第73.5話「覚悟の犠牲」
『フィー!半身!こちらに来い!!』
「ああっ!」
マキナが俺とゼウスの前に立ち、雷の盾を展開した。
その背中は、まるで鉄壁そのものだった。小柄な彼女の体が、俺たちを完全に守り抜こうとする決意で満たされているのが伝わってくる。
目の前で、空気が焼け焦げる音がする。
『憤怒の双黒龍の息吹』
空気が灼熱に包まれた。
赤い光が視界を埋め尽くし、灼熱の熱気が全身を焼き尽くそうと襲いかかる。
まるで地獄の業火だ。喉が焼ける。息を吸うたびに、肺の中が焼かれる感覚がする。
こんな攻撃を防げるはずがない――本来なら。
『我を舐めるなよ』
マキナの低く響く声が、俺の耳に届く。
その瞬間、彼女が展開した雷の盾が、灼熱のブレスを全て受け止めた。盾が激しく軋む音がするが、決して崩れることはない。
「……助かった、マキナ」
俺は心の底から感謝の言葉を口にした。
『愛した者を守るのが我の役目だ』
その一言に、彼女の確固たる意思を感じる。
マキナはただの「神」ではない。俺にとっては――いや、俺たちにとっては――特別な存在だ。
「……さすが俺の女だ」
『……』
マキナは何も言わなかったが、その横顔には確かな決意が浮かんでいた。
彼女の静かな表情の裏には、俺たちを守るという強い意志が込められている。
「……ゼウス、気にするな。お前が気にすることじゃない」
俺はゼウスにそう告げた。彼女も無言で頷く。
その目には、俺たちと同じ覚悟が宿っている。
だが――。
この龍神ハク相手に、どれほどの覚悟が通じるのか。
俺たちは今、試されているのだろう。 目の前の龍神とこの世界に。
『次は我らの番だ……いくぞフィー、半身』
「……ああ」
二人で視線を交わし、俺とマキナは同時に手を突き出した。
「「『雷撃』」」
放たれた雷撃が空気を切り裂き、龍神ハクに向かって一直線に放たれる。
その光は、絶望の闇を打ち破る希望のように輝いていた。
――だが、結果は無残だった。
「そんなものですか」
龍神ハクは何事もなかったかのように立ち尽くし、冷たく笑った。
俺たちの雷撃は、まるで無価値なもののように、その前で消え失せていた。
『……なに?なぜ我の雷撃が効いていないんだ』
マキナの声には驚愕が混ざっていた。
彼女の雷撃は、これまで多くの敵を一瞬で葬り去ってきた。その圧倒的な力を知る俺たちですら、信じられない光景だった。
「片割れよ、防御魔法だ」
ゼウスの言葉に、マキナも苦々しく顔を歪める。
ハクの体に纏わる薄い膜が、光を反射するように輝いている。それは、攻撃を受け止めるだけでなく、全ての力を無効化するような不気味な防御魔法だった。
ちっ、厄介だな……俺たち三人の攻撃だぞ。それがまるで意味をなさないなんて――。
『……フィー!オーディンを起こせ!』
マキナの指示が響く。
「あ、ああわかった……!オーーーディーーーーーーン!!!」
俺は叫んだ。その声は、伏せているオーディンの耳に届いているはずだ。
「お前の力が必要だーー!!手を貸してくれえぇぇぇっ!!」
だが、オーディンは微動だにしない。
彼女の体は震えており、その瞳には恐怖と後悔が浮かんでいた。
「私はポセイドンを……ああ……まさか……」
オーディンの言葉が途切れる。
その姿は、かつての威厳ある創造神の面影など微塵もなかった。
ちっ、あのオーディンがこんな姿に……!
こんなのは俺の知ってる創造神オーディンじゃねぇっ!
「オーディン!!受け取れーー!『ハイヒール』!!」
俺は彼女に向けて回復魔法を唱えた。
「………フィー……私を癒しても……」
オーディンの声は弱々しかった。その目には未だ迷いが宿り、立ち上がる力を失ったまま、ただ俺の言葉を受け入れるだけだった。
「お前が戦わないと神友がやられるぞ!いいのか!!?」
俺の叫び声が、オーディンの心を揺さぶる。
「……あ……そうだった」
オーディンの目が大きく見開かれる。その瞳の中に、かすかだが光が戻ったように見えた。
「……分かったよ。マキナの為だもんね……任せて」
彼女の声には、ほんのわずかな力強さが戻っていた。
そして、彼女はゆっくりと立ち上がる。その姿には、かつての創造神の威厳が戻りつつあった。
やっと戻ったな。俺の知ってるオーディンに。
これで四対一だ。
大丈夫……勝てる勝負だ。
「いっくよーーー!……ふぅ」
オーディンは深呼吸をし、その緑髪が神々しい光を放ち始める。
『崩壊』
その一言が発せられると同時に、龍神ハクの周囲の空間が歪み始めた。
「なんですかこれは!?」
ハクが驚愕の声を上げる。その顔に初めて浮かんだ動揺――それは俺たちに希望を与えた。
『私の力だよ』
オーディンの冷静な声が響く。
その力は空間そのものを飲み込み、龍神ハクを捕え始めていた。
やがて龍神は歪んだ空間に完全に飲み込まれる。
「……ふぅ……これ疲れるんだよね」
オーディンが息をつくと同時に、彼女を纏う神々しい光は消えた。その姿は少しだけ疲れていたが、彼女は満足そうに微笑んでいた。
「やったな、オーディン」
「フィーのおかげだね、ありがとう!」
『さすが我のフィーだ』
マキナが得意げに微笑む。その様子に、俺も思わず微笑み返したくなる――だが、それは長くは続かなかった。
「俺だけの力じゃない。これは俺達の――」
「こんなものでやられるわけが無いでしょう。私を舐めてもらっては困ります。私も一応、神の名を冠する者。ここからが本当の戦いですよ」
その声が静寂を切り裂いた。
なにもない空間がひび割れ、その中から龍神ハクが再び姿を現した。
彼女の体には、傷一つない――完全に無傷だ。
『そう簡単にはいかないか……』
マキナが呟いた。その声には焦りが隠せなかった。
「片割れ、フィーよ。我に任せろ」
ゼウスが俺とマキナの前に立つ。その背中には、確固たる覚悟が刻まれている。
『何をする気だ、半身』
「……我に考えがある」
「何をする気だってマキナが聞いてるぞ!」
俺の声も届かない。ゼウスは振り返らない。
その歩みは確実に龍神ハクへと向かっていた。
そして――。
「我は奴を道連れに死ぬ」
ゼウスの言葉が俺たちの心を突き刺す。
マキナが一歩踏み出そうとするが、その足は震え止まってしまう。マキナとゼウスは瓜二つの姿をしている。これには理由がある。だからこそ、俺達は死に往く彼女を止めなければならない。
「ゼウス!戻れ!お前一人で何ができるってんだ!お前が死んだら――」
俺の叫び声も、ゼウスの背中を止めることはできなかった。
「我はもう決めた。我が命と引き換えに、この戦いを終わらせる。それが……我の役目だ」
ゼウスの瞳には、強い決意と覚悟が宿っていた。それは誰にも揺るがせないものだ。
ハクが嘲笑を浮かべながら呟く。
「お前一人で何ができると言うのです?私を道連れに?そんなことが可能だと本気で思っているのですか?」
その言葉には余裕と侮蔑が混じっている。
『ゼウス。戻れ』
マキナが静かに声を上げた。その声には、彼女にとってゼウスがどれほど大切な存在なのかが滲んでいた。
だが、ゼウスは決して振り返らない。
「最後に言わせてもらおう……片割れ、フィーよ……我が愛した二人よ……」
ゼウスが小さく呟く。その言葉が俺たちの耳に届く。
「ありがとう……そして……さようならだ」
眩い光が辺りを包む。
その光が消えた時、ゼウスの姿はもうどこにもなかった。
残されたのは――未だ無傷の龍神ハクの姿だけだった。
「……なんてことだ……ゼウスが……」
俺は拳を強く握りしめながら、自分に言い聞かせるように呟いた。
『……ゼウスの覚悟を……無駄にしてはならない』
マキナの声が震える。表情は相変わらず変わらない。しかしその表情には、絶望が色濃く浮かんでいるように見えた。
その時、ハクが冷たく言い放つ。
「道連れにするつもりでしたか……残念ながら、私は不死身なのです」
その一言が俺たちの希望を完全に打ち砕いた。
『フィー、どうする……このままでは……』
マキナの声には、迷いと焦りが混じっていた。
俺は拳を握りしめ、自分自身を奮い立たせた。
「……まだだ。まだ終わってねぇよ!」
ゼウスの犠牲を無駄にするわけにはいかない。
「オーディン……お前、まだ動けるか?」
「……やれるよ。フィー、指示を」
オーディンが小さく頷く。その目には、かすかながら光が宿っていた。
「マキナ、次はお前の力が必要だ」
『……分かった。だが、どうするつもりだ』
「ハクの不死身を突破する方法を見つける。それまで耐えてくれ!」
俺たちは再び構えを取った。
たとえどれだけ絶望的でも、立ち向かうしかない――ゼウスの覚悟を胸に。




