十六、指きりと衝撃の事実
軽快な足音が己の部屋に向けて近づいているように感じる。扉を叩く音も軽快で、机で読書に興じていた桜子は予想通りの来訪者を招き入れた。
「桜子様! 今日は天気も良いですし、外でお茶にしましょう!」
コハクの笑顔は幼い顔立ちのせいもあり眩しかった。実年齢を知っても、すっかり外見に惑わされている桜子は出会った当初からつい対応が甘くなっている。こうして簡単に部屋に招き入れてしまうのだ。
「お茶?」
「はい! 庭の薔薇が見ごろなんですよ」
桜子は首を傾げた。窓から外を見やれば確かに天気は良い。木々を揺らす風も穏やかで、日差しも強すぎることはない。外に出るには絶好の気候と言えるだろう。
「そうね。気分転換も必要、かもしれないわ」
外に出るのは、ここへ来て初めてのことだった。
ずっと家の中に閉じこもっていた。随分長い間、太陽の光を浴びていないように思う。せめて庭に出れば良かったのかもしれないが、そういう気分になりきれなかったのでコハクからの誘いはうってつけだ。一人であれば、まだ部屋に籠もっていたことだろう。
桜子の部屋から見下ろせるのは庭と反対側である。部屋から見下ろせるのは玄関と小さな花壇くらいで、庭園の規模を知らずにいたのだが……。
庭の隅、薔薇を美しく観賞できるように計算された位置にある円卓と椅子。どちらも白塗りで、それを含めて庭の一部のように溶け込んでいる。まるで絵のように優雅さを掻き立てた。
コハクの言う通り、薔薇が見事に咲き誇っている。とうのコハクは「はい、ここに座っていてください」というなり、家の中へと戻ってしまった。
色とりどりの薔薇は美しく、誰が手入れをしているか疑問に思う。無月? コハク? 苧環? 想像して、最初の候補はないだろうと頭を振った。まだコハクのほうが現実味ある。
(そういえば、あの人普段は何をしているのかしら? わたくしは何も知らない。いえ、知りたいと思ったのは今が初めてなので別に問題はないけれど。動向は知っておいて損はないはず)
コハクと二人きりで会話をするのだから、無月本人には聞けない情報を集めておくべきだろう。
「お待たせしましたー!」
お盆に乗せられているのは菓子と飲み物。
薔薇の絵が描かれた皿には、ふんわりとした見た目のお菓子。白いクリームで装飾された上に果物が乗せられている。皿と揃いのカップにはコハクが茶色い液体を注いでいく。
「ありがとう。言ってくれれば、わたくしも手伝うのに」
初めて目にする物ばかり。どう手伝えばいいのか未知の領域で、動けずにいた。桜子は足を引っ張らぬよう、ただ案内された椅子にじっと座っていただけである。
「僕が桜子様を驚かせたかったんです! だからこれで良いんです!」
「ありがとう。でも、わたくしが勝手に学びたいと思っているだけなの。だから、今度はわたくしにも教えてくれると嬉しいわ」
宵闇家に来て桜子は己の世界の狭さを知った。そんなことわきまえているつもりでいたが、実際は想像以上で戸惑っている。
幸いなことにコハクも苧環も頼めば嫌な顔もせず教えてくれた。知らないことを知るのは心地良く、新しいことを学ぶたび高揚感が芽生える日々を過ごしている。
午後の穏やかなひと時。
「それにしても、庭園に和服美人て見ごたえありますね!」
コハクは元気にはしゃいでいるが、桜子は何を聞いてみようかと考えてる最中であった。
「ねえ、聞いても良いかしら?」
やがて皿の菓子がひと段落したところで話を振ってみる。
「はい! 桜子様になら、何なりとお答えします」
コハクは、にこにこと二つ目の菓子をほおばっていた。
「お父様、普段は何をしているの? というか私生活が全く想像出来ないけれど」
「んー、無月様は、桜子様のために動いていますね!」
「それは、ごめんなさい。よく分からないわ」
「えっと、つまりですね。例えば今日なら、桜子様の生活に不自由がないように支度を整えたり、とかです」
「そんなことしているの!? 何が楽しいのかしらね」
「あ、本人は存分に楽しんでるみたいです! こないだ買い物にご一緒した時なんて、嬉々として選んでました。もう、選び過ぎってくらいに」
それはあの大量の衣類のことだろう。
「止めるの大変だったんですよー」
コハクは本気で疲弊した表情を見せた。だからあんなに大量なのか。
「……コハクちゃんは、お父様のことをどう思うの?」
コハクは菓子をほおばる手を止めた。
「無月様ですか? うーん、偉大なお方ですよ! 力も知識も、僕なんか足元にも及びません。時々突拍子もないこと言って、何考えてんだーってなりますけどね。概ね尊敬してます!」
概ねときた。
「それは例えば?」
「最近だと、そりゃあもちろん、娘を育てるとか言い出した時ですよ!」
コハクから見ても異常なのかと少し安堵した。これが妖の普通ですなんて言われても納得しずらい。
「いきなり何言ってるんだとか、頭湧いてるのか――って、これ今のは内緒ですよ!」
「ええ、二人の秘密ね」
桜子はくすりと笑ってコハクの前に小指を差し出す。差し出された小指にコハクは戸惑っているようだ。さすがに子どもっぽいかと反省する。相手が子どもの容姿では年上だという現実を失念してしまうのだ。
コハクはしばし小指を眺めていたが、ややあって同じように誓いあった。
「お前たち……」
不満を含んだそれは、不機嫌な時に現れる彼のもの。コハクと同時に屋敷の方を振り返る。今帰ったのだろう無月がいて、その顔は信じられない物を目にしているようだった。
まさか聞かれていたのだろうかと、コハクは身を固くしていた。このままではコハクが可哀想だと、桜子は話を逸らすため「お帰りなさい」と告げておいた。
「ああ……」
無月の返答はそっけない。普段なら「今帰った。今日はどうしていたんだ?」とか「お前は今日も可愛いな」とか。何かしらの付属品があるのに。
動かぬ無月の視線を辿れば、絡まった小指に注がれている。
「お前たちは何故俺を差し置いて、そうも親しげなんだ。親を差し置いて指きりに興じるなど、許せん。コハク!」
「ええええっ! ぼ、僕ですか? 僕、悪者ですか? あ、あの! 席譲りますからご容赦を」
椅子は二つのみ。小指を解いてコハクは走り去ろうとする。
「無月様の分、用意してきます!」
もとい走って逃げた。話を聞かれた様子はないが、明らかに怒りの矛先を向けられているので分が悪いと察したようだ。
無言で見送った無月は譲られた席に腰を下ろす。手にしていた大きめの封筒を机に置き足を組んだ。頬杖をついては不服そうに桜子を眺めてくる。
「あの、薔薇が美しいので。わたくしではなく薔薇でも見ていればいいと思いますが」
「俺はお前を見ていたい気分なんだ」
そして桜子の前に長い小指が差し出される。
「さあ」
「え、さあって?」
「指きりだ」
あまりに脈絡がない。指きりとは約束事の場面で交わされるものだ。
「お父様と約束することは、特にございません」
「コハクとはあるのか?」
「そういうことになるのね」
「言え」
「それは出来ないの。そういう約束だから」
無月は隠しもせずに舌打ちする。よほど不服だったのか、コハクに対する恨み事を呟いていた。これは益々黙っておかなければコハクの身が心配である。
「何か誓おう」
無月は名案だとばかりに提案するが、そういうものではないのだ。
「無理に約束を作る必要はないでしょう」
桜子としては、この男との間に約束など作っておきたくもない。もし美味しく太れなんて無理難題を吹っ掛けられたら、ぞっとする。
「あなたに誓いなど立てたくないもの」
「そうか。では、俺からお前に誓うなら構わないだろう」
「そんなことして何が楽しいの? 理解しがたい」
どこまで突き放しても無月は諦めなかった。こうもコハクに嫉妬する姿は正直、大人気ない。
「一興だと、付き合ってくれないか? コハクだけ、というのが恨めしいんだよ」
「……そうまで、言うのなら」
「ああ、そうしてくれ。そうだな……。俺はお前を大切にする。ずっと、この命尽きるまで」
「そんな仰々しい誓い、欲しくない」
躊躇うまでもなく桜子は拒絶する。指きりなんて戯れにすぎないのに、無月の提案した誓いは長く重いものだ。
「俺が一方的に誓うんだ。構わないだろう。お前に害があるわけでもあるまいし、誓わせてくれないか?」
ただ小指を絡めるだけの戯れ。それなのに、やけに神秘的に感じてしまうのは相手のせいだろう。この男のもつ独特の雰囲気がそうさせるのか。見惚れていたなんて認めたくはないが、桜子は誘われるように指を絡めていた。コハクと違う男の人の手だ。
「ありがとう。永劫守ろう。大切にするよ、桜子」
(そんなに嬉しそうに喜ばないで。しかも、そんなに甘いことを言わないで。期待してしまいそうになる。本気で守るつもりなのかしら……)
いやでも触れた指先に意識が集中する。これはよろしくないと、桜子は自ら指を解いていた。早急に話題も変えねばと当たり障りのないことを口にする。
「今日は早いのね」
「用件は終えたからな。明日からここに通え」
無月は置いた書類を桜子の方へ押しやる。
「まさか、わたくしに言った? 唐突に、どういうこと?」
いきなりすぎた。桜子は言葉選びに迷うが無月は畳みかける。
「子は、学校へ行くものだろう」
「それは、そうよ」
桜子は自宅で学んでいたが、同い年の子たちは学校へ通っている。
「手続きはしておいた。明日送って行こう」
コハクが言っていた本日の無月の行動とは、このことだったらしい。
差し出された封筒を受け取れば、宛名には宵闇桜子様と書かれていた。まさかとは思うが……宵闇桜子とはつまり。
(本格的に、娘扱いなのね)
中身を検めると女学校の資料が入っていた。外観に授業内容や、教育方針が記載されている。つまり、ここに通うということなのだろう。そう結論に辿り着いてから、桜子ははてと一つの疑問を口にした。
「待って。学校に行けということは、わたくし外出しても良いの!? 軟禁されていたのでは」
「誰がお前を閉じ込めたというんだ?」
「違うの!?」
無月が驚いたように声を上げるので、桜子も驚きのあまり声が大きくなる。
「外出したければ、勝手にすればいいだろう。だが行き先はきちんと告げて行け。そしてあまり遅くなるな。夜道は危険だからな」
「外出、してもよかったの?」
「誰も禁じていないだろう」
そういえば、そうだ。
「けど、でも……」
雰囲気的に外出禁止だと思いこんでいたのに。
なんという衝撃の事実!
「なんだ、外に出たかったのか。安心したよ。俺の娘は引き籠りなのかと危惧していたところだ。杞憂に終えてほっとしている」
「勝手に決め付けないで。わたくし外は好きよ」
「そうか。ならば今度は共に散歩でもしよう」
「……連れて行ってくれるなら、行ってみたいわ」
散歩なんて、家の外周くらいしかしたことがない。普通の街並や自然を堪能する散歩とやらを体験してみたかった。一人ではどうしていいか不安なので、この際この男でも構わない。散歩を体験させてくれるならと、容易く誘惑に負けてしまった。




