story:20
今年度において初回となるテスト週間を控えた5月中旬の土曜日。午前中に実施された部活動を終えて、萩庭凜と夏宮義朗は帰路につく。各々部活の練習着から制服に着替え、体育館を出て校門の方面に向けて歩みを進める。学校の敷地内を移動しているところで、義朗と凜の会話は弾む。
「今日もよう頑張ったのぅ! 来週からしばらく部活なぁけぇ、いつもよりちと気合い入れたかいね?」
「うーん、そうかも! 自分でもちょっと力入ってるなーとは思ったよ!」
「うおお、ほしたら間違ぁなぁの! クリアもよー飛びよったし」
「でしょ! マジでアウトギリギリなの多かったくない?」
「ほんまよぉのぉ!」
ここでいうクリアとはバドミントンにおける技のことで、シャトルを相手側のコートの奥まで高く飛ばすテクニックだ。凜は練習中にラケットを握る手やシャトルを打った際の感触で、いつも以上の力加減を感じたのだという。
来週以降は、テスト期間が終わるまで部活動がない。要はテスト対策のための勉強に意識を向けるべきタイミングに差し掛かるため、一層メリハリをつけて過ごしていくことが望ましいだろう。だからこそ今日のうちに、やれることはやって発散しておく意図で義朗は提案した。
「での、凜よ。明後日からは勉強に集中せんといけんじゃろぉ」
「だね! マジたいぎいわ!」
「うおお、じゃろうて。ほんじゃけんの、今のうちに景気付けしとかんか?」
「は? けーきづけ? なにそれ?」
「堂々と遊べんよーになる前に遊べるときに遊んどこうっちゅうことよね。ちょうど汗も掻いたじゃろうけぇ、温泉でも行こうでよ」
「えっ、えぇー? 温泉ー?」
別に不満は無いし寧ろ行きたいぐらいだが、凜はあまり乗り気ではない様子だ。自身の学力を鑑みて、高校生になった祖父に対し断りを入れる。
「ごめんけど今回はパスさして? 私、地頭が悪いからやっぱり今日からでも帰って勉強したいけ」
凜が言うには、元より今日の時点でテスト勉強を始めるつもりだったらしい。生活態度でも1年生の頃の遅刻などを踏まえれば良いとはいえなかったが、2年生になってからは改善されつつあるのでそれに上乗せして成績も落とさずに最低限の内申点は取っておきたいという。孫の言い分に、義朗は納得して引き下がる。
「ほうね、ほいじゃったらわしも真っ直ぐ帰ろうかの。今日は帰ったら飯の時間まで勉強漬けじゃー!」
「いや、夕飯までノンストップで勉強はきついでしょ」
「そら当たり前じゃあね! もちろん休憩は入れるでぇ!」
そうして帰宅後の方針が決まったのもさることながら、凜と義朗はクラスメートの男子生徒と偶然鉢合わせた。ダンス部での練習を終えた夜海來太だ。彼は駐輪場に自分の自転車を取りに行っている最中のようだった。
「お! 義朗さんじゃん! と、連れのなんかちっこいやつ! そっちも部活終わったん?」
來太の雑な煽りに対して無視を決め込む凜の傍ら、義朗が相手からの質問に応じる。
「うおお、終わったでぇ? そない言うたらあんたも部活だったんかいね? まー、お疲れさんじゃわい」
「おん、部活だった! やっぱ朝からは身体が起きてないけ重いな!」
「なーに言うとんなら、若いんが」
男子同士の談笑が重なり、和やかな雰囲気が場を包む。その空気感の中に凜は身を預けて見守っているが、居心地の悪さは感じていない。機会さえあれば会話にガヤぐらいは入れてやるつもりだ。たちまち話が進んでいくうちに、來太はある意味でタイムリーなことを述べた。
「でよ! 来週からテスト週間だから今のうちに遊びに行こーや!」
「………………………………」
義朗と凜の間には、虚無を孕んだ沈黙が降りた。何も知らずに飄々と笑う來太の表情が、心なしか切なく見える。口角を歪めたまま固まっていた義朗は、数秒置いて動き出した。
「來太よ、それさっきわしも凜に同じようなことを言うたんよ……。の? 凜」
「それな、デジャビュだわ」
「えっ? えっ? えっ? どゆこと?」
ただならぬ空気を察して、來太は苦笑しながら疑問符を浮かべ続ける。ちょうど今の今で帰ってからの意向が決まったにも関わらず、他から遊びの誘いが来ようとは拍子抜けだ。いや、時期的にもオカしくはない展開ではあるのだろうが。自分と対面している二人を交互に見つつ困惑する來太に対し、義朗は順を追って経緯を説明する。
「いやの、ほんまについさっきわしも凜に今のうちに遊び行こうみたぁなんを言うたんよ。ほいじゃけど凜は今日から勉強したい言うけぇ、ほいじゃ帰って勉強しようなった矢先にあんたからの誘いよぉね。どーかいの、間が悪ぃわ」
「ほんまにそれ、せめて会うなら20秒ぐらい早く会って話して?」
凜からのブーイングも受けて、來太は固い笑顔で小さく唸った。次いで、暫し黙っている間に頭の中を整理して、対象を義朗だけに向ける。
「……あね、だったらこの後何処か行くつもりだったん?」
「まぁの! 部活終わりじゃし、温泉で汗洗い流すんもええかのー思いよったんじゃ!」
「お、温泉!」
「言っとくが混浴はなぁで?」
当然のように何かを期待して声を張る來太に、義朗はぴしゃりと言い切った。僅かに赤らんだ頬とギラギラした視線を露呈させる來太には、凜もすかさず突っ込みを入れる。
「キモ。目がガチだったよ?」
「凜、キモとか言わんのんでぇ?」
「うおおー! そうだね、確かにキモは言い過ぎた! ごめんなさいどすてっぷー」
シンプルな悪口を言った孫を緩く窘める義朗と、謝る気が更々感じられない謝罪を言いながら両手を広げて左右に揺れる凜、何かと奇妙な成り行きになり始めたところで、來太が話を軌道修正させた。
「でも温泉いいよな! 風呂から上がった後に飲むコーヒー牛乳はガチで美味いし!」
「うおお! 來太、お前ぁよう分かっとるじゃなぁか! あんたたぁ良い酒が飲めそうじゃわい!」
「いや、そここそコーヒー牛乳でしょ! てゆうか未成年に酒を勧めようとせんのよ!」
「なぁに! 細かいことは気にす、するわいね! 冗談じゃあ言うとろーがに!」
「言ってないでしょうがにゃ!」
今度は凜が祖父の言動を窘め、義朗はその場のノリだけのテンションに自らの発言を任せる。まるでシーソーゲームのような漫談が繰り広げられて中々話が進まない調子だが、進捗がないことはない。來太の押しこそが進展の鍵だった。
「義朗さん、元々遊び行くつもりだったんなら温泉行こうや! タイミング的にも今ぐらいしかなくね?」
「うおお、ほうじゃの。行くか!」
「ええっ!?」
真っ直ぐ家に帰って勉強する気概とは何だったのか。このまま寄り道せずに帰宅するつもりだった凜は、義朗の気の移りように追いつけずにいた。
「ちょっとぉ! じいちゃんも帰って勉強するんじゃなかったん!?」
「うおお、するでぇ? するけだぁ風呂から帰ってからするわいね」
「ええーっ! さっき飯の時間まで勉強じゃー! って言いよったじゃん!」
「そら凜だけじゃないんね?」
どうやら本当に勉強よりも出かける方を優先するらしい。気まぐれなのか優柔不断なのか、いずれにせよ自分とは打って変わって余裕を見せる義朗に対し、凜は抗議を続ける。
「じゃないよ! じいちゃんこそ勉強しとかんとヤバいんじゃないん!?」
授業内容も義朗が現役の頃から現代に至るまでの間に置き替わっているであろう上に、特に時事的な問題や最新の要素にはついていけていないこともあったはずだ。だからこそ、余裕をかませるほどのキャパシティが実際にあるのか甚だ疑問だが、義朗自身は依然とした態度を貫き通す。
「細かいことは気にするまー、テストなんかどうにでも出来るわいね」
その時々のテストの結果が、最終的な結論になるとは限らないという経験に基づいての返答だった。凜は小さく声を漏らすと、ここまでの会話に句切りをつける。
「あっそぅ………。私が言えた口じゃないけど赤点取っても知らんけぇね……?」
引き止めてもこちらの意見を聞かないというのならば、最早自己責任として問題は本人に丸投げするまでだ。前向きな性格からして、本来なら凜も開き直って賛同するところではあるのだが、今回に至っては自身の弱点を踏まえて断りを入れた。よって義朗は、特に反論することもなく凜の言い分に頷く。
「うおお、任せときぃや。赤点は取りゃあせん」
凜と義朗を中心に、自転車を回収してきた來太を加えた一行は定期テストに関する会話を展開させながら移動する。三人は学校の敷地内を後にして路面電車の最寄り駅まで着くと、付近にあった駐輪場に自転車を停めて、義朗と來太、凜はそれぞれ下りと上りのホームに立って目的地に向かう電車を待つ。各々が解散して間もなく来た車両に乗り込むと、そのまま電車に揺られた。
二駅程通過した先で、義朗と來太は運賃の精算を済ませて下車する。
温泉は、駅から歩いて約10分の場所に位置するのだという。宿屋のような外観をした趣きのある建物を眼前にして、義朗が顎をしゃくって指し示す。
「ここじゃここじゃ」
「おお! ここかぁ! なんかすげぇ! 本格的じゃん!」
「うおお、來太あんたぁ来たことないんかえ?」
「いや、ないない! 初めて来たわ!」
「ほうね、まー色んな湯があるけん試してみぃや」
ここも生前に何度か来た所だ。一概に温泉とはいえ様々な効能のある湯もとい風呂が設けられているため、自宅の湯舟に浸かるのとはまた違った楽しみがある。久方振りの訪問だからこそか、義朗は懐かしさを覚えていた。しかし、その感覚は必要以上に強い気がする。
「…………まさかの」
「え?」
「いや、何でもなぁわね」
思わず漏れ出た一言だった。まさかと言いつつ、そのまさかかも知れない。過去に家族と来た場所であるが故に、可能性を否定することは出来なかった。義朗は自らの中でくすぶる期待を心の片隅に置いて、來太を連れて店内に入る。
「行くでぇ、來太」
「おう!」




