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94俺たちお得意の

 桐子と万里、深刻な話をしていたはずの二人が何故、タイミング悪く来てしまった伊吹が秒で引き返すほどの、大いに誤解を招く危ない格好になってしまったのかといえば、結局のところ伊吹が置き忘れたスマホが元凶なのだ。

「君、壊滅的に嘘が下手」

 万里にそう言われた瞬間、何がどう拙かったのかは不明だが、どうやら致命的な失敗をやらかしてしまったらしいことを悟り、桐子は作り物の笑顔を消して無表情に万里を見返した。一応、曲がりなりにも演劇部員であるのに、こうもあっさりと嘘を看破されるのは面白くないことだ。

「学費が払えないから辞める? 二秒でバレる嘘をつくなよ。俺を騙そうなんて十年早い」

「流石、いつも人を騙くらかしてる人が言うと説得力が違うわね」

「本当は何があったんだ」

 皮肉を返して話をはぐらかそうとしたが、万里は追及をやめなかった。

「敵であるあなたにすべて打ち明ける義理がありますか」

「騎士団で、拙いことになっているんじゃないのか。もしそうなら俺に責任がある」

「しつこい人ね!」

 苛立ちのあまり、桐子は思わず声を荒らげ、傍にあったテーブルを力任せに叩いた。予想以上に大きな音がしたせいか、万里が僅かに狼狽える。

「別に何もないし、仮にあってもあなたに話す必要はないわ。私が学校を辞める以上、仕事と学校を両立させるための一時しのぎの休戦協定も当然破棄されます。つまり、私とあなたはただの敵同士になるの、馴れ馴れしくしないで」

 突き放すように捲し立てると、流石に万里もむくれた様子で語気激しく言う。

「この分からず屋め、そっちがその気なら、俺にも考えが――」

 言いながら万里が詰め寄ってくる。

 と、その瞬間、万里ががくりとバランスを崩す。らしくなく頭に血が上っていたせいで足元への注意が疎かになっていたようで、何か――要は桐子が叩いた拍子にテーブルの棚から床に落ちた伊吹のスマホだったのだが――踏んで滑ったらしい。

「あっ」

「えっ」

 よりによって前のめりに倒れ込んでくる万里。不意打ちで受け止めきれず、桐子は巻き添えを食ってすっ転んだ。

 そして、不運というのは重なるもので、そのタイミングで、普段は誰も来ないはずの部室の扉が開けられた。扉の前で立ち尽くす伊吹と目が合って、桐子と万里は同時に息を呑む羽目になる。

 万里が桐子を押し倒しているようにしか見えない図。

 暑さと口論のせいでお互いうっすら汗ばんでいて、頬は上気している。場所はわざわざ人目を忍んでいるとしか思えない演劇部室。この状況を目撃して、年頃の男子生徒が想像するのは、まあ一つしかない。伊吹はそっと扉を閉じた。

 その瞬間我に返って、二人同時に喚きたてた。

「待て、伊吹! 閉じるな! 扉をそっと閉じるな!」

「五十嵐君落ち着いて話をしましょう! 今何かものすごい誤解があった気がするの!」

 しかし伊吹が戻ってくる気配はない。絶対に勘違いしたまま行ってしまった。

「待って、お願いだから待ってってば! そういうんじゃないんですから!!」


★★★


 慌てて伊吹を追いかけて、何があったか一通り説明して誤解を解いたら、朝からもう疲れ果ててしまって、とても授業になど出る気になれなかった。万里は初めて授業をサボった。仕事柄、いずれ学校をズル休みするような事態にもなるだろうな、とは前々から考えていた。寧ろ、半年よく休まずに頑張ったと言いたいところだ。最初のサボタージュが、こんな事情のためになるとは思っていなかったけれど。

 こそこそせずに寧ろ堂々としていれば、意外とサボり高校生だとバレないのでは、という希望的観測を拠り所に、万里は堂々と高校を離れていく。油断すると勝手にエスケープしかける桐子の腕を引いて、適当なバスに乗り込んだ。行き先は決まっていない、ただ、バスに乗ってさえしまえばそうそう逃げられまいと思ったのだ。まもなく始業という時刻に、明らかに学校に行く気のなさそうな少年少女が乗車しても、運転手は特に何も言わず、バスは緩やかに発車した。

 乗客は少なく、万里と桐子は一番後ろの席に並んで座った。敵同士なので、仲良く並んで座るのはお互い不本意なのだが、桐子が隙あらば逃げ出そうとするのだから仕方がない。だが、流石にバス停を一つ過ぎる頃には諦めたらしく、桐子は憂鬱そうに溜息をついた。

「あなた、ちょっと強引よ」

「君が逃げるからだろ」

「……もう逃げません。疲れたわ」

「じゃ、全部白状する?」

「いいけど、その前に教えて。どうして嘘だって解ったの」

 嘘が即座に露見したことは彼女にとってはそこそこ屈辱的だったらしく、桐子は眉間に酷い皺を寄せている。

「顔見れば、だいたいはね。全然大丈夫じゃないくせに『大丈夫』って言い張って笑ってる奴の顔、知ってるからね」

「成程」

 桐子はちらりと視線を寄越して、冷静に指摘してくる。

「それは、昔のあなたのことね」

「まあ、そういうこと」

 万里は苦笑を返すしかなかった。

 桐子が何かを隠しているのはほどなく解った。そこで万里に与えられた選択肢は二つだ。気づかなかったことにするか、突っつくか。結局、放っておくことができず、万里が選んだのは後者だった。敵でありながらそうしたのは、基本的に損な性格をしているからでもあるし、根底に「同病相憐れむ」とでもいうべき感情があったからでもある。

「どうしようもなくなったときくらい、敵だの味方だの、ちまちましたこと考えてないで頼ればいいじゃん。クラスメイトのよしみなわけだし、俺はまだ借りを返し切れていないし」

 夏休み、万里が行平槐に襲われてどうしようもなくなったとき、桐子は「さっさと呼べ」だの「馬鹿」だの散々言ってくれた。それをそのまま返してやりたい。さっさと助けてって言え、馬鹿、という具合である。

「そういうわけだから、話を聞いてやる。どんなヤバイことになってるのさ」

 桐子は少し考えるように首を傾げると、やがて意を決したように告げる。

「どうやら、騎士団はブラック企業だったらしいの」




 適当に乗ったバスでなんとなく辿り着いたのは、いつぞやの決闘の舞台となった舟織運動公園だった。結局、その決闘は不完全燃焼のまま決着はつかず、代わりに始まったのが奇妙な休戦協定。そしてその協定も、今やそれどころではないような事態になってきている。

 平日昼間の公園に、人気は少なかった。未就学児を連れた母親、散歩中の老夫婦、とりあえず視界に入ったのはそれくらいだった。制服姿の少年少女を不審に思うような視線は感じないので、ひとまず通報される心配は少ないだろう。

 補導される可能性は低いだろう、とはいえ、やはりこんな格好でこんなところにいるのは、背徳感がして妙な気分になる。もっとも、常習的に法令違反をしているので、背徳などというのは今更の話ではあるのだが。

 桐子の方も似たようなことを考えているのか、少しそわそわしているような、また、それと同時に開き直っているような表情を見せている。

 さて、いつもは散々、救済社の方をブラック企業だと言って憚らない桐子に、自分の組織こそがブラック企業であると言わしめたのは、いったいどのような事態だというのだろうか。事情を尋ねる万里に、桐子が語ったのは、奇しくも、万里の方もつい先だって在処から聞かされたばかりの「女王計画」のことだった。

「今、騎士団が集めた遺産を守っているのは、夢咲希という女性。守っているといっても、意識のない状態で遺産を同化させられて金庫代わりにされている状態だけれど。その女性の死期が近づいているせいで、騎士団は次の女王を探している。その第一候補が私。私は組織に黙って敵と……つまりあなたと、こっそり通じていた手前、拒否する権利がない」

 かなり厄介そうな状況に陥っているはずだが、桐子はきわめて冷静に、他人事のように淡々と説明した。悲観的にならないように気丈に振舞っているのか、あるいはただ現実逃避しているのか。ともかく、話を一通り聞いた万里の第一声はシンプルだ。

「なんというか、あれだな、最悪のタイミングでバレたな」

「ほんとそれ」

 桐子は心底憂鬱そうに呻いていた。

「って、バレたのは、元をただすと俺のせいだから、他人事みたいに言ってる場合じゃないんだけど。で、君は納得してるわけじゃないんだろ?」

「それは……だって、それが必要なことなら、個人の感情なんて、些末な問題でしょう。私一人がちょっと我慢すれば、世界……は言い過ぎにしても、周りが平穏でいられますよって言われたら、仕方がないのかしらって」

「それは……何て言えばいいのかな。殊勝? 律儀?」

 しっくりくる言葉が見つからず、最終的に万里は「真面目すぎ」という感想に行きついた。

「よりによって、生贄を探していた組織に生贄体質の人間が入団していたなんて、飛んで火に入る何とやら」

「最初からその話を知っていたら就職してなかったかも。そういう大事な話を伏せたまま求人するのって企業倫理に反しないのかしら……何も知らないうちなら、いい組織だと思っていたのに」

 そもそも法律違反の秘密結社にコンプラも何もないだろうが。

「そういや聞いてなかった気がするけど、君、なんで騎士団に入ったの?」

「元々は、私の母親が異能者で、騎士団にいたの」

 桐子の母は当初、病気で車椅子生活だった。脚の動かない彼女が偶然巡り会ったのは、何の因果か、《神速撃》の遺産だった。その遺産と適合し異能者となったことで、彼女は脚が動くようになった。

 そういう経緯は、渋谷真里菜に似ているところがある。だから《姫巫女の瞳》の遺産をどう扱うかで迷っていた渋谷にだけは、何かの助けになればと思って、この身の上話のようなことを語った。自分の母親のことだとまでは言わなかったが、慧眼の渋谷のことだから解っているかもしれない。

 異能者となった母親は、特別な異能を持った者として、自身も特別な人間になろうとした。異能者だからこそできること、為すべきことを為す、それが責任だと思っていた。その責務の果たし方として彼女が選んだのは、騎士団の一員として遺産を集めることだった。

「母は私が小さい頃に亡くなったけれど、話は父から色々聞いていた。そういう事情だから、私は割と幼いうちから、遺産のこととか組織のこととか、ある程度知っていたわけ。で、何年かしてから、私は母と同じ異能が使えることに気づいた。母が亡くなった時に零れ落ちた《神速撃》の遺産は、いつの間にか私に同化していたらしいの。異能者であることを自覚した私は騎士団に入った。母が所属していたところだし、理念に賛同したし。遺志を継ぐっていうほど大げさなものではないけれど……」

 桐子は割と重要そうな話を淡々と語ってから、一転、暗澹たる様子で肩を落として呟く。

「だからこそ、ブラック企業だったと知って少なからずショックを受けているわけで……」

「ああ、成程、そりゃショックだ」

 万里は研究所から在処に救われ、救済社に身を置くことになった。期せずして異能者になった人間がそこそこ善玉な組織に入ることになったのは、結構偶然の要素が大きかったわけで、そこだけは運がよかった。そういう点で言うと、桐子の方は若干運が悪かった。

「ということは……割と騎士団は初期の段階から、君のことを女王候補として目を付けていた可能性があるな」

 元々《神速撃》と適合していたのは桐子の母親で、彼女の死後に桐子が適合した。その頃の桐子は物心つく前の幼少期であり、身体的発達は勿論のこと、精神的な成長も何もあったものではない時期の話だ。遺産との適合率が人の精神状態に左右されるという大前提を考えれば、幼児が遺産と適合するのがいかに特異なことか解る。つまり、桐子は先天的に、あらゆる遺産と高い適合率を示す、騎士団が言うところの女王の素質を持っていたというわけだ。

「騎士団が君を女王に据えようとしているのは、どうやら本気らしいな。エイプリルフールのネタならよかったのにな」

「そんなわけないでしょうよ、いま九月よ?」

「だけど、悲観的になるのはまだ早い。話を聞く限り、割とどうにかできる状況だ」

 言った瞬間、桐子があからさまに胡散臭そうに顔を顰める。普段の言動が信用ならないせいで、純粋に励まそうと思っている時まで疑われてしまう。万里は桐子のリアクションを苦々しく思いながら続ける。

「これは俺にしては珍しく冗談じゃなくて本気だからな」

「だって、こっちが本気で悩んでいるのに、そんなさらっとどうにかできるって言われてもねえ」

 桐子が騎士団の命令に従えば、現在の女王の死に伴って遺産が再び逸失することはなくなり、暫くは安泰が続くが、代わりに桐子の未来と自由はここで終了する。高校なんて当然通っている場合じゃない。逆に桐子が騎士団に背けば、折角集めた遺産は再び離散しこれまでの苦労が水泡に帰す公算が高い。桐子が自分の自由と街の平和を天秤にかけて本気で悩むのもむべなるかな。

 だが、万里にしてみれば、そこが桐子の真面目過ぎるところだと思う。これが万里だったら、そもそもその二つを秤にかけて悩みなどしない。「単位が違うものを比べるのが間違っている」とでも言っているところだろう。

「ここはひとつ、俺に任せてみなよ。演劇部は部員不足なんだから、勝手に女王なんかになられちゃうと困るんだよね」

「本当に、何か考えがあるのね」

 万里はいつものように不敵に笑ってみせる。

「鍵を握るのは、俺たちお得意の休戦協定さ」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 伊吹のスマホ画面バキバキになってそう。 簡単にどうにかできると言える万里、でも悲しいかな確かに胡散臭い感じがしてしまう。 でもどうするんだろ。桐子が候補から外れるのはほぼ不可能だし、現女…
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