62私のせいじゃないからね
軽めの昼食を済ませたあと、午後にどこに行くか検討した末、伊吹が提案を出した。
「そういえばさ、夏休み期間限定のイベントって、あったよな。あれ、面白そうじゃないか」
伊吹は入口でもらったパンフレットを引っ張り出し、テーブルの上に広げて該当のページを開く。「八月限定・ドリームクイズラリー」とポップな文字で書かれていた。
イベントの概要は、地図を頼りに園内に散らばったクイズを探し出し解いて回るというもの。参加者はまず特設ブースでクイズラリー専用カードと地図を入手する。地図には問題の隠し場所が星マークで記されているので、それを元に問題の場所に行く。クイズの内容は、参加対象年齢が小学生以上となっていることから、子供から大人まで誰でも解けるようなものだと思われる。クイズの答えをカードに書き込み、最初のブースに提出、全問正解すると、ドリームパークオリジナルの記念品がもらえるというものだ。
ドリームパーク全域を探検気分で歩くことができ、行列の出来ているアトラクションの順番待ちをしなくても十分楽しめるという寸法だ。ちなみに、親子や恋人同士での参加も想定してか、カード一枚で記念品は二つまでもらえる。
桐子は「限定」とか「今だけ」とかいう言葉にとても弱い。それが特に日常生活では役に立たないような缶バッチやらスマホ用待ち受けやら全然中が見えなくてクリアじゃないクリアファイルやらでも、なんとなく欲しくなってしまう。限定品がもらえる探検、というのはとても心惹かれるワードだった。
「ドリームパークのマスコットキャラって結構可愛いよね。あのキャラのグッズとかもらえたら嬉しいかも」
パンフレットの表紙に描かれたイラストを眺めながら言うのは雪音である。ドリームパークのマスコットキャラは何人かいるのだが、センターを飾る代表キャラクターは、「夢」に引っ掛けているのか、獏をモチーフにした「ばっくん」である。頭と体の下半分が黒、真ん中の胴体部分が白のツートーンカラーで、いつも眠そうな目をしている二足歩行のキャラは、可愛いと思う人と思わない人が半々くらいいるらしいという噂が実しやかに囁かれている。
イベント参加には、四人が四人とも賛成の意を示した。ただ桐子は、心の中で引っかかることがあった。カード一枚で記念品は二つまでOK、という設定だ。ドリームパーク側は、一人プレイはもちろん、友達同士で協力プレイをしても喧嘩にならないように配慮をした結果だろう。しかし桐子はこの設定に嫌な予感を覚えていた。いや、この設定だけなら大丈夫だ。ただここに、「自分たちは四人である」という事実を掛け合わせると恐ろしい化学反応が起きそうな気がしてならないのである。
そして桐子の予感は的中した。伊吹がさも当然のように提案する。
「そうだ、二人一組に分かれて競争しようぜ」
「あっ、面白い。受けて立つよ」
雪音が即座に賛同して、完全にそういう流れになる。もう今更「それはイヤ」とは言いだせない。桐子は腹をくくる。大丈夫、まだ大丈夫、問題なのはここからだ。そう、確率の問題なのだ。
「じゃ、組み合わせは籤引きな」
伊吹は手際よく、メモ帳を破って小さな紙片を四枚用意し、×を二枚、○を二枚に書き込んで裏返し、どれがどれだか解らないように入念にシャッフルする。同じ記号を引いた者同士がペアというわけだ。
桐子はひっそりと、緊張のために唾をごくりと飲み込んでいた。ここが正念場だ。ここで、あたりを引けるかどうかで、午後の運命が決まる。
「みんな、好きなの選んでくれ。選んだか? じゃ、せーの!」
意気揚々とさっそくスタートを切った二人――雪音と伊吹の背中を見送りながら、桐子は溜息をついた。だが、ショックはさほど大きくない。組み分けをするという話になった時から、こんなことになるんじゃないかと嫌な予感はしていたのだ。
「じゃあ、行きましょうか」
桐子は不本意なのを隠しもせずに、隣の万里に抑揚なく声をかける。共に協力プレイをすることになってしまった仇敵は溜息交じりに頷いた。ここぞというときのじゃんけんに弱い男は、ここぞというときの籤引きも弱かった。
協力って何よ、協力って。敵同士なのに。休戦協定を結んでいるとはいえ、学校内ならともかく、夏休み中の完全プライベート中までばったり出くわしてしまったという時点でもうお腹一杯なのに、その上連携プレイを強いられるなんて胃もたれしそうだ。
「仕方がないだろう、籤で決まったものは。まあ、夏休みなんだし、ここは仕事のことは忘れて、普通に楽しむしかないさ」
「つい先刻、目の前で遺産を掻っ攫われてさえなければ、もう少し違ったんでしょうけどねえ」
仕事のことは忘れて、なんて言っている万里こそ、一番仕事を忘れていない。桐子のほうは完全に私怨で諏訪美恋をぶん殴ったのに、万里はちゃっかり仕事モードを一瞬だけオンにして、きっちり遺産を回収したわけだ。そんな奴に「普通に楽しもう」と言われても油断はできないし、どの口がそんなことを言うんだと腹立たしい気分になるし、嫌味の一つも言いたくなる。
「まあまあ。そりゃあ、目の前に遺産が落ちてたんだからしょうがないよ」
「落ちてたんじゃないわよ、私が落とさせたのよ」
「まあまあまあ。そんなことより、今はクイズラリーだよ。競争なんだから、まずは問題探しに行こうぜ」
「はあ、まあ、そうね」
いがみ合っていても進まないので、桐子は「敵同士である」という悪夢的な事実をできる限り頭から追い出して、受け取ったカードと地図に向き合うことにした。
カードの解答欄は五つ、そして地図に記された星マークも五つ。この問題の場所を表す星の位置は、配られた地図によって異なっているらしい。つまり、園内にはたくさんのクイズが隠されていて、そこからいくつかのパターンで五問をピックアップして地図を作っているということだ。そのため、雪音と伊吹が受け取ったものとは解くべき問題そのものが違うので、こっそり彼らの後をついていって答えを盗み見する、などというズルは通用しない仕組みだ。
とりあえず一番近い場所から回ろうということになる。地図上では、カードを受け取った特設ブースから北西方向に、直線距離で二百メートルほど進んだところに星印が打たれている。
歩いていくと、地面が薄い桃色に塗られていたエリアから淡い緑色のエリアに移る。ドリームパークはアトラクションのテーマごとにいくつかの区域に分けられているようだが、そこは撮影スポットとして花壇が配されていたり、「いばら姫の薔薇迷路」なるアトラクションがあったりという具合で、植物や自然がテーマのエリアのようだ。
地図の縮尺の関係で、問題がどこにあるのかは、大雑把な位置までしか解らない。迷路の中などにあったらブーイングが飛ぶところなので、問題の隠し場所は解りやすいところであってほしい。
希望的観測を抱きながら進むと、広場に辿り着いた。丸い広場の中央には時計が立っており、それを大きな円形花壇がぐるりと囲んでいる。円形花壇には工夫があり、真ん中の時計の傍まで歩いて行けるように細い通路が作られている。時計の前に立つと、三百六十度を花に囲まれているように見える状態で写真撮影ができる。つまり円形花壇は、厳密にいうと完全な円ではなく、食べかけのバウムクーヘンみたいな形をしている。
「だいだいこの辺だと思うけど」
「時計のところに何か見えないか」
万里が指す方を目を眇めて見れば、確かに時計の柱に何かがくっついているようだ。二人揃って時計の元まで行く。はたして時計の柱の、子供の目線くらいの高さの位置に、ラミネート加工されたカードが貼り付けてあった。
カードに書かれているクイズを覗き込むと、いくつかの数字と漢字が羅列されている。
『1・8・10 → 骨
8・7・8 → 斧
8・7・11 → 女
14・8 → ?
?に入る漢字は A.沖 B.塩 C.塔 のうちどれか』
クイズのカードは子供でも見つけやすい場所に用意してあり、漢字には子供でも読めるようにとルビが振ってあるなど、丁寧な配慮が感じられる。が、そんな配慮もぶっ飛ぶクイズそのものに、桐子は閉口した。
「……選択肢があるなんて、親切設計ね」
ややあって桐子が棒読み気味に言うと、万里は投げやりに反論する。
「どこが親切設計だよ、子供を最初から躓かせる設計じゃないか」
「……そんなことないわよ、ひらめきが求められる問題だし」
「ひらめきの前提として求められる知識が酷い。小学生は周期表なんか習わないよ」
出題者が深く考えずに作った結果なのか、あるいは深く考えすぎてしまった結果なのか、嫌がらせのようなクイズが出来上がってしまったんだろうな、と思いながら、桐子は解答欄にBと殴り書きした。
数字が原子番号を表していて元素記号に変換すると言葉が出てくるなんて、だいぶハズレなクイズである。ドリームパークのスタッフは謎解きのプロではないわけで、素人が気合と深夜テンションで暗号物を手掛けるとこういうことになる。
「これ、この後の問題が全部この調子だと、思ったより時間がかかるぜ」
「その可能性はあるわね」
「次の場所に行くのに、君の異能を使って時短するとか駄目?」
「駄目に決まってるでしょう。私の異能は不埒な輩を蹴り飛ばすためのものであって、お手軽時短ショートカット用じゃありません」
「まあ、そうだよな」
そもそも、こんな人目のある中で異能なんか使うものではないし。
万里はつまらない冗談を撤回し、真面目にラリーに取り組むべく、次の場所へ向かおうとする。と、その矢先に不意に立ち止まる。桐子が訝しんで見やると、万里は何かに驚いているようだった。
「万里?」
「口は禍の元というか……君が変なこと言ったせいで、本当に出てきちゃったよ、不埒な輩」
万里はまっすぐに前方を見つめて、あからさまに厄介事にぶち当たった顔をしていた。彼の視線を追って、桐子は瞠目する。
花壇の通路を抜けた先に待ち構えるように、一人の男が立っていた。炎天下のドリームパークに完全に不釣り合いな、スーツを着た男。桐子も見知った人物であった。
男は、こちらの心底うんざりした表情とは対照的に、心底嬉しそうな微笑を湛えている。
「これは奇遇だ。案外早い再会だったね。元気だったかな?」
男の名前は、行平槐。災厄のような異能者だ。
夢にも思わなかった遭遇に、何を言うべきか迷った桐子は、とりあえず万里に一言だけ告げておく。
「私のせいじゃないからね」




