7.咲乃の怒り。
ぶん投げる勢いで、咲乃が教室の扉の開け放った。
部活から直行したのだろう、体操着だ。
「伊奈! 伊奈! 無事?」
へたり込んだままの私を見つけた途端、咲乃の顔が赤く染まり、切れ長の眼が吊り上がった。
「何した! 何しやがった!」
「押しただけだ。それ以上何も……」
柊先輩が言い終わるまで待たずに、咲乃が私の方へ突進してきた。
間に柊先輩が立ち塞がる。
「どけよ!」
「いいから話聞けよ!」
「どけっつってんだろ!」
いきなり咲乃が蹴りを繰り出した。金的狙いだ。
危うく柊先輩が横にかわす。
「そう何度も同じ手食うかよ」
今度は闇雲に掴みかかる。
しかし両手を掴まれて、身動きが取れなくなる。
「話聞けって言ってんだろ!」
「うるさいうるさいうるさい」
「聞けって!」
柊先輩が膝を出し、咲乃のみぞおちに入る。
咲乃が数歩下がり床に膝をつく。息ができないのだろう動けなくなっている。
「話聞けよ!」
咲乃からは声が出てこない。そのまま憎悪に満ちた目で柊先輩を見上げる。
「なんでお前って、いっつもそうなんだよ。まともにこっち見ろよ!」
咲乃は睨み続ける。
深呼吸して空気を肺に入れている。
「何が目的?」
まだ苦しそうな声。
「黙って俺の言うことを聞け」
「身体? 身体なんだね?」
「何の話だよ」
よろめきながら、咲乃が立ち上がる。
「この下衆めが。好きにすればいいよ。でも伊奈は今すぐ解放しな」
「ちょっと待てって」
いきなり咲乃が上着の裾に手をやると、一気に脱ぎさり床に放り捨てた。
白いブラ一枚の上半身が露わになる。
「おい、何やってんだよ!」
「これがお望みなんだろ。みんなみんなそうなんだよ。畜生が!」
今度は短パンを脱ぎ捨てる。
完全に下着だけの姿になった。それでも恥じることなく身を反らして柊先輩と向かい合っている。
思わず咲乃の滑らかな半裸に見とれてしまったが、そんな状況ではない。咲乃は本気で私のために自分の身を犠牲にしようとしている。いいのか、そんなの。ゆっくりと立ち上がって、様子をうかがう。
「お前、何やってんの?」
柊先輩が情けない声で言う。どうも様子がおかしい。私を使って咲乃を脅迫しているはずなのに、この場で一番弱々しいのは柊先輩だ。
「今すぐ伊奈を解放しろ。その後お前の下卑た欲望にいくらでも付き合ってやるよ」
「違うって、俺がそんなことするわけないだろ?」
「今更ヘタれんな。いいから伊奈を解放しろ!」
柊先輩が私の方へ顔をやる。
青ざめていて、口元がけいれんしている。
「おい、あんたから言ってやってくれって」
「はぁ?」
「俺はそういうことはしないんだよ」
「何がですか?」
「森田を襲うなんてするわけないだろ」
「そんなの嘘でしょ?」
「無理矢理なんて、俺のプライドが許すかよ」
「おいこら!」
咲乃が怒鳴る。
「何うだうだしてんだよ! これじゃまだ不足かよ!」
咲乃が背中に手を回す。
「ちょっと待て! 変な真似すんな!」
柊先輩は怒鳴っているが、声が震えている。どうもおかしい。
「咲乃、ちょっと待って」
「何が?」
「いいから、それ以上脱がないで」
「でもこの下衆、私の身体が目当てなんだよ」
「俺を見損なうな。こんなやり方、俺の流儀じゃないんだよ」
柊先輩は精一杯虚勢を張っているが、情けない声は隠しようもない。
「違うらしいよ」
「そんなわけないじゃない。私に付きまとってくる奴は、みんな身体目当てなんだよ。粘っこい、いやらしい視線!」
「そんな奴らと一緒にするな」
「でも現に今、私ガン見してるよね?」
「見てるかよ」
「見てるよ、そういうの分かるし」
「仕方ないだろ、好きな女がそんな格好してるんだから」
あ、今、かわいそうなタイミングで想いを言っちゃった。しかも咲乃には全然届いていない。
「後で好きなだけしたいことすりゃいいよ。まずは伊奈を解放しな」
「咲乃、ちょっと話聞いたげようよ」
「なんでよ」
「柊先輩、咲乃が好きだって言ってるんだけど」
「好みの女ってことでしょ。見た目ばっかなんだよ、みんな」
「その辺、しっかり話聞いたげた方がいいと思うけど」
「下衆の話聞く必要ないよ。身の毛もよだつ、おぞましい欲望にまみれた妄想なんて聞きたくもないね。やりたいことだけやればいいんだ」
「俺は本当にお前が好きなんだよ。そりゃ、最初は見た目だったよ。でも何度も拒絶されてるうち、お前への想いに気付いたんだ。俺だって見た目なんだよ。寄ってくる女はみんな見た目しか見てない。でもお前は違う。人の見た目なんて気にしない。優しさのかけらもない女だけど自由に生きてる。そんなお前が好きなんだよ。クソッ、なんで俺がこんなこと言わなくちゃいけないんだ」
一気に想いのたけを伝えた。しかし非常に残念だが、頭に血が上りきっている今の咲乃に何を言っても無駄である。
かと言って、私にこれ以上彼を助ける義理はない。彼には怖い目に遭わされたのだ。
とにかく咲乃のストリップ劇場を閉幕させないといけない。
静かに回り込んで、咲乃の方へと移動する。
途中で柊先輩に気付かれたが、もはや私を捕まえる気力はないようだ。
「伊奈!」
咲乃が走り込んで抱き付いてくる。こっちも手を回して受け止める。なんだこの肌。とんでもなくスベスベで柔らかいぞ。
「咲乃、服着なよ」
「何見てるのさ、ドスケベ」
余裕を取り戻したらしい咲乃がニヤリと笑う。自分で脱いでおいてドスケベは非道い。まぁいい。全ては私のためにやってくれたことなのだ。床に落ちている短パンを拾い上げて、咲乃に渡してやる。
「姫!」
教室に雪崩れ込んできたのは青柳先輩。
咲乃を見て、まず顔が真っ赤になった。そして目を逸らした先に柊先輩を見つけると、今度は顔が赤黒くなった。
「き、さ、ま!」
「ちょ、ちょっと待って、青柳先輩!」
私が止める間もなく、青柳先輩は柊先輩の胸倉を掴んで持ち上げた。そして岩のような拳を頬に叩き付ける。さらに拳を振り上げる。
「咲乃、止めて!」
しかし間に合わず、二発目が柊先輩の鼻を砕いた。また拳を上へ。
「青柳、もういいよ」
振り上げた拳を青柳先輩が降ろす。抵抗する力を失っている柊先輩を、ゴミのように床の上へ放り捨てる。
「なんですぐ止めないの!」
「あいつには制裁が必要だよ。伊奈拉致ったんだし。こっち向いていいよ、青柳」
くくられた後ろ髪をしなやかにはらって体操着から出す。
青柳先輩が咲乃の方を向いて、すぐに駆け寄ってくる。
「姫、大丈夫ですか?」
「私は何もないよ。よくやった、青柳」
咲乃に笑顔を向けられて、青柳先輩がデレデレと頭をかく。
いや、それどころじゃない。殴られた柊先輩はどうなった?
少し離れたところから様子をうかがうと、顔中血塗れになって仰向けに倒れている。
「ちょっと、大変だって」
慌てて駆け寄る。でもどうすればいいんだ? 取りあえずハンカチで顔の血を拭いてみる。
「イタッ」
「ご、ごめんなさい」
鼻に触ったら柊先輩に手で払い除けられた。
鼻と左頬以外の血を拭いていく。でも鼻からどんどん血が流れてきている。
「どうしよう? ヤバいって」
「伊奈、放って置けばいいよ。自分で保健室なり病院なり行けるって」
柊先輩がゆっくりと頭を上げる。
「ちょっと、血が止まってませんよ」
ハンカチを鼻の下にやる。どんどん赤く染まっていく。
「俺はもう大丈夫だから。早く行けよ」
強がって柊先輩が言い、私の肩を押す。
その手を取って、鼻の下に当てたハンカチを握らせる。
「取りあえず、これ持ってて下さい」
「もういいから。俺は同情なんていらない」
柊先輩は私の顔を見ようともしない
意地を張っている。こんな滅茶苦茶にされてるのに意地を張っている。
急に腕を引っ張られた。咲乃だ。
「本人いいって言ってるんだし。行くよ、伊奈」
「あんた達、非道すぎるって!」
思わず咲乃を怒鳴っていた。
咲乃は驚いた顔をしたが、すぐに顔の力が抜けた。叱られた小さな子供みたいに、眉を寄せ、少し上目遣いで私を見てくる。
「だって、伊奈に悪いことしたんだよ?」
「だからって」
「伊奈に何かあったら、私……」
眼にうっすらと涙が浮かぶ。
「伊奈。伊奈が無事だったらいいんだ。伊奈」
眼に涙を溜めて私を抱き寄せる。
そんな顔されたら何も言えなくなる。ずるいよ。