54すでにわけが解らない
やれやれ、と行平は肩を竦めてぼやく。
「後からしゃしゃり出てきておいて、真っ先にノックアウトされていたのでは世話がないね、宍塚」
溜息をつきながら、行平は伸びている宍塚のところまで歩いていく。それから大儀そうに宍塚を担ぎ上げると、万里の方に視線をくれる。
「一応、同じ組織の人間だからね、ほっぽり出しておくわけにも行かない。ここは退かせてもらうよ」
桐子も帯刀も、あえて深追いはしないようだった。そこまでする義理はないだろうし、彼女たちにとっては万里がだいぶ荷物になる。荷物を抱えた同士の戦いになるのは避けたいだろう。
「また戦ろう、楽しみにしてるよ」
行平がそう告げた直後、唐突に屋上に白煙が振り撒かれる。万里が使った煙幕は、そういえば行平の手で消されてしまっていたが、それがすっかり忘れかけた頃にリユースされたようだ。
白煙が晴れて視界がクリアになる頃には、屋上には行平たちの姿はなかった。こっそり隠れてこちらが油断するのを狙っている――というわけでもなく、本当に撤退したらしいのを念入りに確認し、万里はようやく息をついた。
九死に一生を得る、というのを肌で感じたのは久しぶりかもしれない。まだ心臓が緊張してばくばくいっている。今回ばかりは駄目かと思った。桐子たちが来ていなかったら、確実にとっ捕まって拷問コースだった。桐子にSOSを求めるのをやめると決めた時、もうそこまで覚悟していた。奇跡的に、それは回避できたわけだが、素敵な偶然、と無邪気に喜んでいる場合ではない。
いったいどういう事情なのか尋ねるべく立ち上がる。
が、その直後に目を回して万里はぶっ倒れた。
★★★
万里が目を覚ましたのは、午後三時を回った頃だった。それまで落ち着かない気分で、彼の覚醒をまだかまだかと待っていた桐子は、ようやく人心地ついた気分だった。
ベッドの上で身じろぎして、万里は何度か瞬きを繰り返した。気だるげな目が桐子を捉えて、しかしおそらく寝惚けているらしく、特に驚きもしないでまた瞼が落ちた。もう少しだけ寝させて、といったところだろう。しかし、数秒の後、異常事態を理解したらしく、万里はベッドから跳ね起きた。
「え、な、桐子? え? ちょっと待って、え、嘘」
いつも人を喰ったみたいな態度の万里がここまで狼狽するのは珍しい。彼が混乱している理由は、桐子には解っていた。桐子自身も、どうしてこうなったのだろうと、少々混乱している。半分くらいは帯刀が悪いのだけれど、と内心ではこの場にいない先輩に責任を擦り付けてみる。
万里の目に映っているのは、見慣れたベッドと、桐子の姿だ。この二つの取り合わせが、もう異常事態だ。万里が恐る恐るといったふうに口を開く。
「ここ、は」
「あなたの部屋」
「……に、君がいる?」
「そう」
受け止めるには少々難のある現実だったらしく、万里は再び目を回しそうになったのか、ベッドに倒れ込んだ。
桐子は近くにあった椅子を勝手に借りて座ったまま、溜息交じりに説明する。
「怪我は大したことがなかったけれど、とにかく衰弱していたから、休ませる必要があったのよ。けれど、適当な場所もないでしょう。病院に担ぎ込むにも説明が難しいし、私の部屋には入れたくないし。困っていたら、たいとー先輩が、『じゃあ碓氷君のアパートでいいじゃない』って軽い調子で言うものだから、余計に困ってしまったわ」
「知ってたのか、あの人」
「生徒の自宅は全部把握してるんですって」
万里が苦々しい顔をする。
「他にあてもなかったし……というか、あなた、やっぱりあの時寝惚けていたのね。私が『鍵が開かないですよ』って言ったら、あなたは自分で鞄から鍵を出したのよ」
「……記憶にない」
「もう仕方がないからここまで連れてきてベッドに放り出して。たいとー先輩は先に帰っちゃうし、あなたはなかなか起きないし」
「起きるまで待っててくれたのか」
「放置して私まで帰るわけにはいかないでしょうよ。だって、わけが解らないでしょう?」
「解らない。すでにわけが解らない」
万里はげんなりした様子で前髪を掻き上げ溜息をつく。
「……桐子、どうしてあの場所に?」
「大雑把にまとめると、たいとー先輩が、あのビルであなたが死にかけてるって教えてくれたからよ。元をただせば副会長の異能らしいけど、私も詳しくは知らないから。会長は何でも知っている、ってだけ解ればいいんじゃないかしら」
「まあ、あの人は本当に何でも知ってそうだけど。いや、そういう話じゃないんだ。どうして場所が解ったかを訊いてるんじゃない」
「どうして助けたか?」
桐子が代わりに言ってやると、万里の方は神妙に頷いてみせる。
「だって、敵だし。助ける義理はないはずだし」
「でも、クラスメイトだもの。死なれたら寝覚めが悪いじゃない」
助けを求められたら、笑いながら見捨てる――なんて、帯刀の前では冗談で口にはしてみたけれど、本気でそんなことができるわけもなく。帯刀は「やっぱり心配だよねえ」と言うし、桐子もヤバい状況を九割方聞いてしまった後で聞かなかったことにするわけにもいかず、結局、帯刀と一緒に駆けつけることになったわけだ。
今回はたまたまタイミングよく副会長に異能を使ってもらったから事態を把握できたものの、いつもこう上手くいくとは限らないわけで、桐子は苦言を呈さずにはいられない。
「あなた、クラス一緒だし部活も一緒なんだから、スマホに私の連絡先入っているはずよね。さっさと呼びなさいよ、馬鹿じゃないの?」
「馬鹿って」
万里が心外そうな顔をする。
「……いや、だって、呼べないだろ、常識的に。先月、仕事がらみで思いっきり喧嘩したよね? あの別れ方で、電話できると思う?」
「ああ、あれ……」
桐子は後回しにしていた用件に思いがけず切り込まれたので目を逸らす。そのまま巧妙に目を合わせないまま、呟くような声で言う。
「あれ、言いすぎました。忘れてちょうだい」
謝るのはなんとなく癪に障るので、それで誤魔化そうとする。万里は怪訝そうに眉を顰める。
「そういえば、両腕骨折の重傷を負ったって聞いてたんだけど」
そんな情報を流した覚えはないので、今度は桐子の方が眉を寄せる。
「それ、どこ情報?」
「伊吹に聞いた。伊吹は、芦屋から聞いたらしいけれど」
「伝言ゲームの罠ね。骨折っていってもさほど深刻なものじゃなかったし、もうほとんど治ってるわよ。さっき、思いっきり敵をぶん殴ったの、見ていたでしょう」
そう言った途端、万里が微かに安堵したような表情を見せる。もしかして、重傷だと思って気にしていたのだろうか。確かに、万里の撃った弾にも原因の一端はあるけれど。敵なんだから助ける義理はないはずだなんて強がって言うくせに、敵に重傷を負わせたことは律儀に気にかけるのか。
性悪男のくせに、悪に染まりきらないというか、とんだお人よしな面があったものだ。桐子はくすりと小さく笑みを漏らす。まあ、助けてやっておいてよかったかな、と思わなくもない。
とはいえ、やはり必要以上に慣れ合うつもりはないので、桐子は気を引き締める。
「いいこと? 今回のことは特別よ? たいとー先輩に頼まれちゃったし、クラスメイトのよしみで恩を売っただけで、次は助けませんよ。あと、貸したぶんはきっちり返していただきますからね」
「はいはい、解ってるよ。ちゃんと返すよ、借り十」
万里は苦笑気味に言った。
クラスメイトのよしみ、というていで部屋まで上り込んでしまっていることを気にしたのか、万里がお茶くらい出すという。とはいえ、病み上がり――こういう状態をはたして本当に病み上がりと言うのかは微妙だが――の人間を扱き使うのも気が引けた。万里が相手なら、遠慮など要るまいと、じゃあ勝手に淹れさせてもらう、と桐子は自分で台所の戸棚を漁り始めた。
「キッチンラックの上の籠に、緑茶のティーバッグがあったと思うけど」
「あー……あった」
「それとついでに、冷蔵庫に入ってるドリンク剤の瓶、取ってくれない?」
「種類あるけど。緑と青と金のラベル」
「全部」
「……一日一本が目安って書いてあるけど」
雑な体力回復法に呆れながらも、桐子は要求通り、栄養ドリンクの瓶をありったけ取ってやる。桐子は個人的には「さほど美味しくない飲み物」だと思っているので、それを三本立てつづけに水のように一気に飲み干す万里を見て、思わず苦い顔になる。
戸棚から適当に目についたマグカップを借りて緑茶を啜りながら、桐子は問う。
「それにしても、らしくなく、苦戦したようじゃない」
「何だよ、結局、仕事の話をするのかよ」
「あくまで敵から情報を毟り取っているだけよ、何か問題でも?」
「まあ、いいけど、借り一、返したことにするからな」
ちまちまと返済が始まったな、と他人事のように思いながら、桐子はその条件で了承し、情報提供を促した。
「白衣の男は破壊庁の人間で、宍塚春樹と名乗っていた。《悪魔の手》の異能者で、不可視の手を使って攻撃する……んだけど、まあこいつは、たいとー会長と君とで瞬殺しちゃったから、詳しくはいいよな」
「そうね」
「もう一人の方は、行平槐。同じく破壊庁所属の異能者。能力は《死の抱擁》……触れたものを吸収する」
「あなたが下手を打ったのは行平槐の方ね」
「そう。捕まって、力を根こそぎ奪われた」
桐子は首を傾げる。
「苦戦する要素、あります? 捕まる前に蹴り飛ばせばいいでしょうに」
「音速機動を標準に考えないでもらえる?」
万里が若干イラついたように顔を引き攣らせた。
「君ならそれでいいだろうけど、俺には無理。何か策を考えないと、次に遭遇したら普通に詰む」
「一応、ここまで来る間、尾行には気をつけておいたから、根城は嗅ぎつけられていないとは思うけれど」
「流石に抜かりがないな」
「まあ、とりあえず回復するまで部屋で大人しくしていなさいよ。あ、私は邪魔が入らない間に遺産の回収の仕事をしますけど」
「くっ」
万里が悔しそうに歯噛みする。
その時、部屋の玄関戸がガチャリと音を立てた。誰かがノックもインターホンもナシにドアを開けようとしたのだ。一気に緊張が走り、桐子と万里は目を見合わせる。
まさか、万里が弱っている隙にと、敵が強襲をかけてきたのだろうか。尾行はなかったはずなのに。
桐子は咄嗟に警棒を引き抜く。警戒しながら扉に向かおうとすると、ベッドから飛び起きた万里がそれを制して前に出る。手には拳銃を握りしめている。
ごくりと喉が鳴る。息を殺し、扉の向こうにいる人間が立てる音を、情報を、少しでも拾おうと耳を澄ませる。
すると、扉越しに声が響いてきた。
「お兄? いるんでしょ、開けなさいよ!」
桐子は目を瞬かせる。敵ではなく、万里の身内らしい。ならば安心かと思って隣を窺うと、なぜか万里は顔を真っ青にしていた。




