63先月買ったばかりの
以前会った時と変わらない、戦場には似合わない穏やかな笑みと、見ているほうが暑苦しくなりそうなスーツ姿で、行平槐は立っていた。ストーカーのごとく追いかけてきたのか、たまたま自分もドリームパークで遊んでいたところだったのかは知らないが、どちらにしても、今、こうしてこちらの行く手を阻むように仁王立ちしているということは、戦うつもりということなのだろう。
まったく、自分は夏休みも満足に謳歌できない運命なのだろうかと、万里は嘆息する。もっとも、夏休みであるのは学生までで、一般的な社会人は八月だろうと通常営業だから、行平相手に夏休みがどうのと文句を言っても仕方がないのかもしれない。とはいえ、破壊庁の人間を一般的な社会人として括ることには若干の抵抗があるのだが。
行平は偶然会った友達に声をかけるくらいの気安さで話しかけてくる。
「どうにかまた君と会えないかと思っていたら、願いというのは強く思えば叶うらしい、こうして案外早く再会できた。余計な邪魔が入ったせいで不完全燃焼で終わってしまった君との戦いを、今度こそ心行くまで楽しみたくて、うずうずしていたんだ」
「俺は全っ然楽しみにしてなかったよ。というか、当初と目的がズレてないか。破壊庁の目的は俺の遺産の破壊だろ。いつの間に『楽しく戦う』に変わったわけ? どこの戦闘狂?」
「まあ、私は下っ端だからね、上層部ほど社訓に忠実じゃないよ。破壊庁の目的は遺産の破壊、そこに私の個人的な趣味が合わさった結果、楽しく戦った上で遺産を破壊する、ということになる」
「さらっとそっちが勝つ前提で話を進めないでくれる?」
「実際、邪魔さえ入らなければ私が勝っていたと思うけれどね」
痛いところをついてくれるじゃないか。万里はあくまで余裕があるように不敵に笑ってみせていたが、そこで初めて頬を引き攣らせた。
「さて、今日こそは、誰にも邪魔をされずに戦ろうじゃないか」
「邪魔されずにって、こんな人の多いところでドンパチ始めるアホがどこに……」
呆れた調子で言い返すのを遮るように、周りの景色が一変する。
円形広場をぐるりと囲むように、青い光の壁が立ち上った。青い壁は広場の外の景色を完全に見えなくしてしまう。
壁の内外の行き来を封じる異能だろうか。詳細は不明だが、これは行平の吸収の異能《死の抱擁》の力とは考えにくい。別の異能を操る人間がこの場にいるのだ。
そう思い当たった瞬間、背後で何かがぶつかる音と、小さな悲鳴。振り返ると、すぐ後ろにいたはずの桐子の姿がない。何者かの攻撃で吹き飛ばされたのだ。青い光の壁際まで追いやられていて、傍には吹き飛ばした張本人と見られる人影が佇んでいる。もう一人の敵は後ろ姿しか見えないが、長い髪からして女性だろうか。
「よそ見はそれくらいにしてもらおうかな」
行平にせっつかれて、万里は自分の敵に向き直る。桐子のことも気にならないではないが、まあ、桐子は敵であることだし、まずは自分のほうに集中しなければ。いつも適当な調子で仕事を片付ける万里だが、残念ながら行平は、手を抜いて勝てる相手ではない。
《武器庫》から散弾銃を抜いて照準。対する行平のほうは丸腰だが、この男の場合は両手こそが一番厄介な武器である。油断はならない。あの手に捕まると面倒だ。下手を打つ前に、迅速に決着をつけよう。
もう前回と同じ轍は踏むまい――万里は仇敵を睨む。
戦闘開始だ。
★★★
青い光の壁によって外部から隔離された、その直後、頭上から影が落ちてきた。
万里に言わせると「想定外のことに弱い」らしい桐子は、突然上から降ってきたもう一人の敵への反応が遅れた。気づいた時には髪の長い女が目の前に着地していて、咄嗟に警棒を引き抜いて応戦しようとしたが、なぜか手が動かなかった。まごついている間に蹴り飛ばされ、桐子は壁際まで吹き飛ばされてしまった。
腹を思い切り蹴り飛ばされた痛みで顔を顰めひとしきり咳き込んでから立ち上がる。しかし、困ったことに、立ち上がるのにすら難儀する始末で、それもそのはず、いつの間にやら、桐子の両腕は胴にぴたりとくっつく形で拘束されている。
「何よ、これ」
人は歩くときに、足だけで歩くわけではない。自然と手を振る動作をしていることからも、それは明らかだ。立ち上がる時だって、床に手をつかずに足だけで頑張れと言われても苦労するのは間違いない。桐子を拘束するのは両腕ごと体をぐるりと縛り付ける黒い輪っかだった。それがいくつも重なって巻き付いていて、輪投げの的にされたような酷い有様になっている。
ありきたりな縄ではないし、いったいどういう物質なのか、見ただけではさっぱり解らない。ただ、やたらと頑丈で、力任せに引きちぎることができないことは、早々に確認した。手首から先はかろうじて曲げ伸ばしできるが、そんなところだけ僅かに動かせても何かの足しになるとは思えない。
青い壁も、黒い拘束具も、間違いなく異能の産物だろうと考えていると、先刻思い切り吹き飛ばしてくれた腹立たしい敵が桐子の前まで歩いてくる。白いブラウスはボタンを一番上までしめ、黒いタイトスカートから伸びるすらりとした足は同じく黒のストッキングに包まれている。ピンヒールをカツンと鳴らし、指先で眼鏡をくいっと上げる仕草は、「女史」という言葉がこの上なく似合うように思われる。
鋭い視線をくれる女に対抗するようにガンを飛ばし、桐子は問う。
「この意味不明な拘束はあなたの仕業ね」
女はにこりともせずに答える。
「そう。私は《道化師の円舞》の保持者。円環を自在に操ることができる」
円環を操るって何だそれは。やたらと応用の利きそうな能力に桐子はあからさまに顔を顰める。
つまり、円環の形状をしていれば、結界だろうと拘束だろうと、なんでもござれということか。ということは、おそらく蹴り飛ばされる直前、敵が上から降ってきたときに、黒い輪っかを嵌められたということなのだろう。初っ端から不覚を取ってしまったものだと、桐子は舌打ちをする。
「あなたも破壊庁の人間?」
「ええ。破壊庁所属、初瀬御世」
「なんで破壊庁の連中が遊園地で遊んでるのよ」
「遊んでないわ、仕事よ。遺産保持者を物色していたの。そうしたら、あなたたちを見つけた。本当は、私は結界を張るだけの仕事のはずだったのだけれど、思いがけず異能者が二人もいたものだから、あなたのお相手は私がするわ。それにしても、運が悪いわね、あなたたち」
「どういう意味かしら」
「行平槐は、若干、いえ、かなり性格に難があるけれど」
味方にも言われるようでは、行平の性格には相当問題があるようだ。
「だけど、強いのは確かよ。行平は、お相手の彼とは初対面じゃないのでしょう? 手の内を知られている状態で行平を相手にしたら、勝てるわけがないわ」
「あら、手の内が知れているのはお互い様でしょう」
「行平の異能は、割れたところで簡単に対処できるものではないわ。そしてあなたも、私には勝てない。私の《円舞》の拘束からは逃れられない。動くことさえままならない状態で、満足に戦えるわけないものね」
「お生憎様。私のメインアームは脚ですから」
言うや否や、桐子は地面を蹴り飛び上がる。両手を拘束して攻撃を封じたつもりかもしれないが、桐子を封じるためにはそれでは不十分だ。腕だけで満足して脚を拘束しなかった詰めの甘さを、せいぜい呪ってもらおうではないか。
初瀬の顔の高さまで軽々と飛ぶと、側頭めがけて右足を振り抜いた。
しかし、手ごたえゼロ、ヒットの直前で初瀬は身を屈めて回避した。
敵の反応が速い。拘束のせいでいつもと感覚が違って動きづらく自身のスピードが落ちていることは否定できない。しかし、それにしても掠りもしないというのは悔しい話だ。結界を張るだけのつもりだったとは言っていたが、それは戦闘要員ではないという意味ではないらしい。強気な発言をするだけあって、成程、戦い慣れしているようだ。
初撃が空振った桐子は、気を取り直して、着地と同時にすかさず流れるように身を回転させて足払いを仕掛ける。しかしこれはバックステップで距離を取られてまたしても躱された。
舌打ち交じりに立ち上がると、初瀬が攻勢に出るところだった。指をくるりと動かして宙に円を描く。何もないところに描かれた透明な円は、遺産の力によって具現化する。手のひらより少し大きいくらいの銀色の円環が創造され、そしてそれは一つでは終わらず、二つ、三つと作り出された。初瀬はそれらを掴み取り立て続けに投擲した。
遺産によって、何もない場所から生成されたのは円月輪――チャクラムだ。やたらと武器を持っている万里でさえも使わないような、どちらかというとマイナー気味の武器を、初瀬はやすやすと使いこなしていた。おそらくこれが初瀬の主な攻撃手段なのだろう。彼女が操れる円環に類する武器は、まあ確かに円月輪くらいかもしれない。
飛来する刃を、桐子は二つまでを紙一重で躱し、最後の一枚は危険を承知でわざと当たりに行った。位置を調整し、丁度自分を拘束する黒い円環にぶつかるようにしたのだ。これで拘束が破壊できれば御の字と思ったのだが、話はそう簡単にはいかず、甲高い金属音とともに円月輪は弾かれ、拘束具のほうは傷一つついていない。
やはり拘束を外すには初瀬を倒すしかないか。桐子は拘束を外すことをきっぱり諦め、不自由な状態ながらも初瀬をぶっ飛ばす作戦にシフトした。
膝を曲げて、ほんの一秒のタメ。直後、砲弾の如く飛び出す。手が使えればラリアットを食らわせるところだが、今回は単純に当身である。渾身のスピードを乗せて初瀬にぶつかっていく。
「ぐっ……」
小さく呻き初瀬はビリヤードもかくやという調子で吹っ飛んだ。蹴り飛ばされたお返しである。
初瀬はきっちり受け身を取って素早く体勢を立て直した。桐子のほうも二撃目を打ち出すべく再び力を溜める。と、急に足元がぐらついて、桐子はバランスを崩す。危うく転ぶところだったが、何とか持ちこたえる。下を見ると、桐子の両足はくるぶしのあたりまで、地面に埋まっていた。地面がその部分だけ沼みたいになってずぶずぶと沈んだのだ。桐子の足元を囲むように円が描かれ、円の内側がアスファルトから別の物に変容してしまっている。
こんな細工を描き込む暇などなかったはずだ。いったいいつの間に、と疑問に思うが、その答えにはすぐに思い当たった。初瀬が履いている、およそ戦闘には不向きそうなピンヒールは、地面に円を描くためだけの物に違いない。
手が使えないだけでも大きなハンディだというのに、ここへ来て足まで地面に嵌って動けなくなってしまった。無論、この機を逃さず初瀬は再び円月輪を擲った。回転する刃はまず桐子の二の腕を抉り、次に脇腹を切り裂いた。
「これでトドメ」
初瀬が得物を投げる。そのままいけば顔面に突き刺さりそうなコースだ。回避しないと拙い。桐子の首筋を冷や汗が伝った。
足は相変わらず地面に嵌って動けない――否、桐子は直撃の寸前、かろうじて跳躍し、初瀬の円月輪を避けた。初瀬はわずかに驚いたように目を見開く。動けるはずがないのに、とでも言いたいのだろう。
桐子は初瀬の異能で変質した円の範囲を避けて、ちゃんとした地面に素足で着地する。お気に入りのサマーブーツは黒い穴に嵌って抜くに抜けなかった。仕方なく、ブーツは泣く泣く置き去りにして足だけ抜き出して跳んだのだ。
桐子の機嫌は最悪だった。こんな気分は、入学式の前日以来だろう。初瀬御世、この女は許すまいと、桐子は不機嫌全開で言い放つ。
「私が先月買ったばかりの二万円のブーツを駄目にした罪は重いわよ」
桐子は頻繁に二万円のブーツを買うので、彼女の履物を狙う奴はもれなく逆鱗に触れることになる。




