表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私だけ…。  作者: あきら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/6

第六章 君を、助けさせて欲しい

そこまで一気に話し終えると、プールサイドには、先ほどよりもさらに深く、重い沈黙が降り立った。

遠くで響くクラスメイトたちの楽しげな水しぶきの音や歓声が、まるで厚いガラスの向こう側の出来事のように、二人の耳には全く届かなかった。

さやかさんは、完全に硬直していた。

彼女の手の中で、隠し持っていた弟の写真は、皮膚が白くなるほどの力で激しく震えていた。彼女の大きな瞳から、溜まっていたものが堰を切ったように、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ、長袖の制服の膝の上に、いくつもの黒いシミを作っていく。

彼女は、俺の過去の壮絶さに怯えたんじゃない。

目の前にいる俺が、彼女が今まさに味わっているのと全く同じ『誰にも言えない地獄』を、骨の髄まで知っている人間だと、魂の底から理解したからだ。

「俺はね、さやかさん」

俺はベンチからゆっくりと立ち上がり、彼女の正面に回って、その涙に濡れた虚ろな瞳を、真っ直ぐに見つめた。

「今のさやかさんが、どれだけの地獄の中にいるか、痛いほど分かるんだ。毎日家に帰るのが怖くて、お母さんにいつ殴られるかビクビクして、世界中で自分だけが独りぼっちで、誰に『助けて』と言っていいかも分からない。その、息もできないような絶望を、俺は知っている」

俺はもう一歩、彼女の震える身体に近づいた。

「あの時、血を流して道路を這っていた俺を、大人はみんな無視して逃げていった。タバコを押し付けられた時も、長男の部屋で泣いていた時も、誰一人として、俺の手を握ってくれなかった。ずっと、ずーっと、暗闇の中で独りだった」

俺は、自分の制服の胸を、痛いくらいに強く握りしめた。

「だから……さやかさん。俺に、あなたを助けさせてほしい」

「え……?」

さやかさんが、涙に濡れた目を大きく見開いて、掠れた声を上げた。

「さやかさんを助けることは、あの時、誰にも助けてもらえずに、部屋の隅で震えていた小さい頃の俺自身を、救うことでもあるんだ。あなたの苦しみを、俺に半分背負わせてほしい。もう一人で耐えなくていい。俺が、あなたの盾になるから。お願いだから、俺に、あなたを助けさせてください」

さやかさんは唇を激しく震わせ、俺の制服の裾を、指がちぎれんばかりの力でギュッと掴んだ。

彼女の心を何年も縛り付け、世界を拒絶させていた冷たくて分厚い『見えない壁』が、今、激しい音を立てて崩れ落ちていくのが分かった。プールサイドの眩しい太陽の下で、二人の運命が、確かに重なった瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ