28絶対来るなって
九時丁度、ドン、ドンと開幕を告げる花火が鳴り響き、舟織一高文化祭はスタートした。
開始直後から、来場客がアーチをくぐって押し寄せてくる。アーチから正面玄関までの道のりには、ビラ配りの生徒がずらりと並び集客競争を始める。あちらでは喫茶店の宣伝、こちらではお化け屋敷の案内といった具合で、どこの団体も自信のある出し物を用意しているだけあって、ビラ配りにも熱が入っている。
学級委員の湊颯には「開場と同時に来るモチベーションの高い客に何としてでも来てもらえ」と厳命されているので、万里もそれなりに気合を入れる。目の前を通り過ぎようとする客にスマイルを振り撒き、いつになく声のトーンを上げ、C組美術部員謹製のビラを捌いていく。
一年生の教室は四階にあるため、立地的にいえば他の学年よりも不利だ。湊曰く「全企画コンプ厨でもなければ超絶気合の入った三年の教室を素通りしてわざわざ四階まで足を運ぶわけがない」ということらしい。ゆえに、一番最初の宣伝が大事であり、九時からの宣伝係を受け持った万里と久世は責任重大なのである。一瞬たりとも気を抜くことなく、他のクラスに負けない宣伝が求められている。
だというのに、万里に、宣伝どころではなくなるのっぴきならない事態が発生する。九時二十分のことだった。
何の気なしにビラを差し出してから、それを受け取った客と目が合って、万里はぎょっとした。目の前にいるのは、身長百六十弱、中学の指定ブレザーを着たポニーテールの少女である。
「お兄、遊びに来ちゃった!」
妹である。
万里は怒鳴りたくなるのを必死に抑え、引き攣った顔で言う。
「絶対来るなって言っただろうが」
もう前々から言っておいたのだ。文化祭には絶対に来るなと。「来るなよ、絶対来るなよ」というのは、この場合において「来てくれ」という意味ではなく本当に来るなという意味で言ってあった。にもかかわらず来ている。どういうことだと、万里は天を仰ぎたくなった。
「だって、『恥ずかしがって来るなって言ってるけど、なんだかんだで行けば喜ぶよ』って母上が」
「余計なことを……!」
いい加減な曲解で余計な助言をしてくれたものだと、万里はこの場にいない元凶を恨めしく思う。
とにかくまずい。これはまずい。妹が来るのだけは絶対に駄目だ。万里は妹を追い返すため、どう言いくるめるかを瞬時に考え、口から出まかせを言う。
「いいか、高校ってのは恐ろしいところなんだ。中一が迷い込んだら怖い奴が寄ってきて事件が起きる。だから帰れ」
「だったらお兄が一緒にいてくれればいいじゃないの」
「俺は仕事がある。今もこうしてクラスのために貢献して」
「碓氷ー、早く着きすぎたからもうビラ配り代わるぜー」
九時半からの担当が十分も早くやってきてタイミング最悪なことを言う。万里は更に顔を引き攣らせ、対照的に妹は目を輝かせる。
「お兄、暇でしょ。文化祭、案内してよ」
「駄目だ駄目だ、おうちに帰って勉強してなさい」
「お兄がバザーに出すものが無くて困ってた時、私、助けてあげたよね」
「……」
どこでこんな交渉術(脅迫)を覚えてきたんだ。
万里がうまい口実を思いつかないでいるうちに、握っていたビラの束は次の担当に毟り取られ、久世には「可愛い妹じゃないか、一緒に遊んで来いよ」と爽やかに背を押され、妹に腕をがっちりホールドされて引きずられていく。なし崩し的に妹と文化祭を回ることになってしまい、どうしてこうなった、と万里は頭痛を感じ始める。
「高校の文化祭って初めて。楽しみだなぁ、ねえ、お兄」
「期待しすぎるとがっかりするぞ。すぐがっかりして、帰りたくなる。だから帰ろう。な?」
「まあ、別にその時はその時で、仕事のつもりで見て回るからいいよ」
妹は無邪気な笑顔を浮かべて言う。
「人が集まる場所には、それに惹かれて遺産が現れることも稀にあるでしょ? これでも私、遊ぶだけじゃなくって、仕事する気でいるんだからね」
「……」
妹――琴美は、万里と同じく救済社に所属する人間だ。
だから来てほしくなかったのに。万里は地団太を踏みたい気分だ。
琴美は直接会ったことこそないものの、資料の写真で桐子の顔を見て知っているはずだ。万が一にも桐子の姿を琴美に見られたら、もう取り返しがつかない。万里が入学以来必死で隠し通してきた最大の秘密が暴かれる事態になる。それだけは、なんとしてでも阻止しなければならない。
本当ならここで追い返すのが一番だ。しかし、仕事も兼ねてきているという琴美に、あまりしつこく帰れと迫るのは、同じ組織のエージェントの行動として不自然で、かえって怪しまれる。ことこうなっては、琴美の視界に桐子が入らないよう、細心の注意を払って文化祭を回るしかない。遊びでも仕事でも、さっさと琴美を満足させて、お引き取り願おう。万里は胃の痛い思いをしながら固く決意した。
そんな万里の悲壮な決意など露知らず、校舎に入るや、琴美は受付でもらったしおりを広げて、無邪気に行きたい場所を提案する。
「お兄、私、製菓部の喫茶店に行ってみたい」
「製菓部……そうだな……いや、待て、却下」
少し考えて、万里は重要なことを思い出す。製菓部といえば、昨日の部室で、桐子が雪音と一緒に行こうと話をしていたところだ。いつ行くかまでは聞いていないが、行くことは確実であり、わざわざ鉢合わせする可能性の高い場所に行くなど愚の骨頂である。
「お菓子なんか食べたらご飯が食べられなくなるから駄目」
「そんな小学生みたいなこと言わないでよ。……むう、じゃあ、お兄のクラスに行ってみようよ。バザーも気になるなあ」
「それも駄目」
桐子が気まぐれを起こして教室に戻ってきたら言い訳のしようがない。一年C組にだけは行かせてはならない。
流石に頭っから反対ばかりしたせいで、琴美は頬を膨らませて抗議してくる。
「お兄ってば、さっきからあれも駄目これも駄目って」
「俺はそもそも文化祭に来るのを駄目って言ってたんだからな」
「もういい。私は行きたいところに行くから、お兄は黙ってついてきて」
「待て待て、そこは『もういい』って拗ねて帰るところだろう。なんで結局駄目って言ってるところに行く流れになるんだ」
「お兄はどうせどこに行くって言っても却下するんでしょ。だからこの際気にしないことにする。お兄はなんだかんだで、私を放っておけなくてついてきてくれるだろうし」
強かな考え方だ。そして的を射た推論だ。ぐうの音も出ないので、万里は頭を抱える。
そして有言実行。琴美はすたすたと廊下を歩いて行ってしまう。万里は慌てて追いかける。
これほどまでに周囲に警戒したことが今までにあっただろうか。あらゆる方向に注意を払い、行く先に桐子の姿がないことを入念に確認する。桐子、もしくは彼女と一緒に行動している可能性の高い雪音の姿が見えた瞬間、万里は不自然にならないようにしつつ琴美を方向転換させなければならない。
勝手に行きたいところに行く宣言をした琴美は、開いているページからすると、最初の希望通り製菓部の企画に向かっているようだ。製菓部は激戦の場所取り抽選会の末に勝ち取った二階生徒ホールで「アリスのティールーム」という喫茶店を開いている。製菓部の出すケーキは毎年クオリティが高いのだと、いつだったか弓香が言っていた。
まだ開場から三十分ほどだが、既に席は八割がた埋まっている。製菓部の人気ぶりがよく解る光景だ。
セーラー服の上に黒いカフェエプロンをかけた女子部員たちがせっせと給仕をしていて、その中には知った顔もいる。丁度シフトに入っているのは、同じクラスの加藤千鶴である。加藤は万里に気づくとひらひらと手を振ってみせる。
「碓氷君、誰その子、彼女だよね? 犯罪だよね?」
「違うし。妹だし」
迷いなく犯罪者呼ばわりしないでほしい。
「妹? まさかのシスコン? でもめちゃカワイイね。妹思いのお兄ちゃん属性つけちゃうのね? ただでさえ学年一位の化け物なのに更にキャラ設定足しちゃうのね? くっ、カワイイ」
「ここの喫茶店は客をひととおり弄り倒さないと席に案内してくれないシステムなのか?」
「あっと、失礼しましたー! ご新規二名様、ご案内しまーす」
せっついたところでようやく席に着かせてもらえたが、加藤のテンションに琴美はきょとんとしている。ここが押すタイミングかと、万里はすかさず言ってみる。
「ほらほら、言っただろ、高校の文化祭はおっかないところなんだって。お菓子とお茶は御馳走してやるから、それが終わったら帰ろ」
「今の人、すっごい美人さん。私も三年たったらあんなふうになれるかなぁ」
「くっ、全然聞いてない!」
どうやら琴美は、万里が想定していたこととは全く別のところに引っかかっていたらしい。
テーブルの上に広げられた手作りのメニュー表を見て、琴美は悩ましげな表情をする。どれにするか迷っているようだ。琴美がメニューに気を取られている隙に、万里は加藤にこっそりと訊く。
「なあ、桐子ってもう来たか? それか、いつ来るとか言ってたか?」
「桐子? 私のシフト教えたら、都合が合えばその時に来てくれるって言ってたけど、まだ来てないね」
加藤のシフトは九時から十時半までということだ。十時前後に桐子がここに来る可能性が高い。桐子の方は、万里が相手をしている少女が、万里の妹でしかも救済社のメンバーとは夢にも思わないだろうから、万里の姿を見ても引き返してはくれないだろう。となれば、万里に残された道はただ一つ。
「琴美、迷っているなら俺が決める。――加藤、一番出てくるのが早くて食べ終わるのも早そうな奴を一つ」
万里が大真面目な顔で注文し、加藤がオーダーを書き取るべきか迷って首を傾げた。結局、その雑な選択は琴美に却下された挙句、最終的に彼女はアフタヌーンティーセットに辿り着いた。
「かしこまりましたぁ。お時間、十分程度いただきます」
なぜよりによって一番時間のかかりそうなものを頼むのかとか、よく朝からそんな豪勢なものを注文できるものだとか、いろいろとツッコみたいことが多すぎたせいで逆に言葉が出なくなり、万里は止めるタイミングを逸し、その後二十分近くにわたりビクビクしながら身を縮こめることになった。




