95喧嘩の理由を教えてよ
前回までのあらすじ:ヒロインの勤務先はブラック企業だった。
どうしてこうなったのだろう、と桐子は首を傾げる。
信頼していた組織からブラックな要求を突き付けられ、心底参っていたところで万里に「任せろ」みたいなことを言われて、うっかり絆されたのがまずかったのでは。少々手遅れな気もするのだが、自分の判断が悪かったのだという悲しい事実を認識し、溜息をつく。
しかし、嘆息したところで、そして念のため頬をつねったり目をこすったりしてみたところで、やはり目の前の現実は変わらなかった。なぜか桐子とテーブルを挟んで座っているのは、御影在処と名乗る女性であり、万里が軽い調子で「うちの社長ね」と紹介した女傑だ。桐子の脳内では疑問符が雨後の筍状態である。
時刻は午前十時。場所は高級タルトでおなじみの果樹園いろは。自分の組織のトップとすらなかなか話す機会のない下っ端小娘なのに、いきなり敵組織のトップとご対面する羽目になった。緊張と混乱で目を白黒させる桐子をよそに、在処はメニューをめくりながら呑気に言う。
「みんな、好きなもの頼んでいいわよ、今日は万里の奢りですから」
「ゴチになるっす。というか、碓氷、いきなり人のこと呼びつけたと思ったら女子なんか連れてきやがって、自慢っすか? まあ、私は彼氏三人いるんで、別に羨ましくないっすけど」
「別に先輩のことは呼んでないですし、彼氏三人は胸張って言うことじゃないです」
「社長を呼び出したら護衛がつくのは当然のことっすよ」
「護衛がつくのは理解できますが、よりによって砂川先輩が来るとは思っていませんでした。白鷺先輩はいいとして、あとは興梠先輩を想定していたのに」
「私じゃ役不足だっていうんすか、後輩のくせに生意気っすね」
「護衛にしては姦しいです。あと、その『役不足』は誤用です」
在処はメニューを見て何を注文するか真剣に悩んでいる様子で周りの雑音など意に介していないようだし、万里は先輩女性と機関銃の如く応酬を繰り広げるのに夢中で、この場をセッティングした張本人のくせに話を先に進める気がない。おかげで在処に同行してきた白鷺と名乗る年嵩の男性が、初対面の上に敵であるにもかかわらず「とりあえずメニューを見たらどうだ」と桐子に気を遣ってくる始末である。
「ミックスベリーも食べたいし、旬のいろはタルトも捨てがたいわ」
「社長、迷ってるんなら二つ頼めばいいんじゃないすか」
「それもそうね」
「砂川先輩、俺の払いだからって無責任に唆さないでください」
「私は三つ頼むっす」
「少しは遠慮してください。俺より給料いいくせに、ここぞとばかりに遠慮なく後輩にたからないでください」
「砂川、流石に三つは多いぞ。肥えるぞ」
「白鷺先輩、それセクハラっすよ」
「あ、すみませーん、注文お願いしまーす」
「ところで、俺は甘いものが苦手なんだが、甘くないもののメニューはないのだろうか」
「白鷺はタルトの店に来ておいて何を言っているの? じゃあとりあえずコーヒーでも頼んでおけば?」
「成程、ではコピ・ルアックを」
「白鷺先輩、それはヤバいです、俺の懐的に。なんでタルトの店の喫茶メニューにさらっと紛れ込んでるんだ、コピ・ルアック」
桐子は切実に今すぐ帰りたい気持ちをどうにか押し込める必要に迫られていた。
注文した品がテーブルに所狭しと並べられたところで、財布の中身を確認してげんなりした顔を見せた万里が、ようやっと話を進める気になったらしく口火を切った。
「えーと、じゃあ、とりあえず紹介するけど。この一番偉そうな女が御影在処、救済社の社長で実際一番偉い、年齢不詳。血は繋がってないけど俺の母親」
改めて雑な紹介をされた在処は、秘密結社の長らしからぬ親し気で人懐こい笑みを浮かべて手をひらひらと振る。多くの異能者を従える女傑と言われても俄かには信じがたく、どちらかといえば女優ですと言われたほうがしっくりくる。面と向かっては言えないが、今のところあまり威厳を感じない。紹介されながらも一心不乱にタルトを食べる手を止めないのがいけないのではないだろうか、と桐子はひっそりと思う。
「あと今、さらっと母って言った?」
「ごたごたしているところを助けられて、そのまま流れるように母親代わり兼上司に」
「万里……悪の親玉の息子だったか……」
「実は魔王の子」じみた属性持ちであったことを明かされてしまい、今更増えた設定に桐子は微かに頭痛を覚える。社長相手に万里がやたらとフレンドリーな理由もそれで少しは理解できた。
「さて、こっちのいかつい人が、幹部その一で白鷺先輩。社長がこんななせいで苦労している人」
在処を挟んで座る一人で、むすりとした仏頂面で腕を組む男性は、愛想がないように見えるがいろいろと気を遣ってくれる人間だ、というのは会って数分でなんとなく感じられた。自由奔放な社員が多いせいで、気遣いというか気苦労が多いのだろうか、と桐子は想像する。
「で、この喧しい人が一応幹部その二、砂川先輩。現在進行形で三股かけてるヤバい人」
万里の向かいの席でさっきから言い合いをしていた女性は、今までで一番雑な紹介をされたが、割かし上機嫌そうな笑顔を見せている。自分で自慢げにばらしていたことだから、もしかすると「三股かけてるヤバい人」というのを褒め言葉と勘違いしているのかもしれない。間違いなく万里は貶しているつもりだろうが。
最後に万里は桐子の方に掌を向ける。
「はい、こちらが皆さんご存じ、騎士団の音速姫こと上原桐子。俺のクラスメイト」
万里が、普通だったらありえない「敵かつクラスメイト」の事実をさらりと流れるように告げたところで、白鷺が心底疲れたような顔で眉根を揉んだ。
「碓氷。その、敵にして同級生というとんでもない状況を清算してくるように言ったはずなのだが、それがどうして、喫茶店でお互いに紹介されるようなことになるのだ」
砂川も「そうだそうだ」と全面的に同意を示すように大きく頷いている。在処だけが依然として一心不乱にタルトをぱくついていた。万里が何を間違えたかといえば、対面の場所を果樹園いろはにしてしまったことではないだろうか、と桐子はうっすらと思う。
万里は、明らかに上司から責められているわけだが、そうとは思えないほど、反省も緊張も窺えない晴れやかな表情でのたまう。
「敵であることとクラスメイトであることの両立は不可能、故にクラスメイトであることを何とかしろ、ということですよね」
「その通りだ」
「俺はそれよりも、敵であることの方を何とかするのが合理的だと判断しました。つまり逆転の発想」
「どういうことだ」
「桐子は現在、騎士団と喧嘩中らしいです。それはもう深刻に、決定的に決裂していると」
「私そんな言い方してないわよ? 勝手に盛らないで」
「桐子ちゃん、こんな男が敵だと疲れるでしょう、同情を禁じ得ないわ」
タルトをすっかり食べ終えた在処が驚くほど親し気な呼び方をしながら一気に心の距離を詰めてきた。万里のせいで苦労させられている同士、同病相憐れむというやつだろうか。
「とりあえず、桐子ちゃんと騎士団の、喧嘩の理由を教えてよ。事情によっては、私たち、仲良くできると思うのよね。というか、積極的に仲良くしましょう」
人たらしっぽい笑顔を浮かべて在処がぐいぐい来る。桐子ははたと気づく。いつの間にか引き返せないところまで来ているような気がする。騎士団に従うべきか否かを迷っている段階だったはずなのに、いつの間にか救済社と仲良く――救済社に寝返る流れになっている。どうしてこうなった。万里の口車に乗せられたからだ。
桐子は万里をじろりと睨む。こちらの言いたいことは解っているようで、万里はにやりと笑う。
「桐子がこっち側来てくれると、すっごく楽なんだよね。俺の仕事が減る」
「騎士団の計画のことは気に入らないけれど、だからといって私は救済社の考えに全面的に賛同しているわけでもないのだけれど……遺産は気軽に使わずに管理しておきたい派だし」
「そんなこといって、渋谷先輩の時は使う派だったじゃん」
「うっ」
的確かつ瞬時に痛いところをついてくる奴である。
「桐子は割と融通利かせるタイプだから、こっちの組織の方が性に合ってると思うよ? それに、在処もいうほど、遺産をほいほい使って世間を掻きまわしてるわけでもないし。騎士団と喧嘩するなら一人でいるより大きい組織に所属してた方が身を守れるし。俺の仕事も減るし」
万里がここぞとばかりに懐柔にかかる。あと、ちょいちょい「自分の仕事を減らしたい」アピールを挟んでくる。
気づけば、救済社の面々が全員桐子を注視している。このまま事情を話さずに退席できるような流れではないと悟り、桐子は溜息交じりに、自分の抱えることになってしまった厄介な事情を吐露することになる。
つい最近まで自分も知らされていなかった騎士団の重要機密「女王計画」、それを敵組織に暴露した瞬間、桐子は「マジでもう後戻りできないな」と暗澹たる気持ちになった。
騎士団が画策している二代目女王計画に巻き込まれた経緯をざっくり説明すると、在処は頬杖をついて呆れたように溜息をついた。
「こちらも、内通者を締め上げて、騎士団が女王計画を稼働させているということはつい最近知ったけれど、桐子ちゃんがその鍵になっているとは。ということは、あなたがこっち側に来れば騎士団の計画は頓挫するわけね。はっ、岸が悔しがるのを想像するだけで面白いわ」
「しかし社長、ことはそう簡単には行きませんよ。計画の鍵となる彼女をこちらで匿ったと知られれば、騎士団との正面衝突は免れません」
犬猿の仲の敵組織のボスを愉快そうに嘲笑する在処に、白鷺が冷静に指摘する。
「最悪、取り返しに乗り込んでくるということもあり得るでしょう。音速姫を守るために救済社の構成員が疲弊するようなことになるのはいただけませんな」
「解ってるわよ、衝突は避けるべきよ、面倒だもの。単に桐子ちゃんを匿っても事態が悪化するだけね。とはいえ、このまま何も聞かなかったことにして彼女を騎士団にお返しするわけにもいかないし……」
在処が憂鬱そうに溜息をつく。それから、万里の方を睨む。
「万里、あなたが何を考えているかはだいたい解ったわ。いいわ、乗せられてあげる」
「そう言ってくれると思ったよ」
万里は組織の親玉から睨まれているとは思えない飄々とした様子である。つまりどういうことなのだろうかと、桐子は在処に視線で問う。在処は皮肉っぽく笑って解答を披露する。
「うちの技術を以てすれば、そもそも女王計画なんてしちめんどくさいことをする必要がなくなる……万里は私に、あのいけ好かない男と和解して休戦しろと言いたいらしいわ」
休戦。
なんだか最近よく聞く言葉だなと、桐子は他人事みたいに思った。




