14日目 あとをつけた日
ヨームさんはときどき執務室から出て行く。行き先は言うこともあれば言わないこともある。別にどこに行くとかいちいちわたしに言う必要はないんだけど、空き部屋を掃除した帰り、剣を手に出て行くところを見て気になってしまった。
いつもの剣は腰に帯びている。手に持っている剣は、掃除したときに見た。刃をつぶしてある、と言っていたような。
こっそり、ヨームさんのあとをついていく。彼は魔術院の門を抜け、手近な建物へ入っていった。二階建ての広い建物で、一階は道場のように見えた。
窓から中を覗くと、剣を打ち合っているひとたちが何組かいる。
ヨームさんも見つけた。上着を脱いで、軽く肩を回したりしている。
訓練場、なのだろうか。護衛という割りにデスクワークばかりだなと思っていたけど、わたしが知らないだけでちゃんと身体を動かしていたのかもしれない。
ヨームさんに誰かが話しかける。つり目のキアスさんだ。ふたりは何か話して、打ち合いを始める。
訓練なのだと思っても、剣を振り回しているところを見るとはらはらしてしまう。
「こーんにーちは」
不意に背中から声をかけられて、びくりと肩が跳ねた。
「こ、こんにちは」
ナダンさんだ。今日もへらへらしている。
「中に入れば?」
「こっそりついてきたので」
「こっそり?」
「たぶん、無断外出がばれたら怒られます」
今までの言動からして、そうだろう。
「超過保護! あのヨームが」
ナダンさんがけらけら笑う。声のボリュームを落としてほしい。
「『あの』、とか言うほど知ってるんですか?」
「え?」
「同期だって聞きましたけど、……仲良くないみたいだから」
ナダンさんは肩を竦めた。
「さあね。ヨームが拗ねてるだけじゃないかなー。おれたち三人ともイアリカ様のところからセレン様のところへ行かされて、おれとキアスはセレン様の不興を買った。キアスはわざとだろうけど。ヨームは馬鹿真面目だから、セレン様の不条理にも応えてそのまま。同じように命を受けて、あいつだけイアリカ様のところに戻れなかった」
セレンさんより、イアリカ様の方が良いのだと言外に匂わせている。
「そのイアリカ様は、どんな人なんですか。そんなに素晴らしい人なんですか」
「イアリカ様は、第三王女。セレン様の双子の妹だけど、魔力を一切持たなかった方だ」
イアリカ様が、セレンさんの妹。しかも双子。
いつだったか、ナダンさんはセレンさんのことを『母親から魔力を根こそぎ奪って生まれた』と言っていた。
セレンさんは尋常じゃないほど魔力を持っている、らしい。しかし双子の妹は魔力を持っておらず、母親は魔力を失った。何か関係があるように思ってしまうけど。
「魔力量は遺伝すると言われている。王家の祖はもともと高名な魔術師だったし、妃たちも貴族の中から優れた魔術師ばかりを選んだ。生まれたときから王族は皆魔術師だ――イアリカ様を除いて」
酷薄な笑みを浮かべる。
「イアリカ様が魔力を持たないのはセレン様のせいだ」
「っ、そうとは言い切れないじゃないですか」
「そうでないとも言い切れない」
「じゃあこんな話したって意味ないじゃないですか! 憶測でしか――」
「灰色でも、限りなく黒に近い灰色だろ」
はっきり白黒つけられない。でも、ナダンさんの言うように、わたしもセレンの異常な魔力と何かしら関係があるのではないかと疑ってしまった。
「魔術院にいるならわかるはずだ。魔術師たちは頑なに矜持を持っている、自分が選ばれた者だと信じて疑わないから。そんな魔術師しかいない王族の中で、イアリカ様はどんな目に遭ったと思う? セレン様はイアリカ様の何もかも奪った」
「セレンさんのせいじゃ――」
「そう思いたいだけだろ」
どん、と顔の横に手をつかれる。仰け反ると、背中に壁が触れた。
「何も知らないんだから、黙って聞いてなよ」
雰囲気ががらりと変わって、怯みそうになる。
たしかにわたしは何も知らない。それにこの人はセレンさんが絶対悪だと信じて疑わない。わたしが何を言い返しても無駄なんだろう。
口を噤むとナダンさんは離れた。
「イアリカ様が素晴らしい人かって聞いたよね? 素晴らしいなんてもんじゃない! 他の王族から罵詈雑言を浴びせられても、存在を無視されても、彼女は王家の人間であろうとした。彼女は剣を取ったんだ。魔術の力じゃなく、剣の力を身につけた。魔術師みたいに持って生まれたものにあぐらをかくんじゃなく、彼女はひたすら努力した。血のにじむような努力を!」
心の底から、イアリカ様を崇めているようだった。演説するかのように高らかに、彼は続ける。
「彼女は自力で、軍で居場所を掴み取ったんだ。王族も彼女のことを完全に無視することはできなくなった。魔力を持つ者と持たざる者の間には大きな差がある。本来は持つ者だったイアリカ様が、持たざる者の希望になった!」
魔術師は、魔力を持っている者しかなれない。魔力は持って生まれるもの。魔術師はなろうと思ってなれるものじゃない。
魔術師しかいないはずの王家に生まれた魔術師でないイアリカ様が、ただ絶望するのではなく軍の中で存在感を示した。王女で、剣を握る必要のなかった人なのに。たしかに『素晴らしい人』なのだろう。
そんな人がいれば憧れるし、そうなりたいとも思うだろう。
「軍の中じゃ国じゃなくイアリカ様に忠誠を誓っている者も多い。みんな彼女に心酔してるんだ。士官学校の生徒たちはみんな一度はイアリカ様に恋に落ちるって、専らの噂だよ」
みんな。
『クルミ様にお聞かせすることではありません』と、線を引いたヨームさんの言葉が頭を過ぎる。どこか、歯切れが悪くて。
イアリカ様のところにいる二人と、険悪なヨームさん。
「ヨームさんは、イアリカ様のことが好きなんですか」
にい、とナダンさんは口角を上げる。
「今はどうか知らないけど」
それはつまり、昔は好きだったってことで。
「――本人に聞けば?」
どん、と背中が振動する。背中に接した壁が、叩かれたらしい。
すぐ隣の窓から、ヨームさんがナダンさんを睨んでいた。
「勝手に外出してすみませんでした」
ヨームさんの執務室で、立ったままうつむいた。座るよう促されたけど、座ったら謝罪にならないような気がした。わたしが立っているせいなのか、ヨームさんも座らない。
あのあと、ナダンさんはいつものへらへら顔を復活させてどこかへ逃げてしまった。
「ナダンに何を吹き込まれました」
窓は開いていたけど、会話までは聞こえていなかったらしい。それで良かったのか、悪かったのか。
「…………」
何も言えなかった。頭の処理能力が限界だった。
「言えないようなことですか?」
心なしか、ヨームさんが苛立っている気がする。
「……わたしは、何も知りませんでした」
セレンさんのこと、イアリカ様のこと、ヨームさんのこと。一気にいろいろなことを言われたけど、それでもちゃんと知るにはまだ足りない気がした。もっと尋ねたいと思った。
でも、また、線を引かれたら。
もし踏み込んでくるなと言われたら。
――臆病になっている。
おかしいな。
唇を噛んで、こみ上げてくるものをごまかす。
「……知らなくて良いんです」
ヨームさんの言葉は、優しいようで残酷だ。




