27時間厳守でお願いします
準備が前日までにきっちり終わったのは奇跡に近い、と万里は思う。
演劇部の準備は、夜の居残り準備やりたさに、部長の弓香が適度にサボってあえて仕事を残しておいた。その仕事量は、文化祭までの五日間、全員が参加し、適度におしゃべりしながら、それなりの量をこなしたとき、ぴったり前日に完了する具合に調整されていた。つまり、予定外のことが起きた瞬間、弓香が計画したスケジュールは崩壊する設定になっている。
そして、初日にいきなりその予定外が起きた。文化祭準備に追われていた生徒たちが例外なく「頑張りすぎて疲れ果てて廊下で雑魚寝し始める」という前代未聞の出来事により、準備は一時ストップした。生徒が目を覚ました後も、なぜかいつの間にか荒れている教室や、なぜか外れている視聴覚室の扉など、いろいろと原状回復が必要な事態が発生していて、そちらの収拾に追われてしまった。準備にあてるはずだった時間がかなり削られてしまったのだ。
その分、火曜日からの作業量が増え、演劇部員たちは半狂乱になりながら準備に追われた。そして金曜日、なんとかぎりぎり、明日の公演を迎えられる状態まで漕ぎ付けたのである。
ここから得られる教訓は一つ。何事もぎりぎりでは駄目なのだ。予定外のアクシデントが起きた時にも余裕を持って対応できるように、日々少しずつ準備を進めるべきであって。
などと、部室に全員が揃っているのを好機と、解散前に万里が苦言を呈そうとしたところ、先手を打って弓香が言う。
「やっぱり日ごろの行いがいいと、多少のアクシデントがあってもなんとかなるようになってるんですね。みんなも、日々善行を積みましょう!」
徳は積むけど準備はしない、それが弓香のスタンスらしく、変える気はないらしい。こうしてこの文化祭前ギリギリ準備週間は演劇部の伝統として来年も引き継いでいかれるのか、と万里はげんなりとした気分になる。
「ま、終わりよければすべてよしっすよね。つっても、本番は明日っすけど」
ノリとテンションだけはいい伊吹が弓香に賛同を示し、今日までの疲労などなかったかのように、明日の公演に意欲を示す。
「初めての文化祭で、初めての演劇かぁ、楽しみだなー」
雪音は今日配付された文化祭のしおりをぱらぱらをめくり、明日どこを見て回るか考えているようだ。
「桐子、明日どこ行こうか」
「そうね、製菓部には行きたいな、加藤ちゃんと宮橋ちゃんがスノウボールが自信作だって言ってたわ」
「あ、それ絶対行こう。あとは、せっかくエキストラで参加したんだから、映画研究部の鑑賞会も、時間が合えば行きたいな」
「そういや、映研の部長、文化祭直前だってのに、急に辞めちまったらしいよな」
伊吹が思い出したように言い、同級生である弓香に何か知らないかと訊く。弓香は困ったように首を傾げる。
「映研の溝口君とはクラスが違うから、あまり話は聞かないんだけど……でも噂によると、後任の監督に経験積ませるのと、あとは受験勉強がヤバくなったから、通例より早めに引退することにしたとか」
「映研の映画会って、監督の挨拶とかもあるらしいけど、明日の挨拶にも、もう新監督が出るらしいね」
女子は噂に詳しいようで、雪音も掴んできた情報を披露する。伊吹は不思議そうに頷いていて、桐子も尻馬に乗るようにいかにも不思議そうに頷いていた。
正直なところを言えば、溝口の引退は、万里と桐子にとっては不思議なことではない。万里は先日の騒ぎの結末を桐子から教えてもらったが、遺産を使って事件を起こしたのは映研の溝口で、彼はその後、遺産と、桐子の殺人的パンチの記憶を消すために、一時的に騎士団に身柄を拘束された。その処理の影響で、溝口は体調を崩して現在は自宅で療養に入った。
そしてここから先は、桐子も知らない、万里が知る裏の事実。溝口は体調を崩してはいたが、文化祭までには復帰するつもりでいた。しかし、自宅で療養する溝口の元に、とある人物がわざわざ訪問し、有無を言わせぬ迫力で退部を勧告した。
その人物とは、帯刀深雪である。
なぜそんな裏事情を万里が知っているかと言えば、昨日のうちに溝口の急な引退の話を聞いて、裏を知っていそうな帯刀に聞きに行ったら、彼女が正直にそう白状したからである。
『彼は部長に相応しくない。学校に籍を置かせてあげるだけでも、慈悲深い対応だろう。ああ、ちなみに今の話はオフレコで頼むよ』
出来の悪い部下をさらりと切り捨てる悪役みたいな台詞を、帯刀は真顔で吐いていた。彼女は万里の正体に気づいている節がある。だが、決定的なことは口にしない。直接的に危害を加えてくる様子は今のところなく、掌の上で踊らされているような気分だ。あからさまにクロっぽい女だが、その正体も真意もまだ掴めない。喧嘩を売るには時期尚早な感があるから、万里はひとまず様子見を決め込んでいる。帯刀に対する数々の疑念については、桐子にも話していない。まあ、桐子は別に仲間ではないので、律儀に教えてやる義理はないわけだし。
「じゃあ、明日の予定の再確認ですが」
弓香が文化祭のしおりのページを開き、体育館ステージ発表のプログラムを指し示す。
「演劇部の枠は一時半から二時までの三十分。着替えとか、最終打ち合わせもあるから、一時には体育館の控室に集合。時間厳守でお願いします」
それから弓香はちゃっかり自分のクラスの出し物の宣伝をして、解散となった。
★★★
六月九日、土曜日。天気は予報通りの晴れで、例年通り、他校の高校生、進学希望の中学生たちや近隣住民たちで、大勢の客入りが予想された。
万里は教室のベランダで欄干に凭れて正門前の様子を窺う。実行委員によって作られたカラフルなアーチ、その前には開場前から人だかりができている。
あと十分で開場、というところになって、教室の中から声をかけられた。
「碓氷、そろそろ昇降口行こうぜ」
窓を開けて呼びかけてくるのは、クラスメイトの久世主税である。弱小サッカー部に入った天才ストライカーで、その実力から名前をもじって「救世主」と呼ばれることもあるスポーツ万能のイケメン男子である。本人はその渾名を恥ずかしがっており、実力を鼻にかけることのない好青年。一方で、授業ではたびたび教科書を忘れるという、ちょっと抜けている一面もあるのだが、隣の席のよしみで何度も教科書を見せている関係で、万里は久世とよく話をする。
一年C組の出し物は、クラスメイトが持ち寄った不要品を良心的な価格設定で売り出すバザーだ。しかし、単なるバザーでは面白くないと言い出した学級委員の提案により一ひねりしてある。商品の価格は一律三百円で、購入希望者は三百円前払いでガチャガチャを回し、出てきたカプセルに入っている番号の商品を貰える仕組み。つまりどの商品が買えるかはランダムである。事前準備期間では、男子がひたすらガチャを作り、女子がどの番号に当たってもお値段以上になるように商品の組み合わせについてシビアな協議をしていた。
当日は店番とビラ配りを持ち回りで行う。万里は九時から三十分、久世と組んで昇降口前で宣伝をすることになっている。
万里は久世からビラの束を半分受け取って昇降口へ向かう。階段を下りながら、久世が「ところでさ」と切り出した。
「あの商品ガチャって、C組でも引いていいと思うか」
「別にいいんじゃないか? 何か欲しいものがあったのか」
「いくつかな。実は、碓氷が持ってきてたのも、ちょっといいなーって思ったんだよな」
思わぬ言葉に驚く。万里がバザーに提供したのは女子向けの髪飾りだ。
「久世の趣味?」
「違うよ。妹に似合いそうだと思って。碓氷こそ、あれ自分の趣味?」
「まさか。妹のだよ」
とはいっても、妹の趣味でもない。去年デパートの初売りに行ったとき、アクセサリーショップで、千五百円相当の髪飾りが入って三百円という福袋が売り出されていて、「おまけつき」とか「期間限定」とか「○○円相当が××円でお得」とか、その手の言葉に恐ろしいほど激弱な妹はついそれを買ってしまった。家に帰って中を開けてみたら、福袋に詰め込まれて投げ売りされているだけあって、微妙にセンスのないものとか、若干ブームの過ぎ去ったものとか、明らかに趣味の合わないものがいくつかあった。「三百円分はギリギリ元が取れたから文句はないけど」と不満たらたらな顔でぼやいた妹が持て余していた未使用の髪飾りを、要らないならと貰ってきたわけだ。
「へえ、碓氷も妹いるんだ。いくつ?」
「中一」
「うちのは小六。生意気なオトシゴロだ」
「けど、仲良いんだな」
「まあ、普通だよ」
「ガチャ、やるのはいいけど、髪飾りが当たるとは限らないぞ」
「それなんだよなぁ。なんでガチャ制にしちゃったかなぁ、湊の奴」
湊というのが、今回の企画の発案者である学級委員である。久世はぼやいてはいるものの、本気で湊に不満があるような様子でもない。なにせ、久世自身も、湊の案に「面白そうじゃん!」と諸手を挙げて大賛成していたのである。
「ま、三回課金して駄目だったら諦めるつもりだけどさ。あ、あと本命は、レトロっぽいお洒落なカメラ」
「そんなのあったっけか」
「今時珍しい、ポラロイドカメラらしい。最近はデジカメとかスマホばっかりだけど、一周回ってああいうのがリバイバルブームきてるっぽいよな。あれ、当てたい」
ガチャは百近く用意してあったから、カメラと髪飾りのどちらかが当たればいいとしても、狙いの物を引くにはかなりの強運が必要そうだ。
「……売れ残り分はみんなで分配だったよな。ビラ配り、やめるってアリかな」
「ナシだ」
あえて宣伝せずにライバルを減らして売れ残りを期待するというのは、かなり不純な考え方なので即座に却下し、万里は久世を引きずってビラ配りに向かった。




