1 獣人になったら脚力が世界最強です
「なんで、僕が獣人と結婚しないといけない?セラフィナ!伯爵!これはどういうことだ?僕を騙したのか?」
眉目秀麗と評判の私の恋人、第二王子アレックスの、私に向ける激しい嫌悪の表情に、私の動きはショックで固まる。
「滅相もございません。前妻が、獣人だったとは!私も前妻に騙されたのです」
そんな保身に走る父の叫び声が耳に入り私――セラフィナの、このほわほわの白く長い耳がピンと立った。
(よく言うわ。獣人だった母に飽きて追放した上に愛人だったジョセフィーヌを後妻にしたくせに)
散々自分を迫害してきた父と継母に未練はなく、冷たい目を向ける。
だが、昨日まで優しく「この家から君を救ってあげるね」と言っていたアレックスの手のひら返しは、私にとっては予定外の出来事で目の前に起きていることが、信じられない気持ちになる。
昨日までの、彼の優しさはなんだったのだろう?
「婚約が整ったら、お妃教育を理由に早めに登城してしまいなよ」
そう優しく私の髪を撫でてくれたあなたは、そこにはいない。
何も婚約が整いそうになったこのタイミングで獣人化しなくてもいいのに……
獣人変化の原因は分かっていたからこそ、自身の行為に情けなくなる。
「お前のせいで、この家はめちゃくちゃだ」
父は、アレックスと国王の前で私を突き飛ばした。突き飛ばされた私は、無様にも床に転がる。
アレックスがハッとした表情を見せたような気がしたのは、私がみた都合のいい幻だろう。ただ、その水色の瞳が憂いを秘めているようにみえただけだ。
彼は、わなわなと震える手を、ぎゅっときつく握った。
そして、私にふいっと背中を向けた時に見えた金色の後ろ髪は、床に転がされた私を顧みることなく、見えなくなっていく。
「獣人の身で王家に取り入ろうなど言語道断。王子の気持ちに免じて、処刑ではなく国外追放のみで許してやる。」
いずれ私の娘になるのだと優しく声をかけてくれた国王からも、容赦ない冷たい視線と言葉が投げかけられる。
耳が出た以外、私の中身は何も変わっていないのに……
「国王と王子からの温情に感謝しろ」
悲しみに涙がこぼれた時は、兵たちに両腕を掴まれ、王城から遥か彼方、国の検問所の外に追い出された後だった。
「家も好きな人もみんな無くなってしまったわ」
垂れ下がるうさぎの耳を新たに得ても、何もいいことなんてない。
私は、ボロボロ流れる涙を止める方法がわからなかった。
◇
「どうするかって……獣人国に行くしかないわよね」
一通り涙は流した。その涙をぐいっと人間のままの手で拭う。
「耳だけしか出てないんだけど受け入れてもらえるかしら?」
獣人は完全に獣で、擬人化することができる。でも、私は完全に獣にはならず、人でもない。
(獣人の国の国境を越えられるのかしら?)
「こうなったのも、母のネックレスのせいよ」
かつて街で、母の再婚相手の連れ子と名乗る人に会った。
その人は、黒髪、黒目、二本足に二本の腕を持ち、人にしか見えない。しかし、マーカスと名のり、獣人だと告げた。
「私はマーカスと言う。ソフィアは父の後妻で、私たちと家族として暮らしている。ソフィアは君に会いたがっている」
「私は関わりたくありません。私をこんなところに残して、一人で国に帰って再婚して、会いたいってどの顔で言っているのかしら?」
マーカスは、私と話そうとしたが、私は聞く耳を持たず逃げ出そうとした。
その際、月の雫というネックレスを渡されたのだ。
「これは、君の母上のソフィアのものだ。ソフィアに会いたくなることがあれば、月の力が協力してくれる。必要な時に使ってくれ」
そのネックレスを月に当てると、月が母を呼び出してくれると言ったのに、母を呼び出すどころか出たのは耳だ。
「ちょっと、話が違うじゃないの?あの人は、どこまで人の幸せを踏み潰せば気が済むわけ?」
私は、やっと手に入る幸せが嬉しくなり、結婚することを母に報告してもいいかな?と思った、
獣人ではないものは連れて国に帰れないと、あんな父親の下に私を残した母。
私が家族の愛情に飢えていた時、再婚相手と連れ子と楽しく家族ごっこをしていた母。
母への恨みは水に流して、新たな気持ちでアレックスの元に嫁ぎたいと思ったことが間違いだったのだ。
「でも……違うわ。」
私は、自分自身のせいであることに気づいていた。
そうではなくてもいつか起こり得ることだった。
アレックスは、本当に優しかったのだ。
だからこそ、信頼している私が隠し事をしたことに傷ついたんだ。
獣人と人族は相容れない。
文化も習慣も何もかも違う。
大事な出自のことを、一国の王子に隠しておいていいことじゃなかったわ、
父から言われたとはいえ、獣人の血が混ざっていることを伝えなかったのは私自身。
伝えたら、彼の立場を考えたら私との結婚はありえないことを知っていたから……
私は、過ぎてしまった後悔に、へにゃんと下がった耳を立ち上げる方法もわからないまま、トボトボ耳を垂らして歩く。
国も家も追い出された上に、私は行く当てもないのだ。
道は月夜に照らされている。
そのうち、私は、本当にトボトボ?と首を傾げ始めた。
いや、傾げている暇ではない。
これは、トボトボでは…………ない!
先ほどから、歩幅がおかしい!むしろ……ふわふわ?
「私、今跳んでない?ホップでしょ、ステップでしょ、ジャーーーンプ!!」
そのジャーーーンプに合わせて、私の体はとんでもなく空に飛び上がる。
「わわわわわわわわっ!わわわっ!」
その跳躍は止まらない。
なんだったら一つの街も一っ飛び!
「あっさり国境を飛び越えたんじゃ?」
飛び上がる勢いで街の明かりが小さく見える。
でも――
「やめて!やめてーーーっ!」
このまま落ちたら死んじゃう!
(とんでもなく高いところを飛んでるわ)
私は跳びすぎた恐怖に、空中で手をバタバタ羽のように動かしているだけ。いうまでもないが羽も翼もない。
「いやあああああああっ!」
今度は、その跳躍力は切れましたと言わんばかりに、体がくるくる回転していきながら、山の中の落下地点に、よりにもよって家が……
これにて、終了。
私は迫り来る屋根と、その落下スピードに目を瞑った。
ああ、好きな人にこっぴどく振られて……
家からも国からも追い出されて……
次は、普通の人生……送りたい……
ブランブラン
ぐいっと、体を逆方向に引っ張られるような引力がある。
「ん?」
私はそーっと目を開け、目の前に広がる光景に絶句する。
「なあっ!わっ!」
目線五センチ先は素焼きのオレンジ色の瓦が……
助かったと思っていいの?
更に、振り返り、私は自分の背後にある大きなものを見る。
「ふギョッ!」
私、ブランブランしてます。
なんで?それは、服の首元を咥えられているからね。
なるほどなるほど、それは固定が首下一箇所だけならブランブランするわ。
でも、普通、首元咥えますかって……
そっと、横目で見てはいけないものが目に入る。
黄金の目が二つ――ここはギリ普通
口で首元を咥える――それは異常
全身毛皮――それも異常
どさっ
私は屋根の上に乱暴に落とされる。
「わああっ!落ちる」
急いで四つ這いになり、瓦の上で体を安定させ振り向くと……
「ああ、あああああっ!やっぱり見間違いじゃない!」
目の前に四つ足の狼がいる。
それも、人ぐらいの大きさ、真っ黒、毛皮まみれ……というか超大型犬?いえ、もしかして狼?
「人の家に穴を開ける気か?」
私は滅相もございませんと首を横に振る。
人語が話せて、人サイズということは、獣人かしら?
「思ったより飛びすぎたみたいで……ただ、私としては跳んだだけなんですけど、羽もないのにおかしい、おかしい、あははは……」
私は、乾いた笑いをして、そーっと後ずさりながら、目の前の狼から距離を取ろうとする。
だが、あっさり、屋根の隅に追いやられ逃げ場がなくなった。
「ん?お前、完全に跳べないのか?そういえば、耳だけだし?ああっ!お前、もしかしてセラフィナか?俺だよ!マーカスだよ」
「マーカス?」
そういわれても、ただの人のような大きさの狼が、人の言葉を話すだけだ。
でも、声は聞き覚えがあるような……
私は思わず勢いよく立ち上がる。だが、そこは屋根の端だった。
ツルッ
「あわ、あわわわ!」
「セラフィナ!」
マーカスが慌てて叫ぶが、私は体勢を崩して地面に真っ逆さま。
「わああああああっ!」
それは、本日、何度目かのわあああっという叫び声だった。




