第22話 裏ツアー
ゾンビ観光は、成功した。
旅行会社は保護施設の見学を加え、観察場所を増やし、外国語に対応できる添乗員を雇った。防護ガラスと二重の鍵の向こうにいる感染者を眺める限り、事故は起きなかった。
観光目的の入国制限が解除されると、海外からも団体客が押し寄せた。規制線の周辺には多言語の案内板が並び、土産物店では噛み跡を再現したクッキー、赤いジャムの入った饅頭、首を傾けるゾンビの首振り人形が売られた。
すべて、安全な港区の外で作られていた。
旅行会社は、ツアーを重ねることで安全性が証明されたと発表した。平均評価は四・六まで上がったが、残った不満はほとんど同じだった。
《遠い》
《ガラスが反射して写真が撮りづらい》
《もっと自然に動いているところを見たい》
《配信で見るのと変わらない》
《追加料金を払ってもいいから近づきたい》
旅行会社は、安全上の理由から要望には応えられないと回答した。
正規の窓口では。
最初に声をかけられたのは、ツアーの案内補助をしている契約社員の男だった。参加者の人数を数え、列から離れないよう注意するのが仕事で、感染者へ触れることも檻を開ける権限もない。
ただ、どの道路が使われ、どの施設を何時に回り、どこで監視が緩くなるかは知っていた。
海外から来た参加者が、見学の後で男へ尋ねた。
「もっと近くで見られないか」
男は断った。参加者は、スマートフォンの翻訳画面を見せた。そこには、正規ツアー料金の十倍の数字が表示されていた。
男はもう一度断った。
その日の夜、同じ数字を思い出した。
翌週、男は参加者を三人だけ、正規コースにない建物へ案内した。
感染者保護施設の裏手だった。使われていない搬入口から、正規の見学場所より五メートル近い位置で檻を見ることができる。防護ガラスはないが、金属製の柵が二枚あった。
参加者は喜び、柵へスマートフォンを近づけた。感染者が人の気配に反応して両腕を伸ばすと、三人は声を上げて何枚も写真を撮った。
誰も噛まれず、柵にも触れないまま、見学は十分で終わった。
男は、正規ツアー一日分より多い金を受け取った。
最初の裏ツアーは、事故なく成功した。
成功したことは、男にとって安全だったことを意味した。
参加者がSNSへ投稿した写真は、正規の観察場所では撮れない距離からのものだった。
《どのコース?》
《こんなに近づけるの?》
《予約先を教えて》
問い合わせが増え、男一人では対応できなくなった。同じ会社のスタッフが加わり、施設の警備員が使われていない時間帯を、輸送業者が監視カメラに映らない通路を教えた。
正規ツアーでは見られない場所を案内するだけだった。参加人数は少なく、感染者には触れず、檻も開けない。
危険なことは何もしていない、と全員が考えた。
裏ツアーにも複数のコースが作られた。保護施設の搬入口、感染者が残る飲食店、ゴーカートが放置された駐車場。そして、感染者が今も生前の行動を繰り返している個人宅。
最後のコースは特に人気があり、料金も高かった。観光用に整えられた施設ではなく、感染者本人が事件前に暮らしていた生活が、そのまま残っているからだった。
ある夜、スタッフ二人が、四人の客をマンションへ案内した。
封鎖区域内にある、小さな部屋だった。
ドアの前には、行政が設置した簡易柵がある。
感染者が外へ出ないようにするためのもので、人間が中へ入ることまでは想定していなかった。
スタッフは、輸送業者から借りた鍵を使った。
「短時間でお願いします」
男が言った。
「中のものには触らないでください」
正規ツアーと同じ注意事項だった。
ただし、ここには防護ガラスも、専用檻もなかった。
スタッフが先に部屋へ入る。
玄関には靴が並び、壁には服が掛かっていた。化粧品の箱と未開封の郵便物も残り、事件が起きた日のまま、生活だけが止まっていた。
奥の部屋から、何かが倒れる音がした。
客たちがスマートフォンを構えた。
リングライトの前に、若い女性が立っていた。
ゾンビインフルエンサーだった。
女性は片手を振り、身体を揺らし、両手で決まった形を作った。首を傾けたところで動きが止まり、また最初から繰り返す。
客の一人が、小さく歓声を上げた。
女性が反応した。
リングライトの前を離れ、声のした方へ歩き始める。
スタッフが長い棒で押し戻した。
女性は棒へ腕を伸ばした。
「近づかないでください」
スタッフは言った。
客たちは笑いながら後ろへ下がった。
その場面も撮影された。
女性は人間へ近づけないと分かると、再びリングライトの前へ戻った。
同じ位置に立つ。
同じ動きを始める。
しかし、机の上のスマートフォンは暗いままだった。
客の一人が尋ねた。
「なぜ配信が止まったの」
スタッフは答えられなかった。
別の客が、機材をのぞき込んだ。
動画配信もしている人物だった。
「これ、壊れてない」
電源タップのランプが消えている。
壁のコンセントから、プラグが抜けていた。
女性が何度も動いた拍子に、机の脚がコードを引っ張ったらしい。
配信が止まった理由は、それだけだった。
客がプラグへ手を伸ばした。
スタッフが止める。
「触らないでください」
「差すだけだよ」
「室内のものには触らない決まりです」
「これは正規ツアーじゃないだろ」
スタッフは何も言えなかった。
客は、プラグをコンセントへ差した。
電源タップのランプがついた。
リングライトが明るくなる。
机の上の機材が、一つずつ起動した。
スマートフォンの画面に、配信アプリのロゴが表示された。
女性が光へ顔を向ける。
いつもの位置に立つ。
片手を振った。
「おはよー」
深夜だった。
配信開始を知らせる通知が、一億台を超える端末へ送られた。




