第十八話 私たちのルーツ、そして今
第十八話 私たちのルーツ、そして今
おーい、くー嬢。
──帰り道。公園のバスケットコートで、ゴールに向かって何度目かわからないシュートを投げ込んだとき、そう声が聴こえた。
「椿さん」
振り返ると同時、ゴールに届いたボールがリングに弾かれて、跳ね落ちる。
がん、という音がそれを報せて、肩を竦める自分がいる。
コートと歩道を隔てる金網の向こうに、大学帰りなのだろう、椿さんが突っ立っていた。
「へたくそ」
「今、声かけたの椿さんじゃないの。集中してれば入ってました」
「ふーん。集中できてたんだ?」
転がってくるボールを拾う。
意地悪な言い方をするなぁ、と思いながら。そう感じるのはその言葉が図星を突いていたからだ、というのも自覚している。
金網のドアを開いて、椿さんはコートに入ってくる。
「どうしたん。なんか、元気ないね」
応えるより先、ベンチに置いた荷物の隣に、久遠はボールを戻す。
代わりに持ち上げたペットボトルのスポーツドリンクを呷る。部活と、真夏日の夕方の気温とで汗だくになった身体に、多少ぬるくなってもそれは心地よく、染み渡っていく。
久遠の返事を、椿さんは待ってくれていた。
「──いや。なんか、こう……私。無神経だったのかな、って」
「ほう?」
ボールを抱えて、どっかとベンチに腰を下ろす。
いつのまに取り出したのか、椿さんは小さなキャンディを、包みを剥いてその唇に放りこむ。仄かに、イチゴ味の匂いが漂ってくる。
「今日、昼間に律花から言われたんです。騎士として戦うなら、人間も斬るのか、殺したこともあるのか──って」
「……それは、また」
でもまあ、たしかにそういうケースも在り得るのか。平和や人命を護るために騎士があった世界。言ってみればそこではくー嬢たちが抑止力を一手に引き受けていたようなものだものね──そう言って頷く椿さんは、責める風に言っているのではなかった。
「そういえば、椿さんって大学で」
「うん? ──うん。そう、歴史学科。とくにヨーロッパ史ね」
「それってやっぱり、こないだ言ってたご先祖様のことが──……?」
「いや。もともと、ヨーロッパ文学が好きでさ。突き詰めていったら、文学史以上にその土地の歴史にハマってたってだけ。……ただまぁ、家系とか、血筋もやっぱりあったのかなぁ」
そこに興味を感じたり、拠り所を求めたりしたということは。
無意識にでも、もしかしたら近しいものを感じていたのかもしれない。
「それで。律花に訊かれて、どう思った?」
飴を、がりがりと噛み砕きながら、椿さんは首を傾げてみせる。別にいらついているとかではなく。もともとこの人はこういう食べ方なのだ。
久遠は一連を脳裏に思い起こしていく。
密かに抱いた、衝撃。それを引き起こした、律花の言葉。
自嘲をするような、不破さんの反応──。
「どっちが正しいとか、どっちのほうが大事とか。私にはほんと、まったくなかったんです」
そう。だから問われたとき、息を呑んだ。驚いたし、返答に迷った。
「私には記憶がある。「クオン」として生きていた、その世界。その年月の記憶が。その価値観も私のなかには確かに残っていて。騎士が戦うのは、当たり前なんです。悪いやつや、災厄のような猛獣を倒して、被害を出さないよう人々を護るのは。そうやって犯罪者や悪を打ち倒していく先生に、私は憧れたから。かっこよくて、頼もしくって」
この人の弟子なんだ、ってことが誇りだった。
「だけど同時に、今の私には、焔小路 久遠として生まれ、育ってきたこの現代日本っていう環境の、そこでの常識や価値観もあって。両立してるんです。どちらかがどちらかを否定するのでもなく、どちらを優位に置くのでもなく」
だから、無意識だった。背反となる部分があるなんて、考えもしなかった。
魔力をこの手で運用する技術の有無。科学技術の発展の差。それら、技術体系という違いがふたつの世界にあるように。
騎士が、人々を護り、悪を斬り。打ち倒すこと。それはかつての世界では当たり前のことで。
だけど今、この現代の日本という世界においては、たとえ悪であっても人が人を斬ることは、その正当性は感覚として許されない。
憧れたかつての先生の姿は、この世界の人々の持つ常識の感覚に照らし合わせれば、それは──……。
今更、過ぎ去ったかつての生での出来事を、現世での価値観で断罪などできようはずもない。無論、されたいとも思わない。
だけど気付いたとき、それがショックで。こんなにも価値観の異なる部分があるのだと、久遠は「クオン」について思ったのである。
かつて生きた私。今の私。それは同一の記憶を持っていて。どちらも私だって認識はある。
だけれど絶対的に、世界の中のひとつの個体としてみるならば、──それらはそれぞれの、「私」でしかない。
クオン=フラム・リーベライトは既に故人である、異世界の少女でしかなく。
この世界における久遠は、焔小路 久遠でしかない。
両者はそれぞれに、個別の存在なのだ。
生まれ変わっても。その以前が今に優越することはない。今、この世界が今の私のすべてなんだ。私は久遠として。この世界でできるかたちで、戦うしかない。
今の私は「ディ=クス」人のクオンではない。
日本人の、現代人の久遠なのだから。
「そういうこと考えてたら、いろいろ思うところが多すぎちゃって」
ようやくそんなことに気付いたんだな、とか。
律花に訊かれたとき、先生はあんなにもしっかり応えられたのに、とか。
このまま帰って家でごろごろしてたって、もやっとするばかりだな、って。
気付いたらここで、何本もシュート撃ってました。身体動かして、忘れてしまいたかったのかもしれません。
「そう。そっか」
* * *
「ねえ。なんであの連中は、くー嬢やいつきちゃんを襲ってきたんだと思う?」
暫し黙りこくっていた椿さんが、やがて口を開く。
「それと、なぜプールで人を襲ったのかも。……襲われてたんだよね?」
「はい。……正直、わからないです」
なぜ、奴らが差し向けられたのか。
前世でも、この世界でも。
無論、先生は騎士として十分以上に名の知られる人物であったし、そのぶん市井に害為す者、すなわち悪人、罪人と呼ばれる反社会的勢力からは疎まれていたはずである。
だから。前世における暗殺は理解できる。
クオンとともに先生が殺害されたことには、容易く理由を見出せる。しかし。
「どうして、この世界にまで。不破さんとも、話し合って一緒に考えたことがないわけじゃないんです。何度か、どうしてだろうって。でも明確な、これといった理由は出てこなくって」
そもそも、どうやって人の生まれ変わりなんてものを察知できたのか。果たしてそんなことが可能なのか……?
「そう。じゃあお嬢にも、いつきちゃんにもわからないのか」
「はい。椿さんや律花が襲われたことについては巻き添えだと思うし。学校のプールの件も、あのスライムや黒ローブの奴らを操るやつがいるなら、さしずめ私をおびき出したってことなんでしょうけど」
「どっちにしても生まれ変わったその先にまで、こうやって狙われる覚えはない、か。うーん、手掛かりが少なすぎるな」
くしゃくしゃと髪をかきあげて、唸る椿さん。
「りっちゃんといつきちゃんは、大丈夫なの?」
「あ、はい。なにかあったらわかるように、魔力を預けて位置確認はしてますし。ふたりの家の周りに、結界も張ってありますから」
「へー。すごいね。今度教えてよ」
彼女のように魔術のこと、魔力のことについて気軽に話せる相手が出来たのは、正直ありがたい。
手伝ってくれる、と買って出てくれたことは僥倖だった。
顔見知りだし、年上だし。いろいろ相談もしやすくて助かる。
──と。
「ん? 電話……あれ、りっちゃんから?」
着信音を鳴らし始めたスマートフォンをポケットから引っ張り出して、椿さんは首を傾げる。
なんだよー。今日はあたし、バイトお休みだぞ。そういってぼやきながら、応答に出る。
もしもし。そう言って返す彼女の様子を眺めつつ、久遠は律花のことを思う。
彼女も、ほんとうなら巻き込むべきではなかったのだと思う。先生がはじめ、そうしようとした。その判断はきっと正しかった。もはや無関係でいろと言っても、手遅れなのかもしれないけれど……。
「は?」
一瞬、椿さんが裏返った声をあげた。
そちらを見ると、しきりに彼女が、ちらちらと目線を送ってくるのがわかる。
「そりゃ、かまわないけど。手伝うって言ったのはあたしだしね。……でもほんとに、あたしなんかが参考になるかね」
──参考? 律花はいったい、椿さんになにを求めているのだろう?
「うん。うん、わかった。やれるだけのことはやってみるよ。うん、それじゃ」
通話を終えてなお、椿さんはなにかを考えこんでいた。
なんだ。いったい、どうしたんだ。彼女の次の動きを、久遠はじっと見守って。
「今の電話さ、りっちゃんの携帯だったけど、……いつきちゃんだった」
「え」
不破さんから、椿さんに?
「りっちゃんとふたり。体内の魔力をどうやったら発現できるか、鍛錬を手伝ってほしいって」
「──え。はい? ちょっと。え、なんで」
「なんで、っていうのは、まあ。そりゃあふたりとも、決めたからじゃない?」
困惑する久遠。椿さんはため息をひとつ、そしてやがて、告げる。
「ふたりも。護られるだけじゃ、嫌なんだよ。きっと」
だからこの世界での、魔力の使い方を知ってるあたしに頼んできたんだと思う。
くー嬢だけに戦わせたく、ないから。
椿さんの言うそれらの意味は、わかるけど。……わかるけど!
「なにもこの世界で、敢えて危険に飛び込まなくたって……!」
それが魔力を取り戻せた、持つ側の人間のロジックだということは久遠だってわかっている。持たざる側に置かれてしまったふたりには、通用しない。
とくにかつては持ち得た、それを失ってしまった──先生には。
「……ま、どこまでやれるかわからんが。手は貸してみる」
きみの先生の、先生をやってみるよ。
久遠の手からボールをとった椿さんが、片手でゴール目掛け、放物線を描き、ふわりと投げる。
その軌道は先ほどの久遠のそれとは違って、柔らかく、滑らかで。
すとん、と一切のぶれや抵抗を感じさせることなく、まっすぐにリングへと吸い込まれていった。
(つづく)
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