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43話 煌めくもの。

 お読みいただき、ありがとうございます。

 読まれたい。


 賑やかな喧騒に包まれていた筈の会場が静まり返る中、ただ一人だけ男が笑う。


「ガッハッハ。そんなお顔をされるでないぞ、可憐なシニョリーナ。で、お父上はどこかな?」


 監査官だった。横にも広いが、背もまた高い。

 立ち止まったままに、前に立つアウグスタの頭を超え、フィオナへ言葉を投げた。

 多くひしめく迎賓達は、沈黙を以て事態を注視していた。彼が、法の下に派遣された監査官であるがために。


「おやめください、監査官殿」


 アウグスタは振り向き嗜める。視線を遮る事は出来ないが、せめて背を立て胸を張るしかなかった。


「……知りません」


 か細く、背中越しに聴こえるフィオナの声。

 これ以上、進ませる訳にはいかない。


「知りませんだと? 娘である貴女がか?」

「おやめくださいと、言っています」


 立ち止まりはしたものの、怒鳴り、ほうほうと呟く監査官。その視線はフィオナへ向けて注がれたままでいる。

 だがやがて、ふっと下がった。

 粗野な素振りを収め。

 

「『代行』殿な。拙者も官僚の端くれとして、新しき法案には興味があるのですよ。どう執行されるかも、含めてですな」


 言葉こそ慇懃であるが、声は粘りを帯びている。

 その視線は一度、アウグスタの顔から胸元へと滑り、やがて満足げな吐息が漏れ出た。

 

「実に気が利いておる。『受益者への遡及的回収』などと言われば、黙って『持ち逃げ』をする者もおるでしょうからな」


 それは可能性として排除し切れない、現実的な問題であった。

 そして、それを防ぎながらの保険として、連帯保証制度がある。


「会頭が見つからん以上、お嬢様に話を聴かせて頂くのは、当然の事ですからな!」


 再び笑う監査官。

 アウグスタは僅かに唇を戦慄かせた。


 自ら編んだ法の冷たい切先が、我が身へと向けられている。


 細く、短く息を吐く。

 

「監査官殿。会頭が『逃げた』という判断は、いささか性急でしょうに」


 だが、アウグスタには抗う為の言葉は残されていた。遠くとも、背中に感じる「怯える娘の姿」。


 状況や情報は精査しなければならない。

 今、見つからないから即身内。

 それでは、あまりにも短絡的過ぎた。


 懇々と、悟す様に続ける。


「いつも忙しく、商売に飛び回っている方ですからね。すぐに捕まらない事もありますわ」


 大体、ミリオッツイ会頭が逃げる筈がない。その選択をした場合、失う物が大き過ぎるからだ。


「それがな『代行』殿。どうも破綻した業者によると、ミリオッツイ会頭とは昵懇であった様でな? それではとても、辞任程度では足りんなぁ?」


 再びアウグスタへ視線を戻した監査官が言った。

 楽しげに細められる瞳、皮肉に吊り上がる唇。


 よもや、隠居でも促すつもりか。私人による責任の取り方としては、非常に重いものだ。

 

 だが、アウグスタは胸を張る。


「あらあら。実業家の彼が、ですか? もしかしたら、市場との癒着の情報でもありまして?」

「まぁ、業者側の言い分によると、ですがな」


 問いへの僅かに弱い返答で、アウグスタは確信する。「事実」を、造りにきていると。


 ミリオッツイは大きな商会だ。従業員の福利厚生として、巷に蔓延る「先物取引市場」への出資を行なっていた。

 危険分散のために、実に多くの業者を使っているとも聞いている。その幾つかが破綻したとして、揺らぐ商会ではない。

 だが、付き合いはあったのだろう。

 それを、大きく見せるのは、情報を既成事実の様に埋めるやり口だった。


「商人として、信用を失う真似をするかしら?」

「それを確かめるために、お嬢さんには話をお聴きしたいのですよ。公僕として『二人っきり』でな」


 場の空気が一瞬で軋む。


 実に愉しげに語る男へ、コイツ、と再び思ったアウグスタであった。


 二人きり。その言葉が意図するもの。

 密室。証言の捏造。そして、年若き娘の尊厳を無惨に踏みにじる、公権力という名の蹂躙。

 一度でもその場に連れ込まれたとなれば、二度と「元のフィオナ」が戻りはしないだろう。


「『代行』殿。妙な勘繰りは止して貰おうか」


 最悪の想像を脳裏に描いていたアウグスタだが、その思考は他ならぬ監査官によって遮られた。


「あら。歳若い娘さんと『二人きり』になりたいと仰る殿方に、妙な勘繰りと言われましても」


 先を促す。


「まぁ、儂の魅力ならば、一晩も語り合えば女性が放ってはおかんだろうがな! どうですかな? 『代行』殿も一緒に。極楽に昇らせてやりますぞ」


 凍りついた様な間があった。

 再びコイツ、と思い掛けたアウグスタだったが、その耳は突然に、大きな破裂音を聴く。

 次いでどよめきが、会場内に溢れた。


「……失礼。少々力加減を間違えまして」


 アントニオの手元からだった。魔銀の杯が握り潰されている。その手から滴り落ちる赤い液体は、血液ではない。ガリア特産のワインであった。


 ——落ち着きなさい。私の騎士。


 アントニオを睨みつけるアウグスタ。

 プイと顔を逸らす騎士だった。


「武辺者で、夜会慣れもしておりませんの。多少の粗相はお許しくださいな」


 アウグスタは口を閉じてしまった監査官へ、微笑みかける。

 背中には小さく、フィオナのぶつぶつとした呟きが聴こえてもいる。上手く聴き取れはしないが、同じ言葉を繰り返し続けている様だった。


 ——不安よね。でも、大丈夫よ。


 アウグスタの胸は締め付けられる。呼吸も浅く、やや早い。だが、覚悟はとうに出来ている。


「……どうして、……勝手に」


 こんなにも、震える声が。


 かつて義姉が守り通した様に、今の、これからのトラーパニの子供たちを守るのが、私の役目だと。


「くっはっはっ! 中々愉快な余興よな!」


 やはりまた、男は豪快に似せて笑う。


 顔色は、あまり良くない。

 硬く強張った、首周りの厚い筋肉。

 額だけでなく、鼻の頭へ滲む汗。

 口から漏れ出るは、浅く、速い音。

 

 アウグスタの瞳から、わずかに残っていた社交用の光が消え、深く、冷たく沈んでいく。

 それはもはや、人を視る目ではなかった。


 だが相手は王国の、法の権威を盾に生きる者。

 言葉だけでも丁重に。


「お楽しみ頂けましたのなら、光栄ですわ」


 王のまします権威だけは侮れない。それを利用し尽くす手管を持っているなら、尚更だった。

 ジロジロと視線が身体に注がれようが、アウグスタは真正面から受けて立っている。

 

「……っ」


 彼女は後ろから、呟きらしきものと共に、歯を食いしばる様な、硬い音が微かに聴いた。

 振り返るまでもない。フィオナのものだ。

 

「良い騎士をお飼いだのう。よもやその身体で、手懐けておるのかな」


 底の浅い男だと、「当主代行」は断じる。

 それは、何も彼女だけではないのだろう。

 囁く男女達の言葉の端々に、権威なくば何ほどの者であろうとの冷たさが、僅かに漂っていた。


「……お父様も、……こんな男に、……なんで、私が……」


 後ろから漏れ聴こえてくる、フィオナの擦り切れかけた独語。対しては、鼻息も荒い目前の男。


「流石に笑えませんわね。喪服の寡婦に向けて、なんのご冗談ですの?」


 言葉にも視線にも、蔑みが乗った自覚があった。

 だのに、監査官は気付かない。場の空気にさえ。

 

「なんの、なんの、喪服の寡婦だからこそ、優しく慰めてやらなければな。案外に気の強いことよ。躾け甲斐がありそうだわい」


 何が楽しいのか、哄笑まで浮かべている。

 品の良いご婦人方は、ただ静かに俯いていた。

 その扇子を握る指の強さだけが、場に集う者達の心を代弁している。


「まぁ、まずは、其方のシニョリーナをだな……」

「黙りなさい」

 

 ケダモノの遠吠えに、冷たく差し込んだ言葉。

 顔色を一瞬赤黒く染める監査官が再び口を開こうとする。


「お……」

「残念ながら、フィオナはご協力いたしません。もしも話を聴きたいと仰るなら、ミリオッツイ商会頭の正式な、消息不明届けを持ってのことね」


 その先を、囀らせもしなかった。

 そしてこの段階でアウグスタは、探り続けていた監査官の目的を結論付けた。

 その身体は大きくとも、器の小さな男の目的は、嫌がらせ。

 あわよくば、という欲が乗っただけの、卑小なものだと。


「商会への信頼は揺るぎません。見つからない会頭ですか? きっと今は、被害者弁済のためにでも、走り回っているのでしょうね」


 大方、キエッリーニの支援者であるミリオッツイの切り崩しを、狙ってのものだろう。

 フィオナだけでなく、商会には大変お世話になっている。

 昼間に渡した、七冊のキエッリーニの帳簿。

 その瑕疵を見つけるよりも、歪曲された情報を積み上げるために来ていた。


「はっはっは。これは、これは。『奥方様』? もしや、会頭もそのお身体で、お繋ぎで? なんとも羨ま、けしからんことですな!」


 あまりにも、空虚な嘲笑が響く。沈黙にも似た、けれども不潔な響き。

 眉を顰める者、扇子で顔を覆うご婦人、明らかな侮蔑を浮かべる紳士達。

 様々な反応が、静かに彩られていた。そしてアウグスタの騎士は、表情から色が消えていた。


 ——待て、よ。刺すならば、機を伺いなさい。


 ただでさえ無表情なアントニオであるが、アウグスタにはわかる。あの貌は、人間性を切り捨てて、剣と化したときのもの。

 僅かな動揺が浮かんだ彼女だが。


「……クソ親父め」


 ——今、なんと?


 アウグスタには聴こえてはいけない低く獰猛な言葉までもが、背中から届いた気がした。


 きっと、幻聴だろう。

 彼女は胸を逸らし、下劣な男を睨みつける。

 

 気付かぬ道化は、ただ一人。

 哄笑が、絶頂に達した男だけ。

 息の上がったその先に、本物の静寂が訪れる。


 


 そこに——。


「……黙りなさい。下郎め」


 凛とした、声が響いた。


 アウグスタのものではない。その背中から発されるのは、理知的でありながら強い、少女のもの。


 思わず振り返るアウグスタ。

 そこには顔を上げた、フィオナ・ローサ=ミリオッツイの姿があった。


「発言を、許可した覚えはない」


 高く透る声。

 アウグスタは、その声が向かう先を流し見る。

 座る椅子にてアントニオが口角を上げている。

 ついでの様に、口をポカンと開けたままの監査官が目を白黒させているのが見えた。


 役職以外に価値のない男の顔なぞ、興味はない。

 アウグスタの視線は、少女へと注がれている。


 スラリとした長い手足に細い肩。

 髪は乱れ、普段の瀟酒な装いとは異なった。

 だのに、その貌には悪戯というには強過ぎる微笑が浮かんでいる。


 ——カツン、カツン。


 一歩、二歩。淑女の嗜みである、踵を鳴らす音。


 視界へ映るのは、華奢でありながら背を伸ばし、逞しく歩む瀟酒な姿だけではない。

 どこまでも透徹する様な、冷たい覇気。


 見開かれたその瞳、混濁したヘーゼルの色彩が、夜会の灯を反射して鋭利な金へと変質していた。

 何よりも、冷たくも美しい瞳。

 ハシバミ色のその縁へは、薄らと微笑を湛えてさえいる。


 そしてアウグスタは思い出す。笑顔というモノの、本来の意味を。

 柔らかな中に輝くは、瞳という強き牙。


 すれ違い様、肩を叩かれる。

 ごく自然に振り返り、そのまま目で追っていた。

 スラリとした肢体が立ち止まる。

 フィオナは立っていた。監査官の目の前に。


 背丈は監査官に及ばない。

 軽く揺れる、一房の金色の髪。

 凛として背筋を伸ばした「娘」の背中は——。


 彼女は監査官殿の首元を掴み、顔を引き寄せる。


「もしかして、お父様の血かしらね?」

「……お母様の影響でなくって? どちらのでも」


 充分な距離がある筈なのに、囁きながらも聴衆たる迎賓たちが、一歩だけ身を引いた。


「お゛ぁ゛っ! こらっ! おほっ……」


 そして、ガタガタと揺らす。怒声とも困惑ともつかぬ、叫びをあげる監査官。

 フィオナは彼の視点を、自分の高さまで降ろしている。


「ちょっ! 待ちなさい! フィオナ!」


 その距離は、唇が触れ合いかねないほどとなる。慌てて嗜めようとしたアウグスタであったが——


「……あ゛ぁ゛ん゛?」


 返った、その声は低い。


 ——え? これフィオナの声なの?


 割り込もうとしたアウグスタであったが、あまりの恐怖に彼女は言葉を失った。


「ねぇ、おじ様? 態々キエッリーニの夜会の席へ何をしに、いらっしゃいましたの?」

「な、何をとは……」


 裏腹に、艶のある響きがフィオナの唇からは流れた。口調だけは丁重ながら、圧がある。

 モゴモゴと呟いた男へ、ハンと息を吐く歳若き淑女であった。


「暇潰しで嫌がらせにでも、来たのかしら?」


 首を横へと振る監査官であるが、その推測はアウグスタのものとも一致したものだ。

 態度や、本来の監査や調査とは異なる介入から、彼がやって来た目的なぞ見え透いていた。


「こっちはね、毎日、毎日、少ししか無い時間を必死で作って来てんのよ。着付けに化粧に挨拶周り。おかげで趣味の市場巡りさえ、やれてないのよ」


 見目が良い癖に、動き辛いと女らしく着飾る事をしないフィオナには、キエッリーニの侍女たちが大いに奮っていた。


 監査官の掠れた呻き声が、僅かにあがる。だが、それに気を止める者はない。


「あの、あの。……ごめんなさいね?」


 アウグスタたちの「個人的な」楽しみのせいで、「依頼している」霊核輸出事業での業務を終えれば、フィオナは長時間、キエッリーニ邸にて拘束されている。

 アウグスタの謝罪が、虚しく響いた。


「別にね、いいのよ。社会に出れば、やんなくちゃならないことだしね? でもね、でもね?」


 勢い良く捲し立てるフィオナへ、監査官が返せる言葉はない。その視線は、思いの外豊かな双丘が作り出した谷間へと、注がれていた。


「おほっ、結構なモノをお待ちで……」

「こんなものが、好きなの? 可愛い坊やね?」


 そう言ったフィオナが、監査官へと微笑んだ。

 恐怖か法悦か、あるいはその両方か。だらしなくも緩む男の顔。

 奇妙な間があって、彼は何かを言い掛ける。


「なんて、言う訳ないでしょ! こっちはねっ! クソ親父がいきなり『隠居』するだなんて言い出してっ、迷惑してるんだからっ!」


 フィオナの絶叫が木霊した。

 近距離からの音圧により、白目を剥く男。


 ——隠居ですって? そこまで……。


 アウグスタは思いもよらぬ情報の衝撃に、身を竦ませる。重い、決断を知った。


「聴いてんのっ! このっ豚っ!」


 フィオナが監査官の頬を張る。意識を取り戻した彼は、ガクガクと頷いていた。


「何が、『お前になら、任せられる。俺は、責任をとる』よ? アタシ、まだ十八の学生よ? まだまだ履修してない講義だってあるし、他にも色々、やりたいことだって沢山あるのよ」


 切実な、若者の主張だった。

 会頭は、以前よりフィオナを後継として指名している。彼女もまた、その期待に応えようと頑張ってきていた。


「大人のけじめだとか、男の意地だとか、よくわからないものに娘を巻き込むなっての。バカ親父を止めて貰いたくて、奥方様に相談に来たってんのに、アンタ」


 一拍止め、フィオナは横に立ったままでいるアウグスタへ向くと、ギロリと睨みつけた。

 金色に、煌めく瞳。


「ゴチャゴチャとおっさんは煩いし、奥方様たちは何かイチャついてるしで、アタシの相談どころじゃないのよ」


 誰も、何も言えないでいる。

 その主張内容は実に個人的な感情からのものであるが、とにかく凄い剣幕だった。


「そ、それは誠に災難であったな」


 だがそこに、流れを読めない声が挟まれる。小娘へと愛想笑いを浮かべた、中央の監査官殿である。


「それもこれも、アンタのせいでしょうがっ! 嫌がらせなんて程度の低い真似してないで、ちょっとはマトモに働きないなっ!」


 フィオナは掴んでいた男の首元から手を離す。

 巨体が頼りなくよろめいて、ドシンとした音を立てながら尻餅をついた。


 呆然と、少女を見上げる監査官。


 会頭が、隠居ですって? まさか、そんなバカな話、などと漏れる言葉と共に、ガヤガヤと騒めいていく会場内。

 『隠居』とは、社会的にも政治的にも、発言権を返上するもの。

 義務は免責されるが、権利の行使もまた停止された。謂わば、公的な死に近い意味を持つ。


 しかしその重ささえも、「よくぞ言ってくれた、お嬢様」という空気により上書きされていく。

 誰もが、遊びや暇潰しのために、時間を割いてまで来ている訳ではないのだ。


 アントニオが騎士たちへ号令している。大丈夫だとは思うが、監査官殿が錯乱し、暴れ出した際への備えだろう。

 そして、アウグスタから最も近くに見えるのは、フーフーと威嚇にも似た息を吐き出しているフィオナの姿。ハシバミ色の瞳。


 ——この状況、私が纏めないといけないのよね?


 なんとも言えない空気の中、夜会の支配人による内心の問い掛けは、誰かに届く筈もなかった。


 




 


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