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⑩-4

 土曜を挟んで日曜日、すぐに学校が休みに入り朝から街を歩くことにした一真。

 遠出はせず近辺を巡ってみようということになった。

 

 我が家と桜台高の間に横たわる住宅過密地帯。

 あまり思い出したくない思い出が多々ある場所を綾理ちゃんと並んで見回っていく。


 正月気分もすっかり抜けて否が応でもいつも通りの日常に戻っていく転換点。

 ある意味で正月休み最後の休日とも言えるだろう、家族連れもそれなりに見られた。


 とは言え、そのほとんどは桜台駅の方へと一直線に歩み去っていく。

 皆、常磐駅まで行って繁華街へ繰り出すのだろう。

 

 遠出は難しく、かと言って近場には殺風景な公園ぐらいしかないのだ。

 自然、より多くの娯楽を求めるならそっちに行くしかない。


 ここら辺は住宅地と割り切っているからか、休日でもやはり人通りは少なくなる傾向にあるわけで。

 逆を言えばこれほどこっそり何かをしやすく、かつ人の多い場所もないとはもう実感済み。


 実際、木戸という人喰らいとの遭遇、アヤリの人形襲撃を受けた場所でもあった。

 影幻界の認識を開いた直後は霊体とか、他にいろいろな気配も感じたものだが。


 「……なんか、びっくりするぐらい平和だ」


 今は本当に何も感じない、近づいてくる気配もなければ怪しい何かがあるわけでもない。


 夜であれば見ようと目を凝らすと霊体を捉えることはできたりする。

 だが、向こうから寄ってきたりは一切なくなった。


 「これが、隠蔽とか遮断ってことなんだろうな」


 フェリシアから話を聞いて今日まで、何度か強く意識して見てみれば確かに静かすぎるほどに静か。

 慣れとはまた違う、遠ざかっているというか、無意識にすらかすらないという感じ。


 だが変わらず傍から離れない存在も確かにある。

 少し顔を上げれば退屈そうにフヨフヨ浮いている妖精みたいな少女。

 

 どれだけ影幻界が離れても回だけは変わらない。

 ここまで変わらないとそもそも影幻界も関係ないのかと思う。

 元々、認識を開く前から傍にいたわけだし当たり前と言えばそうなのだろう。


 まあ、回については現時点では考えても無駄だと留保済み。

 

 目の前のことに集中しようとは思うものの明らかに怪しいみたいな人も特に見られない。

 フェリシアや游里さんがうまく的を散らしてくれているのだろう、この近辺にそういう者達が寄り付かないように。

 

 朝一で合流してかれこれ一時間、路地裏も隅々まで見て回ったが成果ゼロ。


 「この近辺は特に見るものはないかもしれないね。綾理ちゃんはどう?何か感じたりした?」


 「……うむ」


 横を歩く綾理ちゃんに今日、何度目かの質問を投げかけてみた。

 しかし生返事しか返ってこない。

 

 変わったと言えばむしろ綾理ちゃんが激変した。


 いつもの飄々とした感じや鋭い観察眼はどこへやら。

 どこか上の空でずっと思案に耽っているようである。


 朝、家に来てから今までこの調子。

 さすがにもうそろそろ、何かしら話し合わないと次に進めなさそうだし。


 「えいっ」


 「ぎゅむ」


 人差し指を立てておもむろにやわらかそうなほっぺに突き刺せば面白い声が聞けた。

 頬をさすりながら恨めしそうにこちらを睨んでくる綾理ちゃん。


 「ごめん、無視されるのもそろそろきつくてさ。何かあった?」


 明らかに悩んでますという雰囲気が隠せていない。

 だけど隙の無い達観した態度よりこうして素顔を見せてくれる方がいい。


 少しは近づけた証。


 綾理ちゃんが悩むなんてよっぽどのことだろう、こっちの常識なんて軽く飛び越えてしまうぐらい。

 力になれるとは正直、思えないのだけど話ぐらいは聞いてあげられるはず。


 一通り気持ちを吐き出せさえすれば自分で解決法を見つけ出して前に進んでいける。

 そういう賢く強い子であるとも思うし、一番ダメなのは自分一人でグルグル空回ることだろう。


 「うむ、そうじゃな。お主には恥ずかしいところも何度も見られたことじゃし。今更、隠すこともあるまい。実はとんと見えぬことがあってな」

 

 神妙な顔で目を伏せる綾理ちゃんの姿にこちらも本気で聞く態勢を整える。

 どんな話がきても狼狽えず、せめてどっしりした壁になろうと身構えた。


 「実はな……同じくらすの者にちょっとした贈り物でもしようと思うのじゃが、どう渡そうかと迷うておるのじゃ」


 おそらく今、自分史上最高にバカっぽい顔をしている自覚がある。

 何がきても驚かないつもりでいたが、これはだいぶ予想の埒外。


 「ううん、えっと、普通に渡せばいいんじゃないかなあ」


 「普通か、何か席を設けて呼び出せばよいのか?」


 そうだった、綾理ちゃんの普通は一般的な普通とは少しズレているのだ。

 でも、何だろう、微笑ましい。


 「そうだね、その子は友達?」


 「いや、そういうのではない。ただの知り合い……でもないな。接点もほとんどないのじゃが……」


 言い淀む姿に笑みがこぼれる、多分自分でも自分の心の内がわかってないのだろう。

 

 どんなことでも素早く鋭く見抜いて、深い知見を披露してくれる綾理ちゃんが最も見えないもの。

 それは自分らしかった、前に回も言っていたがどんなに見える眼も己を映すことはないのだろう。


 「綾理ちゃんはさ、その子と友達になりたいの?」


 それは、よほど意外な言葉だったらしい。

 目を見開いて固まったままこちらを凝視してくる。


 「まさか、いや、そんなはずはない……。友……友じゃと?あり得ん、馬鹿なことを言うでない」


 綾理ちゃんは肩を怒らせてどこへともなく早足で歩いていく。

 その耳が微かに赤くなっていることを指摘したらもっと怒らせるだけだろうか。


 「わかった、僕が悪かったよ。一緒に考えよう」


 苦笑しながらその背を追いかけて隣に並ぶ。

 

 こういう話ならいくらでも力になろう、こう見えても生徒会長。

 自分が友達を作るのは苦手だが他人の悩みを聞くのには慣れている。


 もう、街巡りができるような雰囲気でもなし。

 しどろもどろになりがちな綾理ちゃんに付き合って今日はその悩みを受け止めようと決めた。


 近くにある公園――というよりただの広場に近いが――に誘導してベンチに腰掛ける。

 何組かの家族連れがサッカーをやっていたり、子供が数人集まっているぐらいで静かな場所。


 話をするにはちょうどいい、口が重い綾理ちゃんを何とかなだめすかして少しずつ話を聞き出していった。

 最初はそっぽを向いていたがぽつぽつと話し出すと結構、いろんなことを教えてくれる。


 ここまで簡単に誘導されるあたり、やはり本心ではまんざらでもないのだろう。

 凝った助言をするほどでもなく、ただ素直に渡してお礼を受け取ればいいとだけ言っておこう。


 「ふう、なんか喉渇いたな」 


 一通り話を聞き終えて近くの自動販売機に向かう。


 その傍で四人組の子供が地面に絵を描いているのが見えた。

 何となく覗いてみると、結構おどろおどろしい人型に似たもの。


 簡略化されところどころ歪んでいるのに、それしかないと思わされるような奇妙な何か。


 「こんな感じだろ?」


 「いや、もっと強そうな感じじゃなかったっけ?左手だけがやけにでっかくてトラックだって吹き飛ばすんだ」


 「でも、なんかドロドロねばねばしてんだよな、どんな攻撃も受け止めて吸収しちゃうんだぜ」


 「怪物だからな、それぐらいしてもおかしくない。もっときちんと作りこもうよ!」


 わいわいと騒ぎながら絵を描き足したり直したりする子供たち。

 どうやら怪物とやらを作っているらしかった。


 子供の遊びに思えるが何となく違和感がある。


 「一真?どうしたのじゃ?」


 缶ジュースを二つ買ってベンチに戻れば綾理ちゃんが不思議そうにこっちを見てきた。

 どうやら相当、顔に出ていたらしい。


 「うん、なんか子供たちがね、怪物を作るとか何とか言ってるんだ」


 「ああ、儂の学校でも話している者達がいたな。今、流行っているのではないか?」


 そうなのだろうか、怪物という言葉選びがどこか変な感じがする。

 子供だったらヒーローとかもっと大きい怪獣とかに惹かれそうなもの。


 怪物、やけにリアルで具体的で、なのに少しも整合性がない矛盾の塊。

 しかして綾理ちゃんは何も感じてなさそうだし、自分としても特に何か確信があるわけでもなく。


 まあいいかと、綾理ちゃんの相談に戻った。



 成人式を挟んで本格的に学校が始まる。


 去年までなら間違いなく憂鬱な時間だったろうが今の綾理にその余裕はない。

 手元にある巾着を弄ぶ、中にはモコロコとかいう人形が四つ。


 表情が微妙に違うだけ、果たしてこれほど必要だったのだろうかと悶々とするのに忙しい。


 頭の中では手渡す場面が無数にシミュレートされ続けている。

 人形を作る時よりよっぽど頭を使っていた。


 「素直に渡す……お礼を受け取る……」


 お礼を受け取るという助言が綾理からすると凄まじく難題だった。

 これまでの経験からすると憎まれ口を返すか冷たい態度を取ってしまう可能性が高い。


 「おのれ一真め、よく知りもせんじゃろうに的確に理解したようなことを言いおって。ほんによく見ておるわ」


 ありがとうと笑顔で素直にお礼を言う、真壁に相対する自分を思い浮かべようとする。

 澄まし顔で何てことないと言い張る、こんなものでよければいくらでもとか余計なことを付け足す自分が出てきた。


 ただ笑顔を返すということが脳内再現でさえここまで難しい自分に暗い笑いが漏れる。

 そんな浮き沈みする無為無策な時間は瞬く間に過ぎ去り、いつの間にか学校に到着していた。


 いつも通り保健室に直行する、養護教諭に軽く会釈をして定位置に陣取りカーテンを閉めた。

 ベッドに横になりながら目を閉じる、相変わらず流れ続ける無数の映像が瞼の裏にちらつく。


 時間はあまりにも早く流れて給食の時間、いつも通りならそろそろ来る頃だろう。


 「失礼します」


 保健室の扉が開かれる音と共に聞きなれた小さな声が耳に届いた。

 体を起こしてカーテン越しにその姿を思い浮かべる。


 心臓がやけにうるさいのを気のせいだと取り繕って精一杯の平静を装った。


 「あの、形代さん。カーテン開けるね」


 「……うむ」


 ためらいがちに開けられたカーテンの先には真壁の姿、いつも通り厄介ごとを押し付けられて表情はさえない。

 給食のお盆を備え付けのオーバーテーブルに置いてくれる、その横顔はいつも以上に暗く見えた。


 しかし、そんな些細な変化を今の綾理は捉えられない。

 頭を占めるのはここからどうやってあの人形に話を繋げるか、ただそれのみ。


 (まず、どうするべきなのじゃ?お礼?お礼を言うべきか?給食の?)


 とりあえずお礼を言おうと口を開こうとして、それより早く真壁が勢いよく頭を下げた。


 「あの、ごめんなさい!あの時私、何も言えなくて」


 出鼻をくじかれて綾理は口を半開きにしたまま動きが止まる。


 「……あの時?」


 オウムみたいに言葉を返す。


 「うん……形代さん、村上君に酷いこと言われてたのに。私、何もできなくて……」


 村上とは誰なのか、綾理には皆目見当もつかない。

 おそらくは悪口を言ってくる誰か程度の認識。


 数日前のことなのに、綾理の記憶にその男子生徒は残っていなかった。


 「何のことやらわからぬが気にするでない。お主程度の助けなぞいらぬ、所詮は他者を辱めることでしか己を示せぬモノの児戯よ。さして思うこともないわ」


 反射的に口から飛び出した、思ったままの言葉。

 しまったと思った時にはもう遅い、真壁の目に大粒の涙が溢れて伝う。


 「そうだよね……よくわからないけど、形代さんは強いから。……ごめんなさい!」


 最後にもう一度、思い切り頭を下げて走り去ってしまう。

 綾理は頭を抱えてテーブルに軽く打ち付けた。


 「何たる様じゃ、儂はここまでぽんこつだったのか?これでは人形に任せた方がましではないか」


 顔を上げた綾理はそれはもう深く大きいため息を吐き出しながら布団の下の巾着を取り出す。


 「まあ……よいわ。明日こそ、明日こそ何とかして話のきっかけを作らねば」


 再び流れ出す脳内シミュレートをぼんやり却下したり発展させたりしながらぼそぼそと給食を口に運ぶ。


 その日はもう、真壁に会うことはなく次こそはと心を新たに学校を後にした。



 綾理は知っていたはずだ、弱く脆い者はあっさり目の前から零れていくことを。

 なぜ次があるなどと悠長に構えてしまったのか。


 強き者達と共にいて感覚が鈍っていたのだ。


 翌日、真壁が姿を現すことはなかった。



 「……行方不明ですか?」


 生徒会長選挙のスケジュールを決めるための会議を終えた後のこと。

 

 顧問の西村先生に呼び止められ、他の役員が退出するのを待って二人だけとなった生徒会室の中。

 乾いた声で告げられたあまりにも不穏な第一声に一真は思わず問い返す。


 「そうだ、一年が一人、二年が三人。四人の生徒がしばらく家に帰ってないらしい」


 西村先生が手元のプリントを目で追いながら四人分の名前と軽いプロフィールを読み上げてくれる。

 

 その名前は知っていた、成績不振で留年が決まっている生徒達。

 うち一人は舞と前に付き合っていた男子生徒で顔まではっきり覚えている。


 「元々、不登校気味でまともに顔を出さんうえに非行も多い、家にもあまり顔を見せんような連中でな。しばらく誰も気づかなかったんだが、あまりにも長期だということで親御さんが捜索願を出したらしい。学校にも警察が一人、事情を聞きに来ていたんだが、まあそんなに大ごとだとは考えてないらしい」


 西村先生はうんざりしたような顔で髪をかきむしった。

 

 この手の留年が決まった生徒は遠回しに退学や転校を示唆するのが桜台高の方針。

 ただでさえ気が重くなる仕事だろう。

 

 それ以上に厄介な事態に発展したとなればその顔も安易には責められない。


 「ったく、数か月前に惨殺事件があったばかりだっていうのに、今度はこれだ。本当に近頃は何なんだ?物騒なんてもんじゃないぞ」


 隠すことなく心の内を明かしてくれるのは信頼されているようで嬉しくはあるのだが。

 教師が生徒の前でここまで開けっぴろげに全てぶちまけるのはどうかと思わなくもない。


 とは言え今はありがたい、どうやら行方不明者が続出していることがわかった。

 

 その夜、家に帰って夕飯時、フェリシアにそのことを話してみる。


 「そう、行方不明者が四人。今のこの街の状況を考えれば、偶然と考えるのは楽観的過ぎるでしょうね」


 ステーキを切り分けていた手を止めて考え込むように顎に手を添えるフェリシア。


 「フェリシアも、游里さんも街中を監視してるんだろう?何か、そういう怪しい場面とか見てない?」


 「私の使い魔や游里の固有式は影幻界絡みの探索に集中させてるから、表側の住人の動きは張ってなかったの。とは言え街中を視ているのは確かだし、綾理の人形もそこかしこに潜んでいる。その全てをすり抜けて人を攫っていると仮定すると、相当な腕ね。あるいは、認識系の力に特化しているのか」


 つまり、現状では何もわからないのか。

 ただの家出みたいなものである可能性も現時点では排除できないだろう。


 「それに攫っているとしたなら何かしらの目的があるでしょう。少なからずリスクを取ってるはずだし、それに見合う何かがある。もしかしたらクリスティルの言う玩具が関わっている可能性も無視できないわね。わかった、とりあえず私も気をつけて街を見てみるわ」


 「うん、助かるよ。だけど無理はしないでね」


 フェリシアが毎晩のように街中を巡っては戦いに身を浸していることは知っている。

 他のことに意識を割いて致命的な事態になっては目も当てられない。


 街の異変はやはり、自分と綾理ちゃんで何とか糸口を掴もうと決めて。

 

 翌日の昼休み、意を決してその姿を探して声をかけた。


 「……舞、ちょっといいかな」


 振り返った舞は敵意と呼んでも差し支えない、鋭い視線でこちらをねめつけてくる。

 いつもならこれで声をかける気もしぼむのだが今日ばかりは引くわけにいかなかった。


 「その、さ。舞って山内君と親しかっただろう?ちょっと話したいことがあるんだけど、今どこにいるか知らないかな?」


 行方不明のことを言うわけにもいかないので、少し遠回しに尋ねてみると片眉が跳ね上がる。

 昔からの舞の癖だ、激怒した時か、あるいは心底失望した時なんかの前兆。


 「何?あいつになんか用?何を話す気なのよ?」


 「いや、ちょっとね。成績のこととか、これからの学校生活のこととか」


 なるべく嘘にならないように何とか言葉を選ぶのだが、一秒ごとに舞の顔は険しくなるばかり。


 「知らないわよ、あんな猿。もうとっくに捨ててやったもの。まあでも、教師に尻尾振って笑ってる犬よりはだいぶましだったけどね」


 吐き捨てるように告げて廊下の先へさっさと歩き去っていく。

 その背が消えるまでその場を動けなかった。


 わかっていたことだが、舞との間にできた断崖はどこまでも鋭く広い。


 「……結局、情報もゼロか」


 前途多難という言葉が頭を殴ってくるのだった。



 「……来んかったな」


 保健室で一人、味が濃い給食をもそっと口に運びながら綾理は一人ごちる。


 いつもなら真壁が運んでくれるところ、今日は養護教諭の高田先生が持って来てくれた。

 綾理の担任への所業が教師一同に知れ渡る中、それでも綾理のことを気にかけてくれる還暦間近の女性教諭。

 

 時間がある時にいろいろ学校のことを教え話してくれる、普通に会話できる数少ない者の一人。

 まだ短い人生とはいえ、その大半を祖父と過ごしてきた綾理は年寄りと過ごすほうが心落ちつくのであった。


 年を感じさせぬしっかりした姿勢と快活さを滲ませる手際のよい手つきで給食の準備をしてくれているのを眺めながら。

 それとなく真壁のことを聞いてみたが、高田先生は曖昧に微笑むだけで業務に戻ってしまった。

 

 それを自分を避けているのだと綾理は受け取った、あれだけの仕打ちをすれば当然のことだろうと。


 「くらすを訪ねてみるか……いや、そんなことをすればさらに迷惑をかけるだけかの」


 それは疑う余地もなく確かだろうが、それはそれとして逃げる言い訳を探していることもわかっていた。

 どんな顔で目の前に立てばいいのか、何と声をかければいいのか、綾理には何一つわからなかった。


 ただ一人の人間として、少女として、誰かに対する方法を綾理は忘れてしまったのだから。

 否、閉じ隠し、腐り果てるまで放置してしまったというのが正しいのかもしれない。


 何にせよ、綾理は自ら動くことができずただ漫然と待ち続けるだけ。


 放課後に一真と街を巡る時間もどこか上の空、行方不明者が出ているらしいという言も聞き流した。

 人形に周囲の警戒や情報収集を全て任せて、気もそぞろに答えのない問いに沈むだけだった。


 次の日も、そして次の日も真壁は姿を現さない。


 放課後まで、週最後の時間を浪費し続けて。

 帰ろうと立ち上がってようやく、外が俄かに騒がしくなったことに気づく。


 窓から校庭を見やると生徒たちがずらっと並んでいるのが見えた。

 おそらく全学年の生徒が一堂に揃っているだろう。

 

 それを囲むように忙しなく体を揺らす教師たち。

 どこか緊張した面持ちで周囲を警戒するような仕草を見せていた。


 「なんじゃ?」


 ただ事ではないと綾理は即座に感ずる、一般人が取り得る最大の臨戦態勢。


 怪訝な顔でそれを眺めていると保健室の扉が開かれた。

 綾理の姿を見つけて安堵した顔を見せた高田先生はベッドに歩み寄る。


 「形代さん、よかった、まだ帰ってなかったんですね。今日もお迎えが来てるんですよね?」


 「うむ、迎えはもう来とるじゃろうが、何かあったのかの?」


 いつも朗らかな高田先生には珍しく、険しい顔をのぞかせてしばらく口を噤んだ。


 「ええ、その……あったんですよ」


 言葉を濁しながら視線を彷徨わせ、最後には諦めたような顔で綾理をしっかり見据えた。


 「形代さん、これからはしばらく、学校に来るのはおやめなさい。形代さんなら、むしろ家にいた方が安全でしょう。今この学区、いえ周辺地区のいくつかで行方不明事件が多発してるのです。小学生から高校生まで、安否不明者の数はすでに三十人を超えています」


 綾理は即座に聞き流していた一真の言葉を思い出す。

 桜台高校でも何人か行方不明者が出たと。


 「この学校でもすでに五人の生徒が行方不明になりました。登下校や塾の帰り道に姿を消したようです。それを受けてこれから全校生徒による集団登下校を行います。閉校はしません、一所に集めた方が被害を防げるだろうという判断です」


 綾理の家が特殊であることを高田先生は何となく察している。

 あの山中に佇むお屋敷を見れば誰の目にも明らかではあった。

 

 であるが故の情報の開示、保健室で一人になることが多い綾理は家にいた方が守られるはずだと。

 本当は親御さんか保護者に伝えるべきなのだろうが綾理の関係者を高田先生は見たことがない。

 そして、それはアンタッチャブルな事柄であると校長からもお達しがあり深入りできなかった。


 だから綾理に直接言うしかなく、それは綾理を対等な存在として見る真心でもある。


 だがそんな気遣いも、対等な一個人として接するその言も今の綾理には届かなかった。

 明晰な思考が即座に一つの答えを導き出したからだ。


 高田先生の曖昧な微笑みの意味を悟った。


 「――真壁は?真壁はどうしたのじゃ?」


 高田先生は痛まし気に目を伏せて、それでも逸らすことなく綾理と目を合わせた。


 「真壁さんも行方不明者の一人です、三日前の下校中に姿を消したそうです」


 涙を溢れさせて走り去った最後の姿が反芻する。

 あれが最後だった、最後だったのだ。


 全てが置き去りにされたように、綾理の意識は黒く塗りつぶされた。



 その日の夜、形代の屋敷の客間に五人が集まった。


 一真はその日、開かれた全校集会での顛末を話して聞かせる。

 周辺地区で急速に増えていく行方不明者、そのため桜台高もしばらくの間は放課後の活動が全面的に禁止された。


 生徒会長選挙や卒業式も事と次第によっては簡略化されるだろう。

 再び取り乱し気味だった校長と、またかとうんざりとした雰囲気を醸し出す生徒たちの温度差。


 前の惨殺事件のように目に見えてわかる脅威ではないから実感が湧きづらいのだろう。

 桜台高でもすでに行方不明者が出ていることを知っている身としては焦らずにいられないが。


 「とりあえず、街の索敵は一旦、打ち切るわ。こっちの行方不明事件に集中する。三十人規模の行方不明者が数日で、何の痕跡もなくとなれば間違いなく影幻界絡みよ。これ以上、街を荒らされる前に首謀者を仕留めましょう。いいわね、游里?」


 フェリシアの宣言に「ああ」と游里さんは頷く。


 「じゃあ、整理しましょう。そもそも、この行方不明事件はいつから始まったのか?一真、前にゲームセンターで行方不明の噂を聞いたのよね?」


 「うん、いなくなっても騒がれにくい人が消えてるらしいって主婦の人達が話してた」


 「火のない所に煙は立たず、かどわかし自体はだいぶ前から始まっていたとみるべきでしょう。犠牲者は三十どころじゃないでしょうね。痕跡を残さず、死体も残さず、ただ人を消していくことを繰り返していた。で、ここ数日のうちに加速させた。ターゲットも隠す気なしで、無差別に選んでいる。事件自体は表に出たけれど、相変わらず痕跡は残っていない」


 こうして整理すると十月のアヤリの事件とは何もかもが違う。

 

 あの時は人形という明確な敵の姿がわかっていた。

 動機はわからずともやっていることは明確だった。


 だが、今回は人が消えているというだけでそれ以外は何もわからない。

 そもそも、全ての事件が同じ者によって引き起こされたのかすら定かではないのだ。


 「あ、そうだ。あの時はミラさんとかいう情報屋に頼ったよね?今回も頼んでみるのは?」


 お金はかかるが精度百パーセントで真相にショートカットできるはず。

 しかし、フェリシアはため息をつきながら首を振った。


 「ここに来る前に、試しに相談だけしてきたの。だけど、ダメだそうよ。この件に関してはノータッチとはっきり拒絶された」


 気まぐれとも言っていたしそもそも都合よく利用できるような人ではないのだろう。

 気まぐれと言えばもう一人、こっそり回に視線をやれば相変わらず他人事。

 

 こっちもダメそうだ。


 「つまりズルはなしってわけだ。となると、一からやっていくしかないだろ。とりあえず、私は情報収集から始める。警察に何人か知り合いがいるんでな、何とか聞き出してみるさ。朔、お前はこの街で大勢を隠すのに適した場所をピックアップしろ。何をするにしろ一時的に集める場所が必要なはず、何かしら痕跡が残ってるかもしれん。ただし、戦闘は絶対に避けろ。腕も完治してないだろう、深入りはなしだ」


 「了解っす」


 いつの間にそこまで人脈を広げたのか、しかし今は頼もしい。

 朔さんの元暗殺者としての視点も何かを捉えてくれればいいが。


 「私は魔法的な痕跡を探してみるわ。異能権能の類ならお手上げな可能性もあるけれど、魔法であれば何かしら必ず残るはずだから。一真はこれまで通り、街を巡ってみてちょうだい」


 頷く、それを最後に沈黙が満ちた。

 皆の視線が自然と綾理ちゃんに集まる。


 だが、誰も声をかけられない。


 その顔は真っ青で、体は小刻みに震えが止まらないまま。

 ただでさえ色白な顔は死者に片足を踏み込んだかのように生気がない。


 まるで幽鬼のように、魂が別のどこかに旅立ってしまいそうだと思えるほどに地から足が離れている。


 「……綾理ちゃん、大丈夫?」


 急かすでもなく、追及するでもなく、そういう気を見せぬようにゆっくり声をかけた。

 油の切れた人形のように首だけがぎこちなく回る、その目は何を映しているのか。


 あるいは何も映していないのかもしれない。


 「ああ……大丈夫……ではないな。正直、体調が優れぬ。すまん……今日は休ませてくれ」


 綾理ちゃんは何とかといった風情で立ち上がるとふらふらと客間を辞した。


 「まずいな」


 「ええ、まずいわね」


 游里さんとフェリシアが二人揃って深刻な顔を見合わせる。


 言われなくともまずいのは丸わかりだ、明らかに何かがあったのだ。

 聞き出した方がいいとも思うが、今の綾理ちゃんにそれをしたら壊れてしまうという懸念が拭えない。


 数日前から、誰かにプレゼントを渡すんだとあんなに微笑ましく悩んでいたというのに。


 「……そうか、もしかしたら、その子が行方不明になったのかもしれない」


 友達ではない、知り合いではないと言っていた誰か。


 人形師としての綾理ちゃんじゃない、形代家当主の綾理ちゃんでもない。 

 ただの、一人の女の子としての綾理ちゃんにとって、その子はきっと特別だった。

 

 あるいは、特別になりかけていたのだと思う。


 綾理ちゃんは何かを隠している、ずっと隠し続けてきたのだ。

 その素顔に何とか寄り添わないといけない。


 じゃないと、全てが手遅れになるかもしれないと、漠然とした不安が忍び寄る。



 地下の工房、その最奥にあるもう一つの自室。

 鉄の扉を人形を使って完全に閉ざして、十を超える錠前で封をした。


 これで何モノも入ってこられない、出てもいけない、全てを断絶させただ一人になるための場所。


 殺風景な畳部屋、剥き出しのコンクリート壁、天井に設けられた換気扇。

 中央に揺り椅子が一つ、綾理は覚束ない足取りでそれに体を預けた。

 

 ゆらゆらと、一定の律動に身を任せて目を閉じる。


 「――ぁぁ、ぁぁぁ、あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」


 掌で目を押しつぶすように覆い隠す。

 口から洩れるうめき声を抑えられず部屋中に反響した。


 何たる蒙昧、何たる無惨。


 「何が形代じゃ、何が神の目じゃ!儂は……何も見えてない!」


 今になってなお見えてない、自分がなぜここまで取り乱しているのか、消耗しているのか。

 

 ただ一人、どうでもいい誰かが消えただけ。

 少し前まで名前すら知らなかったどうでもいいモノであったはずだ。


 ほんの少し歩み寄られただけで、ただ一度、誠意を見せられただけで。

 なぜ、ここまであんな女子に鎧が引き裂かれるのかわからない。


 いやわかっている、きっかけは一真。

 あの何モノにも染まらぬ心が完璧に閉じていたはずの鎧をこじ開けた。


 そこから溢れ出たモノが決して触れてはならない熱に触れて焼かれただけなのだ。

 形代の人形師として在るために、それはあってはならないことだったと思い知った。


 「あは、あはは、アハハハハ!」


 ダメだとぐずぐずに爛れたナニカが叫ぶ、このままだと破綻する。

 罪と汚れを祓う象徴、形代の頂点が失墜する。


 それは――――果たして憂うべきことなのか?

 ――――なぜ、そんなものを抱えて生きている?


 心が軋む、全ての歯車が捩れて割れる。

 その直前、綾理は強制的に意識を飛ばした。



 目を覚ました綾理は表向き、何事もないかのようなきびきびした動きで錠を開いていく。


 地上への階段を上ればすでに日は昇りきっていた。

 もういないだろうとは思いつつ客間に足を運べば人影が一つ。

 

 游里が中庭に面した縁側で煙草をふかしている最中。

 横に置いてある灰皿には少なくない吸殻が潰されていた。


 ずっとそこにいたのだろう、綾理の姿を認めるといつものように軽妙に手を挙げる。


 「よお、おはよう。体調はどうだ?」


 「おはよう、問題ないぞ。世話をかけたな。一真たちはどうした?」


 「帰ったよ、あいつらは土曜にも学校あるからな。それより、嘘つくなよ。ひどい顔してるぞ」


 絹のように滑らかだった黒髪は乱れ切り、見開かれ固定された目は充血して真っ赤に染まっている。

 無理に笑顔を作ろうと引っ張られた頬は狂気的だ。


 游里は知らないが、それはかつてのアヤリの表情に近い。


 「はっきり言うな」


 「当然だ、変に立ち直られたふりして引っ搔き回されたらたまらん。お湯、沸かしてやるよ。風呂入って寝ろ」


 游里の言葉を綾理は意図的に聞き流して背を向ける。


 「……神の目と呼ばれたお前の才でも、わからないものがあったか?」

 

 踵を返して立ち去ろうとしていた綾理はその動きを止めた。

 振り返ったその顔からは完全に表情が欠落している。


 見開かれた目だけが焦点を合わせないように泳ぎ続けていた。


 「調べたのか?」


 「ああ、少しだけな。形代の二十三代目。空席だったその座をわずか十歳で埋めた天才人形師。全てにおいて突出した能力を持っていたが、何より破格だと言わしめたのはその目だそうだな?あらゆる形を、その構造を形而上の段階まで含めて直観的に明らかにする眼球。生まれながらに魔眼を搭載し得た者、希少な才能だな」

 

 魔眼とは本来、持って生まれるものではなく宿すもの。

 何らかの感覚と引き換えに通常とは違う認識力を実装するある種の儀式。


 生まれながらにそれを宿す者はごく少数だった。

 

 「まあ、噂では?形代家は特殊な方法で人為的に変異を起こした人間を生み出しているとも聞くが、それはどうでもいいな。何にせよ、形代家の執念と妄念、その全てを背負って立つことを望まれたのがお前だ」


 「ああ、ああ、そうじゃ、その通り。儂は二十三代目形代家当主、形代 綾理。それで良かろう、そう在ろう。大丈夫じゃ、そう在れる」


 うわごとのように繰り返すその言葉を聞きながら、游里は視線を中庭へ向けた。

 流れる水に合わせて、落ちては鳴るししおどしを眺めながら物思いにふける。


 今、游里の中に、綾理に対する態度として二つの選択肢があった。

 形代家当主として在らせるための道と、もう一つ。

 

 脆く崩れかけている今の綾理であれば当主としての在り方を固定してやるのは容易い。

 クリスティルとの決着をつけるまで、その力を安定して引き出すならそれが最も効率的だ。


 一真は固いが甘い、フェリシアは強いが温い、特に一真と共にある時はそれが顕著。

 唯一、全体を俯瞰できるであろう立ち位置として目的を達するために。


 綾理の問題を棚上げする、それが例え、後により重く爛熟したものとなり返ってくるとしても。

 生き残る確率を上げるのであれば今、綾理が完全に壊れ果てる可能性がある選択はあり得ない。


 (生きてさえいればやり直せる道だってある)

 

 だけど、だからこそ、そうやって己を誤魔化せるからこそ。


 游里はもう一つの選択肢を取った。


 「なあ、お前はさ、もう少し自分をさらけ出せよ。逃げるな」


 綾理は言葉と動きを完全に停止させる。

 それは最も痛い言葉だった、心を抉る急所だった。

 

 一真もフェリシアもかけられない言葉。

 唯一、游里だけがかけられて、届けられる言葉。


 「……何を」


 「お前は形代を背負ってなんかいないし、その器でもない。ただ、形代を纏ってるだけで、今のお前は何者でもない。お前は振り切ってはいるが、戻るべき自分が欠落している」


 だから、どこまでも形代らしくあれる、形代として完結できる。

 だが、それは人としての立ち方ではない、神としての在り方だ。


 「お前は誰だ?どこにいて、何を見て、何を思ってそこにいる?」


 「黙れ……黙れダマレだまれぇ!!!」


 発作でも起こしたかのようにただ叫び散らす。

 何も言い返せずに綾理は逃げるように走り去った。


 游里は再び中庭に視線を投げる、水は流れてししおどしが同じリズムを刻む。

 

 綺麗に整備されたその風景はあらゆる要素が変わらないまま一つの調和を見せている。

 それは確かに美しいが、躍動が欠けていると游里は思う。


 端的に言うと、つまらない。


 「まあ、面白いものには総じてリスクがあるもんだが、今回の賭け金はちと多いな」


 それでも、チップは載せてしまった。

 後はもう、コールをかけて運を天に任せるだけだ。

 

 その結果を引き受けないといけないのが年長者の辛いところだと、游里は煙草に火をつける。


 「でも、いいさ。それが未熟に揺らぐ者の特権だ。良くも悪くも、盲目に突き進んでいくその熱が何かを引き寄せる。それがお宝であれヤバいもんであれ、その尻拭いをしてやるのがお姉さんの役目ってわけだ」


 それは、もう自分にはないもの。

 どれだけ破天荒を演じても本当の意味では生み出せない分岐点。

 

 空に向かって煙を吐き出す、それは広大な空気に溶けるように消えていく。


 「とは言えなあ、できれば後始末なんてしたくないんだよ」


 綾理の穴埋めをしようと思えば、命より重いものをかける羽目になるのは目に見えていた。


 「だから、後は頼んだぞ、一真」


 己の形を見失った迷子の人形を、決して見捨てないでやってくれと。

 游里は特に心配することもなくその場に寝転がるのだった。

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