表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

前史 〜万博戦争と高度経済成長の終わり〜

昭和39年は、日本にとって戦後最大の転換点となった。


同年6月、数年後の開催が検討されていた万国博覧会を巡る巨額贈賄事件が発覚した。大阪の経済団体が、開催地の決定を有利に進めるため、政治家に対して水面下で働きかけを行っていたのである。政財界を巻き込む未曾有の汚職事件は政府への信頼を失墜させ、万博反対運動は瞬く間に全国へ広がった。


やがて運動は学生運動や労働争議と結び付き、各地で機動隊との激しい衝突を繰り返すようになる。後に「万博戦争」と呼ばれるこの騒乱は、日本全土を覆う暴力的な反政府運動へと発展し、多数の死傷者を生んだ。


政府は非常事態を宣言し、自衛隊に治安出動を命じた。しかし事態は収束せず、都市部では交通網や通信施設が相次いで麻痺し、日本経済は深刻な混乱へ陥る。


政府はついに万国博覧会の検討を白紙に戻した。さらに国家再建の象徴とされていた東京オリンピックについてもIOCへ延期を要請したものの、治安回復の見通しは立たず、翌昭和40年に開催権を返上した。東海道新幹線計画も無期限凍結となり、日本の高度経済成長はここで大きく失速した。


万博中止後も混乱は終息せず、万博反対運動は反体制運動へと姿を変える。各地で過激派組織が台頭し、東京・大阪などの大都市では爆破事件や武装衝突が相次ぎ、日本は長期にわたる内乱状態へと突入した。


これに対し、地方都市には都市部から多くの避難民が流入した。各地では自治体や住民による自警団が組織され、とりわけ播磨・山陰地方では強固な地域防衛体制が築かれた。


昭和41年、兵庫県姫路市は混乱の中で独自に「姫路大博覧会」の開催を宣言する。過激派による妨害が危惧されたものの、自警団と地元警備隊の厳重な警備により会期を通じて大きな事件は発生せず、博覧会は成功を収めた。


この成功は、混乱の続く日本において「復興は地方から始まる」という希望の象徴となった。


博覧会に合わせて開業した姫路モノレールは閉幕後も廃止されることなく運行を継続し、播磨経済圏の急速な発展を背景に延伸工事が進められた。そして昭和44年には日本海側の鳥取市まで到達し、世界でも例を見ない県境を越える長距離モノレール路線が誕生した。


首都東京ではなお交通網の維持すら困難な状況が続いていたのに対し、播磨・山陰連合経済圏は独自の治安維持と経済発展を実現し、日本復興の中心として台頭する。姫路モノレール沿線は復興の生命線であると同時に、過激派に対抗する自由地域の象徴ともなった。


そして昭和45年、日本全国で都市間輸送を担う公共交通機関は、姫路と鳥取を結ぶ姫路モノレールのみとなっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ