102それはいつも通りだな
額の怪我の止血を済ませて少し休んでいるうちに、頭がくらくらしていたのがだいぶマシになってきた。落ち着いたところで、昏倒した遠間仁兵衛と炎上しているミニバンの始末をどうしようかという現実的な問題に直面する。このまま全部ほっぽり出して逃げようかと、万里が不届きなことを考え始めたころ、丁度折よく増援がやってきた。
「ちっす、碓氷、助けに来てやったっすよ」
琴美からの応援連絡を受けて来てくれたのであろう仲間第一号は砂川だった。万里は素直に喜ぶべきか否かを本気で迷った。その迷いが顔に出たらしく、砂川は不満そうに頬を膨らませる。
「なんすか、碓氷。他の人に来てほしかったって顔に書いてあるっすよ」
「すみません、俺、正直なもんで」
「謝ってるのに謝ってない! ふん、まあいいっす。で、女王は」
「遠間はそこで転がってますが、女王はいません。こちらは囮だったようです。本命はもうとっくに遠くに行ってるでしょう」
「状況は解ったっす。つまり、あとは遠間をしばいてアジトを吐かせればいいってわけっすね」
砂川は嬉々として、気絶している遠間を叩き起こしにかかった。
「おい、起きるっす。訊きたいことがたんまりあるんすよ」
遠間に馬乗りになって頬をべちべち叩く砂川。しかしそれでは起きないので、業を煮やした砂川は万里を振り仰ぎ要求する。
「仕方ないっすね。碓氷、気付けのアンモニアを寄越せっす」
「砂川先輩、そんなものを、さも持ってて当然のように要求しないでくださいよ」
まあ持ってるけど。万里は文句を言いながらも、《武器庫》からさも当然のように気付け薬を取り出して砂川に放り投げる。
「何でこんなの持ってるんすか、気持ち悪いっすね」
要求しておきながら砂川は嫌そうな顔をしていた。理不尽である。
やがてアンモニアの洗礼を受けた遠間が噎せ返りながら目を覚ました。砂川はにやりと笑って遠間の首根っこを引っ掴んで揺さぶる。砂川は、人を虐めるときに一番輝いているように見える。
「へいへい、自分が何しでかしたか解ってるっすよね? 当然、尋問されるのは覚悟してるっすよね?」
目を覚ましたばかりの遠間は、突然目の前に現れた凶悪な女に混乱しているのか目を白黒させていたが、やがて意識がはっきりしてきたのか、顔を青ざめさせた。
「わ、私は……」
「何すか、今更怖くなったんすか」
「お、お前は誰だ。お前も『傀儡屋』の一味か」
「はぁ? あたしは『救済社』のナンバーワンエリート、砂川時香っすよ」
「砂川先輩、初対面相手に嘘ついちゃ駄目です」
勝手に肩書を盛る砂川に万里が律儀に苦言を呈した。
「救済社だと? 放せ、お前たちにかかずらっている暇はない、こっちは緊急事態なんだ」
「こっちだって緊急事態なんすよ、さっさと女王の居場所を吐くっす」
「お前、なぜ女王のことを」
「いいから白状するっすよ、痛い目見たいんすか」
「女王の居場所は私が知りたいくらいだ……こんなことをしている場合では……!」
遠間の言葉に、万里は違和感を覚える。砂川は尋問するのが楽しくて仕方がないので細かいことは気にしていないのかもしれないが、遠間は単純にしらを切っている敵の態度とは少し違うような気がする。遠間は見事に囮の役目を果たして女王の誘拐成功に貢献したのだ、その後で捕まることは想定内だったはず。ならば、尋問されたところで慌てず騒がず、「居場所なんて教えるものか」と強気に構えてすっとぼけていればいい。だが、今の遠間は、作戦が首尾よくいった人間の様子とはかけ離れている。本気で焦り、怯えている。そして、居場所は自分が知りたいくらいだと言った。
どうにも話が噛み合っていない。
砂川に尋問を任せていては埒が明かなさそうなので、万里は口を出すことにした。
「砂川先輩、ちょっと引っ込んでてもらえますか」
「あぁん?」
万里がストレートに要望を告げた途端に砂川は尋常でなく不機嫌そうに応じる。「後輩のくせに生意気だ」とぎゃんぎゃん叫ぶ砂川を押しのけ、万里は遠間と向かい合う。
「遠間。俺たち救済社は、女王誘拐事件を解決するため、一時的に騎士団と協力関係を結んでいる。持っている情報を全部寄越せ。あんたは、なぜ女王を連れ出した」
遠間は驚いて万里を見返した。万里の言葉の真偽を見極めるようにじっと見つめ、やがて溜息交じりに告げる。
「確かに、女王を連れ出したのは私だ、その自覚はある。しかし……さっきまではそれが正しいと心から信じていた。私は『傀儡屋』の一員であり、女王の身柄を騎士団から奪うのが私の任務だと思っていた……思い込まされていたのだ」
記憶は改竄され、主への絶対服従の意識を植え付けられ、与えられた命令に何の疑問も持たず使命に殉じるように意思を操作される。そんな恐ろしい異能力によって、遠間は操られていたのだと言う。
「敵組織の名前は『傀儡屋』……その首魁、吹田司という男は、洗脳の力を持つ遺産《迷宮時計》の保持者だ」
騎士団長・岸と通信を繋いで、状況を整理する。遠間は酷く項垂れて、相手に見えるわけでもないのに何度も謝罪し頭を下げている。万里は端末を持っているというだけで、遠間に「頭を下げる方向」と認定されてしまい、非常に気まずい気分になった。
「私が勤務を終え、騎士団本部を出たところを、吹田司は待ち伏せていました。奴が持っていたのは間違いなく、騎士団が持つ目録に記載されている《迷宮時計》でした。しかし、私がそれに気づいて臨戦態勢に入るより先に、奴は遺産を発動させ……私は自分が傀儡屋の人間であり、騎士団に潜入している身だと思い込まされて……」
そして遠間は自らの意思で――そう思い込まされて、夢咲希を部屋から連れ出した。
その後、遠間は騎士団の拠点を出てすぐに吹田司と落ち合い、希を引き渡した。吹田が希を安全に拠点まで連れ帰る時間を稼ぐため、遠間はわざとナンバーの割れているミニバンで走り追手を引きつけた。
「今になって洗脳が解けたのは、碓氷が殴り飛ばしたからっすか?」
砂川が問うと、それに答えたのは通信越しの岸だった。
『そういうことだろう。目録の記載によれば、洗脳は一定以上の肉体的ダメージによって効力を失うようだ』
「HPゲージ三割切ったら解除みたいな? よかったな、一発殴っただけで三割切る程度の体力しかなくて」
組織に致命的な打撃を与えた上に敵組織の人間に当てこすりまで言われて、遠間は更に項垂れてしまった。
「それで、肝心の女王はどこにいるわけ」
「解らない。洗脳下にあった時にも、私にそこまでの情報は与えられていなかった」
「成程、最初から使い捨てにするつもりだったわけか」
万里が推測を述べると、もう遠間は額が地面につきそうなくらいにしょげてしまった。これ以上精神的に追い詰めない方がいいかもしれない。
『女王の捜索はこれで振り出しか。この情報は、捜索に携わっている全員に共有する。とりあえず、遠間は騎士団へ帰還を。お前の異能で閉鎖されたままの管制室を今すぐ開けに来い。他は捜索を再開してほしい』
「了解っす」
『それと、碓氷君』
「何か」
『君に一つ、急ぎで仕事を頼みたい。つい先ほど報告が上がってきたのだが、上原桐子からの連絡が途絶えたらしい』
「桐子が?」
岸の話によれば、つい数分前、桐子本人から上司の永倉に連絡があった。何者かの襲撃を受けたという連絡だったが、その襲撃者については撃退したという話だった。だが、話の途中で桐子は通信を切ったという。おそらく、他にも敵がいて、交戦状態に入ったのでは、というのが永倉の推測だ。桐子のことなので、そう心配することはないだろうと少々楽観視していたところではあったが、その後桐子から続報がなく、そうしているうちに桐子の端末のGPSの反応が消えたという。
万里は岸からの情報をもとに、最後に桐子の端末の反応があったという場所へバイクを走らせた。
桐子のことだから、そう下手を踏むことはないだろうという楽観的な考えは万里にもあった。しかし、連絡が途絶えたというのでは、放っておくわけにもいくまい。
タイミングからして、桐子が交戦したと思われるのは、夢咲希を拉致した一派・傀儡屋であると考えていいだろう。その規模がどれだけのものかは不明だが、うち一人は洗脳の異能力者であると判明している。
もしも、桐子を襲撃したのが吹田司だとしたら。
もしも彼女が吹田に洗脳され、敵に回ったら、厄介なことに――。
と、そこまで考えてはたと思う。
「……いや、それはいつも通りだな」
そもそも桐子と万里は敵同士である。
改めて冷静に考える。遠間の話では、彼が希を引き渡した相手は吹田である。ということは、吹田は希を、騎士団に追い付かれないくらい遠い安全な場所まで連れて行くのが最優先事項のはずだ。希を拠点まで連れ帰ってから、また拠点から出てきて桐子を襲ってくるというのは、ちょっと忙しないだろう。無論、希を抱えたまま音速姫に喧嘩を売るというようなことも現実的ではない。桐子を襲撃したのは別の仲間と考えていい。だとしたら、まだ桐子は吹田の洗脳下にはないだろう。
ただし、あくまでもまだだ。万里は、いずれそういう展開になる可能性を、考慮しないわけにはいかなかった。
とにかく今は、状況を確認するのが先決だ。少々手こずっているだけで、桐子がまだそこにいるということもあるだろう。向かう先は、岸から言われた場所、遠間と交戦した場所からは十分程度のところにある、今は使われていないアパートだ。
幽霊アパートと言われてもしっくりきそうなほど、薄汚れた灰色の五階建てアパートは、使われなくなって何年もたっているようだ。そのくせ取り壊しもしないので、かつては何かしらのショップが入っていたと思しき区画はすべてシャッターが下り、そのシャッターは若者たちのスプレーアートの餌食にされていて、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「立入禁止 罰金一千万」という雑な警告看板が立てられているのを華麗に無視して、万里は敷地内に不法侵入する。
どこかに敵が潜んでいる可能性を考え、息を殺し、慎重に階段を上っていく。下の階に誰もいないことを確認し、上へ進んでいくと、途中から、通路や壁に植物が這い回っていることに気づく。外壁ならいざ知らず、建物内部に、そのうえ、下層階は何もなかったのに上層階に行くほどひしめいている、荊のようなもの。不自然な様子に違和感を覚え、万里は念のため、その胡散臭い植物を避けながら上層へ進む。そして、いよいよ誰とも遭遇しないまま、屋上への扉まで辿り着く。
どうやら、ここで何かが起きたのは間違いないらしい。屋上へ続く扉が壊されている。ガラスの散り具合と蝶番の捻じ切れ方から見るに、屋上のほうから内側に向かって、誰かが蹴破ったのだ。誰かが、というか、桐子に違いないのだろうけれど。
しかし、屋上に出ても肝心の桐子の姿はない。その代わりに、見知らぬ男が伸びている。男の傍には銃身が折れて再起不能になった小銃。それから、半分に割れた端末。桐子のものだろう。
「桐子が撃退したっていう襲撃者はこいつか」
桐子との通信が切れてからそこそこ時間が経っているはずなのに、まだぶっ倒れているということは、よほど容赦なくやられたということだろう
しかし、肝心の桐子の姿がない。
もしも、この男の後に仲間がやってきて交戦し、敗れるようなことがあったとしたら、普通なら桐子もここに倒れていることだろう。そうなっていない、ということは。
「敵は……わざわざ桐子を連れ去った、ってことか」
万里はそう結論づけた。
ここに倒れている男を叩き起こしたら状況が変わるだろうか。いや、こんなところに置き去りにされている時点で、重要な情報は握っていないだろう。もしかすると、この男も遠間同様、洗脳されていた手駒かもしれない。
万里は端末を操作する。本来なら画面には発信機から送られてきた位置情報が表示されるはずなのだが、反応はない。どうやら、仕掛けておいた発信機は見つかってしまったらしい。最後に反応した地点はこの場所だ。手がかりになるようなものは全部ここで潰された末に、桐子は連れ去られたようだ。
「今のところ、『傀儡屋』の思い通りって感じだな……順調そうでなにより」
誰にも見られていないのをいいことに、万里は愉快そうに呟いた。
★★★
わざわざ拉致されるからには、すぐに殺されるようなことはないだろう、と楽観視していたのだが。
今、桐子は、床に倒れた自分の体を見下ろしていた。
意識が体を抜け出して、ぴくりとも動かない体を眺めていて。つまり、これは。
「……私、死んだ??」




