番外編;婚約披露のその前に
以前、投稿していた番外編を増量しました。
コンラートは今、婚約者の少女を探して城の中庭を走っていた。
彼の可愛い婚約者は、怒りで興奮するとその場から走り去る癖があり、今回もまた1人何を思い詰めたのかコンラートの目の前で暴言と共に走り去っていった。
そしてコンラートはきっと自分を待っているであろう婚約者の姿を求めて、城の中を探し回っているのだ。
彼女が隠れている場所は、おおよそ見当がついている。なので然程焦ってはいないのだが、きっと1人で泣いているであろう彼女の事を思えば、少しでも早く見つけてあげたいと思ってしまう。
その為、普段なら王宮内を走る事など絶対にしないコンラートが、全速力で走っているのだ。
そんないつもらしからぬ彼の行動を見かけた城勤の者達は、あっけにとられた様な視線を向け、続いて何かに納得する様に生温かい微笑みを浮かべ「いつもお疲れ様です」と声をかけるのであった。
今日は2人の婚約発表のため、城で夜会が行われる予定になっている。
なのに何故、こんな事になったのか……
つい先程の出来事を思い出し、コンラートは苦く笑った。
※※※※※※※※
「コンラート!」
元気の良い声と共に背中に衝撃を感じて、コンラートは自分の背後を見下ろした。
騎士であるコンラートは、本来ならこんな衝撃を黙って受けたりなどはしない。相手の気配を察知すると共に直ぐ様警戒体制となり、紙一重で攻撃を躱しながら相手の身柄を取り押さえるくらいの事は呼吸をするかのごとく自然に行う。
なのに、敢えて衝撃を交わす事もなく、当然の様にその身体で受け止めたのは、その相手が彼の大切な婚約者であるからだ。
そして、見おろしたそこには彼の予想通り、婚約者であるマリーが腰にしがみ付いていた。
マリーは再会したあの日から、コンラートを見つけると必ず飛びついてくる。そしてしがみついたら最後、中々離れようとしない。
どんな場所であろうが、どういう状況であろうが御構い無しな彼女のそんな行動に、コンラートはすっかり馴染んでしまっていた。
コンラートも周囲の者達もそんなマリーの行動を許容しており、無理に離すつもりが無いので、その状態は改善される様子が一向にない。
コンラートは、今日も背後から腰にしがみ付いているマリーを、正面に移動させただけで自分から無理に離そうとはしない。
「マリー、今日も元気そうだね」
「うん! でも、最近コンラートに会えなかったからチョット寂しかったの……」
「……」
優しく声を掛けたコンラートに、少し拗ねた様にそう言って、更にぎゅっとしがみ付いてくるマリーの様子を見て、コンラートは苦笑を浮かべ彼女の背後に腕を伸ばし、両手を組む。
そうして腕の中に閉じ込めてから、自分の胸元に見える可愛い旋毛に口付けた。
周囲はそんな甘い雰囲気(?)の2人を微笑ましく見守っていた。
この王宮においてマリーは、皆の宝物だ。彼女が笑えば王宮内も明るくなり、彼女が泣けば暗く沈んでしまう。
その宝物であるマリーが、コンラートが側にいるだけで、幸せそうに可愛く笑う。反対に仕事が忙しく会えない日が続くと、寂しそうに萎れてしまうのだ。
マリーの一喜一憂に左右される城のもの達にとって、2人が仲睦まじく過ごしている姿は喜ばしい事なのである。
なので、可愛いマリーの笑顔が見たい城の者達は、いつも2人を暖かく見守り応援しているのであった。
久しぶりの抱擁に満足したのか、コンラートにウットリとしがみ付いたまま、マリーが静かになった。
コンラートはそれを確認し、彼女をゆるく抱きしめた状態のまま今夜の打ち合わせを再開する。
そんな不思議な光景にも、誰も何も言わない。それは城に勤めるものにとっては、見慣れたいつも通りの光景なのだ。
ある意味いつも通りの穏やかな時間。
しかしそれは、「クスクス」という鈴の音の様な軽やかな笑い声によって、邪魔されてしまった。
「マリーったら、甘えん坊な子供みたいよ? そうしていると、まるで親子か兄妹見たいに見えるわ」
誰もが思っていても口には出さないそのセリフは、打ち合わせ中の広間入り口から聞こえてきた。
その言葉によって、ピシッと場の空気の凍る音が聞こえたような気がする。
皆がそっと声のした方を見やると、其処にはマリーより1才年上の公爵令嬢リリアンが拡げた扇で口元を隠しながら、クスクスと笑っていた。
彼女は、年の近いマリーの遊び相手として幼い頃から城に出入りしており、今日も2人で社交の勉強という名目のお茶会を開いていた。
その最中、コンラートがやって来た事を聞いたマリーがリリアンの存在を忘れた様に走って行ってしまったので、ここまで追い掛けてきたらしい。
リリアンはマリーと1才しか違わない筈なのだが、身体の発育も、物腰も随分と大人びて見える。
先程の言葉も、淑女としての慎みが足りないマリーへの苦言であり、注意をしない周囲への苦言でもあった。
マリーに対しての悪意は微塵も感じない、正当すぎるその苦言に大人達は苦笑するしか無い。
「初めまして、リリアン・ウィズルスと申します。コンラート様のことは、マリーからよく聞いておりますので、一度お会いしたいと思っておりましたの」
リリアンはコンラートに向けて淑女の礼をし、自己紹介をしながらスッと自分の右手を上げる。
公爵令嬢として、完璧な振る舞い。それを受けたコンラートは、そっとマリーを自分から引き離し、安心させる様に一度マリーに微笑みかけてからリリアンに歩み寄り
「初めまして。近衛騎士団、第一師団隊長、コンラート・ウッドと申します。本日の夜会でマリアベル姫の婚約者として立つ事になりました。以後、お見知り置きを」
差し出されたリリアンの手を取り、唇を寄せて触れることはせずリップ音をたて、離す。
それは貴族であれば当然の、形骸化された様なただの挨拶であるのだが……。
その一連の出来事に、マリーは大きなショックを受けてしまった。
まず、「親子か兄弟に見える」と言われた事がショックだった。初めてコンラートに引き離された事もショックだった。挨拶だと解っていても、コンラートが自分以外の女性の手の甲に唇を近付けていたその光景がショックだった。何よりも、挨拶を交わし合う2人がとても似合って見えた事が、一番ショックだったのだ……。
何時迄も淑女としての態度が身に付かず幼いままの自分に、コンラートは呆れているんじゃ無いか、リリアンの方が良いと思ってしまったんじゃないかと、勝手に想像を広げ傷ついてしまった。
みるみる視界がボヤけ、2人を見ていることが辛くなってしまったマリーは
「コンラートのバカ! 浮気者!! もう、もう……知らない!」
そう大声で叫び周囲が呆気にとられている間に、走り去って行ってしまったのであった。
残された者達は皆、茫然としている。
何が起こったのか理解ができない。
何故「浮気者」という言葉が出てきたのか、今の一連の流れの中にそう思わせる様な出来事が果たしてあったのか、皆一様に首を傾げて思い返し、マリーを追いかけるという発想に到達する者はいなかった。
しかし、このカオスな状態から一番最初に立ち直ったのは、ある意味当然の如く耐性持ちのコンラートだった。
「ちょっと、失礼します」と礼儀正しく頭を下げ、マリーの後を追い掛けてホールから駆け出して行く。
コンラートの行動で我に返った者達は
「コンラート様に任せておけば、間違いありませんわ。」
まだ呆然としている公爵令嬢に、周囲が声をかける。
コンラートに対する周囲の信頼は、絶大なのである。彼は今や、“婚約者”兼“子守”なのだ。そのうちどちらの比重が大きいのかという事は、マリアベルの名誉のため明言はしないでおく。
そんな訳でコンラートは今、城の中庭を走っている。
マリーはきっとコンラートが追いかけてくる事は解っているだろうし、望んでいるはずだ。だとすればコンラートが見つけやすい様に、城を訪れた時にいつも一緒に過ごすこの中庭にいるだろう事は簡単に予測出来る。
なのに。
花壇の前、東屋、大木の下。
いつも共に過ごす場所に彼女の姿は見えない。しかし、絶対にこの中庭にいるはずなのだ。
見落としている場所は無いか?
コンラートは口元に拳を当てマリーと今まで過ごした時間、交わした言葉を一つずつ思い返してみた。彼女は自分の事は何でもコンラートに教えたがったし、同じ位コンラートの事も知りたがった。
「悲しかったり誰にも会いたくない時は、何時も此処に隠れて過ごすのよ」
初めてこの庭を散歩した時に、そう言って教えてくれたあの場所……。
其処はこの庭の中で、最も目につかない場所だった。良くこんな場所を見つけたものだと、初めてその場所を見せられた時には驚いたものだった。
(きっと、あそこに違いない)
そう思ったコンラートは、その場所へと急いで向かった。
「フッ……ウッ、………ヒック…」
その場所に近づいていくと、思った通り、彼の可愛らしい婚約者の泣き声が聞こえてきた。
そっと近づくいてみると、マリーは地面に蹲って身体を小さく丸めて泣いている。
コンラートは、マリーに気付かれないように気配を殺し足音も立てずにそっと近付き、突然彼女を抱き上げた。
逃がさないと伝える様にぎゅっと抱きしめ、目線の高さを合わせた後、不意打ちの様にチュッとキスをする。
驚いて固まるマリーに視線を合わせたまま微笑みを向ければ、彼女はギュッとコンラートの首にしがみ付いてきた。
マリーを縦抱きに抱き上げたまま、コンラートは彼女を東屋へ連れて行き、そのまま椅子に腰掛ける。
必然的にマリーはコンラートの膝の上に座る事となる。コンラートは自分にしがみ付いた腕を両手でそっと外し、そのままその手を絡める様に繋ぎ目を合わせたまま、額と額をコツンと合わせた。
「マリー、何が不安なんだい? 何も心配しなくても、俺は君のものだよ? 俺が君にそばにいて欲しくて求婚したんだよ? 君は俺に求められたから、婚約者になったんだよ? 君は、俺が君以外に気持ちを向ける心配なんてしなくて良いんだ。だから、逃げ出したりしないで欲しいし、そんなありえないことで傷ついて泣いたりしないでほしいんだ……」
コンラートには、マリーが何にショックを受けたのかが、解っている。なので、そんな心配は要らないのだと、言葉を重ねる。
「君がまだ心も身体も幼い事を解っていて、それでも求婚したのは俺なんだから。……君は、自分のペースでゆっくり大人になればいいんだよ。それを見ているのも、俺には幸せなんだ……」
自分の腕の届くところで、ゆっくりと少しづつ大人への階段を上って欲しい。無理をしてその愛すべき精神が歪んだりされたく無い。
できるなら一歩づつ自分が手を引いて、階段を上らせたいのだ。
既に「ロリコン」と呼ばれてしまっている自分には、その権利があるはずだ。
コンラートの甘い説教に、マリーはだんだん何を言われているのか解らなくなってきた。額が触れている、コンラートの瞳が自分の瞳を見つめている。
それだけで、胸が一杯になってしまって。
マリーは、キスをねだる様にそっと瞳を閉じた。
コンラートは、彼女のそんな可愛い様子に苦笑して。
そっと触れるだけのキスを送った。
戻ってきた2人を見て、広間に残っていた者たちは皆、温い笑顔を浮かべた。
マリーはコンラートに抱き上げられたまま戻ってきたのだが、その体制は“お姫様抱っこ”と呼ばれる抱き方ではなく縦抱っこーー所謂“子供抱き”で連れ帰って来られたのだから……。
コンラートがマリーを溺愛して可愛がっているのは、誰が見ても一目瞭然なのであるが、こういう所でコンラートが普通とは少しズレた人物である事が解る。
その抱き方は通常、父や兄といった保護者が取る行動であって、婚約者に対する行動ではありませんよ!
その場にいる皆が心の中でそうツッコミを入れたが、そんな皆の心の声など知るはずも無い2人は今の状態を至って気に入っている。
ニコニコと笑い合い、仲睦まじく皆の所へとやって来た。
皆の所に合流したところで、コンラートが微笑みながら何かを言い聞かせるように小声でマリーに話しかけており、彼女も神妙な顔でそれを聞いている。
と、マリーはコンラートに地面に降ろしてもらい、皆の前までトコトコと歩いてきた。
「あの……、急に走って行っちゃて心配させてゴメンなさい……」
ションボリとした顔で謝罪した。
ショボンとした顔もまた可愛い。
この場にいるのは皆、マリーを溺愛している者ばかりなので、思考も通常とは違っている。基本、マリーが何をしても可愛いとしか思っていないのだ。なので、「気にしてませんよ」「次は行き先を言ってから、走らずにお願いしますね」など、ネジのゆるんだ返答しか返ってこない。
それは、マリーがこんな事をするのは自分たちの前だけであり、普段人の目がある時には立場に合わせた行動をとる事を知っているからでもあるのだが。
「リリアンも、ゴメンね? コンラートと一緒に立ってると、凄く似合っているみたいにみえて、悔しくなっちゃったの……」
マリーは次にリリアンの前まで行き、半泣きで謝罪する。
その姿は本当に愛らしくて……。
「そんなの、良いのですわ! 私は、そんな事気に致しません!!」
ギュッとマリーを抱きしめた。
リリアンの方こそ嫉妬していたのだ。今までは、自分をそっちのけにして何処かへ行ってしまう事などなかったのに、コンラートと婚約してからというもの、マリーの頭の中はコンラート一色になってしまい、自分とはあまり遊ばなくなったのだから。
だから、チョット意地悪な気持ちもあってあんな事を言ってしまったのだ……
2人の少女は、お互いに半泣きで謝りあい仲直りをしたのであった。
そんな様子を優しく見守っていたコンラートは、「さて、」と打ち合わせを再開し、今夜の夜会の準備は着々と進んでいくのであった。
※※※※※※※※
「今日は皆に、我が娘マリアベルの婚約が成立した事を報告する。ーー相手は、近衛師団・第1師団隊長のコンラート・ウッド侯爵子息ーーいや、伯爵だ。婚礼はマリアベルが16才の誕生日を迎えた後を予定している」
コンラートは第1師団隊長になると共に、父から伯爵の爵位を譲られた。王女の婚約者として、爵位が無いというのは如何なものかと言われ、ちょうど良い爵位を譲らたのだ。
結婚すれば、マリーの為に王から公爵位を賜ることが決まっているので、それまでの間コンラートはコンラート・ウッド伯爵として、近衛師団での責任ある立場と父に譲ってもらったという名目で押し付けられた伯爵領の管理という仕事をこなす事になる。
その上、寂しがりやなお姫様の笑顔を守るという大役まで担わなければならないのだ。
地位に伴う“義務”や“責任”に縛られる事を厭い、出世する事を嫌がっていたコンラートは自分の思いとは大きくかけ離れてしまった現状に溜息をつき、そんな自分の在りようを変えてでも手に入れようと決意させた可愛い婚約者に微笑みを向け、壇上に上がる為手を差し伸べた。
王の言葉を受け、コンラートにエスコートされて壇上に上がったマリーは、こんな公の、しかも大勢の貴族の前に出る事が初めてなので、とても緊張していた。何を話して良いのかも解らず、事前打ち合わせの通りに取り敢えずニコニコと笑っておく。
「この度、マリアベル姫と婚約致しました、コンラート・ウッドです。まだまだ若輩者ですが、姫と正式に結婚するまでに精進致しますので、何卒、皆様暖かくご指導下さい」
「わしからも、2人の事をよろしく頼む。……では皆、今夜の宴をゆるりと楽しんでくれ!」
惚れ惚れする様な笑顔で、コンラートが挨拶を行い、王の夜会開始の宣言がされると、広間にはワルツが流れ始める。
「マリー、俺と踊ってくれるかな?」
「はい、喜んで!」
コンラートの誘いを受け優しくリードされながら、マリーは嬉しそうに、楽しそうにクルクル踊る。
その様は可憐な花が舞っている様で、皆は微笑ましく2人の様子を見つめている。
勿論、好意的な視線ばかりというわけでは無い。
マリーに向けられる視線には、コンラートを独り占めしているマリーへの嫉妬を含むものが、また、コンラートに向けられる視線には「ああ、ロリコン」という生温いものが多いのだが……。
数年後には、マリーへの視線にはこれに羨望が追加され、コンラートには「少女を自分好みに成長させる」と言う男の夢を達成させた者への嫉妬と羨望が追加されるのだが、それはまた別の話である。
これで完結です。
少しでも皆様に楽しんでいただければ……