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56出典はどこですか

 夏休みも終盤に差し掛かった頃のことだった。

 夜の八時ごろ、自室で勉強を終えた桐子は大きく伸びをした。夏季休業に入る前は山と積み上がっていた課題だが、当初に立てた予定通りに進めたおかげで、休みを数日残して、宿題は全て片が付いた。

 スケジュール帳を開いて、明日の予定を確認する。翌日は騎士団の仕事は入っていない。となれば、家でゆっくりするか、買い物に行くか、友達と遊びに行くか。そう考えていると、折よく雪音から連絡があった。

『明日、水嗚ドリームパーク行こうよ』

 遊びの誘いであった。雪音は七月にもプールに誘ってくれたのだが、その時桐子は丁度腕を骨折していたため泣く泣く断る羽目になった。このとき雪音に伝えた怪我の話が伝言ゲームの過程で尾ひれがついて万里に伝わったというオマケがあるのだが、まあそれについては終わったことである。その時の怪我はとっくに完治していて、日常生活は勿論のこと、不埒な輩を全力でぶん殴っても問題ない状態になっている。

 さて、雪音のいう水嗚ドリームパークは、高校のある舟織市のお隣、水嗚市にある民営の遊園地だ。高校生なら入場料三千円で一日アトラクション乗り放題という良心的な価格設定になっていて、夏休みに遊びに行くにはうってつけの場所である。

 桐子は一も二もなく快諾し、午前十時現地集合と待ち合わせを決める。この夏休みで初めてまともに友人と遊ぶ約束を取り決めた。せっかくの休みの半分ほどを怪我のせいで無駄にしてしまったので、明日は仕事のことは忘れてめいっぱい遊んでやろうと、気分は自然と盛り上がってくる。

 さしあたって何を着て行くか考えなければと、デート前日の女子みたいなことを考えながら、桐子はクローゼットの中を漁り始めた。



 翌、八月二十七日は、爽やかな青に綿菓子みたいな白雲を疎らに散らした、絵に書いたような晴れ模様だった。当然気温はぐんぐん上昇するが、湿度は低めのため、不快な暑さではない。桐子はグレーのワンピースに黒いサマーパーカーを羽織り、全身に日焼け止めを塗りたくって、水嗚ドリームパークに赴いた。

 若干ペンキの剥げた正面ゲートの前まで行くと、まだ約束の十分前だったが、既に雪音が待っていた。桐子に気づいて軽く手を振る雪音は、イエローグリーンの七分袖チュニックにネイビーのアンクルパンツという装い。露出した肌は、夏休みに入る前よりも少し日焼けしているように見える。

「お待たせ、雪音」

「桐子。怪我、もう平気なんだね」

「ええ、すっかり元気。宿題も片付いたし、今日は思いっきり遊ぶつもりだからね」

「オッケー。じゃ、行こうか」

 早速、二人で連れ立って入場口に向かう。

 開場から既に一時間ほどが経っているのだが、入場口には十数人ほどの列ができていた。じりじりと進みながら順番を待っていると、桐子たちの後ろにもすぐに客が並んだ。平日とはいえ夏休みのためか、全国レベルの知名度を誇るレジャー施設ほどではないものの、まずまず盛況のようだ。

「えっ、宿題まだ終わってないのか?」

「いやあ、実はまだ三割ほど……」

「もう夏休み終わるんだけど……遊んでる暇あるのか?」

「いや、いいんだ。今日は遊ぶと決めた。勉強なんかしないという固い決意で!」

 後ろに並んだのは男子二人組のようで、この時期で宿題がまだ終わっていないなどという恐ろしいことを言っている。本当なら、計画性がないなあ、などと内心で上から目線なコメントをして終わりでよいところだったのだが、なんだか聞いたことのある声のような気がして、桐子はちらりと後ろを振り返る。振り返ってしまった。

 後ろに並んでいた二人組を見た瞬間、桐子は笑顔を引き攣らせた。桐子の様子に気づいた雪音がつられて振り返り、「あっ」と声を上げる。

「碓氷君に五十嵐君じゃない。奇遇だねえ」

 雪音の声に反応して、雑談していた二人が顔を上げて、ばっちり目が合った。何の因果か、そこにいたのは同じ演劇部に所属する仲間の万里と伊吹である。伊吹の方は「おお、すげえ偶然!」と興奮してはしゃいでいるが、万里の方は何とも言えない表情になっている。

 ああ、遊びに行った先でも敵と出くわすのか。

 世界が狭くて困ったものだと、桐子は早くも疲労を感じ始めていた。万里も大方同じようなことを考えていそうな顔で、ひっそりと溜息をついていた。


★★★


 なぜ万里が水嗚ドリームパークに来ることになったかと言えば、色々な偶然が重なった結果である。

 まず、思いがけずチケットを手に入れたのが、前日のことである。妹の琴美が二十七日の日付指定チケットを二枚入手していて、勿論彼女は自分で行くつもりだったのだが、それが急遽別の用事が入ったとかで、泣く泣く諦めることにしたのだという。そして、ここで転んでもただでは起きない琴美は、チケットを万里に押しつけてきた。普通、日付指定のチケットで、しかも前日となっては、元値三千円のチケットなど、金券ショップに行ってもたいした金にはならないだろうに、家族間売却なのをいいことに、琴美は定価で売りつけてきた。あくどい商売だ。

 いきなりチケットを、しかも二枚も売りつけられて、万里は処分に困った。一枚は、まあ自分で行けばいいとして、もう一枚だ。何とかしなければ、三千円のチケットがただの紙切れになってしまう。それは勿体ない。利益を得ようとは思わないが、せめて有効活用したい。とはいえ、既に前日の夜中、急に誘って一緒にドリームパークに行ってくれそうな人間が、果たしているだろうか。たいていの人は、既に予定が入っていそうだ。

 そう悩んでいた折に、タイミングを見計らっていたのではないかと錯覚するほど丁度に、伊吹から連絡があった。電話に出ると、なぜか伊吹は疲れ切ったような声を出す。

『実はさ、彼女ができたんだ。一目惚れだった』

 突然、惚気が始まった。唐突な話題だが、喜ばしいことなので素直に祝う気持ちになる。しかし同時に、自分では恋愛相談には乗れないのだが、と万里は不安にも思う。ところが伊吹の話は予想外の方向に転がって行く。

『で、今日別れた』

 思わずむせた。付き合い始めた報告と一緒に別れた話まで聞かされるって、そんなのってあるか? 万里は反応に困って、ひとまず話の成り行きを見守る。

『明日デートのはずだったのに……俺は純情を弄ばれたんだよ。慰めてくれよ……』

「それはいいけど、なんで俺に?」

『他の奴らは、「付き合った」ってだけで恨みがましく言うだろ。慰めてはくれない』

「別れてるのに?」

『非リアってのはそういうもんだ』

 万里もいわゆる非リアには違いないのだが、それでも恨みつらみを言ったりしないで慰めてくれる人徳ある人間だと思われているのなら光栄な話だ。実際には某クラスメイトからことあるごとに「性悪男」と罵られるような人間なのだが。

 話を聞いているうちに、万里は名案とばかりについ言ってしまった。

「じゃ、ぱーっと遊んで全部忘れるってのはどうだ。丁度、水嗚ドリームパークのチケットが二枚あるんだけど」

 ――こんな提案をしたばっかりに、万里はばったり桐子と出くわす羽目になってしまったわけだ。

 たとえば、万里と桐子が二人だけで遭遇してしまったということなら、そのまま方向転換して何事もなかったかのように休みを満喫するところだ。しかし、万里は伊吹と一緒で、桐子は雪音と連れ立っている。事務的な話をする程度のクラスメイトとかではなく、同じ部活の仲間である。そんな間柄の同級生が奇跡的に――万里としては不運にも、だが――出会ってしまったら、そのまま、はいさようなら、とはいかない。その先の展開は、万里には読めてしまったし、おそらく桐子も読めてしまっただろうから、二人とも同じような微妙な表情をしているわけだ。

「すごい偶然だね」

「折角だし、一緒に回ろうか」

 雪音と伊吹はすっかり意気投合して、当然とばかりに提案する。ほらやっぱりこうなった、と万里はひっそりと溜息をついた。


★★★


 世の中にはエアコンという文明の利器が存在する。暑い夏でも快適に過ごせる。不快な汗はかかないし、日焼けすることもない。部屋に閉じこもっていればそれでいいはずだ。そして、狭苦しい六畳間から出なくても、ネットにさえ繋がっていれば沢山の情報を入手できて、それだけでたいていのことは解決する。

 わざわざ外に出る必要などないのだ。それなのに、どうして、炎天下と解っていながら外に出て、あえて汗をかくようなことをしなければならないのだ。

 そんな話をぼそぼそとぼやいたら、ベンチで隣に座る少女は真面目くさった顔で語る。

「汗には老廃物を排出する役目がある。日がな一日エアコンの効いた部屋に閉じこもっていると汗腺の働きが弱って、汗をかきにくくなる。適度に汗をかくことは必要なんだよ」

「それはどこ情報ですか。出典はどこですか」

「今適当に考えたんだよ」

「解りにくい冗談は止してください。よい子は素直に信じ込みますよ」

「どこでよい子が聞いているというんだ」

 当然のように自分は「よい子」にカウントされていないのだな、と紙村叡(カミムラサトシ)は嘆息する。

 紙村は自他ともに認める、ものぐさで風変わりな高校二年生である。美容院に行くのすら面倒くさがっているせいで、適当に伸びっぱなしになった野暮ったい前髪で目元が隠れてしまい、陰気そうにも見える。実際の性格は、陰湿とまでは言わないものの、明朗快活では決してないし、社交的とも言い難い。話しかけられれば無視はしないが、ぽんぽんと会話のキャッチボールが続くかといえばそうでもない。彼がまともにキャッチボールを成立させるのは、隣の少女くらいのものである。

 紙村は自分が変人呼ばわりされているのを知っているが、隣の少女の方だって充分変人だと思っている。しかし彼女の方は持って生まれたカリスマ性と異能力のため、常に腰に刀を佩いているようなおかしな人間なのに誰もツッコミを入れないし、それどころか崇め奉る始末だ。本来なら、この二人は月とすっぽん、いわゆるカーストでは天と地ほども離れていて一緒にいるはずのない人種なのだが、何の因果かこうして一緒に、水嗚ドリームパークになど来てしまっている。ひとえに、紙村が生徒会副会長で、少女――帯刀深雪が生徒会長であるという、その関係性ゆえだ。

 学校に行くのでさえ億劫がって、進級できるぎりぎりの出席日数を計算しようとする紙村が、夏休みともなれば嬉々として部屋に閉じこもるのは明らかだった。それゆえ帯刀は、過保護なことに、わざわざ紙村を外に引っ張り出したというわけだ。余計なことを、と不満に思う紙村だが、基本的に帯刀のいうことには逆らえないので、溜息交じりに外に出てきたのである。

「さて、紙村君。せっかく来たのに、いつまでもベンチに座っているのでは勿体ない。どこから行こうか?」

「とりあえず屋内に避難できればそれでいいです」

「ではジェットコースターに行こうか」

「それ思いっきり屋外な上に一時間待ちの行列できてるところですよね、人の話聞いてますか、会長」


★★★


 月曜日は図書館が休館のため、アルバイトも休みである。そして大学の方も夏休みに入っているため、一日自由な時間となっている。渋谷真里菜は、久しぶりに水嗚ドリームパークを訪れていた。

 読書好きで基本的にインドア派で、暇な時間があれば図書館か書店を巡るような人間の渋谷が、最後にドリームパークに来たのは高校一年生のときなので、約三年ぶりということになる。なぜ急にドリームパークに行こうと思い立ったかと言えば、図書館のアルバイト仲間が水嗚ドリームパークでも掛け持ちでバイトをしており、その伝手で手に入れたペアチケットを譲ってくれたからである。自分で使わないのかと訊いたところ、「仕事先にはプライベートで行かないことにしているから」とのこと。更に「誘う相手もいないしな……」と寂寥感漂う表情で補足もしていた。

 ともあれ、思いがけず手に入れたペアチケット。誰と行こうか迷った末、高校時代から仲良くしている後輩に連絡を取ってみた。現在三年生で、つまりは受験勉強追い込み時期になっている後輩なのだが、渋谷が在学中の桜泉女子大が第一志望で、渋谷は夏休み中、空いている時間に受験対策のアドバイスをしていた。数日前に会った時、受験勉強に疲れ果ててげっそりした顔をして「気分転換がしたい」と唸っていたのを思い出したので、もし都合がよければと誘ってみたところ飛びついてくれたのだ。

 水色のタックスカートに白いシフォンブラウスを合わせた装いで、正面ゲートの前に立って待ち人の姿を探す。渋谷が着いてから遅れること二分ほどで、大きく手を振って走ってくる少女の姿が見えた。

「渋谷先輩、お待たせしましたー!」

 プリントTシャツにカーキのパンツ、そして何より特徴的なのは、今時どこの店に売っているのかと不思議に思われるような、牛乳瓶の底みたいな丸眼鏡。柳沢弓香は今日の青空みたいに晴れ晴れとした笑顔を見せた。

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