34振り返ったら刺します
「あなたが黒幕だったってわけね――神栖先生」
そこにいたのは生物教師の神栖だった。
中肉中背で、若干そばかすの目立つ顔をした神栖は、三十代後半くらいの男性教諭。万里は神栖の授業を受けたことがなく、廊下ですれ違ったことがあるかすら怪しく、当然ながら言葉を交わしたことはない。はっきり言って「誰?」と言いたい気分だ。それがいきなり黒幕として登場してきたものだから、万里は内心で疑問符を浮かべまくる。こんなにいきなり、よく解らない相手が「私が犯人です」と登場するなんて、推理小説だったら怒るところだ。まあ、異能だのなんだのが出てきている時点で、推理も何もないわけだけれど。
桐子は淡々と解説する。
「決定的な証拠があったわけじゃないけれど、妙な点がいくつかあったわ。《幻想映写機》の騒ぎの時、当直の先生は職員室にいなかった。真っ先に被害に遭って暴走を始めたにしては、校舎を走り回った時にも見かけなかった。私は部活の延長申請で生徒会室に行った時に聞いたけれど、あの日、当直は神栖先生だったそうよ」
そう言われて、万里は思い出したくもない悪夢のような月曜日のことを渋々回想してみる。確かに、おかしくなった生徒は大量に見たが、教師の姿は見なかった。それは単なる偶然ではなく、教師が一人だけ安全圏に隠れていたということだったというのか。
「それと今日、私が《魂魄分離》のせいで倒れた時のことを、養護の尾藤先生に聞いたわ。たまたま近くを通りかかった神栖先生が保健室まで運んでくれたって」
安西も確か、通りかかった教師が桐子を運んだと言っていた。万里はそれを特に怪しいとは思わず、その教師が誰だったのかまでは訊かなかった。だが、もし教師が通りかかったのが偶然ではなく、遺産の発動の瞬間を目にするために近くに潜んでいたのだとしたら。桐子の話では、遺産の問題が起きたのは部室棟の写真部室の前。ほぼ物置と化している部室棟に、部員の安西ならともかく、教師がたまたま通りかかるというのは、怪しいとまでは言わないが、疑いを抱く切欠にはなる状況だ。
「全部憶測の範疇で証拠がないから、適当につついてぼろを出させようかと考えていたけれど、そちらから正体を明かしてくれるとはね」
神栖は教師らしからぬ邪悪な笑みを浮かべる。
「君たちがこそこそとしているから、これはもう隠しきれないと思って先手を打つことにしたのさ。やはり、君たち二人とも勘付いていたんだね」
どうにも神栖は万里を買い被っているようだった。勝手に隠しきれないと思って自分から姿を出してきたことは、万里にとっては僥倖以外の何物でもない。
「こんな狭い学校の中で暗躍しててばれないとでも思ったのか」
神栖のことはまったく意図しておらず別の人間を黒幕として指摘しようとしていましたとは口が裂けても言えないので、万里はとりあえず得意な顔をして尻馬に乗ることにした。
「あなたの目的は何? 手に入れた遺産をただの高校生に使わせて暴走させて、事件が起きるのを眺めるのがそんなに面白いかしら」
桐子が嫌悪感を露わに問いただすと、神栖は鼻息荒く高説を垂れる。
「そりゃあ面白いさ。高校生は多感なお年頃だ。色々な悩みを抱えていて、ちょっとしたことで酷く傷ついたり、かと思えばつまらないことで大喜びしたりする。この感情の振れ幅は、大人では滅多に見られないね。遺産は人間の強い感情に引き寄せられるという説があるが、成程、確かに思春期の子供たちは大人に比べて、面白い現象を観測できる。何も知らない高校生でも、遺産に触れれば思いがけず使いこなせてしまったり、暴走によって予想以上の力を引き出したり、遺産の持つ闇に呑み込まれてしまったり、色々なことが起きうる。そういうデータは、多ければ多いほど、遺産の能力を把握する手掛かりになる。要は、ちょっとした実験だ」
「解りやすくくそったれな動機だな。おかげで教師をぶっ飛ばすことにも何の罪悪感も覚えない」
最低最悪なことを考えつく脳天に、まずは人の文化祭を掻きまわしてくれたお礼に一発お見舞いしてやろうと、万里は迷いなく照準する。
二対一という不利なはずの状況下で、しかし神栖は余裕たっぷりに笑う。
「残念だが、君たちに勝ち目はない」
神栖は徐に、ぱちんと指を弾いて軽快な音を響かせた。
その瞬間、桐子の着ていたセーラー服が焼け飛んだ。
「ひゃあっ!?」
桐子の冷静さが崩れ去るのは一瞬だった。衣服が突然吹っ飛び燃え尽き塵になり、ギリギリ靴と下着だけ残された状態で、冷静でいられる方がおかしい。普段の彼女からは考えつかないほど可愛らしい悲鳴を上げて顔を真っ赤にして蹲ってしまった。
そして万里の方も、肌色の面積の広さは目に毒で、とりあえず顔を背けた。勢いをつけすぎたせいで首を少々痛めてしまった。そんなヘマをやらかすほど、想定外の事態であった。
努めて冷静になろうと、万里はのぼせ気味の頭で分析する。おそらく起きた現象はテニスボールの時と同様で「爆発」だ。桐子の体に大きな怪我はなく、神栖は服だけを爆発で焼け飛ばしたらしい。邪魔な桐子を相手に加減をする必要があるとも思えないから、爆発の威力をどれだけ高められるかには、何らかの条件があるのかもしれない。
なんにしても、単なる迷惑以外の何物でもない攻撃だが、桐子を黙らせるという点においては効果覿面である。
「万里、見ないでね。振り返ったら刺しますからね」
「解った、解ったから、俺の背中に殺気を向けるのはやめろ。とりあえずこれ着て」
応急処置として万里は《武器庫》から自分の学生服を取り出して放り投げる。桐子がいそいそと制服を羽織るのが衣擦れの音で解った。流石にこの状況下で「敵の情けは受けない」などと言う余裕はなかったらしい。
「何なの、人のことひん剥いて面白いの!?」
桐子が半狂乱になりながら叫ぶ。
「まさか。君みたいな貧相な体の女の子を全裸に剥いたところで何も面白くない」
桐子から放たれる殺気が増したようだが、神栖は気にも留めずに続ける。
「別に君を羞恥で悶えさせるためにやったわけじゃない。今のはデモンストレーションだ、僕の遺産の力を解りやすく示すためのね」
「言われなくても察しはついてる、爆発の能力だろう」
「本当に理解しているかな?」
神栖が右手を掲げ、その薬指に嵌めている指輪を見せつける。石座に赤い石のついたその指輪が、どうやら遺産のようだ。
「僕の遺産《踊る爆弾》は、触れたものを自由に爆破できる能力を持っているのさ」
神栖は桐子を保健室に運んだ。その時、彼女の制服に触れている。だから能力で爆発させることができた。
だとしたら――この学校内に、教師である神栖が触れたことのある「爆弾予備軍」はいったいどれだけあるというのか。
万里は神栖の言葉の意味を正確に理解する。頭が一瞬で冷えた。
「あなた、曲がりなりにも教師のくせに、どういう神経してるの」
桐子もまた理解したようで、羞恥に染まっていた顔は、今や青ざめている。愕然とした様子で声を震わせていた。
この学校には無数の爆弾が散らばっている。誰もそうとは気づけない爆弾がそこらじゅうにあるのだ。そして神栖はそれを任意に爆破可能。今は放課後とはいえ、まだ一定数の生徒が校内に残っている。爆発が起きたら、近くにいた生徒はどうなる? どこで何が爆発するか解らない状況では、いかに桐子の脚が速くても助けに行くのは間に合わない。神栖は生徒たちを人質に取っているのだ。
「言っただろう、君たちに勝ち目はないって。さあ、武器を捨てるんだ」
生徒が危険に晒されている現状を打破するには、神栖が自由に爆破能力を使えないようにする必要がある――すなわち、彼の手から遺産を奪い取るか、彼をノックアウトするかしかない。そのどちらにしても、遺産の能力による無差別爆破より先んじるのは難しい。万里は《武器庫》の中の手持ちの武器を片端から順に検討するが、神栖が指を鳴らすだけで爆発を起こせるなら――否、そのアクションですら単なるパフォーマンスで絶対条件ではなく、実際にはもっと迅速に爆破できる可能性もある――遺産の発動よりも早く一瞬で制圧できそうな得物はない。
自分で無理なら、残る選択肢は限られている。万里はさっと桐子と視線を交わす。桐子は厳しい表情を見せ、目線で訴えてくる。
『できなくはないと思うけれど、危険だわ』
桐子の異能ならば文字通り一瞬で敵を蹴り倒せるだろう。問題は桐子の一瞬と神栖の一瞬、どちらが早いかだ。桐子の場合、全力を出すと相手に致命傷を与えかねないくらいの強力な異能ゆえに、出力をセーブしている。加減をしている分、敵の遺産の発動の方が先んじる危険性がある。
最終的には賭けに出るとしても、今はその機ではない。まずは隙を窺うべきだろう。
「……オーケー、言うとおりにしよう」
万里は銃を放り出す。万里の場合、武器はいつでも出せるから特段の問題はない。ひとまずは、素直に従うふりだけしておく。桐子も小さく頷いて警棒を下に置く。
神栖は満悦の様子で嗤う。
「さて、正体を知る君たちは邪魔でしかない。さすがにここで始末しては騒ぎになる。どこか人気のない場所に放り出して、そうだな、受験勉強に嫌気がさして失踪したことにでもしようか」
「一年生が六月で既に受験勉強に嫌気がさすってどういう状況だよ。ザル設定め」
「それもそうか。ではどうしようか」
主導権を握っている立場で余裕があるのか、神栖は呑気に失踪のシナリオを練り始める。こちらはすったもんだの末に高校生活を手に入れたのに、僅か二か月で失踪させられてたまるか、と万里は焦る。
とにかく、神栖の決定的な隙を見つける必要がある。今の神栖は、油断しているように見えて、その実警戒を怠っていない。起爆スイッチに指をかけた状態だ。爆破どころではないくらいに動揺してもらわないと、こちらから仕掛けることができない。
決定的なチャンスが欲しい。何かないのか、と万里は縋るように状況を観察する。
ピンポンパンポーン。
――唐突に鳴り響いたアナウンス音。
舟織一高は校舎内だけでなく校舎外にも、グラウンドや体育館などのいたるところにスピーカーが設置されているため、敷地内のどこにいても校内放送を聞き逃すことはないようになっている。とはいえ、一年を通して校内放送が使われるのは避難訓練の時くらいしかないと思っていた。
予期していなかった音に、三人の意識が放送に集中する。いったい何事だと次の言葉を待っている。
ザザッ、とノイズが入り、次いで女性の声でアナウンスが響いた。
『緊急連絡。体育館内で火災が発生。生徒は速やかに避難してください。繰り返します。体育館内で火災が発生。生徒は速やかに避難してください。
なお、出火元近くの体育館一階から二階までの階段は崩落の危険性があります。体育館の二階以上に取り残されている生徒がいる場合は、屋上に上がり救助を待ってください』
この放送に、神栖は先程までの余裕が嘘のように狼狽した。
「火災だと? よりによってこんなときに!」
動揺も無理からぬことだ。万里と桐子は上がって来た時と同様、その気になれば階段など使わなくとも跳んで逃げられるが、超常的な身体能力があるわけではない神栖にそんな芸当はできない。階段を使って急いで逃げるか、大人しくここで救助を待つかの二択だ。だが、出火元が近く崩落の可能性があると言われているところに飛び込む度胸はないし、かといって大人しく屋上で待っていて、万が一他の人間が避難して来たら、この奇妙な状況は説明のしようがない。屋上には銃だの警棒だの転がっていて、なぜか生徒のうちの一人は半裸。授業でも部活でも接点のない教師と生徒の三人組は、文化祭も終わった放課後にこんなところで、そんな格好でいったい何をしているんだという話だ。
無論、現時点で体育館を使用している生徒は原則としていないはずだ。しかし、何事にも例外がある。文化祭の後片付けがまだ終わらずに残っている生徒や、大会が近くてこっそり練習をしていた運動部員がいないとも限らない。
逃げるべきか、留まるべきか――神栖の表情に迷いが見えた。
今だ――万里がそう判断したのと同時に、桐子が音もなく動いた。
《神速撃》で神栖に肉薄するや、右脚で急所を蹴り抜いた。たぶんセクハラに対する復讐心が含まれている。想定外の火災に集中を乱され、備えていなかったところに来た金的蹴りだ、神栖は同情したくなるほど顔を歪めて悶絶する。まあ、実際には同情なんかしてやらないけれど、と万里は溜飲を下げた。
声も出せずに倒れる神栖に対して、桐子は容赦がなく、指からさっと指輪を抜き取るや、あとはもう用がないとばかりに、追い打ちで教師を蹴り飛ばした。
「遺産確保」
桐子は遺産を手に入れた割には全く嬉しくなさそうな顔で呟く。
「《踊る爆弾》……危険すぎるわ。異論はないわね、万里」
桐子の言葉の意味を理解し、万里は肩を竦めて応じる。
「ないよ」
同意を示すと、桐子は指輪を地面に無造作に落とす。ちりん、と弾む指輪の上に、烈しく踵が落とされた。《神速撃》により放たれた蹴撃は、小さな指輪を木端微塵に砕き割った。赤い石は飴玉を落としたみたいに粉々になり、接着剤でも再起不能なほどだ。もっとも、砕けてしまった時点で、接着剤でくっつけたところで能力は失われたままだが。
危険な能力を持つ遺産を、桐子は回収ではなく破壊することを選んだ。万里の方も異議はない。奇跡の力を便利に使うために遺産を回収している救済社としては、破壊しか生まない遺産は使い所がない。下手にどこかの組織に掌握されるよりは誰も使えないようにした方がいい。加えて、万が一にも、そこで伸びている神栖に奪い返されでもしたら、危機的状況に逆戻りだ。災いの芽は摘んでおくに越したことはない。
とはいえ、桐子の方から提案してくるのは、万里にとっては意外なことだった。騎士団は遺産と見るや何でもかんでも蒐集している組織だと思っていたが、少しは融通が利くらしいというのは、小さな発見だ。
しかし、散々引っ掻き回してくれた黒幕を倒せたのはいいが、戦利品がないとは、まったく今日は酷い一日だった。万里は悄然と溜息をついた。




