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32一生のうちに一度は

 文化祭中はどこもかしこも賑やかだ。湊が着信に気づかずにスルーしてしまったら手掛かりがここで途切れてしまうことになる。万里は懸念を抱えながらコールするが、そんな心配は杞憂に終わり、湊はきっちりコール二回で電話に出た。

『碓氷、どうかした?』

「実は、店番をしていた時のことを訊きたいんだ。最初に来て、カメラを引き当てていった客、どんな奴だったか覚えてるかな」

『カメラって、例の、久世が狙ってた奴か』

 電話の向こうで、湊が唸る。

『一高生だったけど、知らない男子だったなあ』

 知らない相手にもかかわらず一高生だと判断できるのは、制服を着ているからだろう。舟織一高の男子夏服は、どこにでもありふれた黒のスラックスにワイシャツのセットだが、近隣高校のそれとは襟につけた校章などの細部で区別できる。

『身長は、割と小柄で、百六十くらいだったかなあ。上靴の色からして、二年生で。眼鏡かけてて、ガチャ回したのは左手だったから左利きだろ。で、右側に泣きぼくろ』

「よく覚えてるな」

 自分から聞いておいてなんだが、湊があまりにも仔細に覚えているので万里は感心する。

『最初に来た客だから、逃すまいと思ってじろじろ見たから』

 学級委員の熱心さには素直に恐れ入る。

 湊の声が漏れ聞こえたらしく、帯刀がぴくりと眉を上げて呟く。

「その特徴に該当する生徒なら、写真部に在籍している。名前は安西裕也(アンザイユウヤ)

「湊、助かった」

『何だかよく解んないけど、役に立ったならよかったよ』

 有能な学級委員に礼を言って通話を終えると、万里は帯刀に向き直る。

「今はシフトに入っている頃かな」

 なぜ一生徒の、同じ所属でも何でもない部活のシフトまで把握しているのかという至極まっとうな疑問を抱く。が、それを差し挟む前に、帯刀は残酷な事実を告げた。

「ちなみに、写真部の出展場所は四階ホールだよ」

「くそ、遠いな!」

 思わず悪態をついてしまってから、万里はカーテンを乱暴に引いて駆け出す。尾藤教諭の怪訝そうな視線に見送られて保健室を飛び出すと、階段へと急いだ。

 体力には自信があるので、四階までの階段を走ったところで疲れることなどないのだが、階が上がるごとに生徒やら来場客やらで階段がごみごみして、それなりに時間がかかる。桐子みたいにひとっ跳びとはいかないのだ。普段なら多少の階段に苛立ちなどしないのだが、現在の状況は、桐子の体のことと演劇部の公演のこと、二つの懸案事項が重なっているせいで、事態は一分一秒を争っている。その状況下では、たかが階段一つ上るのにももどかしさを感じる。誰だ写真部の展示スペースを四階にしたのは、と言っても無駄な文句を漏らしたくなる。

 やたらと長く感じた階段を上りきり、四階に辿り着く。時間帯が混雑ピークに差し掛かっているのか、廊下にはいっそう来場客が溢れている。舌打ちしたくなるのを堪えて、人混みを掻き分けていく。

 ようやく目的地に着いた時には、開演まで十分を切っていた。

 写真部はホールにスペースを獲得し、書道部や華道部などとホールを折半して写真展を開いていた。写真が展示されたパネルがいくつか並び、その手前に受付がある。受付の机の上に手作りらしいパンフレットが置いてあり、店番中だった女子生徒は万里が近づくやすぐさま笑顔を浮かべて、パンフレットを勧めてくる。万里はそれを固辞して尋ねる。

「すみません、人を探しに来たんです。二年の安西先輩って、いますか」

「安西君なら、パソコンの方にいますよ」

 女子生徒が奥のほうを示す。写真が展示されたパネルが立ち並ぶ中、その奥にテーブルが設置されていて、パソコンとプリンターが置いてある。気に入った写真があれば、その場で印刷してポストカードを作成・販売してくれるらしい。

 今、そのパソコンの前には眼鏡の男子生徒が座っている。泣きぼくろがあって、パソコンのマウスは左手で使っている。

 万里は大股で安西に近づいていく。もしも彼が予想通り遺産を手にしていたとして、どういう行動に出るだろうか。無関係な女子部員や他の来場客の目がある中、いきなり襲いかかってくるということもないだろうが、実際に桐子が文化祭の最中に被害に遭っていることを鑑みれば、警戒を怠ることはできない。いざというときは即座に《武器庫》を発動できるよう、心づもりをしておく。

「安西先輩」

 目の前に立って声をかけると、安西は弾かれたように顔を上げる。見知らぬ後輩に名前を呼ばれたことで不審そうな表情を浮かべている。

「今朝、一年生の女子生徒が倒れて保健室に運ばれたんですが、心当たり、ありますよね」

 直球でぶつけると、途端に安西は表情を変える。青くなる、という言葉がぴったりくるくらい、あからさまに顔色が変わった。やはり彼で間違いない。憶測に憶測を重ねた綱渡りでここまで来たが、どうやら賭けには勝ったらしい。

「やっぱり、遺産を……」

「ごめんなさい!!」

 突然安西が立ち上がり、万里を遮って叫んだ。攻撃や逃亡は想定していたが、謝罪の言葉が飛び出してくることは想定していなかったので、万里は大量の疑問符を浮かべる。

「知らない女の子が僕を追いかけて声をかけてきた時、驚いて、はずみで持ってたカメラのシャッターを切っちゃって……フラッシュが光ったと思ったら、どういうわけかその女の子が急に倒れちゃって。たまたま通りかかった先生が保健室に運んでくれて、心配ないとは言ってくれたけど、僕、ずっと気になってたんだ。タイミング的に僕のせいなのか、けど、フラッシュが眩しいからって倒れるわけもないし……」

 安西はおどおどとした調子で言い募る。これが素なのか、それとも演技なのか、万里は逡巡する。これが油断させるための演技だとしたら迫真だ。

 だが、よくよく考えれば、この遺産は安西がわざわざ持ち込んだのではなく、文化祭中にバザーで手に入れたもの。つまり彼が遺産を手に入れたのはガチャによる単なる偶然であるという大前提がある。遺産がたまたま手に入れたものである以上、意図的に桐子を襲ったと考えるよりは、運悪く暴走させてしまったと考える方が自然だろう。

 万里は溜息交じりに告げる。

「実は、先輩が手に入れたカメラですが、あれは……ええと、そう、フラッシュの光が人体に有害な不良品です。返金しますので、カメラは返してもらえませんか」

 たった今考えたでまかせを適当に口にする。言いながら、人が倒れるほどの有害なフラッシュって何だよ、と内心では無理のある説明に自分でツッコミを入れている。

 しかし、目の前で倒れた女子生徒の方がよほど気になって緊張していたのか、安西はすんなりと信用してくれた。

「そういうことだったんだ。解った、せっかく格好いいカメラだと思ったけど、不良品じゃ仕方がない」

 安西は足元の鞄を漁って、問題のカメラを取り出す。万里は財布から百円玉を三枚取って、カメラを受け取る代わりに安西に渡した。こんなに低価格で遺産を手に入れたことは未だかつてない。

 それから安西は思い出したように尋ねてくる。

「あ、それから、今朝の女の子とは、友達なんだよね」

「え? あー、まあ、はい、そうです」

 桐子の関係は一言で言い表すには複雑すぎるもので、尋ねられた瞬間、万里の脳裏には様々な葛藤が駆け巡ったが、最終的にはそれらをざっくり無視して、安西の問いに肯定で返した。

「ついでと言ったらなんだけど、これを返しておいてくれないかな。偶然撮れちゃったやつだけど、捨てるのもどうかと思って取っておいたんだ」

 差し出されたのは一枚の写真だ。安西が声をかけられたはずみで偶然撮影してしまったもので、桐子の姿が写っている。《魂魄分離》で撮られた写真には魂が焼きつけられる――すなわち、写真に写っているのは体から抜き取られた魂であり、桐子を助けるために必要不可欠なものだ。うっかり捨てられていたらまた話がややこしくなるところだった。

 万里は壊れ物を扱うような手つきで写真を受け取る。手に入れるべきものはすべて入手した。

「すみません、お騒がせしました」

 あとは写真――桐子の魂を彼女の体に返すだけだ。混雑する廊下を見遣り、解りきっていたことなのだが、万里は思わず口に出す。

「保健室か……遠いな!」



 ぼやきながら保健室にとんぼ返りすると、尾藤はデスクで仕事をしていたが、帯刀は姿を消していた。まあ、敵か味方か解らない正体不明の生徒会長に居座られていても話がややこしくなるだけのような気がするので、いなくていいのだが。

「あら、上原さんならまだ寝ているわよ」

「大丈夫です、叩き起こします」

 尾藤に宣言すると、万里は桐子の眠るベッドの脇に立ってカーテンを閉めた。

 安西から回収してきた写真を桐子の胸の上に翳す。

 すると、写真からゆっくりと光の粒が溢れ、それはやがて桐子の体に吸い込まれていく。光が桐子の中に移っていくと、万里の手に残った写真には、先程まで写っていたはずの桐子の姿だけが消え、背景だけが焼きついたまま残っていた。

 やるべきことはやった。ただ、魂が抜き取られてからかなり時間が経過していることが気がかりだ。桐子の頑丈さに懸けるしかないわけだが、あまり悠長に待ってやれる余裕はない。十秒待って起きないようなら宣言通り叩き起こすしかない、と万里は無情なことを考える。

 心の中でカウントダウンを始めようとしたとき、不穏な気配を感じたせいなのか、桐子の瞼がぴくりと震えた。

「桐子」

 名前を呼ぶと、桐子はゆっくりと瞼を持ち上げる。ぼんやりとした様子で何度か瞬きを繰り返し、やがて万里を視界に捉えたようで怪訝そうに眉を寄せた。

「……万里?」

 桐子が純粋に友人なら、彼女の目覚めを心の底から喜びハグでもしたいところだ。だが、残念ながら桐子との関係性はそう単純ではなく、更に現在はそんな時間的余裕もないため、万里は諸々のステップをかっ飛ばして端的に告げる。

「説明は後回しにして、大事な事実だけ伝える。開演三分前だ」

 桐子の理解は早かった。泡を食った表情でベッドから飛び起きた。いろいろと訊きたいこともあるだろうが、それらをまるっと呑み込んで、彼女はとにかく体育館に走ることを優先した。桐子のスタートダッシュに、万里も続いて走り出す。再び訝しむ尾藤に見送られることになったが、頓着しないことにした。

 奇跡的に開演一分前に体育館に辿り着き、舞台袖の控室に飛び込むと、既に着替えを終えた部員たちに出迎えられた。

「上原ちゃん、遅いじゃないですか。もう始まっちゃいますよー」

「おー、碓氷、お迎えお疲れさん」

「一生のうちに一度は言ってみたい台詞をここで言うね。四十秒で支度して」

 三者三様の台詞に迎えられ、桐子はぺこぺこと謝る。桐子の方は当然かなり泡を食っているわけだが、待たされていた方の三人は想像していたよりも落ち着いている。まったく動じていないといっても過言ではない冷静ぶりだ。タイムリミットとの戦いで肝を冷やした万里としては訊かずにはいられない。

「待たせておいて言うのもなんだけど、あんまり慌ててないな」

 すると、修道服姿の雪音が腰に剣を佩きながら、シスターというより騎士か何かの方が似合いそうな男前なことを言う。

「だって、碓氷君が大丈夫だって言ったから。信じて待つだけだもの、慌てないでしょ」

 そんなことを言われたら、何が何でも成功させなければならないではないか。

「さあ、開演ですよ」

 弓香の号令の後、開演を知らせるブザーが鳴る。万里はゆっくり舞台へと歩き出した。

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