第62話「幸せな日々、再来」
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ここは……どこだ。
「……なぁフィーよ!聞いているのか?」
フィー……誰だそれは。俺の名前はアスフィーだ。
知らない奴が話しかけてきている。俺を誰かと間違えているんじゃないか?
「ん~…………」
「お、起きたかフィー」
「あれ……俺眠っていたのか」
「ああ、我が花に水をやっている間にお前はそこでずっと眠っていたぞ」
「ああ……すまないなマキナ……俺も手伝うよ」
マキナ……マキナって誰だ?
目の前の少女は、まるでずっと一緒にいたかのような親しげな態度を取っている。
でも、彼女の名前や顔に覚えは無い。どこかで会ったことがあるのか――そんな気さえしてしまう不思議な感覚だ。
「それじゃあここからここまでフィーよ、お前がやってくれ」
「おいおい!長すぎるだろ!」
「文句を言うな、フィーならできる!がんばれ」
小さな両手でグッとガッツポーズを取る少女。
まるで応援されているような仕草に、何も言い返せなくなる。
「はぁ……仕方ない、やるか」
「その意気だぞ、フィーよ」
花に水をやるなんて、こんな作業に一体何の意味があるんだ?
どうせいつか枯れてしまうのに――そう思いながら、ジョウロを振り回して適当に水を掛けた。
「フィー!真面目にやれー!」
「へいへい」
怒られてしまった。
俺にこんな面倒なことをやらせるからだよ……。
「……なぁ、お前の名前ってマキナだよな」
「何を言っている、我がマキナだ。大丈夫か?フィー」
「そ、そうだよな、悪い」
「おかしなフィーだな」
マキナと名乗る少女は首をかしげながら再び花に水をやり始めた。
彼女の動作には慣れた様子があり、そしてどこか優しさが漂っている。
そうだよな……もう随分長く一緒にいるんだもんな。
俺がマキナを忘れるはずがない。
マキナがもし忘れたとしても、俺が必ず覚えてやる。そう決めたんだ――二人で。
「ここは終わったぞ」
「わかった。助かったぞフィー。では昼食にしよう」
やっと昼食か……腹が減って死にそうだ。
花に水をやるだけでも、思ったより体力を使うんだな。
俺たちは小さな木造の家に戻る。
緑に囲まれた穏やかな村。俺とマキナの二人だけが暮らす場所。
自給自足で過ごすこの日々は、静かで満ち足りていた。
「何が食べたいフィーよ?」
マキナがエプロン姿でキッチンに立ちながら問いかける。
白いエプロンが小柄な彼女の身体にぴったりと合っていて、妙に家庭的な雰囲気を感じさせる。
その姿を見た俺は、つい悪ふざけをしたくなった。
「う~ん、そうだなぁ……マキナが作るもんならなんでも」
「なんでもというのが一番難しいんだ」
「じゃあマキナを貰っちゃおっかなぁ~」
そう言いながら、俺は後ろからマキナを抱きしめた。
彼女の小さな肩越しに香る髪の匂いが、なぜか懐かしさを呼び起こす。
「や、やめろ……まだ昼だぞ」
「別にいいだろ、昼でも夜でもイチャイチャするのはよ」
「そういうのは……夜に取って……おけ」
「……それもそうだな!お楽しみに……ってやつだ!」
照れた様子でそっぽを向くマキナ。
彼女はいつだって素直じゃない。でも、そんなところがたまらなく愛おしい。
――しばらくして、マキナが料理をテーブルに運び始めた。
「――出来たぞ」
「おおーーーー!」
テーブルの上に並べられたのは、生姜焼きだった。
懐かしい匂いが漂い、俺の記憶が刺激される。
「あれ、これって……」
「……どうだ?」
「うん!もちろん美味い!!マキナはやっぱいい女だ!」
「そ、そうか。なら良かった」
こんな平穏な日常がずっと続けばいいのにな。
目の前で照れるマキナの顔を見ながら、俺は心の中で静かにそう思った。
「……こんな日々がずっと続けばいいのになぁ」
俺の何気ない呟きに、マキナがふと顔を上げた。
「なにを言うんだフィー。毎日続くぞ」
「ああ……そうだな!この後、夜にはお楽しみが残ってる!」
俺はマキナの目を見つめながら笑みを浮かべる。
その言葉に、マキナは頬を染めて視線を逸らした。だが、嫌がっている様子はない。
「ベッドの上じゃマキナも乗り気だもんな!」
「フィーやめろ!!……今は……やめろ……早く食べてしまえ」
「悪い悪い、うんうん美味い!」
この静かな村での生活。
大切な人と過ごす平穏な時間――これ以上の幸せなんて、きっとない。
でも、なぜだろう。胸の奥でわずかに何かが引っかかる。
目の前にある光景がまるで蜃気楼のように思えて、現実感が揺らいでいく――。
「……ん……ん……」
「…………………なぁマキナ……」
「……な、なんだ?」
「これって現実なのかな」
唐突な俺の問いかけに、マキナは戸惑いを隠せなかった。
「……なぜそれを今言うのだ……その……今じゃ……ないだろう」
彼女の困惑した表情を見て、俺は何も言えなくなった。
でも、どうしても確かめずにはいられなかった。
「……悪い、ちょっとシャワー浴びてくる」
「…………え?もう終わりか?……我はまだ……」
「そんな名残惜しそうな顔するな。また明日がある。だろ?」
「そ、そうか……それもそうだな」
マキナに背を向けながら、俺は立ち上がった。
足元はどこか重く、心はまるで霧の中にいるようだった。
シャワーを浴びながら、自分自身に問いかける。
「……こんなに幸せでいいのだろうか……」
いい土地にいい家、そして何よりいい女――。
それらが揃ったこの生活は、まさに理想そのものだ。
なのに、俺はなぜか涙を流している。
「………だと言うのに俺は……なぜ泣いているんだ……」
湯気に混じる涙の理由を考えながら、俺はシャワーを止めた。
マキナが待つ部屋へと戻ると、彼女はベッドの上で横になり、俺を見上げていた。
「…………どうしたのだフィー」
「いや……マキナはいい女だなと思ってたところだ」
「そ、そうか……なら……するか?」
「………ああ」
俺は小さく頷き、彼女の横に腰を下ろした。
***
翌朝。
俺たちは再び花に水をやりに出かけた。
「そこは違う!やらなくていいぞ!」
「あ、そうなのか悪い」
また怒られてしまった。
何回目だよ……こんな簡単な作業でも、俺にはうまくいかないことがあるらしい。
「よし、フィーよ。今日は収穫をするぞ」
「芋か……?」
「ああ、収穫の時期だ。フィーは好きだろう、芋」
「……ああ……最高だね」
俺たちは畑に向かい、黙々と芋を掘り始めた。
次々と出てくる大きな芋。その姿を見て、俺は思わず声を上げた。
「おおー!見てくれエルザ!こんな――」
言いかけて、ハッと口をつぐむ。
目の前のマキナが、不思議そうな表情で首をかしげていた。
「うん?エルザとは誰だ」
「………いや、悪い……寝ぼけてるな俺」
「……仕方ない。芋は我に任せろ。フィーは顔でも洗ってこい」
「……ああ、そうする……悪いなマキナ」
「謝ることじゃない。我とフィーはいつまでも一緒だ。こんな事で落ち込んでいて、この先どうする」
「確かにな。ありがとう……だったな」
俺はマキナの言葉に小さく笑い、家へ向かった。
顔を洗って、さっきの失言を頭の中から振り払おうと思った。
――だが、家の扉を開けた瞬間。
突如として、激しい頭痛が俺を襲った。
「うっ………なんだ……」
頭を抱え、膝をつく。
その時、不意に聞こえてきた声が頭の中に響いた。
(おい!目を覚ませ!)
誰だ……?
この声は一体――。
(俺だ!よく聞けアスフィー、それはお前じゃない!)
何を言っている……?俺は俺だ。
マキナとこの村で暮らしている、ただの男だ。
(違う!マキナは俺の女だ!)
……何を……言ってるんだ……?
マキナは俺の――。
(思い出せアスフィ!お前は試されてる!)
試されてる……?誰にだよ。
(創造神オーディンにだ!)
オーディン……?
創造神オーディン……それが何だって言うんだよ……。
(お前が今見ている世界もオーディンの仕業だ!)
何を言っている……?この村も、この生活も、全部俺とマキナで作り上げたものだ!
マキナとの平穏な日々を壊すな――!
マキナは俺の女だ!そもそもお前は誰だ……俺とマキナに何をしようとしている!
怒りに満ちた俺の問いかけに、声は静かに応えた。
(…………何もしない……何も……出来ないさ)
何も出来ない……?
この声は一体何を――。
(いいか……お前の大事なレイラや母さん……そしてエルザ、ルクスを失いたくないのなら俺の言うことを聞け)
……レイラ……?母さん……?
エルザ……ルクス……?
何を……言ってるんだ……?俺の家族や仲間の名前を、どうして――。
(そうだ。何も考えず目を閉じろ。そしてこれは幻想だと認識しろ)
幻想……? 俺が見ているこの光景が、幻想だとでも……?
(そうだ。これは現実じゃない。幻想だ……)
そんな馬鹿な。
マキナとの夜も、畑も、家も……。
(全て……幻想だ……終わった事だ…………)
終わった事……?
この幸せな生活が、もう過去のものだと言うのか――。
……それでレイラを救えるのか?
声に問いかけると、力強い返事が返ってきた。
(それはこれからのお前次第だ、アスフィ・シーネット)
俺次第……。
……分かった。
マキナ……いや、ゼウス・マキナ。お前は俺の女だ……それは間違いない。
だがどうやら、それは俺であって俺じゃないようだ。
よくわからないよな。俺だってそうだ。
マキナ……また会おう……。 俺は俺の仲間を救うことに専念する。
もしまた会える時が来たなら、その時はもう一度――。
(愛してる)
その言葉を最後に、意識が闇の中に沈んでいった。
***
「……お!戻ってきたね!おかえり、アスフィ!」
意識を取り戻した俺の前に立っていたのは、創造神オーディンだった。
どこかおどけた様子で、にやけながら俺を見つめている。
「オーディン……」
「おお!名前まで分かったのか!凄いね!」
「……何のつもりだ……なぜ俺にこんなモノを……」
「君が見たモノを私は知らないよ!望んだものを”魅せた”のさ!」
「俺が見たいと思っていたってことか?」
「……そうだね!」
ふざけやがって……!
こんなのは……こんなのは俺が見たかったものじゃない!
だけど――どうしてだ……懐かしい気持ちになったのは、どうしてだ……?
俺は思わず涙を流していた。
「ハンカチいるかい?」
「……要らねぇ……」
涙を腕で拭うと、頭に浮かんだのはただ一つの名前。
「そうだ!ルクスだっ!!ルクスは!!!?」
「ルクスならそこだよ!まだ眠っているね!」
「……どうすれば目覚める?」
「彼女が認識すれば、かな!」
現実じゃないと認識すれば、俺は戻ってこれた。
ならルクスもきっと――。
だが、彼女は一人だ……俺のように誰かの声が導いてくれるわけじゃない。
本当に戻れるのか……。
「……大丈夫だ、アスフィ。ルクスは必ず戻る」
エルザが眠るルクスの手を優しく握りしめて言った。
「……………ああ、そうだな。なんせ俺たちのお姉さんだからな」
俺はルクスのもう片方の手をしっかりと握りしめた。
ご覧頂きありがとうございました。
マキナとの平穏な日々。誰かの記憶。謎の声の正体とは。