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第十章

しかしその笑みは、一変する。




焦点をずらした先、剣帝の方角。そこに、確かに彼はいた。だが、しかし。




大剣を両手で背負うようにして構え、己に向けて跳躍した瞬間をその瞳に捉えるとは、予想だにしていなかった。




「な……ぜ……」




肢体を貫かれにも関わらず、懇親の一撃を放った剣帝。体力は残っておらず、ただ立ち竦むのみ。




……だと、魔王は思っていた。




「これが」




呆けた意識が、剣帝の呟きで返る。




「想いの力だ」




剣帝は真っ直ぐに大剣を振り下ろした。袈裟懸けではない、唐竹割りの一撃。




その刃は魔王の魔法障壁を一刀の元に斬り伏せ、掻き消した。更に生じた剣圧による縦に伸びる衝撃波が、未だ残りあった横一文字の衝撃波と交わり、交差し、交錯し、ひとつになる。




象るは、十字架。それは、魔王に。




「魔の世界に還ると良い、魔王よ。冥福を祈る」




深々と、刻み込まれた。




天を仰ぎ見、魔王はその場に崩れるようにして両膝をついた。言葉として成立しない声を洩らし、うつ伏せに倒れ込む。




舞い散った先決は剣帝の朱の身体と交わり消える。床に敷き詰められた絨毯は、魔力砲の影響で埃をかぶっている。それが真新しい紅に染まった。




「おも……い……想い……俺……魔王……気持ち……魔法……」




顔を横に向け、魘されるかのように呟き続ける魔王。それを見下ろし、痛む腕を傾けて大剣を向ける剣帝。表情は、険しい。




「最期に言い残すことは……あるまいか」




それは、剣士としての礼節。騎士としての仁義。帝としての敬意。




誰にでも、それは例え敵だとしても。剣帝の与える、義。




だがそれを、魔王は良しとしなかった。完全なる敗北。最早自由に動かせぬ肢体。それを見下ろされ、あまつさえ情けをかけられている、その事実に。




「想い……なんぞ……糞食らえ、だ……」




我を取り戻した魔王はそう言い捨てると、口から血を吐き出した。




その非礼に剣帝は眉を潜め、荒い呼気に交えて小さな溜め息を洩らした。諦めと、呆れとを込めて。




「それが最期の言葉とは……不憫な物よな、魔王。永久に……眠れ」




傷が熱を持ち、剣帝の頬を脂汗が伝う。これで終いなのだ、と己に言い聞かせ、剣帝は一度剣を引くと、真っ直ぐに。




魔王の背中から心臓を貫くように。剣を、差し出した。




「糞食らえ、だ……剣帝。……感情に支配され、見落としたお前の……!」




だがそれよりも早く、魔王が身体に残った魔力の残骸を、床に注ぎ込んだ。




「……敗けだ!」




ロウズの国宝。大剣が、魔王を。




貫けない。刺さらない。届くことさえ、ない。




「何だと……!?」




剣帝もかなりの重傷を負っている。剣が弾かれたことによる衝撃にすら堪えきれず、彼は踏鞴を踏んだ。




そこを、床から無数の槍、鎌、戦斧、鉄球、針、炎の閃光、氷の錐、雷の矢、石の礫、骨片、大小様々、異様な数の異常な物が生え出で、貫いた。




身体が、突き刺さった物で埋まり見えなくなる程に、ありとあらゆる方向から。




込み上げる吐瀉を堪えることなど出来よう筈もなく、剣帝の口から血液が溢れる。




「死ね、剣の帝」




酌量、躊躇、情状、慈愛、困惑、決意を鈍らせる感情は一切合切持ち合わせておらぬ魔王は。最後に発動した氷の大剣が剣帝の心臓に突き刺さるのを。




頬を歪めて見上げ見詰めていた。




無数の武器をその身に孕みながら、されど剣帝は倒れない。口許は緩く開き、瞳は焦点を合わせることなく虚ろ。それでも膝をつかずに大往生したのは、彼の想い、気迫に因るものだろう。




「……糞しぶといおいぼれめ……」




魔王は吐き捨てるように言い、手を引く。絨毯には魔力の残骸が輝きを残していた。




剣帝の剣撃を回避しながら床に掌をつき打ち込んだ魔法。それを連鎖式に一斉発動することにより、剣帝に防御の暇も与えず攻撃を見舞った。




「く……っ。……ふはは……。ふははははははっ!」




込み上げるのは、笑い。それは全ての終わりと始まりを確信した高笑い。




身体に残った体力を使い、自分の胸元に手をやる。夥しい量の出血を、瀕死のこの状況でも感じ取れる。




「回復魔法を……」




使おうとして、彼の高揚した気分は現実に引き戻された。最早、魔力の一片たりとも残っていないのだ。




回復魔法はおろか、火花を散らすことすら出来そうにない。




「声……声……を……」




誰か。誰でも良い。一兵卒だろうが延命程度の治癒魔法は使える筈だ。この部屋を出れば負荷も消える。この身でも魔法が使えるやも知れぬ。




「魔王様」




身体のどこぞに欠片でも魔力が残されていないか、必死に神経を集中させていた彼の耳に、声が届いた。




既にすっかり聞き馴染んだ声。よく知った声。味方の声。それは。




「リブ……ラティエ……」




クイーン。参謀。右腕。軍師。旅人。金髪。軍服の外套を纏わぬ異端児。銀縁眼鏡。




リブラティエ。




「ご無事ですか魔王様」




いやにはっきりと聞こえるその声は、何よりも魔王の安否を気にかけていた。だがその割に、口調は淡白。




「無事……とは言い難い……。今すぐ、ロウズ城の謁見の間に……」




「もう居ます。魔王様」




そのセリフで気付く。頭に直に聞こえる筈の魔力交信ではなく、声は耳に届いていると。




「魔王様」




彼は。謁見の間のすぐ前。魔王が吹き飛ばした大扉の跡地に佇んでいた。




背後から声が聞こえていると気付くも、身体の向きを変えるだけの体力も惜しい。




その場で寝返りを打ち、仰向きに転じる。頭を上げ、視界にやっとのことでリブラティエの姿を捉えた。




「魔王様、剣帝は?」




リブラティエの視線は自分ではなく、後方へ向いている。そこには数多の刃に貫かれたままの剣帝がいる。




こちらに歩み寄るリブラティエの歩幅が小さいのは、警戒しているせいだと魔王は理解した。




「往生したよ。しぶとかったがな」




口端を上げて笑って見せる魔王。そのセリフに目を見開き視線を落とした参謀も、同じように微笑んだ。




「先ずは……回復を頼むリブラティエ。斬られ過ぎた」




頭から力を抜き、完全に寝転がる。血は相変わらず流れ出している。それでも口調がはっきりしたのは、見知った相手がいるから。




安心と、毅然とした姿を見せなければという意識から。




「魔王様、それより先にお話があるのです」




リブラティエは剣帝の傍らまで歩み、その双眸を覗き込みながら言った。




魔王にとって不測の事態。半死のこの状態を見てなお、それよりも優先すべき話がある、と彼は言った。




「これをご覧下さい」




理由を尋ねるより早く、リブラティエは宙に映像を展開して見せた。魔力負荷は消えていないにも関わらず、そのスクリーンは大きく、鮮明。




「これは……平原か? 戦場の……?」




仰向けに横たわる魔王の位置からでもそれは見える。数は当初よりかなり減った物の、平原では未だにロウズとギャミックの兵が死闘を繰り広げていた。




疑問系の言葉に「そうです」と短く答え、リブラティエは自身の喉に手を当てる。




「聞こえるか? 準備は整っているか? ……あぁ。よし」




誰かと交信をするリブラティエ。その様を、訳も分からぬまま魔王は眉を潜めつつ眺める。




気に掛けることもなくリブラティエは、交信をこう続けた。




「平原にいるのは全て魔王様が作り出した幻影の兵だ。ロウズの兵は踊らされているのみ。笑いながら……」




「!? 待て、リブラティエ! 俺はそんな物――」




「撃て」




轟音。




続いて爆音。




スクリーンにははっきりと映し出された、その様は。跡形もなく消し飛んだ、元平原。




今やそこは大地の穿われた、クレーター。当然、動く物などはありはしない。




「あ……あぁ……」




魔王が瞳を見開き、呻き声を上げる間に、スクリーンは別の映像を映し出した。




局部的に粉々、局部的に変形、局部的に歪曲、局部的に爆発。




そして全体的に研究員と兵士の血で朱に染まった、魔力砲と平原本陣。




「何だ……これは……悪夢か? リブラティエ……俺に幻覚魔法でも……」


「いいえ。現実です。お受け止め下さい魔王様」




ただ淡々と、彼は告げた。これらはすべて事実であり、今現在経過している時なのだということを。




「平原の兵は敵味方問わず、全滅。二つ目の爆発音は魔力砲が大破した音ですね。あぁ、それからもう一つ」




外套から取り出すのは、魔力砲の駆動部分の配線。先刻引き千切ったそれを投げ捨て、彼は更に続ける。




「レイテックがストーンを殺し、レイテックを僕が殺しました」




最早、言葉を紡ぐだけの気力すら削がれた。




魔力負荷の影響か、それとも平原が遠いのか、傷のせいか。今の魔王に離れた位置の魔力を感知する術はない。




だがしかし。レイテックからもストーンからも、ナイトからも誰からも連絡のひとつもない。




そして今見せられた映像。信じざるを、得なかった。




「なぜ……そんなことを……」




傷の痛みが気力を上回り出した。痛い。辛い。痛覚のある夢は存在するのだろうか?




「魔王様。これは貴方が今までやって来たことと同意ですよ」




魔王を見下ろしながら、彼は苦々しげに言い放った。




「……憶えていないでしょうね。ギャミック建国よりも以前。貴方の率いる軍の焼いた、小さな村。平和で、長閑かで、ひっそりと人々が暮らしていた村」




眼鏡の奥の双眸。魔王を見据えるその瞳は、怒りに満ち溢れていた。




「僕の父を殺したのも、貴方だ。村で一番の魔法の名手のみが身に付けられる紺色のマント。この外套は……父の形見だ」




ギャミック軍に於いて唯一無二。紺色の外套という共通点は持つ物の、意匠はまったく異なるそれ。




それこそが、彼の、存在意義だった。




「そう……か……。復讐か……」




ギャミック建国以前ということは数年前ということになる。村がイコール世界であった青年にとって、それを打ち滅ぼされることはすなわち世界の終わり。




「俺との最初の謁見の時に言っていた……」


「そう。恨みはロウズにじゃない。ギャミック……お前にだ。リオン・レーベル」




最早魔王とは呼ばない。敬称もない。ただ目の前にいる男を、男の名で呼んだ。




「ロウズを国を壊すための相手として選んだのは、村のある国の同盟国だというのに援軍のひとつも寄越さなかったからだ。どこぞと戦をしていたんだろうけど、知ったこっちゃない」




剣帝の巨躯を見上げ、リブラティエは嘲笑うかのように鼻を鳴らす。




「大変だった。あぁ、本当に。……僕はね? ギャミックで軍属になる前にロウズで軍に入った。つまり、密偵だったんだよ」




見上げた視線を徐々に下に。瞳は、剣帝の手元で止まる。固く握り締めたままの手で。




「この魔力負荷の檻も。魔斬の長剣も。弓兵の助言も僕がした」


「な……んだと……!?」




その手から、大剣を引き剥がす。




「お前の誇り。自慢。意地。拠り所。為した物、成した事。全てをぶち壊してやった。そして……これで本当に終わりだ」


「よせ、リブラティエ……。お前、何を……」




大剣は相当の重量があった。刃先を引き摺り、リブラティエは徐々にリオンへと近寄る。それに伴い、失血で青くなったリオンの顔色が一層悪くなる。




抵抗は出来ない。する体力も魔力も、気力すらない。ただ、説得にも当たらない言葉を投げ掛けるだけ。




彼は大剣を、背負った。




「よせ……やめろ……! そんなことをしても、死人は生き返らない……っ! お前の望む、平和な世界も……っ!」




迷いは無い。




「関係ない。僕はお前と同じ。自分の望むようにやるだけだ」




覚悟はある。




「それに、お前は。そう懇願した僕の村の人を……親切だったおじさんを。人懐こかった女の子を。元気にはしゃいでいた男の子を。明るくおしゃべりだったおばさんを。僕の自慢だった父を!」




天から降り注ぐ日光が、大剣の刃に煌めいた。




「こうやって殺しただろう!」




凶刃は、降り下ろされた。




仰向けに倒れたままの魔王に。豪華絢爛な衣を身に纏い、カリスマと実力を持ち合わせた、最強の王に。何もかもを失い、失意と絶望に叩き落とされた哀れな男に。




紺色の外套は朱に染まり、紅色となった。村を、人を愛していた純粋な心が、どす黒い殺意に染まりゆくかのように。




大剣を手放し、全てを終えた彼は踵を返す。




これから先、世界は暗澹たる戦乱の世となるだろう。名だたる王を失ったがゆえに。




しかし彼にはもう興味はない。




彼はリブラティエ。裏切りを名に持つ彼は、世界を壊され、そして世界を壊した男。




ただひとりで全てを裏切り、偽り、完遂した所業は。いずれの世で、美しいまでの非業として語り継がれるかも知れない。

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