二十七話 「ヨシュアの憂鬱 その3」
「まあ、半分はやっかみじゃ。それくらいは受ける度量はあろう?」
「……」
ヨシュアはそれに答えられなかった。
実は、金融市場が凍結された世界の混乱期にあっても、ガネリアだけはまったく動じていない。それどころか国力を倍増させている唯一の国家なのだ。
潤沢な資金や優秀な人材、有り余る物資が洪水のごとくガネリアに押し寄せる。まるで、【最初から世界の混乱が起こることを知っていた】かのように、すべて準備が整っていたのだ。
もちろん、戦後復興という言い分はある。ガネリアには人も物も不足していたのだ。早急な手当ては必要な措置であった。
だが、それが隠れ蓑になったのも事実だ。金や物が動いていても大国の注意を引かずに済んだ。普通ならばシェイクなどが横槍を入れるものだが、それもなかったのだ。
こうして今や、ガネリアは東側諸国において最大の成長株として注視されており、ようやくにしてシェイク陣営からも強いマークを受けている。
シャーロンの言葉は、それをネタにしてからかったものである。彼女自身のやっかみではなく、シェイクの民が抱いている感想を述べたにすぎない。
それを知るからこそ、ヨシュアも言葉が出なかったのだ。
すべて事実であるから。
「ヘターレ王が死んで少しは楽になるかと思ったのだが、ふふ、そうはいかないようじゃな」
「それは申し訳ありませんでした」
騎士にとって主君を侮辱するその言葉は、挑発以上のものとなる。
しかし、ヨシュアは軽く受け流す。かといって不快にもなっていない。ただ自然に振る舞っていた。しかも、感情的になりそうなゼファートに目配せして制止させる余裕まである。
それがシャーロンには意外でもあり、逆に取っつきにくくもあった。個人的には、ゼファートのような猪突猛進タイプが好みである。そのほうが面白いからだ。
「若いのに固いのぉ。ジーガンのほうが面白かったぞ。あいつならば、遠慮なく罵声くらいは浴びせたであろうに」
「私は祖父にはなれませんから」
ヨシュアはすでに割り切っていた。自分はジーガンにはなれない。比較されることが多くなることも想定し、できるだけ感情を表さないようにしているのだ。
そもそも自分に祖父と同じ生き方はできないのだ。それで良いとも思う。だからシャーロンがジーガンのほうが良いと言っても、まったく気にしていなかった。自分は祖父には及ばないことを知っているから。
実のところ、シャーロンはヨシュアに興味を持っていた。
ジーガン・ローゲンハイムの孫というだけではなく、ガネリアの筆頭騎士団長であるヨシュア・ローゲンハイムが見たかったのだ。ともすれば、いつか戦う相手かもしれないのだから。
そして、シャーロンの評価はヨシュアが考えていたものとは逆である。
(良い後継者を育てたものじゃな。いつかはジーガンに並ぶやもしれん。いや、超えるかもしれんな)
ジーガンは同じローゲンハイムとして、または剣の師としてヨシュアには厳しかった。才能がない凡人とも言い放っていた。
しかし、それはジーガンが騎士としての務めを果たしていたからの評価である。ジーガンは仮にヨシュアがどれだけ優れていても、けっして褒めたりはしなかったであろう。自分の孫だからこそ厳しくしなければ、民からの信頼は得られないのだ。
ヨシュアは紛れもなく、名家であるローゲンハイムの資質を色濃く受け継いだ男だ。才気はハーレムには及ばないが、それはハーレムが天才すぎるだけのことである。
実際、ヨシュアの才覚は、他国の武人と比べても抜きん出ている。そうでなければ、あのラナーが興味を抱いたりはしない。それだけの逸材なのだ。
「蜂蜜レモン、お持ちいたしました」
エシェリータが大量の蜂蜜レモンを持って戻ってきた。持ってきたのはダマスカスの給仕であったが。
「でかした!」
シャーロンはエシェリータの頭を撫でつつ、蜂蜜漬けのレモンを一気に三枚、口に放り込む。満面の笑みだ。その笑顔はまさに子供そのものである。
「シャーロン殿は、祖父と戦ったことがおありだと聞いていますが」
シャーロンと話せる機会など滅多にない。せっかくなので、ヨシュアは昔ジーガンから聞いた武勇伝を確認してみた。
「若い頃の話じゃがな」
シャーロンは、こともなげに肯定する。まだジーガンがヨシュアと同じ年頃で、第三騎士団を率いていた時代である。
かつてシェイクは、ハーレムの祖父であるヴァラン王が、ガネリア統一に動き出すことを強く警戒していた。
そうしてガーネリアの軍事行動が激しくなっていった頃、シェイクも軍を出して牽制したことがある。両者の激突はその時のものだ。
シャーロンもその時は今ほど有名ではなく、シェイクの外国人傭兵部隊の隊長にすぎなかった。傭兵にとって戦場は職場である。そこで敵将の首を獲って出世を狙うことにした。
ジーガンの暗殺である。
だが、ジーガンはその時から才気溢れる若者であった。シャーロンの接近にも気がついていた。というよりは、彼は二週間一睡もせずに部隊を率いていたので、寝ているところに忍び寄って、とはいかなかったのだ。
武人のタイプが違うので真っ向勝負ではなかったが、互いに決め手を欠いた戦いとなり、結果は引き分けに終わっている。
「おぬしは術は使えるのか?」
「多少は」
「やはりローゲンハイムじゃな。【ハイブリッド】の血筋か」
通常、戦士・剣士・術士の三つの因子を同時に覚醒させることはできないとされている。が、稀に二つを持ち合わせる人間がいる。それがハイブリッドである。
ローゲンハイムは、代々ハイブリッドの武人をよく輩出しており、ヨシュアも最近では術の因子もかなり覚醒してきた。ジーガンほどは無理であるが、炎系の術の腕前はかなりのものである。
それに、ジーガンから譲られたローゲンハイム家五宝の一つである聖杖バイエンドには、術の効果を高める特殊なジュエルが使われているようだ。杖に頼れば、もっと高いレベルの魔王技を使うことが可能である。
ただ、ヨシュアとしては、まだ剣と同時に扱うことはできないので、術の使用は限定的となっている。それでも剣と術を高いレベルで扱えるハイブリッドであることは、今後大きな武器となるだろう。
「ジーガンは強かったぞ。年を取ってさらに強くなった。おぬしもそのうち追いつくであろう」
シャーロンはヨシュアが片腕であることも知っていた。それが彼の意思を増強させ、強くしている要因であることも。
片腕だからこそ一撃に本気になれる。これを外したら後がないと思える。生来的に優しい性格のヨシュアにとっては、片腕であることはメリットなのだ。
もし彼が両腕だったならば、到底一年でここまで実力を上げることはできなかったであろう。それもまたジーガンが与えた試練だったのかもしれない。
「ありがとうございます」
今度はヨシュアは素直に礼を述べる。
シャーロンが気さくな人間であることはわかっていた。だが立場上なかなかそうできなかったのだ。
「なんじゃ、笑えるではないか。最初から笑えばいいものを。そんなところまでジーガンに似なくてもよかろうに」
無愛想な祖父を思い出し、ヨシュアは笑う。
ジーガンはいかなるときもけっして笑わなかった。いつも厳しくあった。それがどれだけ国と人民のためになったか計り知れない。
「わしも張り合いがなくなるの…」
正直、シャーロンはジーガンが死んだと知って、友を失った気分でいたのだ。今や直系を除けば、自分と互角に戦える人間など数えるほどしかいない。それは武人として寂しいことなのだ。
だが、新しい芽が育っていることに不思議と喜びを感じている。他国の騎士であっても嬉しいものだと知る。それがよしみあるローゲンハイムならば、なおさら嬉しいものだ。
「わしもジーガンと子を作っておけばよかったの」
「いやいや、シャーロン殿、その冗談はちょっと…」
あの厳格なジーガンである。その冗談はあまり似つかわしくない。
たしかにローゲンハイムは子供が多い家だが、それはあくまで義務としての側面が強い。子を多く産んでおかねばいざという時に困るし、その中から優れた子を選ぶほうが可能性は高まるものだ。
事実、王族は大抵側室を設けており、多くの子を産んでいる。ハーレムのように、一子だけが才能をすべて受け継ぐことは稀なことである。今回のガーネリアが特別であったのは否めない。
「なんじゃ、知らんのか? わしはジーガンと寝たことがあるぞ」
「ぶっーーー!」
ヨシュアがその爆弾発言に紅茶を吹き出す。
「わしの蜂蜜レモンを汚すな。まったく」
シャーロンはとっさに蜂蜜レモンを持ち上げて保護し、口を尖らせる。
さすがシャーロンである。その動きは、ヨシュアでもかろうじて見えた程度だ。蜂蜜レモン保護に本気を出すシェイクの始末人である。
「ごほっ、げほっ。少し驚いた…いえ、かなり驚いたもので」
ヨシュアはシャーロンの姿を改めて確認する。少女だ。いや、幼女だ。どう見ても犯罪の臭いしかしない。
シェイクでは私生活の充実は当然の権利とされており、結婚するのが一般的である。海外派兵の多い騎士であっても、たいてい結婚はするものだ。
その中でシャーロンは未婚だと聞いている。その彼女から出たまさかの爆弾発言である。
「まあ、人生いろいろとあるものじゃ」
「いろいろとありすぎですよ」
さすがのヨシュアでもついツッコミたくなる。どうやらその時の戦いで、互いに認めあう気持ちが芽生えたようだ。
ジーガンは若かった。シャーロンも若かった。それだけのことだ。
正直、知りたくなかった情報である。あの祖父にそんな過去があったとは驚きだ。
(おばあ様には内密にしておこう…)
こんなことが明るみに出たら、ローゲンハイム家の大騒動である。
これがそこらの町娘ならば、ただの若気の至りであったが、相手がシャーロンであるのは問題である。なにせ敵国の将なのだから。
まあ、あの祖父にしてあの祖母あり、である。祖母は優しくも豪気な女性なので、そのあたりは受け入れてくれそうであるが、これ以上の重荷は背負いたくないのが本音だ。
「だからおぬしのことも気になってな。若い頃のジーガンにそっくりじゃ。…で、どうじゃ?」
「何がですか?」
「わしと交わってみるか?」
「ぶっ――――――!!!」
その言葉に、ヨシュアは気が遠くなった。さきほどの爆弾発言を超える、超大型爆弾の投下である。
「遠慮いたします。ぜひとも遠慮させてください」
「もしかして初めてか? 大丈夫じゃ。優しくするぞ」
「いえ、なんと申しますか、遠慮いたします」
「なんじゃ、つまらんな。良い社会勉強になると思うがの」
そんな犯罪めいた社会勉強は御免である。
知らないところで狙われていたヨシュアは、今後さらに警戒を強めようと密かに決意するのであった。
「ローゲンハイムとの仲じゃ。もう一つ教えてやろう」
「そういった話はこりごりです」
これ以上の精神的ダメージを受けたら職務どころではなくなる。もうシャーロンにはお帰り願いたい気分である。
しかし、当のシャーロンから出た言葉はまったく別のものであった。
「おそらく数ヶ月以内に、うちの軍が動くぞ」
シャーロンの情報は、数ヶ月以内にシェイク軍がガネリアに侵攻を開始するというものであった。
その話にはヨシュアも真面目な顔になる。
「どういった状況でしょうか?」
「やっかみだと言ったであろう? 前の時に、こちらもけっこうやられたからな」
ガネリア動乱時、シェイクは国連軍としてガネリアに介入を図っていた。
その目的の大部分は、貧困国の国家破綻による経済悪化防止および難民増加の抑止ではあったが、ガネリアの力を削ぐことも重要な目的であった。
そのためにわざわざ国連に介入して口実を作ったのだ。ルシア介入の噂もあったシルヴァナを牽制する必要もあった。
だが、【黒の英雄】によってそれらは阻止され、結果的には手痛い反撃を受けることになった。その直接の要因となったのはガロッソ王国なのだが、現在のガネリア新生帝国はそのガロッソも併合している。
「つまり、ガロッソの責任を取れということですか」
「言い分はな。だが、言った通りのやっかみじゃよ」
世界が揺れている中、唯一国力を倍増させている国がある。その国が自国に対抗する国であったならば、危険に感じるのも当然だろう。
それが普通の国力増加ならばまだいい。ただの脅威論で済む話だ。しかしながら、ガネリアの成長は、そんな話では済まない。その要因の一つに【黒の英雄の遺産】があったのだ。
ゼッカーは戦後復興の際、多くの才能ある人間を集めた。その中の半数近くはラーバーン側についたのだが、残りの半分はガネリアに残っている。残った彼らは、ハーレムもまたゼッカーと同レベルの資質を持っていることに気がついたのだ。
当然ながら両者は別の存在。ハーレムはゼッカーのような知識は持っていないが、カリスマは同じだった。ハーレムは彼らに対して理想を説き、夢を話し、協力を願った。王自らが彼らに助けを求めたのだ。
それに燃えない人間はいない。優秀すぎて誰からも認められなかった彼らは、ハーレムとガネリアに忠誠を誓い、その力は国に対してさまざまな貢献を果たしていた。
それに伴ってMG産業も爆発的に活性化していた。新たに加わった技術者が持ち寄った世界最高峰の技術と、半ば実験的なハイテクノロジーを組み込み、戦艦やMGの性能も劇的に向上しつつある。
人種の融和も進んでいる。彼らは互いの長所を認めあい、互いに適した仕事を役割分担でこなす。マンパワーの点でも発展は著しい。
さらに彼らには物資があった。一部の土地はまだ回復していないが、もともと肥沃な土地であるガネリアには自給自足の土壌がある。
すでに蓄えた物資だけでも、仮に三年間何もしなくても、すべての人民をまかなえるだけの食料と資源が集まっているのだ。
そして、豊かさは豊かさを欲する者たちを呼び寄せる。ガネリアの様子を知った周辺国家は、こぞって同盟の申し入れを行う。ハーレムは快く受け、与える。与えられた者は王者の力を確信し、さらに結束を固める。
こうしてガネリアは、もはや中堅国家を超えるレベルの存在になりつつあったのだ。シェイク側からすれば、こうした【第三極】の動きは脅威以外の何物でもない。
「ですが、軍事行動とは穏やかではありませんね」
シェイクはルシアに並ぶ最大軍事国家には違いないが、それゆえに軍事行動には慎重な姿勢を見せることが多い。大きい国家はそれだけ敵も多く、むやみに動けば足元をすくわれかねない。
このような情勢だからこそ、軍事行動は控えねばならないはずだ。常に国益を考えるシェイクの行動としては、いささか短絡的に映る。




