十七話 「バーン〈人を焼く者〉」
その頃、ユニサンとアズマの戦いも佳境を迎えていた。
激しい戦気で圧倒するユニサンと、肺を損傷して練気が難しくなり一撃必殺の機会をうかがうために防戦に徹するアズマの構図である。
「うおおお!」
ユニサンのラッシュも今までとレベルが違う。スピードも上がっており、かわすのも精一杯だ。
しかし、すでにユニサンの消耗は明らかである。戦気の爆発に加えてオーバーロード〈血の沸騰〉まで起こしているのだ。その代償は着実に身体に表れてきていた。
ユニサンが虎破を放ったとき、彼の内部では筋肉の断裂といくつかの骨折が起こっていた。この頑強な体躯の男でさえオーバーロードには耐えられないのだ。これはそれだけ危険な技である。
(あと五分といったところか)
ユニサンは自己の死期を悟る。
通常、オーバーロードを使った人間の寿命は平均して十分から二十分。これは武人の強さにはあまり関係しない。なぜならば、血が強ければ強いほど引き出す力も強くなるので、誰もがだいたいこれくらいの時間で死に至る。
しかも、この技が禁断とされていることには理由がある。一度でも使えば一瞬であっても後遺症が残るうえ、場合によっては血の温度が少しずつ上がっていき、いずれは死んでいく。今までのデータでいえば、使用後一年での致死率は百パーセントである。
ただし、何事にも例外もある。もしこの場に【王】がいれば、その【王気】が強ければオーバーロードの後遺症を抑えることができる。
王とは人を導く存在。生まれながらにその宿命を与えられし存在。それゆえにその想いは、心は、愛は、武人すら癒すのだ。
しかし、この場には王はいない。ユニサンの死はほぼ確定していた。
(だが、それが何だというのだ。この身のすべてを捧げてこその戦いよ!)
次の虎破で右拳が砕けた。それでもユニサンは攻撃をやめない。少しでも攻撃が遅れればアズマに反撃の機会を与えてしまうからだ。
アズマは、そんなユニサンを見て初めて哀れみの情を覚えた。今まで剣を極めることしか興味がなかった自分が、まさか敵に憐憫を覚えるとは思わなかった。
(剣は己の鏡。拳もまた同じか)
怒り。憎しみ。それだけではない。そうした自分をまた嫌っているのだ。ユニサンの拳からは、戦いをやめられないで傷つき続けている哀れな男の【涙】を感じる。
(ならば、俺が止めてやろう)
それが今日、ここでまみえた自分の役目なのだろう。そのための剣なのだ!!
「今、すべてをかける!!」
このまま続けていても自滅は必至。ユニサンはここで勝負に出た。両手に巨大な炎気を集め、右と左、同時に炎龍掌を放つ。
階段とはいえ密室に近い場所。そこで放たれる炎龍掌の威力は通常の何倍も脅威となる。もはやユニサンも狙ってはいない。全戦気を練って生み出した炎で全方位を焼くつもりである。
アズマは攻撃と回避に優れた剣士であり、防御力自体は並である。今までかわしていたのは彼の技量であって耐久力ではないのだ。だからこそ、これはまずい。
「だが退かぬ! そのような気迫を見せられて退かぬが武人の生きざまよ!」
アズマはそれを受ける。
この攻撃はユニサンが死を覚悟して放つもの。どのみち逃げては両者が死ぬしかない。ならば、勝負して勝つほうを選ぶ!!!
「俺はお前の【才】に届かぬであろうな」
アズマの言葉は皮肉ではなかった。
両手からの炎龍掌。実は炎龍掌を両手で放つことは非常に難しい。無防備にもなるし、器用でなくてはならない。もちろん、ユニサンは器用ではない。むしろ不器用だ。彼は努力と並々ならぬ気迫によってこの技を体得したのだ。その必死な努力はアズマには伝わっていた。
ユニサンを見て心底思うのだ。自分にこれだけの気迫があっただろうか、もしこの必死な努力があればもっと上に行けたのではないか、と。
自身では全力でやってきたつもりであった。だが、甘かった。何が彼をここまでの努力に導いたかはわからないが、目の前の男は心から尊敬に値する武人であった。
だからこそ、全身全霊で挑むのだ!
「我は剣とともに生きてきた! この剣に斬れぬものなし!」
アズマは神刃を放つ。今度は戦気を刃だけに留めず、前方に放射するイメージで斬る。
これを応用技の【神刃・輪】と呼び、通常は三メートル程度の神刃の間合いを二十メートル以上に伸ばすことができる。
理論的には剣衝と同じなのだが、込められた戦気の質、放たれた速度によってまったく別の技にまで昇華される。威力を保つにはそのぶんだけかなりの消耗を強いられるが、もはや隠しておく余裕もない。
放たれた一撃は炎の渦を切り裂き、その勢いのままにユニサンの広げた状態の手のひらに襲いかかる。輝く戦気の刃がユニサンの手を引き裂いた。
「ぬぐぉおおおお!」
神刃・輪を受けたユニサンの左手は、手のひらごと肘のあたりまで真っ二つに裂けた。その威力は彼の肉体ですら簡単に切り裂くことを証明する。
この攻撃で階段中を包む炎にぽっかりと穴が生まれた。これがユニサンとアズマを結ぶ【線】となるだ。
そこにアズマは一撃必殺の思いを込めて飛び込む。ユニサンは右手で応戦しようとするが、すでに剣士の間合いである。
「神刃!!」
煌めく閃光がユニサンの右腕を斬り飛ばす。
CTスキャンで撮影したように、切断面は実に綺麗なものだった。血液すらも噴出するのを数秒待ったほどである。この剣技の質も紛れもなく日々の鍛錬で培ったものであった。
「ぐううう!! うおおおお!」
両手を失ったユニサンは、傷口から侵入した自身の発した炎に焼かれる。痛みとショックで練気が上手くできないのだ。自身を守る防御の戦気すら生み出せず火だるまになる。
「手加減は無礼! 続けて参る!」
アズマはその状態のユニサンの腹に刀を突き刺す。刃は臓器を破壊しながら貫通。そして刺したあとにさらに回転して力強く刀を薙ぎ払う。
「ごふっ…」
腹で爆発が起こったかのような衝撃。大量出血。だが、彼の闘志は衰えない。身体全体でアズマに体当たりを仕掛ける。
その意思、強さ、あまりにも見事。
「今、お前は友となった!!」
それゆえにアズマは体当たりをかわさず、自らも飛び込む。先に届いたのはアズマの刀。今度は心臓を貫いた。一瞬、ユニサンが止まる。
この一撃で、ユニサンの目から一瞬光が消えそうになる。意識が薄れそうになる。
(ああ、このまま死ぬことが許されれば、俺は…)
ユニサンは甘い誘惑に駆られた。それができるならばどれだけ幸せだろう。今まで戦ってきた重荷から解放されるのだ。
しかし、しかしだ!!
「俺はまだ死なん!!!」
かっと目を見開き、心臓を貫かれたとは思えないほどの跳躍を見せてアズマと距離を取った。
刃が抜かれた身体からは大量の出血が見られる。同時に身体を焼かれているにもかかわらず、彼は立っていた。
「そうだろうな。わかっていたよ」
アズマは驚かない。
もはやそんなレベルの戦いではないのだ。この戦いは、どちらかの精神力が尽きるまで行われるものだ。ユニサンの怒りはまだ消えていない。しかし、もはや死は間近。ユニサンにもそれはわかっていた。
「はは…ははは。強いな。お前は…強い」
これがユニサンとアズマの本来の実力差である。もしロキたちがいなければ勝負はもっと早くついていただろう。ユニサンがいくら努力しても到達できない場所にアズマはいける。才能の差なのだろうか。それがユニサンには悔しい。
勝ちたいからではない。この構図は富める者と略取される者ものとの関係にそっくりだからだ。彼らに抵抗しようとしても潰されてきた過去を思い出すからだ。
「名を…聞こうか」
ユニサンは黒刀の剣士の名を聞く。ユニサンは今まで相手のことなど気にせずに殺し続けてきた。富める者たちの味方をする人間はすべて敵だと思ってきた。
だが今、この誇り高い剣士に対して敬意を払うのだ。
「ジン・アズマ」
「俺は…ユニサンだ。だが、もはやこの名も…意味を成さなくなる」
ユニサンはがくっと膝をついた。身体からは力が抜けており、そのまま額が大地に激突する。
(ああ…不思議と心地よい)
ユニサンがこうした土下座のような格好をするのは初めてではない。
一度は【主】に対して許しを請うたとき、そして忘れるほどの回数を強要された【過去】と比べても、これほど気分が落ち着くものはなかった。
それは全力で戦い、全力で散った武人にだけ与えられる【幸せな瞬間】である。
武人とは戦うための存在。生きて、生きて、生き続けた人間だけがこの至福を味わうことができる。だが、それはユニサンが普通の武人だった場合である。もしそうならば、きっと幸せな最期だっただろうと思われる。
しかし、しかし、彼は【悪魔と契約】していたのだ。
それが何を意味するのか、アズマは、いや、すべての人間は知ることになるのだろう。
あの男は、悪魔と呼ばれる男は、もはやそのような陶酔の中にはいない。ただ冷徹に物事を成し遂げるだけの存在なのだから。
「…?」
アズマは最初、それが死に抵抗する仕草だと思った。
ユニサンは額を床に打ちつけ続ける。何度も何度も、何十回も。
四十五回目にして額が割れた。アズマにはその意味がわからなかったが、ユニサンは笑うのだ。
「はははは!! 俺はここまでだ!! だから…今度は…お前たちが…」
【最期】の言葉は聞き取れなかった。
そう、この時にユニサンは死んだのだ。
ユニサンという人間は死んだ。
だからなのだ。
だから、こうなったのだ。
彼は【器】になったのだ。
「っ!!」
突然アズマはユニサンと距離を取った。それもかなりの距離だ。
(何だ? なぜ俺は下がった)
それはアズマ当人にもわからない理由だった。ともすれば武人としての本能が危険を告げたのかもしれない。
【ここにいたら死ぬ】と。
馬鹿な。そんなことはない。もう相手は死んだではないか。誇り高い戦士は自分が殺したのだ。
だが、だがしかし。どうしてもそうは思えない。なぜならば【死期】を感じるからだ。自分の本能は自分がここで死ぬことを教えていた。
ごぽっ。
何か液体がこぼれるような音がした。
それはユニサンから聴こえたのだろうか。
そう、ユニサンの額から聴こえたのだ。
ごぽ、ごぽ、ごぽぽ。
まるで歌うように刻まれる音は少しずつ大きくなっていった。リズムが生まれ、同時にユニサンの身体が揺れ始める。
「なんだ、何だこれは!!」
アズマは叫ばずにはいられなかった。明らかに何か別の意思が介入しつつある。これは汚すものだ。戦いを冒涜するものだ!!
「誰だ! お前は誰だ!!」
アズマは恐怖した。怖い、怖いのだ。
これから何が起こるのかわからないという恐怖ではない。このアピュラトリスに向けられた憎悪や怒り、その【裏側】にあるものの気配がするのだ。
それと比べれば、ユニサンが発した怒りなど子供の癇癪にも満たない可愛いものである。だが、これはそんなレベルではない。
悪魔がアズマを見ていた。
悪魔は、ユニサンの額からアズマを見ていたのだ。
「うううっ!!!! うあああ!!」
恐れずにはいられない。すべてを見透かすような目。それでいながら甘美で自分を引きつけてしまうかのような視線。むくりと立ち上がったユニサンの顔を見て、アズマはさらに恐慌に陥る。
その顔には、いつの間にか【般若の面】がつけられていた。
彼の両腕はすでに破壊されており、倒れたときも動いていなかった。普通に考えればどうやっても仮面を手で付けることはできないはずだ。だが、間違いなく仮面は存在している。
その般若の面がごぽごぽと音と立ててユニサンの顔と【癒着】していく。これこそが自分の本当の素顔であるのだと主張するかのごとく、当たり前に、自然に融合していく。
「うおおお!」
アズマはとっさにユニサンに向かって駆けていた。今ならば間に合う。早く刃であの額を破壊しなくてはならない。そんな気がしたのだ。
しかし、刃が額に到達する前にアズマは何かに吹き飛ばされた。横から強い大きな力で殴られた感覚だ。不意の攻撃に直撃をくらい、壁に叩きつけられる。
激痛に耐えて自分を攻撃したものに視線を向ける。
それは【腕】。
かつてユニサンであった者から新たに生えた腕だった。
「馬鹿…な。再生するのか!」
切断された右腕、破壊された左腕が急速に自己修復を開始していた。それどころか腕はさらに一回り大きくなり、肌の色も黒く変色していく。
メキメキと膨れ上がった筋肉に押されて背骨が折れる音がする。だが、それも次に生まれる、より強靱な脊髄が発した【産声】でもあった。
アズマは奇異な光景と圧倒的な存在感に動けなかった。何が起きているのか理解できなかったのだ。
わかることは、今このようなことが現実に起きていること。そして、自分やユニサン以外の何か別の大きな力が働いていることである。その力がこの現象を引き起こしているのだ。
そして、一分間でユニサンであった者は、般若の顔をした【鬼】へと完全に変わっていった。仮面はすでに顔と完全に融合を果たしており、もはや永遠に剥がれることはないだろう。
「ふぅううう…」
ユニサンには意識があった。過去の記憶もある。今戦っていた時の感覚も残っている。
しかし、それは生前の意識に似ていた。昔そんなことがあったな、と思う程度のものだ。それほど今の自分は【違う存在】になったのだと実感する。
自分以外の大きな意思を感じる。
その意思は、猛り狂っていた。
世界を憎んでいた。
哀しみ、怒り、憎しみ、そういった負の感情を集めていた。
全世界の弱者の声が聞こえる。
強者を殺せと。奪う者から奪い取れと。
「これが…【賢人の力】か」
この般若の面は賢人の遺産、かつての賢しい技術によって生み出されたものだ。
もちろん、最初からお面として存在していたわけではない。額に埋め込まれた【とある物】から今この瞬間に生成されたのだ。そのために彼はバンダナをつけていた。その【手術】の後を見せないために。
それは自身も忌み嫌うものである。あくまで最後のアーズとして戦う自分には不要なものであった。
だが、もう死んだのだ。最後のアーズはもう死んだ。今いるのは【かつてユニサンであったもの】にすぎない。
もともと大きかった身体も二回りほど大きくなっており、肉体からは力が溢れてくる。黒い身体に般若の顔。その姿はまさに【鬼】と呼ぶに相応しかった。
「この憎しみ、怒りをおぉおおお!」
「っ!!」
ユニサンの右手がアズマに迫る。
速い。速度も明らかに生前とは異なる。筋力そのものが人間のものではない。アズマは刀を盾にして回避。ユニサンの拳と衝突。ガリガリと刃が硬いものと擦れる音が聞こえる。
(『真断ち』が削れているだと!?」
この黒刀、真断ちはエルダー・パワーになった時にマスター・パワーから頂戴した業物の刀である。それが削れている。この名刀が単なるパワーで削れるほどの拳の威力なのだ!!
その拳の勢いで激しい衝撃波が発生。アズマは流される身体を押さえるも、今度は左の掌撃。丸太のような腕が弾丸の速度で向かってくる。
かわす。かわす。右左右左と連続で放たれるラッシュをまさに紙一重でかわしていく。もはや見ていない。見れば間に合わない。アズマの歴戦の勘で感じて動いているだけだ。
剛腕がうなる。今度もかろうじてかわした。
「ぐっ!」
かわしたが、針が刺さったような痛みを覚えて距離を取る。わずかにかすったようだ。見れば、左肩の一部がなくなり骨が見えていた。
(なんというパワーなのだ)
アズマは戦気で防御していた。全力の防御だ。
それをユニサンの一撃はあっさりと貫通した。しかも直撃ではない。ほんのわずかに触れただけでこの威力である。当たれば間違いなく即死だ。
「お前は…何者なのだ」
アズマは問わずにはいられなかった。
目の前の男は自分が知っているユニサンではない。自分が戦っていた男はもっと誇り高く、もっともっと気高かった。
強者に対する怒りを持っていても、どこか寂しそうであった。本当は死にたかったのかもしれない。そうであれば幸せだったのかもしれない。
だが、目の前の男は、その目に破壊的な、ただただ破壊的な意思を宿していた。それはもう、一人の人間が抱えられるものではない。何千、何万という人間の怨嗟が集まったものだ。
その証拠に多くの【負の視線】を感じる。司令室の人間から向けられた敵意の視線などまったく気にしないアズマにも、これだけの数の存在から負の感情を向けられれば動揺を隠せない。
痛み、苦しみ、恨み、怨嗟の声がアズマにも聴こえてくるようだ。
それに対して般若は答える。
「ああ、そうだ。今の俺はもう人間ではないのだ。ただの【鬼】。世界を焼くための【バーン〈人を焼く者〉】になったのだ!」
最後のアーズは死んだ。
アーズという組織では世界を変えられなかった。
だから、救世主たる【彼】は作ったのだ。
新たに世界を燃やすための組織を。
【ラーバーン〈世界を燃やす者たち〉】を。
そして、人を焼くための悪鬼を。
その鬼たちを【バーン〈人を焼く者〉】と呼ぶ。




