93モメてばっかりじゃねえか
甘利の尋問は砂川と興梠に任せ、万里は在処、白鷺と共に会議室に部屋を移し、「女王計画」なる怪しげな計画について話を聞いた。
「……というのが、『女王計画』の全容よ」
在処から話を聞いて、万里はひとしきり呆れ果てた。
そもそも遺産を使うべきか否かで在処たちがモメた結果、目録のページは散り、遺産も散り散りになった。とにかく遺産を集めなければならない状況になったが、集めた遺産をどう扱うかで、集める前から相変わらずモメた。その上、集めた遺産をどう保管するかの見通しで大モメした。そうして救済社と騎士団は出来上がった、というのが、あまり面白くもない組織の成り立ちだ。
「モメてばっかりじゃねえか」
そして、大モメの原因である、騎士団のトップの「見通し」というのが、すなわち女王計画。
「女王だなんていうからどんなすごい奴かと思えば、随分とプリミティブなシステムだな」
「どうせ賛同する奴なんていないだろうし、そもそも女王になれる特異体質者がそう簡単に見つかるはずないだろうから、すぐに頓挫すると思っていたのだけれど。甘利の話からすると、現在進行形で女王のシステムが稼働しているらしいわね」
「まあ、女王だか何だか知らないけど、こっちはこれまでどおり遺産を蒐集するだけだし」
「その通りね」
「だけど、ざっと聞いた感じだと、『女王計画』ってだいぶ欠陥がある制度っぽいけど。甘利静祢はなんでそんな計画に賛同したんだ?」
「賛同した、というよりは、ゆくゆくは乗っ取るつもりだったんじゃないの。向こうの女王を握れば、上手いこと遺産を使えると思ったんでしょうよ。まあ、女王の話を聞いたらそう考える奴が出てくるのも当然の結果っていうか」
「甘利の奴、うちのこと裏切って騎士団のスパイになったくせに、最終的には向こうも裏切るつもりだったってことか」
「そんな裏切者にはちゃんと制裁をしないとね。まったく、とんでもない奴が組織に紛れ込んでいたものね。雇ったのは誰? 人事担当に文句を言いたいわ」
「在処だよ」
人事の最終決定権者は困った顔で舌を出す。
「そうそう、万里、あなたも他人事みたいな顔をしているけれどね、それなりの懲罰は覚悟しておきなさいよ。まずは減給、そしてトイレ掃除一か月」
在処は本気とも冗談ともつかないことを言う。万里は肩を竦めて応じる。
「解ってるよ、ただで済むとは思ってない」
「それと、高校のことだけれど」
「ああ、それねえ」
ことこうなっては、今まで通りとはいかない。初心に返って、やはり、どちらかが消えるしかないだろう。とはいえ、また決闘する羽目になったら面倒だな、と万里はやる気のないことをぼんやり思う。
「社長。音速姫の居所が割れているなら、奇襲をかけることは容易いのでは」
白鷺が至極まっとうな提案をする。確かに桐子は、まさか救済社の幹部全員に自分の素性が露見したとは思っていないだろうし、学校というごくごく日常のエリアに秘密結社の連中がこぞって押しかけてくるとは夢にも思わず完全に油断しているだろうから、強襲をかければ割と簡単に討ち取れる。というか、本来なら入学式の日にそうしておくべきだったのだろう、が。
在処は白鷺を一瞥し、それから万里を見遣る。「って言ってるけどどうする?」と言いたげな視線である。万里は一応、遠慮気味に意見を述べる。
「異議を申し立てられる立場じゃないのは解ってますが……俺は彼女と休戦の協定を結んでます。そのおかげで助けられたことも何度か。一方的に約束を反故にして奇襲するのは気分が悪いです」
「碓氷、お前はいつも卑劣なことをしているくせに、こういうときは律儀だな」
「白鷺先輩、なにげに酷くないですか? 俺がいつ卑劣なことをしましたか」
「人の戦利品を横取りすることが卑劣でなければ何だというんだ?」
「うーん……合理主義?」
「万里、諦めなさい。あなたは誰がどう見ても性悪よ」
在処に力強くそう言われてしまえば、万里はもう言い返しようがない。自分で言うのはいいとしても、人から言われると傷つくものである。軽いショックに項垂れる。
「まったく、手のかかる子ね。では、一日だけ猶予をあげます。ああ、もう日付が変わったわね。今日中よ。今日中に、綺麗さっぱり片付けてきなさい」
「恩に着る」
万里は両手を合わせて在処に感謝する。白鷺は呆れたような顔をしていたが、特に咎めてくることはなかった。
微妙なタイミングで桐子との関係がバレたのは拙かったが、猶予が貰えただけで上々だ。やはり勤めるべきはホワイト企業だな、としみじみ思った瞬間である。
とりあえず、現状を桐子に知らせて、今後のことを話し合う必要がある。差し当たって、琴美に奪い取られたままになっているプライベート用のスマホをさっさと取り戻そうと決めて、万里は早足に廊下を歩いていった。
が、結局、桐子には連絡がつかないまま朝になってしまった。
琴美からスマホを取り戻してアパートに戻るや、すぐに桐子に連絡を取ろうとした万里だったが、何度コールしても桐子は出なかった。まあ、深夜なのだから、普通に寝ている時間だろうな、とは思ったものの、しつこくしつこく、それはもう、ストーカー並みにねちっこく繰り返しコールした。しかし、桐子はいっこうに電話に出ず、そのうち万里は寝落ちて、気づいた時には朝だった。
もう登校しなければならない。万里は慌てて支度をして、こうなったら学校で待ち伏せて朝一で話ができればいいだろうと開き直って、部屋を飛び出した。
ここのところ良くないことが続いていたが、今朝に限っては運がよかった。正門を抜けたところで、タイミングよく、前を歩く桐子の後姿を見つけたのだ。
「桐子!」
呼びかけると、桐子が振り返り不思議そうに首を傾げた。
「あら、お礼なら結構よ。それともお礼参り?」
「いや、お礼でもお礼参りでもないから。割と大事な話なんだ、ちょっとこっち」
訝る桐子の手を引いて、万里は内緒話に向いている場所へ向かう。
朝の演劇部室は誰もいなかった。演劇部は朝練がないので、早朝に生徒が部室に来ることは殆どない。放課後には見慣れている部屋だが、日の入り方が違うだけで何となくいつもと違う雰囲気で、別世界に迷い込んだような気分にすらなる。それとも、そう感じるのは、現在の精神状態のせいだろうか。
あまりゆっくりしている時間もない。万里はいつになく焦り早口で説明する。
「実は、俺たちのことがうちの組織にバレたんだ」
「え」
「それでもって、救済社に内通者がいて、そいつが騎士団に情報を流していたみたいで、早い話が、君のところの組織にもたぶんバレた。そういうわけだから、君、今すっごく拙い状況なんだよ」
一息に捲し立てると、桐子は目を見開いて、しかし、万里ほどには狼狽することはなかった。万里としては、彼女の、少々鈍いような反応にもどかしさすら覚えたくらいだ。
「ああ……成程、そういうことね」
桐子は、慌てるどころか、どこか合点がいったような様子で、小さく嘆息した。
「急いで教えてくれたところ悪いけれど、もう知ってるわよ」
「は?」
「既にこってり絞られたあとですから」
そう言って桐子は悄然とする。
「深夜に上司に呼び出されて、何かと思ったら、あなたとひっそり繋がっていたことを追及されて。上手く隠していたつもりだったのに、どこからバレたのかと不思議に思っていたのだけれど。救済社にうちのスパイがいたわけね」
こちらが散々焦っていたというのに、桐子は終始冷静だった。万里の方は拍子抜けしてしまう。
「絞られたって……それだけで済んだのか?」
「それだけなわけないでしょう、お給料はめちゃくちゃに減らされるわよ」
「減給で済むのか」
「ええ。もしかして、拷問だの何だのの、原始的な懲罰を想像していたの? ありえないわよ、うちはホワイト企業ですもの。まあ、心配してくれたことにはお礼を言っておくけれど」
確かに、万里の方も組織からはだいぶ大目に見てもらえたので、ブラック企業であるところの救済社がそうなのだから、騎士団の方も寛大な対応をしてくれたというのはありえない話ではない。そういうものか、と万里はひとまず安心する。
「そうか……そういうことなら、とりあえずよかったよ。俺がへまをしたせいで秘密がバレて、君が打ち首にでもなっていたら寝覚めが悪いし」
「打ち首って……あなた、発想が原始的ね」
桐子は呆れた風に扱き下ろした。
「そういうわけですから、慌て損だったわね。早く教室に戻ったら? 遅刻になるわよ」
桐子が早々に話を切り上げて部室を出て行こうとする。万里はそれについていきかけて、いや待て話はそれで終わりじゃないと思い出して桐子の腕を掴んで制止した。
「いや、とりあえず今までのことは大目に見てもらえたけれどさ、これから先も同じようにってわけにはいかないだろうから、どうしようかって話なんだけど」
「そのことなら……問題ありません」
桐子はさりげなく万里の手を振り払うと、落ち着き払って告げる。
「私、高校辞めるから」
「……何だって?」
聞こえなかったわけではない、どちらかというとこれ以上ないくらいはっきり聞こえたのだが、何かの間違いか面白くない冗談だと思って、万里は訊き返す。
「辞めるって言ったの。まあ、辞めざるを得ないというか。今日だって、これから書類を出しに行くところだったのよ。お給料減らされたせいで、この先学費が払えなくて。仕方がないけれど、こればっかりはどうしようもないわ。そういうわけだから、あなたは気にせず高校に通えるわけ」
桐子は苦笑交じりに言い訳っぽく話す。未練がないわけではないが、一通りの納得はしているという表情をする桐子に向かって、どう返事をするべきか、万里は思案する。
そうかそれじゃ仕方がないな。そう笑って流しても良かったのだけれど。
万里は、たぶんものすごく損な性格をしているな、と自分自身を評価する。思えば、春先の高校残留を懸けた決闘も、放っておけば楽に済むところを、放っておけないせいで話をややこしくして、休戦協定なんぞを結ぶ羽目になった。
破ってしまえばいいような約束を破れず、見捨ててしまえばいいような相手を見捨てられない。万里は数秒迷った挙句、自嘲気味の溜息をつく。
「あのさ、あんまりこういうこと言いたくないんだけどね」
そう前置きしてからぴしゃりと告げる。
「君、壊滅的に嘘が下手」
桐子の表情から作り笑いがすっと消えた。
★★★
五十嵐伊吹は一年D組の教室とは別の方向へ廊下を進んでいた。一限目の授業が始まる前に行っておきたい場所があったのだ。
昨日、家に帰ってから気づいたことだが、どこかにスマホを置き忘れてしまったようなのだ。一晩くらい手元にスマホがなくても困りはしないが、流石にずっとは放っておけない。いざというときの連絡手段に困るし、中には個人情報がわんさと入っているわけで。置き忘れた場所には幸い、すぐに思い当たった。邪な人間が拾って中を覗くなどということはないだろうが、やはり早いうちに見つけておきたいので、授業が始まる前にと、心当たりの場所に向かうことにした次第だ。
欠伸を噛み殺しつつ、若干眠気が残ってぼんやりした状態で静まり返った廊下を歩き、目的の場所に辿り着く。
「ここにあると思うんだよなぁ……」
一人呟きながら、伊吹は演劇部室の扉を開けた。
さして広くない部室の床で、万里が桐子を押し倒しているのが目に入った。
「……」
一気に目が冴えて、伊吹はふっと溜息をついて、何事もなかったかのように扉を閉じた。直後に中から悲鳴のような叫び声が飛んできた。
「待て、伊吹! 閉じるな! 扉をそっと閉じるな!」
「五十嵐君落ち着いて話をしましょう! 今何かものすごい誤解があった気がするの!」
中でどったんばったんと騒々しく物音が聞こえてくるのをスルーし、伊吹は部室に背を向ける。
「どこに行っちゃったのかなぁ、俺のスマホ……」
結局スマホは演劇部室に置き忘れてあったのだが、それを伊吹が発見するのは放課後の部活で再び部屋を訪れるときまで待つことになった。




