二十八話 「ヨシュアの憂鬱 その4」
「だから教えているのじゃよ。…【潰してほしい】そうじゃ」
シャーロンは、さも自然な口調で言葉を紡ぐ。が、それは非常に重要かつ、異常なものであった。
これはベガーナン大統領からの秘密の頼み事。
シェイクの大統領が、シェイク軍の行動を阻止してほしいと願うのは、おかしい話に聞こえるだろう。
しかし、国家とは多様な面を持つ生き物なのだ。必ずしも頭脳と身体が一緒に動くわけでもない。特にシェイクのような大きな存在であればなおさらである。
「こちらも一枚岩ではない。州が力を持ちすぎたということじゃな」
シェイクには十三の州がある。州とはいっても、もともとは中堅国家であったので、今でも独自の権限を持っている。
当然シェイク連合軍のほかに州独自の軍隊も存在している。彼らの任務は主に防衛であるが、自らの州の利益のために単独で行動を起こすことがある。
そもそもシェイク連合軍は、十三に及ぶ州軍に、シェイク外国人傭兵部隊を加えたものである。その時の情勢によって各州軍の割合も変化し、どの州が一番利益を得るかによって負担する兵力も変わってくる流動的なものだ。
今回ガネリアに敵意を燃やしているのは、ごくごく当たり前のことだが、ガネリアと国境を隣にするシンタナ州である。
彼らは国連軍としてガネリア動乱時に派兵した経緯があり、かねてからガネリアを敵視していた者たちだ。それが今回の一件を受けて、さらに怒りが膨れ上がったという。
しかし、それはシェイクの総意ではない。
あくまでシンタナの問題である。それでも連合国家である以上、州の意思をむげにするわけにもいかず、ひとまず彼ら主体で軍を編成することを承認している。
「私たちは、あなた方と一定の距離を保ってきたはずです。今になってガネリア脅威論を持ち出すのは、どうかと思いますが」
ガネリア新生帝国に併合された商業国家シルヴァナは、シェイクとも物流があり、旧ガーネリア帝国も裏側ではシェイクとさまざまな取引を行っていた歴史がある。
同時にシェイクとの交戦は、できる限り控えてきたはずだ。ガロッソ側がメルビア統合を果たした際に揉めたとはいえ、両者の関係は釣りあっていたはずである。
それを壊すような行動には、さすがのヨシュアも憤慨する。
しかし、ここにもう一つの要因が加わる。
「ルシアも関わってきたからの。そのあたりも警戒してのことじゃろう」
ヨシュアもそれを言われると厳しい。
シルヴァナがルシアと関係していたのは事実だし、ガロッソもゼッカーとの関係でルシア側と交渉していたのも事実だ。
ガロッソを併合したガネリアにとっては、その責任も負わねばならない。遺産を相続すれば負債も背負うのと同じである。
しかもガネリア動乱時においては、ルシア帝国とも致命的な亀裂が発生している。現在も折衝を続けているが、問題が問題ゆえに難航しているのが現状だ。
そのため現在のガネリアの位置は、非常に微妙なものになっていた。このスペースもロイゼン寄りに設置されているのだ。ラナーが来たのは【そうした近さ】も影響していた。
(また戦争か)
ヨシュアがそう思うのも無理はない。ガネリア動乱はあまりに激しすぎた。フルマラソンを終えたばかりの人間には休息が必要なのだ。多くの人々が平和を求めている。
だが、そう思っても相手は動くのだろう。おそらく、ガネリア動乱時の国連軍への攻撃を言い分にしてくるはずだ。その他、戦争犯罪と呼べるものも多く発生していた。その責任も問うてくるだろう。やり方はいくらでもあるのだ。
ガネリアは強い。強くなった。シェイクが一丸となって挑むのならばともかく、州軍の勇み足ならば止められるだろう。しかし、それによってまた人々は苦しむのだ。
そんなヨシュアの気持ちを察し、シャーロンはとっておきの【飴】を差し出す。苦みに染まった彼の耳には、さぞかし甘いことだろう。
「ただでとは言わん。その代わりに、ベガーナンはガネリアに同盟を申し込む予定らしいぞ」
「本当ですか?」
「わしもシェイクの将。こんなことは冗談では言えぬよ」
それにはヨシュアも驚いた。
すでに述べているが、ガネリアはもともとシェイクとは折り合いが悪い。その理由は、ガネリア新生帝国の母体になった旧ガーネリア帝国が、【西側】に属していたことに起因する。
ガーネリア帝国は西から【移住】してきた民族である。シェイクのように追放された者たちではない。
そこに大きな違いがあるのだ。ガーネリアにはプライドがあるし、シェイクにはアレルギーがある。まさに水と油なのだ。それが交わることがあるのだろうか。
「わしは頼まれた通りに話しているだけじゃ。それ以外はベガーナン本人に聞くのじゃな。ハーレム陛下がいれば話も進んだじゃろうが…」
少しばかりシャーロンは残念そうな表情を浮かべた。彼女もハーレムに会いたかったのだろう。
現在、ハーレムは自国で復興と発展に向けた陣頭指揮を執っている。
国際連盟の援助がなくても、単独で復興ができる。それこそがガネリアが発展している証拠でもあるのだ。同時に、他国のやっかみを受ける最大の要因でもあるのだが、ハーレムは気にしないようだ。
今、ガネリアにとって重要なのは、一秒でも早く国を立て直すこと。世界が混乱に陥るのならば、なおさら早いほうがよいのだ。そうした冷静な判断ができるところも、彼の成長を物語っている。
「さて、そろそろ戻るかな。あまりいると変なやつらも寄ってきそうじゃ」
シャーロンも目立つ女性だ。あまりこの場に留まっていると勘ぐる連中が出てこないとも限らない。シンタナ州出身の高官もここにはいるのだ。
シャーロンは去り際にエシェリータに向かう。
「わしのメイドにならぬか? ガネリアにいるよりはましだと思うが」
「私がエトールの民だからですか?」
「それも理由じゃが、単に気に入っただけじゃよ」
シャーロンはエシェリータが気に入ったようである。彼女は気が利くだけではない。その雰囲気そのものが、やはり他とは違うのだ。
それがエトール人だからと言われれば、シャーロンは否定しないだろう。それも含めての勧誘である。
「お誘いは嬉しいです」
「そうか。無粋であったな。許せ」
その言葉だけでシャーロンは納得する。彼女が自らの意思でガネリアにいることがわかったからだ。
目が訴えていた。その【黒と金の目】が映していたのはガネリアであった。
「可愛いメイド服を買ったのじゃがな…」
少し、いやかなり残念そうにシャーロンは去っていった。
当人が一番似合いそうな気がするが、そういった発想はないのだろう。あくまでメイドを愛でることに野望を燃やしているようだ。
「素敵な御仁ですね」
エシェリータは、シャーロンの中に眠る成熟した思念に気がついていた。ラナーもシャーロンも実に人間らしく、深みがあってとても魅力的である。
「まったく、エッシェを欲しがるなんてとんでもない」
その妹の評価とは正反対に、ゼファートは憤慨していた。
エシェリータは彼にとって大切な【妹】なのだ。絶対に渡すわけにはいかない。仮に力付くであっても命を賭して守ったであろう。
「お兄さんは過保護すぎます。息苦しいです。ラナー様って素敵な方でした。ああいう人がお兄さんならよかったのに」
「そんな…! 俺はお前を心配してだな…」
うろたえるゼファートを見てエシェリータは笑う。感情を隠さないゼファートをいじって楽しんでいるのだ。
一方のゼファートはあまりに素直すぎて、遊ばれていることにすら気がついていない。だからエシェリータも楽しいのだろう。
シャーロンにも遊ばれたし、ゼファートにはそういった資質があるのだろう。玩具の資質。その意味ではラナーと友達になれるかもしれない。
(レクス殿とは正反対だな)
そんなエシェリータを見ながら、ヨシュアは【彼女の義兄】との性格の差を感じていた。
レクス・ベクトラーはゼファートの実兄であり、一年前ガーネリア帝国の六将軍の一人として、ガネリア動乱で活躍した将であった。
そのレクスは生涯独身を貫いていた。その理由の一つが、【エトールの民を増やさない】ことである。
卓越した頭脳と知恵を持つエトールの民は、もはや絶滅したとされているほどの稀少な人種である。その存在そのものが宝石であり、さまざまな意味でも狙われる存在なのだ。
レクスはエトールであることを受け入れたが、もはや必要ない存在であるとも考えていた。だから未婚でいたのだ。
しかしだ。運命の歯車とは、実に奇妙で奇跡的である。
ガネリア動乱後、グランバッハが作った孤児院にいたエシェリータが、突如エトールの血を発現させたのだ。
一時は高熱にうなされて生死をさまよったほどであったが、熱が下がった時には、すでに【黒と金の目】が浮き出ていたのだ。それはすぐにグランバッハ将軍に連絡され、保護の対象になった。
これに一番驚いたのがゼファートである。エトールの血が覚醒したがゆえに、不遇の人生を歩んだ兄。その兄と同じエトールになってしまった一人の少女。
兄に命を与えられて生き延びたゼファートは、この時に誓ったのだ。絶対に守るのだと。
そして、ゼファートの激しい懇願を受けたグランバッハは、エシェリータを義妹として託したのだ。それはまさに宿命とも呼べる流れだったのかもしれない。
そして、彼女の性格はレクスとは正反対ではあっても、その血はまさにエトールであった。
「やはりシェイクは動きましたね」
エシェリータの黒金目が光る。
その目はどこか遠くを見ているようで、浮き世離れした神秘的な光を放っていた。彼女は、シェイクがこうした動きを見せることを予期していた。シャーロンが来たことでそれは確信に変わった。
「どういうことだ、エッシェ?」
ゼファートが問う。彼にはまったく予測などできなかったことだ。そんな義理の兄に不敵な笑みを浮かべるエシェリータ。
「お兄さんは鈍いですね。今回の市場凍結騒ぎで一番損をしたのはシェイクですよ」
ハペルモン共和国にある西部金融市場が凍結された際、西側の資金が回収され、東側に富が流れ込むことになった。
これによって東側バブルが発生したのだが、これに真っ先に飛びついたのがシェイク・エターナルであった。彼らもダマスカスに負けず劣らずマネーゲームは好きなのだ。
特にギャンブル街で有名な【バイデーンシティ〈愛と欲望の都市〉】のあるセイクリーン州は、株式投機によって多くの利益を上げている。そこはシェイクの財政を担ういわば【ドル箱】でもあるのだ。
そのセイクリーン州を筆頭に、シェイク側は今回大きな投機に踏み切った。
急激に物資や人を集めているガネリア新生帝国が脅威に映ったことも理由の一つである。すでに富を得つつあるガネリアの利を奪おうと躍起になって動いたのだ。
そして、背景にはもう一つの大きな理由がある。
シェイクがルシアへの対抗心から計画した【大連合国家構想】である。
これは国力をルシア以上に押し上げるのが目的の、何百年もの長期に及ぶ大計画で、東側国家をすべてシェイクに併合するという巨大な野心である。
それによって、ルシア帝国を単独で圧倒できるだけの国力を得ることができる。しかし、そのためにはさまざまな国家と融和しなくてはならない。これが一番難しいことだ。
シェイクとて大国である以上、【強国の務め】は理解している。力を得る以上は、利益を与えねばならないのだ。ルシアのように大国に従う者に褒美を与えねばならない。
今回はその手始めとして、周辺国家の国債にも大量に手を着けた。発展途上国が多い東側諸国においては、多くの援助が必要だったことと、突然発生したバブルによって開発が進めば、赤字を補填できる見通しがあったからだ。
こうしてシェイクはガネリアと競い合うように、相手を圧倒する力と量で市場に躍り出た。しばらくはガネリアもそれに対抗していたが、すぐにしぼんでいった。
「ふふ、シェイク側には、私たちが尻込みして引っ込んだように見えたでしょうね」
エシェリータの言葉通り、シェイクはガネリアの勢いがかげったのを見て、さらに大規模な投資を始めた。だがそれは、ガネリアから見れば愚かなことでしかなかった。
ガネリアは、これがすぐに終わりを迎えることを【知っていた】のだ。




