表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/55

42話 絡みつくもの。

お読みいただき、ありがとうございます。


 女は昼と夜とで、まったく異なる顔を持つ。


 昼間は子らを育み、時には躾ける「お母ちゃん」の顔であったアウグスタだったが、今は違う。

 一人、場を俯瞰して見る女主人の貌をしていた。


 そんな彼女は気付く。

 ふうわりと甘く、漂う香りに。

 僅かに首を傾げれば、豊かな黒髪が揺れ、また少しだけ香りが強まった。


 ——妙ね?


 アウグスタは香水をつけない。

 また、装飾品も着用しないでいる。喪服を纏う未亡人であるからだ。

 唯一の華美な飾りといえば、棺の形を模した、首飾り一つだけだった。


 だが、確かに漂う懐かしくも幸福な匂い。

 ふと、顎へ指を添える思考の姿勢を取ろうとした時に、彼女は気付いてしまう。

 

 ——お菓子作りの残り香ね。


 思わず、くすぐったさに口元が緩んでしまった。

 とはいえ、あまり緩むのでは威厳がない。

 扇の骨が、鼻先に触れる。

 さりげなく扇子を掲げて隠したが、誰かに見られやしなかったかと、内心では少々慌てていた。


 当然の様な顔をして、夜会を見渡すアウグスタ。

 多くは社交を楽しみ、それぞれが好きな事をしている。失態を晒していないと安心出来た。

 だが、ただ一人だけ、此方を見ている者がいる。


 無駄に造形の良い、美形顔。

 それでいて、愛想の一つも浮かべない鉄面皮である。一瞬、二人の視線が交わされた。


 フッと微笑むは、アウグスタの騎士にして剣。

 プイと顔を背けた未亡人。


 ——少し、蒸し暑いわね。湿度調整が必要だわ。


 そんな事を考えて、場を取り仕切ろうとする喪服の淑女であった。



 騎士達の婚活会場と銘打っている夜会とはいえ、場に集うのは若者達ばかりではない。

 例えば、近い所に居る三名のご婦人方。


「お聞きになりまして? あの『霊核先物取引』から、続々と手を引く商会が出ているのですって」


 彼女達は参加者の両親や、兄弟姉妹達などである。家へと入る者への選別は、家族や保護者として放っておけるものではなかった。

 その会話も、バカにはならない。


「あらあら。流石にお耳のお早いこと。宅の主人もまた、手を引くつもりですのよ」

「ウチの人もですわ。ミリオッツイ様も、手を引くそうですしね。利回りが良くても、危ない橋じゃ仕方ありませんし」


 中でも年嵩のご婦人が言えば、もう一人も同意する。話題を振った年若い女性は、ハンカチを口元へと当てた。


「でも、そのせいで火傷をされる方々もいらっしゃるでしょう? そこかしこで、騒いでいる方々がいらっしゃるのよ。アタクシ、怖くって」


 三人ともに言葉程には切迫していない様子だが、一面では生きた情報だった。


「あらあら、投資は自己責任ですわよ。それに、利益を手放す事で、行政府により元本の補填がされますからね。さっさと降りてしまえばよろしいのに」


 優雅に笑い合いながら、彼女達も情報収集に余念がない。相手からも情報を引き出すために、それぞれが持ち寄る情報があった。


「知らないのでしょうね。布告もちゃんと読まないのが庶民ですから。おお、お可哀想な事」


 アウグスタは一つ頷く。

 届く場所と届かぬ場所が、ある程度まで絞れてきている。

 婚活という目的を持った社交の場が、情報の集積所として価値を高め始めていた。


「そういえば奥方様は、またアーモンドクッキーを作られないのかしら? 家の息子も、子供の頃から好きなのよねぇ」

「広く門戸を開くから、過敏反応の出そうな食材は控えておられるそうよ。中々の、やり手ですわね」


 こういった、あまり重要でない話題も多いが。


「気を遣い過ぎよね。まぁ、その慎重で堅実な姿勢ですから、信頼も出来るのですけれど」

「そういった事にまで気を回す余裕がない方達は、口さがなくって困りものですわね」


 しかも自分への言及であるので、アウグスタには大変こそばゆい。


 また、他方へと目を向ければ。

 男性達が語り合う。

 こちらは壮年の男性と、まだ若い青年、頭も髭も真っ白な老人が、杯を干しながら管を巻く。


「なんなんだ、あの赤布の連中は。冒険者や海の男の誇りはないのか!」

「アイツらって、王都からの流れ者らしいっすよ。港町の風儀ってもんを、叩き込んでやりてぇっす」


 巷では、硝煙の臭いを撒き散らし、威圧的に振る舞う者達が増えているそうだった。

 この情報は、朧げにしかアウグスタにも拾えていないものである。

 つい、聴き耳を立ててしまう。


「血気に逸るなよ。俺達の普段の喧嘩とは、違うんだからな。今更、血を流す事はない」

「けど、アイツらが横暴を働く様なら、オレは『決闘』だって、やってやるっすよ!」


 酔っているのか威勢が良いが、まだ若い青年に、あまり危険な真似はして欲しくはない。


「いや、お前さん喧嘩はからっきしじゃないか。そういう荒事は、得意な奴らに任せておきなよ」


 最初に怒鳴った壮年の男性が最も冷静なのは意外だが、彼等は銃器談義へと移っていった。

 アウグスタとて知っている。男性は武器とか銃などの話になると、盛り上がるのだと。


 だが、悲しいかな、口径がどう、薬室がどう……。などという話題は頭に入らない。


 男たちの熱狂も、アウグスタの脳内においては「要・専門家への照会」という一行に変換される。


 そう、例えば。

 アウグスタ最大の支援者でもある、ミリオッツイ商会頭の様な。


 形式番号や製造元の固有名詞に記憶を割くほど、彼女は浪漫派ではなかった。

 情報は断片的な走り書きに、留まる事となる。




「奥方様、ちょっと」

「あら、フィオナ。今日は遅かったわね? アントニオも、貴女が来るのを首を長くして待っているわよ」


 アウグスタの側へと寄ってきて、そっと袖を引いたのはミリオッツイ商会の一人娘、フィオナであった。アウグスタはつい、誘う様な軽口をかけてしまう。


「いえ。そういった話ではありません」


 随分と、憔悴している。

 霊核の輸出事業が軌道に乗った事により、フィオナへの負担も増したかとアウグスタは判断する。

 まだ、十八なのだ。そろそろ負担を肩代わり出来る人選を、しなければならない時期に来ていた。


「どうしたの? 何か、ありましたか?」


 アウグスタが尋ねてしまうのも無理はない。

 普段は明るく理知的なフィオナの顔色が、すこぶる悪かった。疲労か、重圧か。そう考えた矢先に、若い娘の唇が力無く動いた。


「父が、父が……」


 啜り泣きにも似た、掠れ声。

 ミリオッツイ会頭の身に、何かがあったのか。

 子供の様に繰り返すだけのフィオナは、尋常な様子ではなかった。

 アウグスタはその手を握り、頭を抱き寄せる。

 ほんの少しだけ、気丈な娘は杏仁の香りに瞳を細めた。


「……いえ、ここよりも、こちらに来なさいな」


 どちらにせよ、話を聴かない訳にはいかない。

 抵抗なく身体を預けてくる娘を、奥の休憩室まで連れて行こうとしたその時に。

 夜会の喧騒を裂く様な、脂ぎった音声。


「失礼する。儂は王国財務省より派遣された、監査官である。キエッリーニの奥方様はおられるか」


 キエッリーニの屋敷、白き屋敷の門へ、酒焼けした怒鳴り声が響いていた。

 騎士達が、腰へ手をやる仕草が見えた。

 アントニオへ、視線を送る。

 彼が片手を上げると、膨れかけていた剣呑な気配は霧散した。


 アウグスタはフィオナの細い指から手を離す。

 一人にするのも不安だが、この屋敷を預かる者として、対応を人任せにする訳にはいかない。


「私が対応します。せっかくのご指名ですからね」


 ——せめて、リナかルカでも居れば。


 アウグスタは、子供達の参加を認めなかった事を悔いつつも、そっとフィオナの背中を押しておく。


「行きなさい。少し休んで、それからね」


 だが、立ち止まったフィオナは首を振る。否定の意味でであった。

 仕方なく、息を吐き出すアウグスタ。

 あまり、あの方は若い娘さんには「良くない」。彼女は、そう考えていた。


 ズカズカと響く足音。

 叩き付ける様に、足裏を鳴らしている。

 淑女は高い踵を鳴らして歩むもの。だが、紳士は音を立てずに歩む事が美徳とされた。


 人波を抜け、迎賓室の扉のまえに立つ。

 従僕として見習う青年達が、扉の左右に着いた。

 女世帯であるキエッリーニの屋敷には、男性である執事はいない。

 動きかけていた「アントニオ」の騎士達は、ピタリと止まった。


「客人を、迎えなさい」

「「はっ!」」


 ゆっくりと、重い扉が開かれてゆく。


 ——さて、監査官殿は今日の今日にて、どの様なご用件をお持ち寄りでしょうか。


 女でなく「当主代行」としての微笑の仮面を貼り付けたアウグスタは、恭しく淑女の礼をとった。


「お邪魔いたしますぞ。キエッリーニ・トラーパニの「代行」殿」


 大仰な、紳士礼。粗暴な歩法や昼間に見えた横柄さは鳴りを顰め、仕草は中々板についている。


「いらっしゃいませ。王都よりお越しの、監査官閣下。夜会への、ご参加かしら?」


 淑女らしく、嫋やかに。アウグスタもまた、社会性という名の仮面を被った。


「なんの、なんの。儂の子供達は、既に一家を立てておりますれば。孫も、適齢期にゃ、まだ早い」


 ガハハと、豪快に似せて笑う、老獪な男。

 流石にものを知っており、度胸もある。



「それでも、態々お一人でのご足労、歓迎いたしますわ。誠心誠意、おもてなしいたしますわよ」


 此方には騎士という武の背景があった。

 扱いを誤ってはいけないと、アウグスタは気を引き締める。


 ——招かれざる客であると、わかっていて来たか。

 

 アウグスタは恭しく彼の手を取り、顔を上げた。


「これは、これは。美人のエスコート・サービスとは、痛み入りますぞ。つい、奮ってしまいます」

「あらあら、不吉な喪服の女相手に、大変お上手ですのね」


 コイツ、と思ったアウグスタであったが、如才なく返している。

 柔らかに握った掌は、だらしなく肥えている。汗ばんでもおり、ヌメッとした感触だった。

 だらしなく鼻の下を伸ばし、嫌らしく笑む、もう老人にも差し掛かろうとする男。


 例え経験により取り繕おうとも、その品性までは隠せない。

 強く注がれる視線への嫌悪感を隠し、アウグスタは再び微笑む。


「さぁ、いらっしゃって。お寛ぎくださいな」


 一歩、二歩と丁重に、ゆっくりと奥へと誘う。

 表情だけは誘う様にして、あくまでも賓客への歓迎として。

 静かに絨毯の毛足が踏まれる。粗野な男性も、足音を立てていなかった。


 ふと、斜めに傾げた視線の端に、アントニオの姿が見える。

 アウグスタにはわかる。あの顔は、不機嫌な時のものだ。

 だが、なんとか抑えてくれている様だった。


「ガッハッハ! 不肖、儂とて男ですからな。公務とはいえ、麗しのご婦人のエスコートとあらば、一肌でも、二肌でも脱ぎますぞ!」


 さも楽し気な笑い声。

 この態度、知ってか知らずか。

 それはもう、どちらでも良かった。

 アウグスタはそんなものなぞ無視し、アントニオを睨みつけた。


 いつもと変わらぬ鉄面皮。

 だが硬く、白くなる程に拳を握り締めている。


 ——抑えなさい。


 ブリテンの言語において、同行者や案内人などを指す、エスコートという呼び名。

 ビタロサの紳士、淑女であるならば、その言葉が示す隠された意味を、察する者も少なくなかった。


「まぁ、まぁ。『代行』殿? 儂も公務として来ておるのでな。少々お尋ねしたい事がありまして」


 監査官は、法の網として来ているのだと、声高に宣った。


 力は法を支える為のもの。


 個人の感情で暴発せるものではない。


「あら、流石ですのね。帳簿のどこかに、何か問題でもありまして?」


 ならば、アウグスタは肌に纏わり付く不快感を捨て去って、阿諛する様に返す。

 男の視線が一瞬外れる。その向かう先は奥。

 機嫌良く笑い、監査官は足を止める。

 

「いやいや、あれだけしっかりしておれば、問題なぞ、ございませんですぞ。……おっと」


 肩越しに、おべんちゃらに付け加えられた、態とらしい驚き。

 同時に、軽く添えられていただけのアウグスタの手は離れた。


「これは、これは。お探しいたしましたぞ、シニョリーナ(ご令嬢)


 再びの、形だけは恭しい礼。

 フィオナが楚々とした礼を返した。

 深く腰を折ったまま、監査官は顔だけを上げ、ニヤリと笑った。

 

「失礼。単にシニョリーナ呼びとは、些か無礼でしたなぁ。少々、商会の事業につきましてのご質問がありまして。よろしいですかな? 『ミリオッツイ商会、次期会頭』殿」


 この男は、一体何を言っている? アウグスタはそう思ったが、顔を青褪めさせ、震えるフィオナに声を掛ける事が出来ない。


「いやー、実に素晴らしい。『拡散型先物取引事業における、事業者破綻による被害弁済の特別条項。受益者への遡及的回収』でしたかな?」

 

 破綻した事業による被害者の損失補填を、遡って関わる者の得た利益で埋める。アウグスタが打ち出した法案だ。


「儲けた者から奪い取り、落伍者への施しとする。何とも『慈悲深い』法案ですな」


 哄笑が意味するものは、嘲りだった。

 自由経済に、差し込んだ楔。

 それは、アウグスタが編んだ地獄の一つである。


「驚いた事に、実際の運用をしていなかった事業者がおるのですよ。それで、幾つかの事業が再建の見込みなしとなりましてな。……おっと、これはまだ確か、審議中だったか」


 態とらしく、笑う監査官。


「ま、そこで会頭へお話を伺おうとしたら、見つからぬ。被害者保護の為に、一刻も早くの解決が求められるのでな」


 血の気の引いたフィオナの顔と同じくして、アウグスタの頭からも熱が引いている。


 断片的な情報。土台となる様々な情報が、頭の中で巡った。見つからないとはどういうことか。


 商業倫理の強い会頭が、逃げたとは思えない。

 大体、富裕層の投資は余剰資金でやっている。受益分を収めた所で、屋台骨は揺らがない筈だ。

 多くの富裕層が、まやかしの事業に乗っていた。


 被害を抑える法案だ。

 利益の再分配。理屈の上では、それだけでしかない。

 筈なのに。

 何かが、おかしい。


 ——会頭の性格からして、逃げる選択はない。ならば、追い込まれている。誰かに、あるいは何かに。


 一体何が、とアウグスタはフィオナを見やる。


「そこで、商会の経営にも深く関わるというシニョリーナからも、お話を聞けんかとな」


 男は頭を上げぬまま、笑った。

 華奢な少女へ視線を据えて。

 それは、獲物を捉えた狩人のものだった。


 不穏と緊張が、膨れてゆく。

 調整が施され、適温を維持する迎賓室の中。

 アウグスタの額からは、一雫の汗が滴った。




 


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ