホッとした様子だった。
*
翌日の朝、私は問題の西区にいた。
本当に流行り病だった場合、むやみに身をさらすのは危険だ。私自身が感染してしまう可能性もある。
だから今日の私は、薄手の手袋を身に着け、そして『そよ風の守り』という魔法で体を守っていた。
「『そよ風の守り』って何ですか?」
魔法に詳しくないルネは首をかしげていたので、私は簡単に説明する。
「薄い空気の膜で体を包む風魔法です。この膜のおかげで、外からの空気を遮断することができます。例えば、大気が毒に汚染された場所でも、この魔法を使えば行動可能というわけですね」
「それはすごいですね」
「ルネさんにも『そよ風の守り』をかけますね」
「はい。お願いしま……レオン様?」
ルネが不審そうな声をあげ、ソレにつられて私も顔を上げる――と、レオンがジッとこちらを見ていた。まるで何かを訴えかけるように。
「……」
いったい彼が、何を訴えかけているのかは……うん、聞かなくても分かる。
私は首を横に振った。
「……レオン様はご自身でどうぞ」
四大元素を扱う精霊魔法なら、私よりレオンの方がずっと上手く使えるのだ。そんな彼に、私がわざわざ『そよ風の守り』を施す理由は微塵もない。
私が断ると、レオンはシュンと肩を落としていた。
*
ヒューヒューゼーゼーという喘鳴音が聞こえる。
例の病の患者を何人か診ると、皆ものの見事に喉が腫れていた。これでは気管支が狭くなって、息がしにくいだろう。酷い人だと呼吸困難を起こすかもしれない。
ただ、幾つか気になることがあった。
「どうだい?何か分かったかい?」
レオンに聞かれ、私は答える。
「やはり、一般的な感染症と症状が違いますね。喉の炎症が酷く咳はあるものの、発熱や痰、鼻水などは皆さん出ていません」
「ほかには?」
「あとはやはり――白魔導士の治療で、一度は治るのに、すぐ再発するのが気になります」
白魔法が病気や怪我を治す原理は、対象者の生命力を向上させ、その人が持つ治癒力を増幅させることにある。
感染症患者においても、その理屈はもちろん当てはまり、その人の治癒力を高めることで、病気の素になる『何か』を体から排除してしまうのだ。
「不思議なことに、人間をはじめとした動物は、一度かかった感染症にかかりにくくなるという性質を持っています。疫病みから免れる機構が生物にはあるんです」
「それじゃあ、すぐに再発すると理屈に合わないな」
「ええ。感染症の可能性を完全には否定することできませんが、まずは他の原因を探った方がよろしいかと」
私の話を聞いて、レオンとルネは「なるほど」と頷いた。
「この病を引き起こしている他の何か…。以前、医学書で読んだのですが、人によっては埃やカビ、獣の毛などで、このような咳をすると書いてありました」
「そんなものでか?」
「はい。そしてこの病が西区で突然に起こったのなら、この地域に何か変化があったのかも。何でもいいです。何か、この辺りで変わったことはありませんでしたか?」
その質問に答えたのは、レオンでもルネでもなかった。
先ほど私が診ていた初老の女性患者。彼女がおずおずと口を開く。
「こんなこと関係あるかどうかは、分からないのですが……」
「何でもいいです。気づいたことがあれば、おっしゃってください」
「広場に像が……」
「え……?」
女性患者の話を聞いて、私は目を見開いた。
*
西区にある小さな広場。
ベンチが置かれ、草木が植えられたそこは、住民たちの憩いの場になっている。
その一角の陽が当たらず目立たない所に、立派な竜の像が置いてあった。石でできたもので、年代を感じさせる。よく見れば、あちこちが苔むしていた。
「あれ?この苔……私も知らないや」
私は思わず呟く。魔法薬の材料に植物は欠かせないため、そちらの方はかなり勉強しているつもりだ。
もちろん苔も立派な薬の材料である。ある程度の知識は持っていると自負していたのだが、目の前の苔にはまるで見覚えがなかった。もしかしたら、苔ではないのかもしれない。
「住民によると、この像はいつの間にかここに設置されていたとか。所有者は不明です」
早速、ルネは周囲から聞き取りをしてくれたようだ。仕事が早い。
「しかし、本当にこの像が病の原因なんでしょうか?」
「それは分かりません。ただ、像に生えている緑色のもの。これはもしかしたら、苔ではなくカビなのかも。だとしたら、カビの胞子が病の原因という可能性がありますね」
私は竜の像を調べてみたが、とりあえず呪術の形跡はなく特におかしい所は見当たらなかった。ただの石像だ。
だとすると、怪しいのはやはりこの苔モドキ。
「とりあえず、この像に触れないように住民の方にお伝えください。あとは――」
そう言って、私は像全体を覆うように『そよ風の守り』の魔法をかけた。
これでもし、苔モドキの胞子が病の原因だったとしても、胞子は風の膜の中に封じ込められてしまって、外には出ない。
ひとまず、このまま様子見しようという話になった。
その結果は――。
*
「すごいぞ!ジャンヌ!!」
あれから数日たって、レオンとルネの二人組がまた私の店に来ていた。二人とも表情は明るく、朗報だとすぐに分かった。
「君の推測通りだった!あの像を封じ込めた途端、咳の病を発症する住民がいなくなったんだ!」
「それは良かったです」
それを聞いて、私もホッと胸を撫でおろした。
二人の話では、あの像はすぐに撤去されることになったそうだ。これで西区の住民たちも安心して暮らせるだろう。
「君はすごい、天才だ!」
先ほどからしつこいくらい、レオンは賛美を繰り返す。
「レオン様。それは大げさです。褒めすぎです。やめてください」
私はたまらず彼を止めた。
本物の天才からそんな風に言われると、面映ゆいような居たたまれないような気持ちになる。
「大げさなものか!なぁ、ルネ」
「はい。私も感服しました。騎士団の白魔導士も、ピエトロ商会の魔導士も――誰も原因が分からなかったのに」
ルネまで過大評価するので、私は苦笑いした。
「今回はたまたまですよ」
「そんな謙遜を…」
「何にせよ、こんな凡人でもお役に立ててよかったです」
私がそう締めくくると、ルネは不思議そうに首をかしげていた。




