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47心配だなぁ

 外に出るなり眩しい陽光が肌を焼き、万里は早くも引き返したくなってしまった。しかし、一度引き受けてしまった以上はなかったことにはできないので、浮かない足取りで歩を進める。ほんの数分歩いただけで、じわりと汗が滲んでくる。なぜわざわざ炎天下の日に妹の使い走りでタルトを買いに行かなければならないのだろう、と万里は頭痛を覚える。

 だいたい、この暑い日に、クリームがたっぷり乗ったタルトを食べたがることが、万里にはまず理解できない感覚だった。アイスとかゼリーとかならまだ解る。だが、タルト。元々甘いものがさほど得意ではないのだが、それを差し引いても、夏場にクリームというのは、考えただけで胸焼けしそうだった。

 そういうわけだから、万里のモチベーションは最初からどん底だった。今は義務感で足を引きずっているが、この上何かマイナス要素が重なったら、もう全部投げ出してアパートに取って返して惰眠を貪りたくなってしまうかもしれない。頼むから何事もなく終わってくれ、何も起こるな、と祈願しながら歩道を進んだ。

 車通りの穏やかな道を、舟織駅の方に向かって進んでいくと、くすんだ赤い色の建物が見えてきた。昔はもっと派手でどぎつい赤だったのだろうが、経年劣化で土と埃をかぶったような赤になった四角い建物は、十年以上前から愛されてきたというゲームセンターである。外観はともかく、中のゲームは新しいらしく、舟織一高生も時々利用しているというのを、クラスで誰かが話しているのを聞いたような気がする。

 前を通りかかると、数人の少年が店の前に自転車を停めたところだった。店の入口に向かおうとしていた集団の一人が不意に万里に気づいて手を挙げた。

「おう、碓氷じゃん。奇遇だな!」

 声を掛けてきたのは、同じ部活の伊吹だった。夏休み中は演劇部の活動がないので、彼に会うのは終業式――厳密には終業式ではないのだが――以来である。更によく見ると、伊吹と一緒にいるのは、万里と同じクラスの久世主税と湊颯である。どういう繋がりか聞けば、全員同じ中学だったのだという。

「丁度良かった。碓氷、クレーンゲームは得意か?」

「は?」

 唐突に訊かれて万里は首を傾げる。説明は、一見するとゲーセンには絶対に行かなそうな優等生フェイスの湊がしてくれた。

「久世がこないだ、たまたま寄ったここのゲーセンで、妹へのプレゼントに丁度いいぬいぐるみを見つけたらしいんだけど、ド下手くそで取れなかったっていうから。まあ、三人寄ればって奴?」

「久世は相変わらず妹思いだな」

「碓氷、どっか行くところだった?」

「いや、妹から買い物を頼まれたんだけど、急ぎじゃないし」

「じゃ、手貸してくれないか」

「ああ、いいよ」

「助かるよ」

 琴美に頼まれたタルトは、急いで行かなくても、そんなにすぐに売り切れるようなものではないはずだ。少しくらい寄り道しても罰は当たるまい。万里は急遽予定を変更し、クレーンゲーム大会に参戦することにした。

 久世が先頭切って店に入って行き、「計算は任せろ。操作は誰か頼む」と適材適所を提案しながら湊が続く。その後ろに、伊吹と並んでついていくと、彼は思い出したように言う。

「ところでさ、碓氷。上原のこと、聞いたか?」

 不意打ちで桐子の名前が出てきて、万里はどきりとする。桐子とは少し前に、仕事とはいえ、少々、というか盛大に、気がかりな別れ方をしてそれっきりになっている。もっとも、そういう諸々の事情は勿論伊吹には内緒のことなので、内心の動揺などおくびにも出さずに万里は応じた。

「何かあったのか」

「いや、俺も芦屋からたまたま聞いたんだけど。なんでも、夏休みに入ってすぐ大怪我をしたって。両腕骨折とか言ってたっけかな」

「……」

 ここで万里の思考は高速回転を始める。

 夏休みに入ってすぐに、ということは、《姫巫女の瞳》を巡る一件のことで間違いない。その時に、両腕を骨折? まさか、自分が撃った弾がとどめを刺したのだろうか。それとも、銃撃で負傷したところに、あの場にいた三人の敵に追い打ちを掛けられて苦戦したとか。どちらにしても、万里の行動が桐子の怪我の原因の一端であることは間違いない。

 そんな大怪我になっているとは夢にも思わなかった万里は俄かに焦る。敵であることは間違いないし、仕事で会ったら容赦なく叩きのめしてよしという協定なので、誤ったことをしたわけではない。とはいえ、今回に関しては、別に無駄に対立する必要などなかったのに、思い込みと勘違いで必要以上に桐子を追い詰めた感がある。

 大学構内で遺産保持者と交戦している桐子を見た万里は当然に、彼女が渋谷の遺産を回収しようとしているものだと考えた。渋谷を守ろうとしているなどという可能性は一ミリも考えず、「一般人からも問答無用で遺産を徴収する非人道的で鬼のような女」と見なして、話も聞かずに攻撃した。しかしその後、渋谷から事情を聞いたところによると、その認識は完全に誤解だったことになる。

 どうせ桐子のことだから多少怪我をしたところでぴんぴんしてるだろうと思って高をくくっていたが、夏休み中にもかかわらず部活の仲間にまで話が伝播するほどの怪我となると、罪悪感を覚えないでもない。

 ――実際の桐子の怪我はさほど重傷ではなく、伊吹の話には典型的な伝言ゲームトラップによる歪曲が多分に含まれているのだが、現時点の万里には気づきようがない。

 早いとこ謝っておいた方がいいのか? 万里は自問する。しかし、敵が怪我をしたからといって、いちいち謝る馬鹿がいるか、とすぐに否定する。だいたい、いつでもどこでも問答無用で遺産を回収する騎士団の一員のくせに、どうして今回に限って遺産を守ろうとするんだ。そんなの予想できるはずがないじゃないか、と更に自己正当化を図る。

 とはいえ、万が一夏休み明けもまだ怪我が治らず、腕を吊ったまま登校などして来ようものなら、いくら公私混同しない約束とはいえ、気まずすぎてまともに会話できる自信がない。謝るべきか否か、悶々と考える。

 しかし、ここで冷静に考えてみる。怪我というなら、万里の方もいつも桐子によって痛い目に遭っている。当然それについて謝罪されたことはないし、桐子は人の顔に青タンを作っておきながら何食わぬ顔で登校してくることもままあったわけだ。どう考えても、こちらが謝る謂れはない。たとえ、攻撃を仕掛けるに至った動機に少々の誤解と早とちりがあったとしても、謝罪する必要ははない。というか、寧ろそっちから謝って来い。

 ――と、ここまでの結論に至るまで、僅か〇.五秒。

「知らなかったよ。心配だなぁ」

 万里は気づかれない程度に棒読みになりながらしれっと応える。桐子の怪我のことも、妹のおつかいのことも、ありとあらゆる面倒な問題をいったん保留にし、万里は伊吹たちと共にクレーンゲームに挑む。




 クレーンゲームとは本当に商品が獲得できる仕様になっているのか非常に疑問だ、と万里はまじめくさった顔でクレーマーみたいな主張を口に出しかけたが、喉元でどうにか抑え込んだ。

 入店当初、ガラスケースの中にはうさぎのぬいぐるみがふてぶてしい顔で鎮座していた。一時間経った現在、うさぎは未だガラスを一枚隔てた向こう側で、ふてぶてしい顔で寝ている。アームが何度か掠ったせいで横転しただけで、「PRIZE OUT」と書かれた取り出し口との距離が縮まったようには見えない。

 久世が用意してきた軍資金は底をつきかけていた。最初こそ威勢のよかった久世は財布が軽くなるたびに徐々に顔を絶望で染めていった。戦力になれなかった万里は恥じ入るばかりである。

「計算に間違いはないはずなんだけどなあ」

 釈然としない様子でぶつぶつと呟くのは頭脳労働担当の湊である。目的のうさぎは明らかに非力なアームでは掴むことのできなそうな代物で、獲得するにはうさぎについたタグの輪っかにピンポイントでアームを通すしかない、というのが湊の見立てである。作戦の方針はおそらく間違っていない。ただ、理論上で正しいことと、その理論を実践できる技術があるかは別問題。やり方に見当がつくだけで誰でも実行できるのでは、ゲームセンターは大赤字である。

 ただ、現状は久世の大赤字状態なので、万里は渋い顔で提案する。

「今更なんだけど、これさ、普通に店で買った方が早くない?」

 その質問を予想していたらしく、すかさず答えたのは湊だ。

「それは僕も真っ先に考えたんだけど。調べたら、このうさぎはゲームでしか手に入らない限定モデルらしいよ」

「この際、限定モデルにこだわるのは諦めるというのは」

「嫌だ、俺はこのうさぎがいいんだ。だいたい、ここまで課金して今更諦められるか!」

 久世はどうやら引くに引けなくなっているようだ。かくなる上は、取るまで帰れないくらいのつもりで勝負をかけるしかあるまい。自分の無力さに打ちひしがれてさっきからすっかり静かになってしまった伊吹を横目に、万里は財布を片手に再度うさぎに挑む。

 硬貨を筐体に投入――の寸前、突如視界が暗くなる。

 天井の照明から目の前できらびやかに輝いていたゲームのライトまで、ありとあらゆる光が消え去って、店内に闇が下りてきた。停電だ、と気づいたのは数秒してからのことだった。

 店の入口の硝子戸越しに外の光が微かに差し込むため、完全な暗闇というわけではないものの、突然の停電に店内がざわつく。最近は自宅にいる時でさえ滅多に停電になることはないのに、出先で停電に遭うとは思わなかった。それにしても、一時間ほど前に店に入った時は、外は晴れだったのだが、今はどこかで落雷があるような天気に変わっているのだろうか、と万里は不思議に思う。しかし外から差してくる光からすると、悪天候になっているとは考えにくいのだが。

「なかなか復旧しないなあ」

 いつの間にか復活していた伊吹が呟く。それから数分、下手に動かずじっと様子を見守っていたのだが、やがてザザッ、とノイズが聞こえたかと思うと、拡声器を通した声が店内に響いた。

『えー、御来店中のお客様にご連絡いたします。現在起きている停電は、電気系統の故障によるものです。ついては、点検と復旧作業のため、本日は閉店とさせていただきます』

 そんなぁぁ、と悲鳴のような声が響く。暗くてよく見えないものの、久世が強制的に試合終了を告げられて絶望のどん底に叩き落されたのが万里には解った。

 ぞろぞろと店の外に追い出され、日の下に出て、まず万里たちは慰めるように久世の肩に手を置いた。予想通りの久世の失意の表情には涙を禁じ得なかった。

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