四十七話 「ロキというもの その4」
「ったく、遠慮ってものを知れよな!」
デムサンダーの背中にも、斬られた以上の痛みが走っていた。
明らかに通常の痛みではない。異物が体内に侵入したように、掻き乱され、じくじく痛むような感覚。傷口に塩を塗るとは、まさにこんな気分なのだろう。
しかし、休んではいられない。続けて体勢を整えたN7がデムサンダーを狙う。今度は黒叉とは対照的に、美しく煌めきながら流れるように刃が滑っていく。剣王技【水流剣】である。
戦気を水気に変えて放つ一撃で、流れるように相手を追尾するので、回避することが非常に難しい技だ。痛みで反応が遅れたデムサンダーに容赦なく襲いかかる。
「やらせない!」
すかさず志郎がカバー。N7が繰り出した水流剣を渦舞で流す。今度は最初から威力を想定していたために、強引に突破されることはなかった。
ただ、ロキを宙に飛ばすことはできず、両者は再び距離を取って睨み合う。
「半端じゃねーな」
背中の傷を気にしつつも、デムサンダーは一瞬たりともロキから視線を外さない。
「うん、信じられない」
志郎も同感であった。ダマスカスの守護者であるエルダー・パワーの、それも席持ちの二人と互角に戦っている。
いくらオーバーロードを使っているとはいえ、その強さ、何よりもひしひしと感じる覚悟に気圧されていた。
相手は本気なのだ。
本気とはどういうことなのかを、初めて志郎とデムサンダーは知ることになった。
怖い。
屈強なデムサンダーでさえ、相手の気迫に恐怖を感じるほどである。志郎も幾多の実戦を経験し、人を殺したこともあったが、ここまで必死な相手は初めてであった。
(僕は勝てるのだろうか)
相手の気迫が並ではない。それを知った志郎は思わず勝機を見失う。
武人の強さとは心の強さに比例するものだ。目の前の仮面剣士は、最初から死を覚悟して戦っている。それだけの覚悟と準備をして乗り込んできた相手なのだ。
一方の志郎たちは、彼らほど準備ができていなかった。塔の内部で敵と遭遇するとは思っていなかったし、この一件そのものが想定外のことである。多少の覚悟はあったにしても、いきなり夜襲を受けたようなものなのだ。
この状態で勝てるのか。相手の気迫を受け止められるのか。
志郎は不安で一杯になってしまう。
しかし、その瞬間、雷撃のような言葉が後ろから走った。
「志郎、後ろにエリスがいるってことを忘れるなよ」
そのデムサンダーの言葉に志郎は、はっと息を呑む。その意味を理解したからだ。
「手加減なんてするな」
デムサンダーは、志郎が一瞬ためらったのを見逃さなかった。N7の水流剣を受けた時、志郎にはまだ余裕があった。本来ならば、そこで攻撃に転じられたはずだが、彼にはそれができなかった。
甘かったわけではない。リスクをできる限り避けたのだ。それは守るうえでは正しい。仮に実力差があるのならば相手が疲弊するまで守り、最後は勝つこともできるだろう。
しかし、目の前のロキたちの実力は自分たちとほぼ同レベル。その相手がオーバーロードを使って死ぬ気で戦っているのだ。志郎とて、守りきれるかどうかわからない。守っているだけでは勝てない。絶対に勝てない。
「殺しが趣味じゃねーのはわかる。俺もそうだ。だが、やらないとやられるぜ。お前も俺も、エリスも爺さんもな」
志郎は心優しい青年である。本気で相手と戦うことがなかなかできない。特に命のやり取りを望んでやりたいなどとは絶対に思わないだろう。
だが、今は命のやり取りをしている。殺さねば殺されてしまう状況である。もし自分たちがやられてしまえば、エリスに危害が及ぶ可能性がある。
いきなり本気で攻撃を仕掛けるような相手だ。そんな人間を外に解き放ったらどうなるか、答えは明白である。
「わかった。本気でやるよ」
志郎は相手を殺すことを覚悟した。エリスの寝顔を思い出し、守らねばならないと強く誓った。そう覚悟した瞬間、その目は普段では絶対に見られない強い意思を宿す。
(僕たちは絶対に負けてはいけないんだ)
ダマスカス共和国は平和な国である。田舎も静かで住みやすい場所で、どこに行っても戦いがないように思える。軍はあっても、ほとんど戦争を経験していない。ダマスカスと戦う国など存在しないからだ。
だが、裏ではダマスカスを狙う存在との苛烈な戦いが存在していた。富や秘術を狙われて世界中の組織の侵略を受けてきたのだ。
秘密裏に守ってきたのはエルダー・パワー。赤虎や羽尾火たちが死に物狂いで守ってきたのだ。余裕や達観など存在しない。ただただ必死に守ってきた。志郎もまた戦いの中で生きてきた。仲間を失ったこともある。その多くが、子供の頃に孤児として一緒に里に来た大切な家族である。
だから、ただ優しいだけでは守れないものがあると、嫌というほど悟った!
「暴力からは守らねばならない!!」
志郎の戦気が真っ赤に燃えた。
あの優しい志郎が、猛々しく燃え盛る火炎のごとく膨れ上がった。それがたとえ武力を伴った防衛であっても、守るためには戦う存在とならねばならないのだ!!
先に仕掛けたのはロキ。すでに血を燃やしている以上、長くはもたない。短期決戦で勝負を決めるしかない。
ロキは二人用の連携を見せて、絡み合うように交互に入れ替わりながら迫ってきた。剣に宿るのは一撃必殺の剣気。生命そのものを燃やして生み出した決死の一撃。
志郎は避けるどころか向かっていく。今度は両手に渦は作らない。防御の戦気をまとわない【無手】のまま向かっていく。触れただけでも裂けそうな剣気に無手で向かっていくのは自殺行為。しかし、志郎はけっして負けるつもりも自殺するつもりもなかった。
ロキの剣が迫る。その勢い、その力、全身全霊の一撃は神刃にも匹敵していた。
神速の刃が志郎を捉える!
「僕を斬ることはできない!」
志郎でさえも、ロキの動きを完全に見切ることはできない。それだけの速度なのだ。
その代わりに志郎は、自身の周囲に戦気を球状に放出して結界を生み出していた。波動円と同じ原理であるが感度はさらに高く、より洗練された結界である。
戦技結界術【無限抱擁】。自己の感覚を極限までリンクさせた戦気を展開する技である。戦気に触れたものすべてを、視覚ではなく【触覚】で感知することができる。
目の良い武人ならば視覚に頼るが、たいていの武人は感覚で戦っている。相手の戦気の流れを自己の戦気で感じ取り、反射として対応しているのだ。そうでないと間に合わないほど素早い世界で戦っているからである。
そこで編み出されたのが、こうした戦技結界術である。覇王技、剣王技にもさまざまな独自の戦技結界術が構築されており、使いこなせれば戦いをより有利にすることができる。
無限抱擁は波動円の上位版であり、誰もが使えるものではない。これにもセンス、才能が必要なのだ。また、各武人の特性によって性質が変わる特徴があった。
志郎が生み出した無限抱擁はとても濃密で、たとえるならば蜂蜜のような粘度を持ち、侵入してきたロキの動きを軌跡として完全に把握できた。
当然、無限抱擁はあくまで感知するものにすぎない。速度に対応できるかは別の問題であった。しかし、覚悟を決めた志郎の感覚は極限にまで高められていた。負けられない。守らねばならないのだ。
志郎は右から迫りくるN6の剣の刃に完璧に対応し、刃を【右手の指で掴んだ】。高速の刃に直接触れれば負傷は免れない。仮に戦気で覆っていても、この速度、このパワーで繰り出される一撃を素手で掴むことは自殺行為でもある。
ロキもその判断に驚いたが、そのまま押し切ろうとする。そんなことは当たり前のこと。手のひらごと斬り裂いてしまうだけのこと。
しかし、動かない。
刃を掴んだ指は、パワーに振り切られることなく、ぴったりと接着している。それどころか刃は、志郎の指が導くままに軌道を変える。
「制破!」
志郎は剣の力を利用して、そのままの勢い、いや、さらに自身の力を加速させてN6を床に叩きつけた!!
続けて攻撃してきたN7の一撃も、反転して左手の指で掴み取り、N6を掌握したまま床に叩きつける。激しい衝撃がN7を襲う。無痛の彼らでも、それだけは防げないのだ。視界が揺らぐ。
「続けて極!!」
それだけにとどまらない。まだ志郎は刃を握っており、相手から剣を奪おうとする。N7がそれに抵抗して腕を伸ばした瞬間、腕の関節に蹴りを叩き込む。今度は戦気をまとまわせての強烈な一撃に、N7の関節は悲鳴を上げてへし折れた。
今度はロキN6がその隙に起き上がり、志郎を刺そうとしたが、すかさずデムサンダーの蹴りが顔面に直撃する。こちらも首が伸びるほどの強烈な一撃に再び床にダウン。
「志郎! とどめだ!」
志郎は倒れているロキ二人の背中に掌を押し当て、気合いの一撃を放った。
「はっ!!!」
放たれた一撃はロキの体内に波として浸透し、内臓に大きなダメージを与える。ロキは吐血し、四肢を痙攣させながら次第に動かなくなった。
脱出の際、強化ガラスにも使った技で、これを【水覇・波紋掌】という。戦気を波紋のように振動させて内部に送り込み、外傷ではなく内傷を与える技である。
相手の防御力を貫通するため、攻撃力に劣る志郎にとっては貴重な攻撃手段である。密着しなければ使えない超近接技であるが、こうして掌握後に使えば相手は逃げられない。
(えげつねぇな)
デムサンダーは、志郎の本気に畏怖すら覚える。
波紋掌のことではない。これはこれで優れた技であるのだが、それより恐ろしいのは無手で刃を掴んだことである。戦気をまとって弾く渦舞とは違い、こちらは完全に相手と同化して戦気を【すり抜ける】技だ。
少しでも自分の戦気が混じると反発してしまうので、握る瞬間まで完全な無であらねばならない。そして掌握したら最後、相手の力を利用して攻撃に転ずるのだ。
この技に名前はない。
なぜならば現存する武人の中では、志郎にしかできない技だからだ。
これこそが志郎の武。
真の無。
この歳にしてこの実力。この才覚。
それも当然。
彼こそ史上最年少でエルダー・パワーの席を与えられた【天才】なのだ。その才や、マスター・パワーいわく「自分を遙かに凌ぐ」ほどである。生まれもって戦気の量が少ないことや、腕力に劣るハンデはあるものの、才能値だけでは間違いなくダマスカスでトップの武人であった。
デムサンダーも加勢し、ロキ二人を完全に制圧。
「まだ生きているっぽいな。頑丈なやつらだ」
デムサンダーが足で心臓に触れると、わずかに鼓動しているのがわかった。これだけの攻撃を受けて死んでいないことに驚く。
しかし、この状態ではダメージが大きく、もう動くことはできないだろう。無防備での波紋掌はそれだけ強力なのだ。強化ガラスを破ったように、デムサンダーとの連携で使えば威力は三倍にも四倍にもなる。さらに変質させた戦気の属性を加えれば応用は広がる。
さすがのロキも動けないのは当然であった。
だが、志郎の表情は冴えない。
(僕は本気だった。だから勝てた。でも…)
仮面の男たちから感じた気迫は、志郎の本気を上回っていた。その目は何かを訴え、何かを貫こうと必死だった。
人というものが怖いと初めて思った。
ロキは感情を乱さなかったが、発した覚悟は戦気を見ればわかる。
「やれやれ、いきなり災難だ」
デムサンダーは、軽口を叩く余裕がまだ自分たちにあったことを幸運だと思った。もし単独で出会っていれば、壮絶な死闘になったことは想像に難くない。その結果は、今とは逆になっていた恐れもあるのだ。
結果的に、ロキを確保できたのは非常に大きな戦果であった。少しでも情報が欲しい。仮に彼らが口を割らなくても何かしらの判断材料にはなるだろう。
もう戦いは終わった。
そう志郎とデムサンダーが考えたのも無理はない。
それが普通なのだ。
幾多の戦いを経験した彼らでさえそう思ったのだから無理もない。
責められない。
だから、これはけっして油断ではなかったのだ。




