⑩-5
放課後、一真はなぜかリムジンに乗っていた。
フェリシアの――私じゃあ綾理の力になれそうにないから任せるわ――との言を受けて別れた後。
形代の屋敷に急いでいたところ、人通りの少ない路地で待ち受けていた千切さんに押し込まれたのである。
わざわざ車を用意して迎えに来てくれたらしい、ありがたいことではあるのだけれど。
テレビでしか見ないようなやけに長いのとは違う、少しコンパクトな感じだがそれでも目立つ。
本当に、人目の付かないところでよかったと思う。
こんなのに乗り込むところを誰かに見られたらいろいろ終わる。
気を使ってくれたのだろうが、それはそれとしてもっと恐ろしいこともあった。
「……あの、千切さん、免許とか持ってるんですか?」
「いいえ、しかし運転技術はプロのレーサー並みになるよう組み込まれておりますのでご安心を」
全然、安心できないのだが。
警察に止められたりしたらどうするつもりなのだろう。
「公的機関に接触されても問題はございません、形代の名前を出せば五分もあれば解放されます。一真様に不利益になるようなことはありませんよ」
疑問を先回りして潰してくれる、便利な形代家。
それならいいかと、車とは思えないふわふわなシートに体を預けた。
正直、助かりはするのだ、形代の屋敷はそれなりに距離がある。
前にフェリシアを助けに行った時、全力疾走した時はよく体力がもったものだ。
こうして、どうでもいいことに思考を飛ばして心を落ち着けておく。
最後に見た綾理ちゃんの顔はただ事ではなかった。
向き合うのなら相応の心の準備が必要だと確信している。
薄氷の上を歩く様な心持、一歩踏み間違えば冷たい海で心臓爆散。
そう思わせるだけの不安定さがあの時の綾理ちゃんにはあった。
自分一人で沈むのならそれはそれで受け入れもするが、綾理ちゃんを付き合わせるわけにもいかない。
寄り添うと決めた以上は何が何でも、多少無理してでも引っ張ってあげないといけないのだ。
しかし、どこへ引っ張ればいいのかまったくわからない。
そもそも、綾理ちゃんがなぜ、あそこまで崩れてしまったのか。
これまでの綾理ちゃんとの時間を思い返していたら形代の屋敷に到着した。
先導に従い正面扉へ、開扉し一礼する千切さんを横目に玄関をくぐる。
「――――さて、見せておくれ。お主が何を示すのか」
それは、確かに聞いたことのある何かだった。
即座に振り返る、千切さんは無表情のまま微かに首を傾げてこちらを見ているだけ。
「どうかなさいましたか?」
聞きなれた抑揚のない機械的な声音。
「……いえ、何でも」
向き直って扉をくぐる、背後で扉の閉まる音が響いた。
もう振り返らない、切り替えて屋敷の中へ足を踏み入れる。
のだが、ここからどうすべきか、そもそも綾理ちゃんはどこにいるのだろう。
とりあえず自分が知っている部屋を見回ってみることにした。
まずは客間に顔をだすと、游里さんが陽当たりのよさそうな縁側にひっくり返っている。
「游里さん、游里さん起きてくださいよ」
涎まで垂らして能天気に居眠りしているだらしない体を気持ち強めに揺すった。
「うーん……誰がだらしない体だ!このスレンダーアンドグラマラスボディを拝み倒せ!」
突然、飛び跳ねるかのように体を起こし、だしぬけに意味不明なことを叫ぶ游里さん。
「言ってませんよそんなこと」
思ってはいたけれど。
游里さんはきょろきょろ周囲を見回して大きな欠伸を一つ。
ようやくこちらに顔を向けた。
「よう、一真。来たのか」
「来ましたよ、綾理ちゃんはどこです?屋敷にいるんですか?」
「あー……多分いる。自室に籠ってると思うんだがな」
蓬髪をさらにかき乱しながら、どこか歯切れ悪いその姿。
「まさか、何か言ってないでしょうね?」
あの状態の綾理ちゃんに游里さんの遠慮ない言葉はさすがに毒だ。
「すまん、言った。だいぶ言った」
思わず天井を仰いだ、なんてことをしてくれたんだろう。
視線を戻すと相変わらず何も考えてないかのような笑顔。
「それで、なんて言ったんです?綾理ちゃんはどうなったんですか?」
游里さんは何も答えず、いつものように唐突に笑顔が落ちる。
真剣な顔で値踏みするようにこちらを見据えた。
「なあ、一真。お前、あいつには形代になってほしいと思うか?それとも、綾理か?」
いまいち要領を得ず、眉根が寄ったのがわかる。
「よくわかりませんけど、どっちでも同じでは?なんであれ綾理ちゃんでしょう?」
その答えに游里さんの相好が崩れる、安らかな顔で再び横になった。
「そうだな。何も問題ないよな」
「……?それより、綾理ちゃんになに言ったんですか?誤魔化さないでちゃんと……」
「いいからほら、さっさと行け。私より綾理にかまってやれよ。客間の前の廊下を真っすぐ行って突き当り、右に曲がってさらに突き当りの一番端の部屋だ。そこだけ木製のごつい開き戸なんですぐにわかる」
それだけ言って、もう口を開く気はなさそうだった。
問い詰めたい気持ちもあるがここで時間を浪費するわけにもいくまい。
言われた通りに屋敷内を歩けば確かに厳めしい木の扉が見えた、外側に閂がついている。
「これじゃあ、牢屋みたいじゃないか」
思わず口に出た言葉にしっくりくる気もする。
この部屋が、屋敷全体が何かを閉じ込めておくためのものなのかもしれない。
「綾理ちゃん、いる?」
軽く扉を叩いてみるも返事はなく。
少し強めに叩いてみても反応はない。
逡巡するも、扉に手をかけた。
「ごめん綾理ちゃん、開けるよ」
結構、重い扉を開けて中に踏み込む、第一印象は暗いだった。
この屋敷は電化製品がほとんどない。
電気が通ってないわけではなさそうなのだが、屋敷を見た限りどこに流れているのか判然としない。
少なくとも地上にはなく、電灯も一つとしてないのだ。
屋敷の大半に日光が入るように計算されていて届かない場所や夜は蠟燭だという。
綾理ちゃんの部屋はその届かない部屋の一つらしかった、窓がなく戸を閉めれば完全な闇。
廊下から微かに入る光が室内を薄ぼんやりと照らす、その内装はとても十一歳の部屋とは思えない。
部屋の中央に敷かれた敷布団は万年床なのか、ぐちゃぐちゃになっていて少し埃っぽい感じがあった。
部屋の最奥に置かれた座卓は入り込んだ光を微かに反射している。
下書きか、ただアイディアを書きなぐっただけか、殴り書きされた絵や図面が散らばり。
左右に置かれた大きな黒檀の本棚には百科事典のような分厚い書物が無造作に収められていた。
主に造形に関する本が多く、中には哲学書やら神学書、真新しい工学書のようなものまで。
その中に何冊か混ざっていたクリスマスの絵本や、布団の傍に置いてあるピンクの時計だけがかろうじて幼さを感じさせる証。
そして、部屋の主は右隅、箪笥との間の隙間に体をはめ込むように小さくなって丸まっていた。
着物も髪も散々に乱れ、白い肌にどす黒い隈が侵食でもするかのように貼りつく。
体育座りで膝を抱え、その目は一点を見つめているようでもあれば、何も見ていないかのようにも感じられる。
ひどい有様だった、わずか一日でここまで崩れたのか。
ゆっくりと歩み寄る、少しだけ距離を取って前に陣取って座り込んだ。
微動だにせず、ただ目だけが震えるように時折ぶれるのを見つめる。
「……私は……もう、わからない」
先に声をあげたのは綾理ちゃんだった。
それはこれまで聞いたことがないほどに小さく、繊細で、儚いものだった。
一人称からして違う、儂ではなく私と、そう言った。
「私はずっと、形代だった。形代であることを望まれた。自分で選んだと嘯いてみても、いつも強制されているような気がして落ち着かなかった」
顔を上げた、乾き充血しきった真っ赤な瞳がこちらに向けられる、そこには何も映っていない。
「でも、他に何もなかった。前に両親が物心つく前にいなくなったと言ったでしょう?あれも嘘です。本当は私を捨てて目の前からいなくなった。形代の在り方に耐えきれずに屋敷から逃げたんだ。きっと今では、新しい子供でも作って幸せな家庭とやらで恥知らずに笑ってるんです。捨てられた私は、唯一の支えだったおじいちゃんの最後の願いを叶えるしかなかった、それに縋った」
嘲笑が可愛らしかった顔を醜く歪ませ。
「ううん、違う。本当は選ぶことから逃げたんだ、大好きなおじいちゃんを捨てることも、勇気を出して両親と広い世界に飛び出すこともできなかった。たぶん、私が出たいと言えば引き止められただろうけど、言うことだけならできたはずなのに、私はそれすらできずに逃げた」
聡明さ故にその嘲りは即座に、綾理ちゃん自身を縛り付ける糸へと変わる。
「ずっと、ずっと期待に応え続けてきた。形代の人形技師として全てを捧げてきた。学校にも行かず、屋敷から一歩も出ることすらなく、おじいちゃんが死ぬ前に何とか全部を受け継ごうと自分を捧げつくした。そうして、おじいちゃんが死んじゃったら、私には何も残っていない。ただ、形代の歴史が纏わりつくように覆いかぶさってるだけ」
綾理ちゃんは自分の手を見つめた。
形代と、綾理ちゃん自身のこれまでが刻まれた小さな手。
それは誇りでもなければ才能でもなかった、ただの呪縛だったのだ。
「形代を剝ぎ取られた私は何も持たない、何者でもない小娘に過ぎないんです。ずっと見下していた、小学校の子供たちを。何も考えず、見ようともしないで好き勝手に生きている愚か者たちだって。だけど違う、本当は私が愚かだった。何も見えてなかった」
膝の間に抱えていた巾着を取り出した綾理ちゃん、開いたままの入れ口から四つの人形が転がり出てくる。
ゲームセンターで取ったもの、真壁という子に渡すはずだったもの。
「はじめて、儂だったけど、私を見てくれた子がいた。私なんかのために罪を覚えるような素朴で純真な子だった。なのに、私はその子を見なかった。ただずっと、自分のことばっかり見て、自分がどうすべきかばかりを気にして。向き合うための最後の機会すら台無しにした。おまけに私は、見ていたつもりだった自分すら見えてない!」
人形を投げ捨てて、膝に顔を埋めてしまった。
「立ち止まらない?前に進み続ける?そんなことできるわけがなかったんだ!私には行く先なんて、行ける場所なんて最初からないんだから!ああ、あああ、ああああああ!」
部屋中に響く泣き声はあまりにも悲痛で、どれだけ深い傷となっているのか否応なしに突きつけてくる。
これまで誰もこの傷に触れることすらできなかったのだろう。
それは膿んで腐り落ちようとしているのだ。
痛い、聞いてるだけで痛い。
だけど、たとえさらに綾理ちゃんに痛みを強いるとしても言わなければいけないことがある。
誰も教えてあげなかったことを、まずは突きつけなければならなかった。
「――綾理ちゃんは、文字通りの箱入り娘だったんだね」
泣き声が止まる、ゆっくり上げられた顔は呆けたように間が抜けていて。
数秒の間を経て、俄かに顔が赤らんだ。
それは怒りか、羞恥か、その表情からは窺えないけれど。
しっかりとその目がこちらを映した、ようやくこちらを見てくれた。
「綾理ちゃん、君は勘違いしてる。何もない、何者でもない、そんなこと当たり前なんだ。行き先が決まっている旅なんてないんだ、広大な世界の中で竦んで動けないことがあるのは誰だって同じことなんだよ」
形代、千年を超える長い時間を人形造形に費やした一族。
それは、ある意味では素晴らしいことだ、一族が長い時を何かに向けて歩み続けたこと。
そこにはどれだけの熱量があっただろう、思いが、咎と罪が、喜びと幸福が、そして意志があったことだろう。
それでもなお、立ち止まることなく進み続けたその在り方には敬意を持たずにはいられない。
だけど、それは異常なこと、普通はそこまで何かを積み上げることなんてできやしない。
そして、今の綾理ちゃんにとってはただ、目を眩ます隠しになっている。
「誰だってそう、游里さんだって最初からあんなに我の強い人じゃなかっただろうし。フェリシアなんか今でも怖がったり強がったりしながら自分の足で立っている。朔さんみたいな生い立ちの人であっても、きっと大事な何かを自分で掴んだから歩んでいけるんだ。僕だってそうだよ。一寸先だってわからないけれど、後悔しない道を、自分が決めた道を探りながら前に進んでく」
人は何者でもないまま生まれて、何者かになっていく。
それが普通のことで、そんな普通のことを誰も彼女に伝えることができなかったんだ。
今わかった、自分が綾理ちゃんにしてあげられること。
それは手を引っ張ることでも道を示すことでもない。
ただ、綾理ちゃんの道は綾理ちゃんにしか見えないのだと、その目を開かせてあげること。
きっと、それだけでいい、綾理ちゃんならそれだけで歩んでいける。
「前に言ったこと、もう一度言うよ。綾理ちゃんはまだはじまってもいないんだ。君はまだ、スタートラインにすら立っていない」
静かに話を聞いていた綾理ちゃんにそっと手を伸ばして、その体を優しく抱き寄せた。
「ねえ、真壁っていう子と友達になりたかった?」
まずは、そこからでいい、小さなスタートを切れば大丈夫。
「……私は」
声を詰まらせ、小さく縮こまるその背中をあやすように撫でる。
「学校で、どんなふうに過ごしたかった?君は何を望んで屋敷から一歩外へと踏み出したの?」
「私は……ただ、普通に生きてみたかった。普通って何なのかすらわからなかったけど、憧れた。皆の中に入れれば……独りぼっちじゃないって信じたかった。でも、私は異物で、皆は私を笑って、蔑んで、遠ざけたんだ。違う、本当は私が遠ざかったんだ、形代の鎧を纏ったまま、誰とも向き合おうとしなかったから」
しゃくりあげ、途切れ途切れになる声を拾う、溢れる涙を制服に染み込ませていく。
「そんな鎧を着たままの私に、勇気を出して話しかけてくれたんだと思う。真壁ちゃんを、私は傷つけた。ええ、そう、友達になりたかった!どうでもいい、つまらない話を楽しそうにしてくれる、私とは違う何かを見ていたあの子と、もしかしたら同じ何かを見られるかもしれなかったのに。私は……私は……最後まで向き合えなかった!ごめんなさい!ごめんなさい!」
引き裂かれるような贖罪の言葉を、ただ受け止める。
「うん、それでいいんだ。綾理ちゃんは間違えたかもしれないけど、それでいいんだ。それが、綾理ちゃんが一歩踏み出した証なんだから。見えない何かに向かって、間違えながら、屈しながら、打ちひしがれながら、それでもまた立ち上がって歩いていくんだ。それが普通なんだ」
その華奢な、折れてしまいそうな体を、大きく重い名前を背負っていたその背中を。
今だけは空にしてあげようと力いっぱい抱きしめて、ふと気づく。
(そうか。游里さんは形代を剝がしてくれたんだ)
こうして内心を吐露してくれたのはあの人のおかげか。
やっぱり、何だかんだ面倒見がいいんだなと思わず微笑む。
いいところを譲ってくれたのだ、なら、その期待に応えないといけない。
「大丈夫、綾理ちゃんは皆と何も変わらない。ただの、普通の女の子。だから、これからどこへだって行けるんだ、それを望むなら。君は――ちゃんと皆の中にいるよ」
もう言葉はいらないだろう、子供のように泣きじゃくる綾理ちゃんとただ、熱を分け合う。
鬱屈した全てを吐き出して、まっさらな世界に己の道を敷いていけるように。
やがて、泣き疲れて寝息を立てはじめた綾理ちゃん、その顔は赤子のように無垢で穏やかに見えて。
ようやく人心地ついた、ゆっくり布団に横にして立ち上がろうとしたけれど。
柔らかく、確かに力を込めて掴まれた袖。
それを振り切る気にはなれなかった、そのまま隣で横になって目を閉じる。
日はとっくに落ちて、扉の外から入ってくる光はもうほとんどない。
真っ暗闇の中で紛うことなくそこにある、今できたばかりの輪郭を感じながら。
一日の疲れを取るために大人しく眠ることにした。
◇
これは、夢だ。
私の前に儂が立っている。
儂の前に、お前が立っている。
我が写し見、我が全てを持っていた者。
違う何かを見て歩み去った者、歩み切った者。
蔑むように裂けた口が粘着質な言葉を紡ぐ。
――お前は無価値よ
わかっておる、儂は無価値、形代を纏うだけの人形よ。
――お前なんぞいなくとも、形代は、世界は続いていくじゃろう
わかっておる、儂はただ、形代の道の先をたまたま歩んでいたに過ぎぬ。
――お前はなぜ、そんなものを抱えて生きている?
「――まったくもってさっぱりわからぬよ。じゃから、その答えを探しにゆこう」
たとえそこに、見るものすらない虚無だけが広がっていたとしても、きっと大丈夫。
道を作るのは、自分自身なのだから。
◇
物音がして目が覚めた。
真っ暗な部屋に蠟燭の火が揺らめいている。
一真はまだ半分、寝ぼけている頭を振って意識を完全に覚醒させた。
「……綾理ちゃん?」
「うむ、おはよう一真。よく寝ておったな、寝顔を見られるとは眼福じゃったぞ」
乱れ気味だった着物を脱いで、新しいものに着替えている最中だったらしい。
そっと目を逸らして咳ばらいを一つ。
「おはよう、眠りすぎたかな。少し体が痛いぐらいだよ。それで、その、綾理ちゃん。体調はどう?」
声はしっかりしているけれど、果たして一晩で持ち直せたのだろうか。
「どうじゃろうな、わからぬよ。悩みは増えたような気もする、惑いは深まっただけじゃし、相変わらず後悔で胸が締まる。じゃが、今はそれで良いと思えるのよ。生きていると、そう実感できる」
一人称が儂に戻っていたけれど、前のように達観したような感じはない。
無理しているようでもなく、自然体に心情を吐露できるようになっていた。
とりあえず、最悪の状態は脱したと思っていいだろうか。
帯を締めて、鏡もなしに手慣れたように全体を微調整した綾理ちゃんはこちらに向き直る。
立ち上がって体を向けるとからかうような笑み、どこか切実な色を帯びた視線。
「一真、お主には儂の心の全てを見せた。もう、隠すところはない……隠すべきものもそんなになかったがな。我ながら薄っぺらい中身じゃと辟易する」
自嘲が混じる、けれど足取りは確かにしっかりとそこに立っている。
「とは言え、いくら薄くてもうら若き乙女の心を攫ったのじゃ。責任はとってもらうからな」
突飛にも思える言い分に苦笑を返して頷いた。
それに満足したのか、綾理ちゃんは手燭を持って扉の外へと歩き出す。
それに並んで屋敷の廊下を歩く。
「とりあえず、まずは行方不明事件の首謀者を誅そう。かたき討ちなんぞとは言わんし、言えん。じゃが、まずは真壁のこと、折り合いをつけねば次に進めん気がするのじゃ。今は形代でよかったと少し思う、できることもあるからな」
横顔を盗み見ると、冷酷とも取れる無表情。
綾理ちゃんとしての最初の覚悟がこういう形になってしまったことが少し悲しい。
影幻界に関わるとはそういうことだとわかっていても。
真壁という子と並んで歩くような未来があっても良かっただろうにと思う。
こういうことを減らすためにも、クリスティルとかいう魔法使いとは早めに決着をつけなければいけないのだ。
この行方不明事件がそれに繋がるかはわからないけれど、まずは目の前のことをこなしていこう。
玄関に至り、改めて向かい合う。
「それじゃあ、一旦帰るよ。また昼頃にフェリシアと顔を出すから」
「あいわかった。……一真、迷惑をかけたな、本当に感謝する」
深々と頭を下げる綾理ちゃんに慌てて声をかける。
「いいんだよ、いつもいろいろ助けてもらってるのはこっちだし。少しでも力になれたならよかった。それじゃあ、また後で!」
これ以上、謝らせるのもお礼させるのも忍びなくて軽く手を振って正門へと走る。
潜り戸を抜けると千切さんが綺麗な立ち姿で待っていた。
「お待ちしておりました。お帰りですね、お送りします」
礼を言って千切さんの先導に従いリムジンに乗り込む。
ようやく心が解けたような感覚に改めて目を閉じる。
『……ねえ、一真』
これまで黙りっぱなしだった回が声をあげた。
片目を開けて隣で座っているように浮かんでいる姿を捉える。
『本当に……本当に思ってる?誰であっても、自分の道を歩めるんだって。誰だって、大切なものを掴めるんだって。――それがたとえ、本当に空っぽな何かだったとしても?』
まったく意味が分からない問いだったが、とりあえず返せる言葉があるとするなら。
「空っぽなら、逆を言えばいくらでも入るってことじゃない?」
千切さんしかいないのだけれど、一応、小声で話しかける。
回は笑った、それだけだった。
◇
一真を見送った綾理はほうと息を吐いて中へと戻った。
再訪するまでにやるべきことはやっておかねばなるまいと気を入れ直して地下へと向かう廊下を歩く。
その足取りは決して軽くはないが、しっかりと背筋が通っている感があった。
「綾理~、綾理ちゃん。もういいだろ?そろそろこれ、何とかしてくれないか?」
グロッキー気味な声に足を止める。
「そういえば、忘れておったな」
游里の部屋に顔を出せば、六体の人型に囲まれて正座し縮こまっている哀愁漂う姿。
綾理が軽く手を振ると人形達は三々五々に散っていった。
「ええい、クソッ、足がしびれて動かん。いくら人に聞かれたくないからってやり過ぎだろうが」
その場に体を崩してぶつくさぐちぐち呟く游里。
綾理は負けじと、じとっとした目で無遠慮にねめつける。
「ふん、別に命じたわけではないわ。ただ、儂のぷらいべーとに関わる秘密にお主が近づいた時、自動的にがーどするよう仕込んでおいたのよ。日頃の行いを恨むんじゃな」
「うっわ、可愛くない言い草。お前、性格ねじ曲がってないか?引きこもり気味の陰険少女ぶりに拍車がかかってるぞ」
「まあの、元々、人格者でも何でもないのじゃ。ただの意地悪い小娘じゃからな。特に、お主のようながさつでちゃらんぽらんには口が回るわ」
悪態を付き合いながら、どちらからともなく笑みを零した。
「それで、一真との甘い一夜はお気に召したか?」
「おかげさまでな。お主にも、まあ、きっかけをもらったことには感謝しておこう」
「ああ、大いに感謝してくれ。一生、恩に着て崇め奉れよな」
それを最後に游里は電池が切れたかのように倒れ込むと、大きないびきをかきながら眠り始める。
その目の下には珍しく、うっすらと隈ができていた。
「うむ、忘れん。決して忘れはせん。……ありがとう、游里さん」
傍にあった毛布を引っ張ってきて掛けてやると、綾理は今度こそ地下へと向かう。
形代家の地下空間は中心となる――かつてフェリシアとアヤリが相対した――大広間。
主に傀儡術の練習や人形の機能確認などに使われるある種の演習場。
それを中心として地上への道を含めて四つの通路が伸びている。
その一つは設計から造形、制作までを一手に引き受ける人形工房へ。
もう一つは資材や完成した人形などを収納しておく倉庫に。
そして最後の通路は魔法的な作業や施術を行うための祓災の間に通じる。
そのさらに奥に精神が限界に達した時のための断部屋。
綾理は迷わず祓災の間へ足を向ける。
そこには奇妙な空間が広がっていた。
半分にはステンレス製の施術台や作業台、器械戸棚が設置され近代的な雰囲気を醸し出す。
もう半分には歴史を感じさせる祭壇や炉が存在を主張し、端の方に二筋、取水用と排水用の水路が掘られ水が流れている。
所々にある豪奢な装いの唐櫃はその外観とは裏腹にどこか暗く熟成した淀みに包まれているように見えた。
そして、何よりも異様だったのは中心に鎮座するもの、初見の者なら必ず目を奪われたであろう。
古風な石壇の上には無機質に明滅する培養槽が載せられている。
中心の培養槽からは幾本ものケーブルが伸び、放射状に設置された小型の培養槽に繋がれていた。
その数はちょうど百、ケーブルは麻の注連縄で束ねられてまとめられている。
中に浮かんでいるのは十五センチほどの小型の脳らしき物。
人形の情報をバックアップするための演算核。
そして中心の培養槽には一メートルを超える巨大演算核が静かに脈動している。
脳の皺部分は実際のものとは違い規則正しく、何らかの幾何学模様を描いていた。
全てを統括するための制御核。
脳を模したのは綾理にとってそれが一番、情報を扱ううえでイメージしやすいからに他ならない。
部屋全体が培養槽の青白い明かりで照らされた現代風の空間と、所々に見られる旧世代の名残。
それこそが形代 綾理の世界観の一端、千年を超える当主としての立場、到達者として新しい地平を目指す権利。
新旧を繋ぎとめる糸、綾理は奇しくも一真に示された継ぎ運ぶことを無自覚に体現していた。
不規則に明滅する小型培養槽の灯りを傍目に綾理は中央の巨大な槽に歩み寄る。
それに手を置き、そっと額をつけて目を閉じた。
魔導管を駆動させ吸い上げた魔力を制御核へと流し込み、眼を見開く。
脳内に流れ込んでくるのは常磐市中に散開している人形達が収集した知覚情報。
膨大な感覚の奔流が脳を焼いていく、高速で上下左右に動き続ける眼球の中でプツリと断絶が重なっていく。
まなじりから流れ落ちる血涙を気にも留めず綾理は人形の感覚と同期して過去へと遡り続けた。
(……おらん。ここまで逆回ししても、全域をカバーしても一切、姿を見せんとはな)
限界を察知して、綾理は培養槽から体を離すと息も絶え絶えにその場に蹲る。
一時的な視覚異常と全身を襲う倦怠感、魔導管の酷使による精神の乱れ。
その全てを切り離して思考だけを巡らす。
ざっと二週間分の記録を洗ってもそれらしき痕跡を見つけられないという事実。
さらに遡りある程度パターン化している人通りの精査、見られなくなった顔と社会的な手続きの有無の突き合わせ。
一つ一つ、痕跡を辿っていけば何か掴める可能性もあるが時間がかかりすぎる。
何より体がもたない、そこまで無茶をすれば間違いなく死ぬ。
今はそんな自暴自棄に等しい愚行を犯すわけにはいかなかった。
「じゃが、収穫はあったな」
人形と同期している最中、定期的に情報のブレを感知することがあった。
あれは間違いなく感覚器官への干渉、乱され誤魔化されている。
街中の人形は限りなく人に近づけているが故に感覚機能も人に類した物にならざるを得ない。
それ故に、認識阻害系の魔法をまともに受けてしまったのだろうと綾理は推察する。
監視網の盲点、高度な人形であるが故の弱点。
しかし、感覚の乱れがいつ、どこで起きたのかをマッピングしていけばおのずと行動範囲は絞れる。
「必ずしも人に近づければよいというわけでもないな。これからはやはり、機械の時代かの。人形にどう組み込むのか、考えておくとするか」
綾理は何とか立ち上がると、取水用の水路へ歩を進める。
見えなくとも見慣れた空間、つまずくこともなく傍らに跪いて水を掬った。
頭から勢いよくかけていく、着替えたばかりなのだが今はどうでもいい。
焼きついた脳と眼球を冷ますように、冬の真水はどこか清々しかった。




