十八話 「憎しみを断つ剣 その1」
バーン、人を焼く者。
悪魔の思想、悪魔の力に魅せられ、悪魔だけに絶対の忠誠を誓う鬼たち。その力はまさに名に相応しいものである。なぜならば、彼らは現在の世界を焼くために集められた存在だからだ。
その力、強大。
その怒り、業火のごとく。
「うおおおおおおお!!! うううううう! いいぞ、いいぞ!! この怒りだ!!」
般若から発せられる負の想念がユニサンを媒介にして戦気へと変換されていく。戦気はもともと精神力を具現化したもの。本来は無限の可能性を秘めている。
そして、般若の【素材】にはそうした力を蓄積し、物的な力に転換する能力が秘められているのだ。ただし、戦気はもはや赤ではない。黒。真っ黒な戦気が空間を支配していく。
(これはもう【邪気】だ)
アズマはあまりの禍々しい戦気をそう表現するしかなかった。
通常の戦気から発せられる思念は燃えるような真紅の闘争心であるが、ユニサンから発せられる思念は相手をとことん痛めつけようとする【邪念】が見て取れる。
闘気の派生にある【鬼気】が放つ殺気よりも悪質で、憎しみ深いものである。今この瞬間、ユニサンは【魔】となった。
「許さん…! お前たちだけは許さん! 弱者を踏みにじり、奪い尽くすお前たちには死すら生ぬるい!!」
ユニサンがアピュラトリスの壁を殴りつける。轟音を響かせ、壁は砕けた。そう、文字通りバラバラに砕けたのだ。中央には拳圧であいた穴が作られており、深さはここからでは確認できない。
(絶対に行かせてはならん)
アズマたちの激闘でさえもヒビしか入らなかった壁が簡単に壊された。それを見たアズマは、もはや自分の命よりも上にいる人間たちの命を心配した。こんな化け物が上に行けばどうなるか、世俗から離れているアズマにも容易に想像できる。
(ふっ、俺もエルダー・パワーだった、というわけか)
エルダー・パワーの責務は守ること。弱き者を守ることである。紅虎丸が教えた剣は、弱きを守る剣なのだ。
しかし、アズマは今まで自身がエルダー・パワーであることを自覚したことがなかった。任務で戦っても、それは自らの剣の価値を高めるだけの行為であった。
そんなアズマを、仲間たちは戦闘中毒と呼んだ。
自己中心的な考えを持ち、鬼のような形相で相手を倒すことしか考えない彼を嫌う仲間も多い。また、アズマ自身も無駄に関わろうとはしなかった。
周りとは生き方が違うのだと思っていた。
だから数多くの仲間がいても、自らは孤高であろうとした。
剣の上達には、それで何ら問題はなかった。
だが、だが。
今アズマの胸に宿るのは、れっきとした熱い気持ちである。
こんな化け物が表に出たら何をするかわからない。いや、兵士たちでさえ紙くずのように潰されてしまうだろう。その兵士にも家族がいるのだ。産んでくれた母がいるのだ。
そして、アズマは決心。
(ならば、これしかあるまい)
アズマの身体はすでにボロボロである。残った手はこれしかない。
「俺のすべてをくれてやる! 血よ、燃えろおぉおおおおお!!」
アズマが血を燃やす。オーバーロード〈血の沸騰〉である。
血を媒介に無限の因子に接触。本来武人が持っている強力な力を強引に引き出す。身体が熱い。戦気が燃えていく。火傷に悶えながら熱湯を飲み続けるかのごとき激痛!!
(――これほどの痛みを耐えたのか!!!!)
今までの戦いで受けた痛みなど、これに比べればたんこぶ一つにも及ばない。
あまりの痛みに身体が硬直しそうになる。殺し合いを生業としているアズマですらそうなのだから、一般人ならばすぐに意識を失うだろう。
それをユニサンは耐えた。戦っている間、ずっと耐え続けた。その精神力の強さに改めて感服する。
実のところオーバーロードは誰にでもできる技ではない。そんなに簡単にできればそこらの兵士でも使えてしまう危険な技になる。
しかし、これを行うにはいくつか条件が必要となる。一つは本気で命を捨てる覚悟をすること。何か強い意念を持つこと。それを守るために使うこと。何より一定以上の武人としての覚醒を果たしていること。こうした厳しい条件が必要となる。
そうした条件があるため、オーバーロードは主に侵略を受けた側、防衛する側の武人に発生することが多い。自国の領土、愛すべき家族、大切な思い出を守るために戦う武人だからこそ使えるのだ。
アズマはオーバーロードなど弱い人間が使う邪道だと考えていた。だから気にしたことはなかった。興味もなかった。
しかし今、初めて守ろうと思ったのだ。
この国を守りたい。人々を守りたいと思った。
それは武人が持つ、人が本来有する自然な感情であることを悟ったのだ。
そして、それはすなわちユニサンもまた同じ感情を持っていたことを意味する。
「このような富など!!!」
ユニサンが手当たり次第に壁を破壊していく。もはや怒りと憎しみで我を失っているようにも見える。
「はは…はははは!! 魔だ! 魔がいるぞ! マスター・パワー、あなたに感謝してもしたりないほどに今俺は燃えている!!」
戦気が増大していくにつれて高揚感が増していく。痛いが、この状況のほうがアズマにとっては重要なのだ。
これはアズマが望んでいた戦いである。魔と戦うことこそ心から欲していたものなのだ!
彼が持っている刀、真断ちは正式な名前ではない。本来は【魔断ち】という。偉大なる紅虎丸が地上に舞い降り、ダマスカスで剣を教えていた時代、あまたの鍛冶師もこの地にやってきた。最高の剣士に見合う最高の刀を作りたい。使ってほしい。それこそ鍛冶師にとっての名誉だったのだ。
そして、紅虎丸が「これはいい」と認めた剣が十本存在する。魔断ちはその一振りである。ただし、オリジナルではない。それを模して叩かれたレプリカである。本物はかつての時代にどこかに消えてしまった。それでも真断ちが名刀であることには間違いないのだ。
だからこそアズマは魔を欲していた。すでにオリジナルが失われたのならば、自分の真断ちこそが魔断ちとなるべきだと考えていた。そのためには魔が必要だったのだ。
アズマは戦場でいくたの魔に憑かれた人間を斬ってきた。だが、まだ届かない。本物にはまだ届かないのだ! しかし今、ようやくそのチャンスが訪れたのだ!
「たかが刀と笑うな!! 刀こそ剣士の命、存在の鏡!! 今俺は人生を燃やす!!」
アズマが壁に拳を叩きつけたユニサンに斬りかかる。もはや遠慮などしない。最初から全力だ。
「神刃!!」
負傷したアズマだが、オーバーロードで本来のキレを取り戻した神刃をユニサンの背中に繰り出す。ユニサンは避けない。刃は見事に直撃した。
刃は食い込んだ。しかし、それ以上進まない。
(神刃が通らぬ!)
神刃は高速の剣。回避が不可能なほど素早く繰り出される一撃であるが、威力だけでいえば中レベルの技である。高速戦闘を得意とするアズマには合っているものの、ここまで凶悪な力を手にしたユニサンには通じなかった。
しかも、傷が修復していく。神刃の傷もあっという間に塞がってしまった。
「痛み。痛みだ…! 貴様らが知らねばならぬのは痛みだ!」
振り向いたユニサンがアズマに攻撃を開始。そこにはもはや技というものは存在しない。ただめちゃくちゃに拳を振り回すのみ。だが、それこそが恐ろしい。
「ちぃいい!」
アズマは避け続ける。オーバーロードで燃えているといっても、力関係はまるで変わっていない。一発でもくらえば即死は同じだった。
(どうすればいい、どうすれば)
アズマは必死に考える。このまま上に逃げるわけにはいかない。この力を発動させた段階で自分の命もあと数分しかもたないのだ。そして何よりユニサンを倒さねばならない。倒さねば多くの人間が犠牲になるだろう。
「はははは! どうした! 立場が逆転したら逃げ惑うしかできないのか!」
ユニサンは笑う。弱い者に高圧的だった人間が、いざ立場が逆になればただ逃げるのみの現状を笑う。
「お前たちは誇りを奪い、富を奪い、あまつさえ楽しんだ! その報いを受けろ!! 腕を引きちぎり、足をもぎ取り、少しずつ身体を削いでやる!! 痛みにのたうち回れ!!!」
ユニサンの拳のラッシュ。もはや後退することしかできないアズマに向かって、何発も何発も繰り出す。避けるたびに砲弾がかすめているようだ。
(だが、粗い。チャンスはある)
邪気がユニサンの思考能力を奪っているせいか攻撃自体は粗かった。そこをつけば必ずあと一回はチャンスがあると踏んでいた。だが普通の攻撃では倒せない。弱点を突かねばならない。
(【額】だ。あの般若の額だ)
アズマは邪気の源に気がついていた。般若の面の額の部分にひし形状の【黒い石】が浮き出ているのだ。間違いなくあれこそが邪気なのだ。邪気そのものである。
狙いは額。しかし、ただの神刃では通らないだろう。
もっと強力な技で全身全霊をかけて挑むしか道はない。
(手は一つ。【アレ】しかない。だが、できるか? あれができるのか)
アズマは優れた弟子だった。師範から教わった剣のほぼすべてを体得している。しかし、マスター・パワーから教わった剣だけはどうしても体現できなかった。
それは至高の剣の一つ。赤虎流の真髄が込められた剣技。今の自分には到底扱えるものではないことは知っている。知っているが、やらねばならない。
「死ね!」
ユニサンの大振り。粗い。アズマが身を屈めると腕は頭の上を通っていく。その勢いはすさまじく、もし当たっていれば頭がなくなっていただろう。
そして、チャンスはここしかない。
「今この命をかけて…!」
一撃必殺を狙ってアズマが飛び込んだ時、それは起こった。
【腹がなくなった】。
そうたとえるしかないのだろう。
それは事実なのだからそう言うしかないのだ。
「ぐっ…は」
アズマの腹はこの世からなくなっていた。次に訪れたのは貫通する衝撃。それによって背骨が完全になくなった。つまり、アズマの胴体が吹き飛んだのだ。もはや原形を留めることなく塵となった。
膝。
飛び込んだアズマに放たれたのは、ユニサンの【膝蹴り】であった。




