101なんて失礼な
前回までのあらすじ:超重要危険人物・夢咲希が誘拐され、皆あわてて東奔西走。万里は誘拐犯一味の一人を倒し、一方の桐子はやぶからぼうに襲撃を受けていた。
白昼堂々と響いた銃声に振り返れば、弾丸が脹脛を僅かに掠めていった。一般の人間が銃声を聞いたところで、そうとは判別できないだろうが、とはいえ街中で平然と発砲するとはいい度胸だ。荒っぽい奴が近くにいると踏んだ桐子は、意識を追跡モードから迎撃モードに切り替える。音で射手の方向は解った。滞空しながら素早く視線を巡らせれば、十時の方向、雑居ビルの屋上に小銃を持った男を発見した。
いったん真下にある手近な建物に着地し、方向転換、そこを足場にフルスロットルで跳躍する。狙撃手が逃げる隙など与えない。狙撃から二秒後には敵のいるビルまで辿り着き、手の届くところまで距離を詰めた。桐子がそこまで速く肉薄してくるとは思っていなかったのか、狙撃手は泡を喰った様子で後退る。
「逃がすか」
素早く脚を振り上げ、敵が苦し紛れに構えようとする小銃に踵落とし。銃身が折れ、狙撃手はますます青ざめ震えあがる。
「こんな凶暴だなんて聞いてないぞ!」
「なんて失礼な」
不名誉な言いがかりに憤然とする桐子は、脚のベルトから警棒を抜き放ち、男の顎を下から跳ね上げた。衝撃で何本か前歯を吹っ飛ばしながら男は仰け反り、屋上に仰向けに倒れた。
チープな罵倒につい力が入ってしまい敵を倒してしまった桐子は、昏倒した男を見てはっと我に返る。しまった、何の情報も引き出さないまま伸してしまった。いったいこの男が何者で、なぜこのタイミングで桐子を銃撃してきたのか。女王誘拐事件と関係あるのか、あるとすれば女王の居場所を知っているのか。訊きたいことはいくらでもあったのに、とても話を聞ける状態ではなくしてしまった。
「……まあ、露骨に下っ端っぽいし、訊いても何も知らないわよね」
とりあえず桐子はそうと決めつけ、自分の短絡的な行動を勝手に正当化した。
ともあれ、いくら下っ端とはいえ、このままここに放り出しておくわけにもいかない。自分は急いで夢咲の捜索を再開するとして、誰かにこの男を引き取ってもらわなければなるまい。
桐子は通信端末で本部と連絡を取る。こちらからのコールに出たのは永倉だった。
『上原君、何かあったのか』
「課長。女王の足取りはまだ掴めていませんが、所属不明の狙撃手から襲撃を受けました」
『何? 怪我はないのか』
「ええ、幸い秒殺はしましたが……」
『ああ、うん、そうだよね、心配するだけ無駄だよね』
どいつもこいつも失礼な言いようだが、まあいい。
『解ったよ、身柄をこっちで預かればいいんだね。今、応援を向かわせるから』
「お願いします。場所ですが……」
適当に走ってきたところだから、ぱっと住所が出てこない。何か目印になるようなものは周りにあっただろうかと視線を巡らせる。注意深く観察しているうちに、屋上から建物内部へ入る扉が目に入る。その扉の上部の磨り硝子越しに黒い影が写っていた。
まるで誰かが扉の向こうにぴったりと身を寄せて、息を潜めてこちらの様子を窺っているようで。
どうやら、まだ伏兵がいたようだ。
「課長、また連絡しますから」
『え? 上原君?』
戸惑う永倉との通信を勝手に切って、桐子は得物を構え直す。こちらが気づいたことを察したのか、硝子越しに見えていた影がさっと消えた。襲ってくる様子はないので、逃げに入ったのかもしれない。ついさっきは手がかりをふいにしてしまったが、今度こそは手がかりをみすみす逃しはしない。桐子は一直線に駆け、その勢いのまま乱暴に扉を蹴破った。
吹き飛んだ扉の向こう、建物の中に人影は見えなかった。しかしその代わり、広がっていたのは異様な光景だ。
「これは……」
桐子は思わず後退る。白い壁とか、灰色の階段とか、そういう無機質な景色を予想していたが、実際に目の前にあったのはひたすら「緑」だった。
床から天井まで、隙間がないほどに埋め尽くされた緑。よく見れば、それらはすべて荊だ。棘だらけの蔓がそこらじゅうに這いずり回っている。
手入れをせずに放置していた建物の外壁に蔦が絡みつくことくらいはままあるだろうが、建物内部に荊が張り巡らされるなんて聞いたことがない。自然現象でないことは一目瞭然だ。しかし、誰かがわざわざこんな用意をしたとすれば、それなりに時間がかかるだろう。異能力にしろ、そうでないにしろ、音や気配が何かしらあったはずだ。しかし、桐子が狙撃手を倒したほんの数秒の間には、そんな気配はなかったし、時間が足りないだろう。桐子がここの屋上に来た時にはすべてが完了していたと想像できる。
つまるところ、この状況を合理的に考えるとするなら、狙撃手は、桐子を仕留めるためではなく、この場所に誘き寄せるために用意された駒だった、ということになる。
これは拙い。桐子は素早く飛び退き、正体不明の荊の群れから離れる。それと同時に、荊がぞわぞわと蠢きだし、桐子を追いかけるように伸びた。
普通の植物は、こんなふうに、まるで意思があるかのように動いたりなどしない。やはり異能の産物。ただし、動きはさほど早くない。
冷静に対処すれば逃げられる――そのはずだった。
唐突に、視界が霞み足が縺れた。
「えっ、あ――」
強烈な眩暈に襲われて、桐子の動きが鈍った。その隙に荊はまず両脚を捕え、次いでそれを振り払おうとした両腕を絡め捕った。
あっという間に体を拘束されてしまい、桐子は舌打ちをする。上手く動けない。両手両足を封じられているが、それ以上に体の動きが鈍い。
「しくじった……さっきの弾丸が……」
おそらく、ほんの少し掠めただけの狙撃手の弾丸、あれに毒が塗ってあったのだろうと推測する。意識がぼんやりしてきた。そうしているうちに、全身を荊で雁字搦めにされてしまう。
不意に、万里の言葉が思い出される。
『俺のことより、問題は君だよね』
何かを予期していたとしか思えない彼の言葉に、桐子は溜息をつく。
「そういうことか……」
どうにか荊を引き千切れないものかともがいていた桐子だが、身動ぎするほどに棘が皮膚にちくちく刺さって痛いので早々に諦めた。
「――もう抵抗は終わり?」
見計らったかのように声が聞こえる。顔を上げると、大量に蠢く荊のカーテンを除けて、一人の女が姿を現した。やたらと胸の開いたトップスに、これまた丈が短く露出の多いミニスカートという装いの女は、真っ赤なルージュで彩った唇をにたりと歪めて嗤っていた。
「まあ、懸命な判断ね。足掻けば棘で傷つくだけだもの」
「いきなり酔ったみたいに語り出す露出狂なんて需要ないからお引き取り願えません?」
桐子は疲れてくると言葉をオブラートで包むことすら億劫がるので罵倒がトップギアになる。
女は若干顔を引き攣らせつつも続ける。
「威勢よくいられるのも今のうちよ。あんたにはこの先、もう自由なんてないのだから」
「あなたは……夢咲希を拉致した奴の仲間なの?」
「そう。私は『傀儡屋』の異能者、梶谷紬。すぐに、私たちの組織にご案内するわよ、音速姫さん」
ここにきてまた変な組織が出てきてしまったぞ。桐子は内心で辟易気味に呻く。
たぶん拙い状況なのだろうけれど、疲れているせいか、はたまた毒で朦朧としているせいか、あまり危機感が湧いてこない。いやもしかしたら、目の前の女がとうてい戦闘員とは思えない濃い目の化粧をしているせいかもしれない。
「大人しくついてきてもらうわよ」
今からでも《神速撃》の異能力を全力展開して逃げてやろうか、と桐子は逡巡する。迷っている間に、梶谷はまず桐子のポーチの中の通信端末を探り当てて踏み潰した。端末が動いたままではすぐに居場所が仲間に伝わってしまう、というところまでは頭が回ったらしい。
ああ、つい先日拉致されて壊されたせいで新しく支給されたばかりの端末が速攻でまた壊されてしまった。たぶんそう安くはないはずの端末をしょっちゅう壊していては怒られるではないかと、桐子は拘束されたとき以上に絶望する。
それから梶谷は、端末を壊しただけでは飽き足らず、手のひらに収まるほどの小さな黒い機械を取り出して何やら操作する。
「ああ……やっぱり、持ってきておいて正解だったわね」
呟きながら梶谷は桐子の服の襟の裏を弄り、数秒の後に小さな豆粒みたいなものを摘まみ上げた。
「それは」
いったい何だろう。自分の体に付いていたらしいものだが、桐子自身が解っていない。
「発信機なんか隠し持っていて。少しは頭が働くらしいけれど、そういう狡賢いことはお見通しなのよ」
どうやら、梶谷が使ったのは、発信機の探知機だったようだ。拉致するからにはそのあたりに抜かりはないというわけだ。梶谷は見つけ出した発信機を指で潰した。
なぜ襟の裏にそんなものが仕掛けられていたのか。自分で隠した覚えはないので、桐子は記憶を探る。そういえば、別れ際に万里に肩を叩かれた。もしやあの時仕掛けられたのか。
おそらく万里は、こういう展開ももしかしたらありえるかもしれないと想像していたのだろう。だからこっそり、発信機を桐子につけておいた。あの性悪男はそういう周到なことを、本人に黙ってやりかねない。まったく、万里は抜け目のない奴だ、と桐子は少し感心する。
――いやちょっと待て、それ、今ここで見つかったらダメな奴では?
感心している場合ではないという衝撃の事実に気づき桐子は愕然とする。いつの間にか仕掛けられていた発信機、活躍する前に壊された問題。
桐子は改めて状況を整理する。夢咲を拉致した連中と思しき、『傀儡屋』を名乗る謎の組織。荊で拘束され、毒に侵されて体はまともに動かず、自分の居場所の手がかりとなってくれそうなものは破壊し尽くされた。世にいう絶体絶命。この先どうなるか想像して、桐子はひっそりと溜息をつく。
「これは……仕方がないわね」
まあ、わざわざ手の込んだ罠を張って捕まえようとするくらいだから、そうそう簡単に殺されることはないはずだし、ここは大人しく拉致されておくかと、桐子は早々に諦めることにした。




