エピローグ
メーベルト伯夫人がエルウィンを訪ねてやってきた。
「メーベルト伯夫人……?」
エルウィンは彼女が自分のことを疎んじていることを分かっていた。
だから、この期に及んで何か仕掛けに来たとまでは思わないが、何かしらの釘を刺しに来たのだと思っていた。
「貴方は市井の暮らしが長いわよね。いつか、ルイーゼよりも市井の娘のほうがよくなってしまうのではなくて?」
「それはありませんよ」
それなら、はなからソフィアを拒んだりはしなかった。
つがいとして婚姻を結んだほうがはるかに都合がよかったのだから。
あれだけ遠回りをしても、エルウィンはルイーゼがよかったのだ。
「そう……ね。娘のことを、宜しくお願いします」
「はい。必ず……幸せにします」
メーベルト伯夫人が穏やかに微笑むのを、エルウィンは初めて見たような気がした。
「伝手が欲しくなったら連絡を寄越しなさい。ルイーゼはそういうのを嫌がるけれど、貴方は分かるのではなくて?」
「そう……ですね。何かあれば、お力添え頂きたく存じます」
夫人と入れ替わりの様に、ルイーゼが慌てた様子で室内に入ってきた。
「エルウィン!」
「ルイー――おっと!」
慌てた様子でやってきたルイーゼが自分の手前で失速するのを阻止すべく、エルウィンは手を伸ばしてルイーゼを引っ張った。
当然、ルイーゼはエルウィンに激突する。最近、ルイーゼは正面からエルウィンに抱きつくのを異様に恥ずかしがるようになってしまった。
「お母様が来たって本当!? なんか変なこと、言ってこなかった?!」
「大丈夫だよ。ルイーゼを宜しくだって」
「本当?」
ルイーゼは疑いの眼差しを向けてくるから、エルウィンは尚強く、彼女を抱き込んだ。
強く抱きしめると、彼女の心臓の音を感じることができる。
早鐘を打つ彼女の胸を感じると、自分が彼女の心を占めているのだと実感して、心が躍る。
◇◆◇ ◇◆◇
「シュティーフェル伯がこんな屋敷を用意していたなんて、全然知らなかったわ。いつから用意してたのかしら?」
ルイーゼは数日前から、この日を楽しみに待っていた。現地に到着したのは午後を少し回ったところ。
メーベルト邸の馬車で一週間の距離――シュティーフェル領・東部の一画に、エルウィンとルイーゼの新居は建てられていた。ルイーゼの知らないうちに。内装は新品同然で、先住者がいる形跡は見受けられない。
昨日今日、造られたわけではないだろうが、一体シュティーフェル伯がいつからどれだけのことを考えて、実行に移していたのか……ルイーゼには見当もつかなかった。
メーベルトの別邸と同じくらいの大きさ、アイボリーの煉瓦の壁と、赤い屋根が特徴的な屋敷だ。客室、執務室、応接室、談話室、ギャラリー、ダイニング、家族の部屋、礼拝堂と一通り揃っている。
「ここへ来るのは、俺も今日が初めてだ。すごいな……」
エルウィンも馬車から降りて、屋敷の外観をしげしげと眺めていたが、やがて屋敷内から現れた使用人たちに迎えられて屋敷内へと入っていった。使用人たちには見覚えがある。シュティーフェル邸に勤務していた使用人達だ。
――ここで働くことになったのかしら? でも、そうすると、シュティーフェル邸の方が人手不足になってしまうんじゃ???
「彼らには出迎えのための手伝いをしてもらっているだけなんだ。今後、必要になってくると思われる使用人については、君にお願いしたいんだけどいいかな?」
「任せて!」
エルウィンのお願いに、ルイーゼはガッツポーズで答えて見せた。
メーベルト邸の使用人は、母が面接をして度々入れ替えを行っているのを、ルイーゼは知っていた。いよいよ女主人らしくなってきて緊張してしまう。
「そろそろ教会の皆様が来るころかもしれないわ」
ギャラリーを見学中、ルイーゼは思い出したようにエルウィンに告げる。
『教会の皆様』というのは、この地方に建てられている教会の司教だ。貴族の引越しの挨拶は、位の高いものから下の者へ。エルウィンの場合は、司教の挨拶を受けた後、自宅で茶会を開いて、近隣住民を招待する――という流れになる。
あれだけ教会ともめたというのに、引っ越しで一番最初に挨拶に来るのが司教なのだから、なんとも皮肉がきいている。
「引っ越しの挨拶にも順番があるなんて、貴族は面倒だな……」
「議会での立ち回りなんか、もっと面倒くさいかもしれないわよ」
「……」
使用人の前では貴族らしく振る舞っていたかと思ったのに、周囲に人がいなくなるとこれだ。エルウィンは今や、爵位を持ってはいないが、しっかりと議席も確保している立派な貴族だ。人前に出てしまえば、完全に猫を被ることができてしまうのだから、ルイーゼは能力的にはさほど心配してはいない。
エルウィンはこの地方の監督官でもある。
シュティーフェル伯は、エルウィンとルイーゼの婚約が決まった遠い昔から――いずれはエルウィンにも、貴族としての確固たる地位と仕事を与えなければならないと思っていた。
「そう言えば、今ここで働いてくれている人達っていつまでいてくれるの?」
「最初から期限を言われているわけじゃないけど、ひと月以内には、新しい人たちを雇用しないとね」
「そうなのね。いい人が来てくれるといいんだけど……何を基準にして選んだらいいのかしら?」
「手癖が悪くない人?」
「……どうやってそれを見破れと?」
――お母様からそういったことを聞いておけばよかったわ。……お母様とは、あの親子の一件以来、妙な距離ができてしまった。当然といえば、当然なんだけど。ヘルタ夫人は私の思う通りにすればいいとしか言わないし……。
ルイーゼはこの地方の人間を雇いたかった。貴族の中には、わざわざ遠方から優秀な人間を引き抜いてくる輩もいるらしいが、ルイーゼはそこまでは望んでいない。社交界で大輪の薔薇になりたいわけではない。
辺境の地だろうがどこだろうが……愛する者と穏やかな時間を過ごすことができれば、ルイーゼはそれで満足なのだから。
誘うように差し出されたその手に自分の手を重ねて、強く握り返す。二度と、離されないように。
「ねえ、やっぱりエルウィンも選考に参加してみない?」
「君がそう望むのなら」
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