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エピローグ

 目的を持って鏡の前に立つのはもしかしたら人生で始めてかもしれない。はたしてぼくの目の前に出現しているのは、如何にも喧嘩の弱そうなちょこまい不良の下っ端であった。

 薬物をやっていそうに痩せ細った肢体、ナイフを持たせられそうな目の下のクマ、不摂生を絵に描いたように荒れっぽくそこらに跳ねた金髪。習慣的にきちんと着た学生服が如何にもミスマッチしている。

 鏡の前で数秒、もしかしたら数分ほど立ち尽くして、ぼくは肩を竦めることさえできずに、口の中でこう呟いてその場で崩れ落ちた。

 「バカだ……」

 どうしてこうなった。

 昨日気が向いたという理由で部屋の片づけをしていると、何故か出てきた髪染めの道具一式。母親がぼくの部屋に捨てて行ったのだろうか、でもこれ男用だしなとか考えて、ぶらぶらと入ったホームセンターで何故か購入してしまった記憶に辿り着いた。

 感傷的に鏡の前に立ち、あいも変わらずうだつのあがらない自分の格好を、手っ取り早くどうにかできるかもしれないと使ってみたは良いものの、結果としてはヤンキー初心者の中学生である。

 かといって、元に戻すのも面倒だというのが本音だ。というかどうすれば戻るのかも分からない。しょうがねぇ今日はこのまま学校行くしかないかなぁとか、だらだら準備を進めているとチャイムが鳴る音がした。

 仕方がなく出る。

 姫ちゃんだった。

 ぼくの姿を見ると、まず最初、部屋を間違えましたすいませんという顔で僅かに視線を落として、もしかしてアユムくんですかという顔でぼくと視線を合わせて、最後に唇の端で困惑を表すと若干後ろに仰け反った。

 「……姫ちゃん」

 「……はい?」

 「……坊主にしてくるよ」

 ぼくは父の工具箱はどこだったかカッターは入っていたかなと、そんなことを思案した。

 「や。ややや。や」

アユムくんそれは思いきり過ぎじゃないでしょうか? そういう髪型にしたかったアユムくんが過去にはいるんだから。思い付きで取り返しの付かないことだけはしないで。大変だから。と言いたげな表情でぼくにすがり付いた。

 「アユムくんっ。思い切ったねっ。わたしあなたのこと少しは知ってるつもりだったけど、それは意外だよすごく予想外」

 姫ちゃんに予想外とまで言われた。

 これは重態だ。

 「アユムくんがすることだから間違いないよ。うん、それで学校行こうよ。しのぶちゃんも……みんなびっくりするよ」

 「……どうしてそこでしのぶちゃんの名前が出てくるの?」

 ぼくが尋ねると、姫ちゃんは僅かに引き攣った顔をして

 「わたしお兄ちゃんとアユムくんと他にそれくらいしか、人の名前知らないし」

 「……そうか」

 博愛主義のこの子だけれど、だからって、努めてクラスメイトの名前を覚えようとはしないんだよなぁ。

 「とにかく。学校いこっ。今何時かわたし分かんないけど、ちょっと急がなきゃだよね」

 「……まぁ。そうかも」

 いつもの時間に起床していつもと違って鏡の前で髪を染めていたのだから、時間は押しているはずだと言える。遅刻の危険が有るほどではないが。

 「アユムくんちまでもうちょい近いと思ってたな。でも良かった、家で会えて」

 「姫ちゃん。どうして今日に限って、ぼくの家を訪ねて来てくれたんだい? 一時間弱かかったろうに」

 ぼくが訊くと、姫ちゃんは少し困ったように

 「……そうですね。今日はちょっと、素敵なことが起こる日だから」

 そう言って、綺麗な笑顔を浮かべたのだった。

 「……そう。それじゃあ、早く行かなくっちゃな」

 ぼくは言って、自分の部屋に引っ込む。全ての教材が入った鞄を肩に引っ提げて、それから姫ちゃんを隣に立たせて家を出た。

 登校中という昔なら一番気分の悪かったこの時間帯。好きな人がすぐ隣にいる。

 それだけでこんなにも違う。変わったのだ。

 「……アユムくん」

 姫ちゃんが、そこでおずおずと口を開いた。

 「カッコいいよ。それ」

 悪い気分ではなかった。と言うか、バカ丸出しの金髪振り乱して、その場で小躍りしたいほど嬉しかった。


 廊下ですれ違った担任教師にすごい注意を受けた。

 もともと先生方からの受けも良くはなく、何をしでかすか分からない性格の暗い奴というのがぼくの認識であった。それが校則破りの金髪で登校してきたのだから、気合を入れて取り締まるのは当たり前である。

 だがしかしクラスメイトの反応はまだしも芳しいもので、誰からともなく「それ、自分で染めたの」という問いを受けたのだった。今朝、と答えると声が沸く。もちろん、それに悪い気分は起こらなかった。

 ホームルームの始まりで担任教師はぼくの頭を再びなじると、今日は大切な話があると言って教室をざわつかせた。席替えは何度かあったが相変わらず姫ちゃんの隣の席、しかしその斜め後ろに新しい席が設けられていたことから、どんな話かは大方予想が付いた。関係ないとは思わなかった。

 が、それは予想外であった。

 「おうや? なんだそこの焼きプリン、もしかしてアユムか?」

 言ってげらげら笑うのは、妙に端正な文字で黒板に苗字はカタカナ、名前の方は堂々と『忍』と記入した、一週間前仮退院したばかりのぼくの友人であった。

 「……なんでさぁ。バカのおまえがこの高校に来ているんだよ?」

 と、ぼくはこの際でははっきり言ってやった。

 「おりょりょ。ここってそんなに頭の良い高校だった? 入院中ちょちょいっと勉強しただけで、転入試験はちょろかったぜ。欠席日数すごいことになってるあたしを受け入れてみたり、レベルとしてはそうでもないだろ?」

 そのあまりレベルの高くない高校の生徒達の前で、しのぶちゃんはそう言ってくすくすと笑ってみせる。まさに天衣無縫、やりたい放題という奴だ。

 休み時間、転校生相手の質問攻めにいちいち得意げに解答するしのぶちゃんの脇、ぼくはこそこそと姫ちゃんに尋ねてやる。

 「……知ってた?」

 「サプライズ、かな」

 しのぶちゃんにそうしろって言われた、ということが表情から伝わって来る。うん、あのバカのやりそうなことだ。

 「どうして転入して来られた?」

 「……集中力はあるでしょ? あの子。それに、あの子警官目指してやってた勉強って、実はわたし達の授業のレベルとは比べ物にならないようなのだしね」

 「……悔しいが認めよう。あいつ、潜在能力はまずまずだ」

 腹に穴開いてる癖妙に勉強ばかりやってるなぁ出席日数の埋め合わせか、とか思っていたら。酷く突飛なことを思いついていたものである。

 「あの子、自分なりに考えたんだって。それで最後の結論が、自分が学校に来れないのは、学校がつまらない所為だっていうの。だから……」

 「うん。なるほど良く分かった」

 ぼくが意味もなく髪の色を染めてみたように、あの子もあの子なりに思うところがあって、端から見れば意味不明な行為に走っていたのだろう。ぼくらは似たもの同士だから。普段は妙な理屈で妙なことしかしない癖に、たまに気が向けばやはり妙な理屈で、平凡で陳腐な行動に走る。

 だけれど、まあ。

 ぼくもしのぶちゃんも、昔と比べて少しは変われたのは事実だと思う。

 見た目に気を使うことと、きちんと学校に通うこと。どちらも良いことには違いないのだ。


 などと。マイペース姫のサプライズによって、ヤンキー初心者が謎の転校生と運命的な再会を果たすことだなんて、毎朝友人と一緒に登校して体育が好きで修学旅行が好きで放課後部活で汗をかいた後みんなでラーメンを食べるような連中でも、きっと妄想さえしないだろう昭和なストーリーを平和に楽しんでいられるのは、それはもちろん、ぼくらが爆弾魔との決着をつけたからに違いない。

 『ああー君? シスターラバーの言ってた歩君?』

 『……はあ』

 シスターラバーて。

 『それで。これはラバーのシスターちゃんの携帯電話だよね? それに出るのは、君こと、開道歩君』

 『……そうですが』

 『端的に言う。爆弾がもうない』

 『そうですか』

 『だから君は助かる。君らの居場所は伝えて置いた、救急隊も真っ先に駆け付けてくれるだろう。良かったね。ところであのうるさい赤子は元気かな?』

 『……あなた。ラバーさんですか?』

 電話が切れた。

 本当にふざけた野郎だった。

 ぶっちゃけその電話がかかる頃にはぼくらはとっくに救出されていたので、ラバーの精一杯の誠意は完全に無駄だったことになる。まあせいぜいがんばれ。

 何れにせよ。しのぶちゃんの腹の傷は綺麗に回復。他に死傷者は奇跡的にというべきか、まともに起動した爆弾の数から言えばそうでもないのか。まったく皆無。死人怪我人まるで零。ただ施設の方は結構深刻なところにダメージが入っているらしく、自然崩壊の危険を回避する為すぐに解体された。ちなみにペットショップの生き物は全員無事だったが、音のショックでほとんどのヘビが白ヘビになったらしい。

 あの西条デパートは、姫ちゃんとしのぶちゃんが出会ったところでり、ラジオと話をしながら暴れる父から、兄妹が良く逃げ込んだ場所でもあるのだそうだ。ついでに言えば、ぼくの催涙スプレーが眠るところでもある。どうでも良いが。

 「よぅ」

 と、いうことで平和な日常に戻り、いつかの中庭で姫ちゃんが来るのを待っていたぼくの背を、いつぞのいじめっ子少年が叩く。

 「豊彦のところ行こうぜ」

 こそこそと、まるで密談でもするような声色だ。何と無くスパイ映画っぽい雰囲気。つーか豊彦って誰だよ。

 いじめっ子少年から窺えるのは、僅かな恐怖と中くらいの期待と大きな好奇心と、耳掻き人掬いの好意。推察するに、おまえは髪を金髪に染めたんだから、一度そういうことをする連中のボスに顔を出すべきだ、ということだろう。

 もしかしたらこれは、根暗少年から不良少年へのランクアップのチャンスかもしれない。ドロップアウトとも言うが。

 「……すまない」

 ぼくがそう言った時、校門から姫ちゃんが現れてまずは笑うと、それからいじめっ子少年を一瞥して不安な顔になり、ぼくの表情を見て安堵したような息を吐いた。

 「彼女待ってたのかよ。悪いな。……豊彦には俺が言っとくから」

 そういうと、いじめっ子少年は姫ちゃんから目を逸らすようにしてその場を離れて、一回だけ後ろめたそうに姫ちゃんを振り返って、また走り出した。もしかしたら、頭が悪くて常識がなくて乱暴で下品でナンセンスというだけで、根っこは良い奴なのかもしれないとか、ぼくはそう愚考した。

 「あの人と何を話していたの? アユムくん」

 あの人、の響きには僅かな恐怖が含まれているが、しかし疑問の方が割合として大きい。ぼくは少し考えてから「三囚人問題について話していたんだ」と答える。

 「それよか。姫ちゃんはどうしたの? 寄るところがあるとか言ってたけど」

 「料理クラブなんだけど……」

 姫ちゃんは少し恥ずかしそうに言った。

 「今日、家庭科の授業があったでしょう? それからずっと、料理クラブに入らないかってずっと言われてて。……それで、ちょっと挨拶に」

 「そうか」

 割った卵の殻を手なりで口に入れないかと、そんな心配は、もうなかった。

 「おうアユムに姫。待っててくれたか」

 と、部活見学と携帯電話のアドレス交換といじめっ子少女との挨拶などをしていたしのぶちゃんがやって来た。

 「偉く早かったね」

 「早く済ませたからな」

 姫ちゃんは携帯電話を何やら操作しながらそう言った。その体に怪我はないが、制服が僅かに乱れていた。

 「偉く社交的だねぇ」

 「本当だね」

 ぼくが言うと、姫ちゃんは嬉しそうに何度か頷いた。

 「昔だったらしのぶちゃん。きっとそういうの怒鳴って帰しちゃうでしょう?」

 「そうかな。……そうだったな」

 しのぶちゃんは言って、シニカルに笑う。

 「んま。連中と会えたのもあの時死なずにすんだからだ。そう考えると、一週間に一言ずつ言葉を交わしてやるくらい、良いかなって」

 しのぶちゃんの性格を考えると、そのような邪な考えを隠す気もなく吐露したことだろう。そんな彼女を仲間として受け入れようとは。あのいじめっ子少女とは流石に一悶着あったようだが。そういや姫ちゃんの時も、直接手を出してきたのはあいつらいじめっ子クループだけで、基本的には社交的で懐の広いクラスなのかもしれない。忍ちゃんを通じて、姫ちゃんがクラスに受け入れられていくようなことも、もしかしたら期待できる。

 「それじゃ。行こうか」

 「そうですね」

 女の子二人が頷きあい、ぼくがそれに続く。三人はこのまま別々の帰途に付き、その後港で落ち合い同じところに向かっていく。

 本日は夏祭りである。


 勉強は少しできるようになってもやはり頭の良くないしのぶちゃんと、できることが絵画しかない初心者ヤンキーのぼくと、頭を使って行動をしないマイペースな姫ちゃんの三人で散々要領の悪さを発揮しながら縁日を巡り、港のベンチに腰掛けてそれぞれ屋台の食い物をむさぼった。

 姫ちゃんは以前とは違い、リンゴ飴など不器用に齧っている。もちろん誰の残り物という訳でもない。

 変わったというなら姫ちゃんだ。何かを選択すること、何かを愛さないこと、何かを拒絶すること、何かと戦うこと、何かから逃避すること、何かを忘れることを、姫ちゃんはほんの少しずつ、覚えて来ている。どれもこれも円居愛の願った良い子とは違っていて、しかし絶対に必要なことだ。

 もちろん、色々人間らしさを取り戻しても、姫ちゃんは姫ちゃんで、優しくて天然でマイペースだった。取っ付き易くもなっているかもしれないので、悪い虫にはこれまで以上に注意しなくてはならないだろう。

 ……と、その時だった。

 ひゅー、と間抜けとも言える音がして、ばつん、とけたたましい音と共に花火があがった。

 「おおー。すげー」

 感心したように感動したように、しのぶちゃんが目を輝かせて無邪気にそれに見入る。

 いいや、こんなプログラム、なかったはずだぞ?

 つーか。あれって絶対近所の公園からあげてんだろ。どこのどいつだ。バカなのか。

 「すげーすげー。すげーことする奴がいるもんだなー」

 港のみんな、そのサプライズに沸き立ってはしゃいでいる。花火打ち上げの犯人もさぞ満足だろうに。ぼくは思い、その美しい花火にしのぶちゃんが気を取られているのを確認しつつ、隣の姫ちゃんに尋ねた。

 「……ねぇ。姫ちゃん」

 「何かな?」

 カロリーメイトではなくリンゴ飴を口に含みながら、姫ちゃんが首を傾げる。

 「ぼくのこと、好きかい?」

 「はい」

 姫ちゃんはすぐに答えた。

 「それは異性として?」

 我ながらぶしつけな訊き方である。

 「異性として、という言い方は少し違うけれど。でもこれが、恋なのは確かだと思う」

 花火が上がる。姫ちゃんが笑う。

 「だけれどね。最近、気付いたんだよ」

 「何だい?」

 「あの時、アユムくんが初めてわたしに好きって言った時、わたしの方からも同じことを言えなかったのは、きっとわたしが、しのぶちゃんに恋をしていたからだと思う」

 ………………………………。

 …………?

 「……へ?」

 「しのぶちゃん。かわいいじゃない」

 姫ちゃんは照れたように笑う。

 「繊細で、真っ直ぐで、たくさん間違えて、たくさん悩んで、たくさんがんばって。わたし、そういうこと、したことなかったから。人間らしい人っていうのは、あんな子のことを言うんだって、ずっと憧れてた」

 下を向き、小さく微笑んで姫ちゃんは言う。

 「わたしのこと守ってくれた。助けてくれた。すごくまっすぐに、すごく至近距離で、すごくたくさんの気持ちをくれたの。わたしにとって、しのぶちゃんはわたしのお家みたいな人。だから」

 恋をした。

 なるほど。

 これはただ、姫ちゃんがまだ少し、人とずれているからだと言い切ってしまう訳には、いかないことだろう。

 「だけれどアユムくんも好き。死んじゃうくらい好き。しのぶちゃんと良く似ているけれど、やり方と、目的が、全然違うの。全然違うあなたが好き。わたしに恋をしてくれた、わたしに恋を教えてくれた、赤裸々で真っ直ぐで、何があっても美しいものを絶対に失わないアユムくんだから、わたしもあなたに恋をしたの」

 姫ちゃんは困ったように笑う。

 「だからわたし。がんばって選ぶの。アユムくんかしのぶちゃんか、真剣に考えぬいて、今度は絶対に間違わないで、一人だけ選ぶの。そうしなくちゃいけないって、アユムくんのお陰で分かったから」

 「そうか」

 ぼくは言って、笑った。

 最高に良い気分だった。

 だってぼく、姫ちゃんに好きって言ってもらえたんだ。

 「だから。きっと負けない」

 ぼくは言った。

 絵を描こうと思った。生まれて初めて、自分じゃない誰かの為の絵を。他の何よりも、誰よりも最高に素敵なものを考えて、何としても、何をしても、それを姫ちゃんに送ろうと思った。

 「それはわたしもです」

 「姫ちゃんが?」

 「ええ。……アユムくん、人の表情見るのは好きなのに、結構鈍感です」

 姫ちゃんはくすくすと笑った。

 「きっと負けないよ。わたしもね」

 少し感覚を置いて、大きな花火があがった。

 これからクライマックスだ、と、根拠もなくぼくは思った。

 「すっげーなぁ。すげぇ」

 すげぇすげぇと、しのぶちゃんは先程からそればかり呟いている。

 姫ちゃんの言うことはまだ分からない。

 だけれどとにかく今は、空で弾け続けるその芸術を目に焼き付けることに集中しよう。

 きっとぼくの作る絵画が、これに劣ることのないように。

 最後まで読んでいただいて本当にありがとうございます。

 人生でもっとも楽しく書くことのできた作品です。気に入っていただけたでしょうか?

 どうか感想よろしくお願いします。

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