四十六話 「ロキというもの その3」
「本気でやるか」
デムサンダーの言葉に志郎も頷き、二人は自然と戦闘態勢をとる。志郎が前へ、デムサンダーが後ろへ。この布陣にロキも一瞬戸惑う。
どう見ても【逆】である。
志郎よりも遙かに体躯の大きなデムサンダーが前に出るのが普通なのだ。それを差し置いて細身の少年が最前線に出ている。明らかに違和感がある。
「できれば話し合いたいけど…」
そう志郎が思っても、相手はそうは思ってくれないのがつらいところだ。
今度は、N6とN7が同時に攻撃を仕掛けてきた。N6は威力を高めた風衝・一閃、N7は雷衝・一閃。ともに中距離の放出系剣王技である。
志郎が【防御型】であることを悟ったロキは、彼が前線に出たことを警戒。むやみに接近するのではなく、距離を取る戦法に即座に変更。
突如剣衝で攻撃してきた相手に対しても、志郎は冷静に対応。再び両手に戦気をまとわせると、上半身に向かってきた風衝を渦で上方へと逸らす。風衝の威力は相当なものであったが、渦舞は相手の力を利用するので問題はない。
ただ、続いて地面を這ってきた雷衝に対しては両手が使えない。ロキはこれを狙って攻撃していたのだ。
(なんて洗練されているんだ)
志郎は、ロキの戦闘レベルの高さに舌を巻く。渦舞は珍しい技で、早々お目にかかれるものではない。ロキも見たのは初めてであるにもかかわらず、特性を瞬時に見切ったのだ。
そして、こうして戦法を変えて弱点を突いてきた。初めて戦う相手にこれほど柔軟に対応できる武人がどれほどいるだろう。
紛れもなく強敵。
死すら感じたさきほどの一撃を思い出すまでもなく、目の前の仮面の剣士は猛者である。しかも模擬戦ではなく実戦。殺す気で放っている本気の一撃なのだ。
だからこそ志郎は冷静でいられた。相手に殺気が宿っているからこそ志郎は戦えるのだ。守るために本気になれる。
両手がふさがった志郎は、床を右足で強く蹴った。同時に足にまとった戦気が波のように床を這い、迫りくる雷衝と激突。
否。それは衝突ではない。
志郎の戦気に最初からその意思はないのだ。足から生まれた戦気の波は、雷衝の下に潜り込んで持ち上げるだけ。そして、雷衝と融合したまま左右の壁に流れていった。
覇王技【覇小無・神立】。渦舞と同じ系統の防御技であるが、渦舞が円運動によって攻撃を弾くのに対し、こちらは包み込み威力を逃がしてしまう技である。地面や壁がないと使えない技なので使用場所は限られるものの、地面を伝ってくる攻撃を防ぐには非常に有効な技である。
志郎は何事もなかったかのように、その場に無傷でたたずんでいた。ロキもその光景に動けずにいる。少なくとも刹那の隙は作れると考えていたのだ。その計画が簡単に水泡に帰してしまい、さすがのロキも次の行動に移れなかった。
「あなたがたでは僕たちに勝てませんよ」
志郎の言葉は慢心ではない。少なくとも【負ける】つもりは本当にないのだ。
これだけの技量を持っていれば当然であるし、防御にかけてはエルダー・パワー最強とも称される志郎の言葉に偽りはなかった。
実際に直撃すればデムサンダーでさえダメージを受ける攻撃を、まったくの無傷で防ぎきったのだ。志郎の言葉を疑う者はいないだろう。
しかしながら相手はロキである。
ここが重要なのだ。
ロキがロキたるゆえんは、ただ戦闘力が高いだけではない。それではただの殺戮人形にすぎない。
ロキが持つもの、それが【信仰】である。
悪魔の障害となりうる敵がいれば、自らの命など捨てるのが当たり前。主であるゼッカー・フランツェンが掲げた理想だけが、ロキにとって何物にも代え難い真実であり希望である。
志郎の言葉は、ロキにとって何の制約にもならない。それどころかロキは、目の前の敵が真なる敵だと判断。戦気を爆発的に解放する。
上がる、上がる、どんどん上がる!
赤い戦気が、さらに真っ赤に、血の色に変化していく。
上昇、どんどん上昇。
そして限界をぶち破る!!
「―――冗談!!」
思わず声を上げたのはデムサンダーである。なぜならばロキが行ったのは【オーバーロード〈血の沸騰〉】であったからだ。
使えばまず武人としての生命は終わりを迎えるが、その代償として自身の能力を何倍にも引き上げる禁断の技である。当たり前だが、これはエルダー・パワーにおいても禁術に該当する。
武人である者がまず最初に教わるのが、オーバーロードの危険性なのだ。相当熟練した武人でも簡単にできることではないが、無意識にやってしまう武人もいるので、子供の頃に教えておかねばならない基礎知識である。
それを平然と行ったロキに対し、デムサンダーが驚くのは当然なのである。ただし、一般的なロキが解放できるオーバーロードには限界がある。せいぜい三倍か五倍が限度だ。
なぜならば、ロキそのものが常時【疑似オーバーロード】を行っている存在だからである。
ロキは特殊な強化手術を受けた武人であり、術と薬物によって潜在能力を強制的に引き上げている。それそのものがすでに軽度のオーバーロードなのだ。通常の限界を超えて才能の【前借り】をしている状態である。
よって手術を受けた段階から、寿命はもともと数年しかない。彼らにしてみれば残りの数年を数時間に変え、数分に変えるにすぎない程度のことである。
凝縮された生命が真っ赤な炎となり、ロキの身体を覆っていく。美しく雄大で、活力あるエネルギーがロキを満たす。
そして、そんなロキから発せられるのは【喜悦】の感情。
自らの命が燃えることを喜び、主の愛する世界のために捧げられる感動に満ちている。彼らは自殺志願者ではない。果てなき理想者なのだ。主義者ではない。あくまで実現させるために行動する恐るべき存在である。
(この人たちはなんだ!? 何か違う!!)
ロキから放たれた本気の意思に、志郎も戸惑いを隠せない。
戦いながら志郎も相手のことを考えていた。この人たちは誰で、何が目的なのか。ただの金銭目的のテロリストなのか、と。だが、この気迫の前ではそんな陳腐な考えは一瞬で消し飛ぶ。
そんな生やさしいものではない。全身全霊。乾坤一擲。自身の生命を真っ赤に輝かせて挑んでくる炎なのだ!!
「ウォオオオオオ!!!」
ロキが吼えた。
力付くで押さえつけられた人間が、怒りを込めて、憎しみを込めて、自己の存在を証明しようと叫んでいるかのごとく、猛々しく、痛々しく、苛烈で燃えるようで、それでいて恐ろしいもの!!
N6が跳躍。先ほどの速度など比ではない。
そして電光石火の剣撃。
「渦舞!」
そんな速度であっても志郎は反応。これも類い稀なる志郎の防御センスと鍛錬があってこそである。正面からの攻撃ならば、閃光の速度でも対応できる自信があった。
そう、対応はできた。
しかし、この先を志郎は知らない。
この先に待っている領域を初めて味わうことになるのだ。
志郎の渦舞は成功。N6の剣を弾こうと渦の中に取り込んだ。ここまでは先ほどと同じであった。
しかし、決死の剣圧は、切り裂こうと渦の中でさらに加速する。激流の川を昇る鮭など可愛いもの。荒れ狂う波すら食らい尽くす、海の怪物のごときパワーに、渦という存在自体が吹き飛ばされる。
「そんなことが!!」
あまりの威力に志郎は驚愕を隠せない。それでも右手の渦が破られそうになった瞬間、左手の渦で刃を逸らすことに成功したので、運良くダメージは避けられた。
しかし、己の防御術が破られたことにはショックを隠せない。
(信じられない! 僕の渦舞を破壊するなんて!)
今までこの渦舞を正面から切り裂いたのは、ただ一人。マスター・パワーだけである。
赤虎の剣技は、防ぐ防がないのレベルを超えているので仕方がないことである。それにはまだ及ばぬものの、オーバーロードを行ったロキの一撃は、エルダー・パワー最高の力に迫るものである。少なくとも技の威力という面では匹敵していた。
だが、まだ脅威は過ぎていない。
相手は二人いる。戦気を増大したN7が一瞬で志郎との間合いを詰め、剛斬を放っていた。息もつかせぬ連携攻撃である。
避けられない。そう志郎が思った瞬間、突如N7が真横に吹き飛んだ。デムサンダーが志郎を乗り越えてカバーに入ったのだ。
「ディム、助かった!」
「しゃべっている暇なんてねーぞ!!」
デムサンダーの声にも余裕がない。見れば三メートル程度吹き飛んだものの、デムサンダーの蹴りにしっかり耐えたN7が体勢を整えようとしていた。
通常の状態ならば動きを止めるくらいは可能だが、血が沸騰している今のロキには足止めにもならないようだ。
そうした間にロキN6が戦気を凝縮し、背後からデムサンダーに猛烈な一撃を放つ。漆黒の戦気によって黒く染まった刃が、デムサンダーの背中を襲う。デムサンダーは、ギリギリで回避に成功。背後からの剣に反応できたのは志郎の視線に気がついたからだ。
二人は長年コンビを組んできているがゆえに、視線だけで会話が可能である。志郎の背中はデムサンダーが守り、デムサンダーの背中は志郎が守る。二人で一つの存在である。
しかし、これはただの剣ではなかった。志郎は、デムサンダーのランニングシャツに血が滲んでいくのが見えた。左後背筋あたりがざっくりと斬られているうえに、黒いシャツにできた傷口がさらに漆黒に染まっていた。
(これは【邪剣】だ!)
志郎はその傷跡に見覚えがあった。エルダー・パワーの講義で、剣士の師範が教えてくれた闇の剣、邪剣の話を思い出す。
殺人剣、暗殺剣とも呼ばれる種類の技で、道場などでは、その存在を知ることすらできない裏の剣である。人が人を殺すためだけに編み出した危険な技であるからだ。
偉大なる剣聖、紅虎丸が説くように、剣とは本来自己を磨き、大切なものを守り、相手を愛するものである。彼が放つ剣は無明を切り裂き、人を救い、心を晴れやかにする。
一方、その対極に位置するのが、人を殺すためだけに編み出された殺人剣である。そこにいっさいの慈悲はなく、ただ苦痛と死を与えるだけに放たれる恐怖の刃だ。
N6が放ったのは【殺人剣・黒叉】。この技の恐ろしさは剣の鋭さではない。その刃に込められる黒き波動は、通常の赤い戦気とは異なる皮肉や憎しみの情なのだ。それはまるでコールタールのように、べったりと相手に染みつき痛みを与え続ける。




